徒花の先に

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第四十一話 夫

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 俺が敵軍に捕まり、胸の痛みに悶えていたのに目が覚めたら症状はなく、体も軽くなっていた。
 兄が俺を魔力から守ってくれたのだと具合の悪そうな兄を見れば明らかなことだった。
 だから怖くて訊けなかった。兄が苦しい目に遭っているのは俺のせいだとは思いたくなかった。
 だが今思えば兄のそばにいた間は体の調子がいつもより随分と良かった。
 つまり兄はずっと体を暴れ回る魔力から俺を守ってくれていたのだ。
 そして俺のせいで兄が死んだ。
 イェルクが兄の手助けしていたと話していたが、元々は気付いていたのに怖くて訊けなかった自分が悪いのだ。イェルクを責めるべきではない。
 けれど光も見えたんだ。
 兄にもう一度会える。そう思うと失せていた食欲がみるみると湧いてきた。
「お、おい。そんな急に食べて大丈夫なのか? 最近胃にあまり入れてなかったから最初はスープとかの方がいいんじゃ……」
「大丈夫。帝国の料理は美味いから」
「それ何の理由にもなってないぞ」
「いいから早くくれ。自分じゃあ上手く食べれないんだからな」
「分かった分かった」
 そうしてイェルクに催促し、彼の握るフォークに突き刺さる肉を頬張る。消耗しきった体力では自らの手で食事することもままならず、こうしてベッドに座ってイェルクから介抱されるのを受け入れるしかない。ならとことんイェルクを使ってやろうと思っていた。
 モグモグと頬を膨らませて咀嚼していると、汚れた口元をテーブルナプキンで拭われる。
「ふっ、なんだかこうして見るとまるで幼児の世話でもしているみたいだな」
「あ゛?」
 ドスの効いた声で睨みつけると「すまんすまん」と軽く謝るだけで俺の怒りも気にせず口に詰め込む。
 途端衝撃的な辛さに口の中で火が吹いた。
「ゔぇ! 辛い辛い辛い! なんだこれ、辛すぎだろっ……!」
「あっ、やっべ。お前辛いの苦手だったんだっけな。すまん、すまん。水、ちゅーって吸いな」
 差し出されたグラスにささるストローから水を吸う。けれど辛さは和らぐことはなく、思わず涙が出た。
「からぁい……」
「そんなに辛いのか。でも泣くと目が腫れちゃうぞ。ほら泣かない泣かない」
 ハンカチで濡れる目元を拭われる。そんなこと言われたって生理的に出てくるんだよ。
「なんでこんな辛いもの……。たくさん食べ物を持ってこいって言ったけど俺はあくまで病人だぞ」
「ぐずらない、ぐずらない。ケーキでも食べて元気出せ。……ほら、あーん」
 差し出されたショートケーキをパクリと食べる。甘いクリームと苺が口の痛さを優しく和らげる。
 テーブルナプキンで口の端についた白いクリームを拭われる。大人しくその手を受け入れていると、イェルクの頬が何故か段々と赤くなっていった。
「やべぇ……なんか新しい道が開けそう……」
「……新しい道?」
「っいや、なんでもない」
 随分と焦った様子で矢継ぎ早に答える。何を考えているのやら。
 感情を乱されているような、ぽうっと頬を染める見慣れないイェルクの顔をじっと観察しているとまた辛さがぶり返してきた。
「おい、もっとくれ。また口の中が辛くなってきた」
「あ、ああ、今やるよ」
 助かったとばかりにイェルクが大きなケーキの欠片を口に運ぶ。おかげで口の端にべったりとクリームがついてしまった。ペロリと舐めてしまおうかと思ったが、「今、ふきふきしてやるからなぁ」と舐める暇もなく懇切丁寧に拭われてしまった。
 ……クリーム、もったいない。
「ここの料理長、実は俺が料理の腕を買って異国から連れて来たんだ。まだグランツォレに来て日も浅いし、言葉も勉強中でさ。でもいつも全然食べないお前がいっぱい食べたいって言うものだからつい嬉しくなっちゃって張り切って自国の郷土料理でも作っちゃったんだろうな」
「気持ちは嬉しいけど、だからってここまで辛くしなくともいいじゃないか……」
「そんなに辛いのか?」
 散々に口の中で燃えたそれをイェルクはスプーンで掬って戸惑いもなく口に含む。
「…………確かに辛いな」
「だろぉ!」
「でも食えないことはないな。これ旨辛の範囲だろ」
「はぁ!? それだけはないだろ!」
 んま、んまと味が気に入ったのか俺の面倒を置いて食事に夢中になる始末。
 ありえない。こんな辛いものをバクバク食えるなんて味覚が麻痺しているとしか思えない。
 馬鹿にするようにイェルクが笑う。
「全く、これでヒィヒィ泣くなんてイライアスはほんとお子様だな」
 ここでキレたのは言うまでもないだろう。イェルクの言葉を無視し、差し出す食事からも顔を背ける。
「なんだよ、これくらいのことで怒ったのか? イライアスってほんと短気だよなぁ」
 短気になるのはお前だけだっつーの。大体お前がイラつかせるようなことばっか言うからこうなるんだろ!
 そう心の内で怒鳴り無視を貫いていると、イェルクは俺に見向きもせず自分勝手に俺のための食事を一人で食べ始めた。
 わざとなのではと疑うくらいあまりにも美味しそうに食べるものだから目が自然と彼を追う。
 それから段々と不満を抱き始めた。
 なんでコイツが悪いのに俺が我慢しなくちゃいけないんだ。
「おい、俺の夫なら一人で食うのに夢中になってないで床に臥す伴侶のために全身全霊を持って尽くすくらいの気概を見せないか」
 そう言った途端ピタリとイェルクの動きが止まった。イェルクがベッドに身を乗り出して俺に迫る。
「なぁもう一度言ってくれないか?」
「だから自分ばっか食ってないで俺にも……」
「いや、そうじゃない。さっき言った言葉のその最初の部分だ」
「……俺の夫なら一人で食ってんじゃなくて──」
「夫!! そう、夫だ! 夫……ああなんて心地のいい響きなんだろうか!」
 イェルクは夫と呼ばれることが非常に嬉しいようであった。俺たちは療養という名の形だけの夫婦だが、イェルクは夫婦という仲で何か憧れがあるのかもしれない。だがこれを利用する手はなかった。ニヤリと口角を上げる。
「そうだ。お前は俺の夫なんだから伴侶である俺の言葉は絶対で、俺のために全てを捧げて尽くすんだ」
「ああ、勿論だ! 俺の伴侶のためならなんだってするよ!」
 その俺を映すイェルクの瞳はうっとりとしていて甘くとろけていた。
 おい、憧れを実現したいのは分かるが、俺は本当の妻じゃないんだぞ。
 なんだかイェルクを躾けるつもりが失敗してしまった気がした。
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