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第十五話
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「そこまで待ってないよ。こっちこそ仕事中なのにごめん」
いつもすぐに駆けつけてくれるから本当に待ってはいないのに呼ぶ度に龍一郎は必ず勇士に謝る。謝るべきなのはいちいち仕事を邪魔してしまう自分の方だ、と勇士は常日頃思っていた。
「そんなことお前が気にする必要はない。それに俺が少し抜けたところで、困るような職場じゃないからな」
龍一郎は勇士が気にしないよう軽く振る舞って、「次の授業に間に合うよう早く済ませよう」と促す。いつも使う多目的トイレは広く、男二人入っても充分な余裕があり使い勝手がいい。
勇士は龍一郎が早く仕事に戻れるように顔を赤らめながらも手際良く処理を済ませ、貞操帯を装着する。
毎回、毎回面倒だなと思わなくもない。けれど無闇に反抗して嫌われるのも嫌だったから今まで文句なんて言ったことはない。
下を履いていると、洗面台でシリンジなんかの道具をもくもくと鞄に片付けていた龍一郎がふと口を開く。
「勇士、何か俺に隠していることはないか?」
「……え」
心臓が嫌に拍動する。龍一郎にそう言われて真っ先に頭に浮かんだのは修学旅行のことだった。龍一郎に無言でじっと見つめられ、勇士は焦っていた。
ふいに思いついたのはまだ痛手の少ないごまかしだった。
「……ごめんなさい。実は朝早く起きて課題をするつもりだったんだけど、結局いつも通りの時間に起きちゃってする暇がなかったんだ。父さんには課題やったって言ったけどそれは嘘で、本当はやってなくて先生にも提出してない」
深く反省しているような素振りを見せる。龍一郎の真っ直ぐこちらを見つめる眼差しに、勇士はちくりと心が傷むが、同時にどうか隠し通せますようにと願っていた。
「…………」
龍一郎はあの鋭い眼差しを向けるだけで何の反応もしない。緊張感のある沈黙が広がり、勇士は口が渇いていたけれども無意識にない唾を飲み込んでいた。
「そうか……分かった」
沈黙を破ったのは、心底残念がるようなそんな重い一言だった。
「勇士、今日はもう授業に出なくていい。すぐに帰るぞ」
唐突の言葉に勇士は何の反応も出来なかった。片付けを終えた龍一郎が鞄を手にして、ドアの引き手に手を掛ける。
「先生には俺から伝えておく。校門前に車を寄せるから、お前は荷物を持ってそこで待っていなさい」
意味が分からなかった。それだけ指示して廊下へ出ようとする龍一郎に「父さん、ちょっと待って!」と声を掛ける。
「え、なんで早退しなきゃいけないの? 体調なら俺、全く問題ないけど」
「そういう問題ではない」
「じゃあなんで」
「話は家でも出来る。みんなの邪魔になってはいけないから次の授業が始まる前に早く支度をしてきなさい」
そう言って龍一郎は出て行ってしまった。勇士は形としては不明瞭な不安を抱えながら、支度を済ませて指示通り校門前で待ち、龍一郎の車に乗る。
車に乗っている間、龍一郎はただ黙って運転をしていた。その雰囲気がどこか重たくて、安易に声を掛けづらかった。
家に着き、バッグをソファに置くとふいに龍一郎が言う。
「修学旅行の件だが、認めるわけにはいかない」
心臓が大きく鼓動する。まるで時間が止まったような変な感覚を覚えた。
「先生に確認したが、覚えがないのに同意書が既に出されていると聞いた。……勇士、信頼を裏切るような行為はすべきではない」
身震いしてしまいそうな程鋭い眼差し、重く厳しい口調で龍一郎が咎める。声は一段と低く、それが更に自分は大きな過ちをしでかしてしまったと思い知らされた。
様子からして龍一郎は全てを知っているようだった。しかしそんなことを気にする余裕は今の勇士にはなかった。
樋宮に無断で修学旅行に参加しても叱られるくらいで問題ないと話していたが、普段より比べ物にならない怒りを抱えた龍一郎に、勇士は事の深刻さを知り、そしてそこまで怒らせてしまったことにショックを受けていた。
「……ごめんなさい」
心から謝る。最初に頭に浮かんだのは父から嫌われたんじゃないかという恐怖だった。涙が浮かんで視界が水面のように揺れる。
「俺、どうしても修学旅行に参加したくて。それで父さんに嘘吐いて勝手に行こうとした。……本当にごめんなさい」
まともにイベントにも参加出来ない、学校の帰りに樋宮とゲーセンという所へ行ってみたいと夢見る日々。学生生活、勇士はずっと窮屈な思いをしてきた。
だから一度きりでいいから普通の学生が送るような青春を味わいたかった。それになんて言ったって修学旅行だ。一生の宝物になろう思い出を友達と作りたかった。
けれど、こんなことになるならしなきゃよかったとそう勇士は強く後悔していた。
龍一郎の顔を見ることも怖くて床を見つめたまま目線を上げることが出来ない。
いつもすぐに駆けつけてくれるから本当に待ってはいないのに呼ぶ度に龍一郎は必ず勇士に謝る。謝るべきなのはいちいち仕事を邪魔してしまう自分の方だ、と勇士は常日頃思っていた。
「そんなことお前が気にする必要はない。それに俺が少し抜けたところで、困るような職場じゃないからな」
龍一郎は勇士が気にしないよう軽く振る舞って、「次の授業に間に合うよう早く済ませよう」と促す。いつも使う多目的トイレは広く、男二人入っても充分な余裕があり使い勝手がいい。
勇士は龍一郎が早く仕事に戻れるように顔を赤らめながらも手際良く処理を済ませ、貞操帯を装着する。
毎回、毎回面倒だなと思わなくもない。けれど無闇に反抗して嫌われるのも嫌だったから今まで文句なんて言ったことはない。
下を履いていると、洗面台でシリンジなんかの道具をもくもくと鞄に片付けていた龍一郎がふと口を開く。
「勇士、何か俺に隠していることはないか?」
「……え」
心臓が嫌に拍動する。龍一郎にそう言われて真っ先に頭に浮かんだのは修学旅行のことだった。龍一郎に無言でじっと見つめられ、勇士は焦っていた。
ふいに思いついたのはまだ痛手の少ないごまかしだった。
「……ごめんなさい。実は朝早く起きて課題をするつもりだったんだけど、結局いつも通りの時間に起きちゃってする暇がなかったんだ。父さんには課題やったって言ったけどそれは嘘で、本当はやってなくて先生にも提出してない」
深く反省しているような素振りを見せる。龍一郎の真っ直ぐこちらを見つめる眼差しに、勇士はちくりと心が傷むが、同時にどうか隠し通せますようにと願っていた。
「…………」
龍一郎はあの鋭い眼差しを向けるだけで何の反応もしない。緊張感のある沈黙が広がり、勇士は口が渇いていたけれども無意識にない唾を飲み込んでいた。
「そうか……分かった」
沈黙を破ったのは、心底残念がるようなそんな重い一言だった。
「勇士、今日はもう授業に出なくていい。すぐに帰るぞ」
唐突の言葉に勇士は何の反応も出来なかった。片付けを終えた龍一郎が鞄を手にして、ドアの引き手に手を掛ける。
「先生には俺から伝えておく。校門前に車を寄せるから、お前は荷物を持ってそこで待っていなさい」
意味が分からなかった。それだけ指示して廊下へ出ようとする龍一郎に「父さん、ちょっと待って!」と声を掛ける。
「え、なんで早退しなきゃいけないの? 体調なら俺、全く問題ないけど」
「そういう問題ではない」
「じゃあなんで」
「話は家でも出来る。みんなの邪魔になってはいけないから次の授業が始まる前に早く支度をしてきなさい」
そう言って龍一郎は出て行ってしまった。勇士は形としては不明瞭な不安を抱えながら、支度を済ませて指示通り校門前で待ち、龍一郎の車に乗る。
車に乗っている間、龍一郎はただ黙って運転をしていた。その雰囲気がどこか重たくて、安易に声を掛けづらかった。
家に着き、バッグをソファに置くとふいに龍一郎が言う。
「修学旅行の件だが、認めるわけにはいかない」
心臓が大きく鼓動する。まるで時間が止まったような変な感覚を覚えた。
「先生に確認したが、覚えがないのに同意書が既に出されていると聞いた。……勇士、信頼を裏切るような行為はすべきではない」
身震いしてしまいそうな程鋭い眼差し、重く厳しい口調で龍一郎が咎める。声は一段と低く、それが更に自分は大きな過ちをしでかしてしまったと思い知らされた。
様子からして龍一郎は全てを知っているようだった。しかしそんなことを気にする余裕は今の勇士にはなかった。
樋宮に無断で修学旅行に参加しても叱られるくらいで問題ないと話していたが、普段より比べ物にならない怒りを抱えた龍一郎に、勇士は事の深刻さを知り、そしてそこまで怒らせてしまったことにショックを受けていた。
「……ごめんなさい」
心から謝る。最初に頭に浮かんだのは父から嫌われたんじゃないかという恐怖だった。涙が浮かんで視界が水面のように揺れる。
「俺、どうしても修学旅行に参加したくて。それで父さんに嘘吐いて勝手に行こうとした。……本当にごめんなさい」
まともにイベントにも参加出来ない、学校の帰りに樋宮とゲーセンという所へ行ってみたいと夢見る日々。学生生活、勇士はずっと窮屈な思いをしてきた。
だから一度きりでいいから普通の学生が送るような青春を味わいたかった。それになんて言ったって修学旅行だ。一生の宝物になろう思い出を友達と作りたかった。
けれど、こんなことになるならしなきゃよかったとそう勇士は強く後悔していた。
龍一郎の顔を見ることも怖くて床を見つめたまま目線を上げることが出来ない。
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