徒花の先に

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第三十六話 宣戦布告

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※イェルク視点



 イライアスの返事はイェスともノーとも取れないものだった。だから療養としての招致に移行しようとしたのだが、彼の父はそう望まなかった。
 応接間、ソファにお互いが向き合う形で彼が頭を今にも下げそうな勢いで頼み込む。
「イェルク殿、どうかイライアスとの婚姻をそのまま進めてくれないだろうか」
 意外だった。だってアランとの会話では俺たちの結婚の説得には苦労していたとの話だったはず。俺が結婚の承諾を得た時も渋々といった感じだった。
「どうなさったのです? 我々の結婚についてはあまり前向きではなかったと記憶しているのですが……」
「ああ、確かにそうだった。貴殿はその若さながら帝国をまとめ上げ、戦や政治と数え切れない程の功績を残している。勿論、予測不可能にすら思える素晴らしき行動力も讃えるが、故に我が息子は貴殿には相応しくないと思っておりました」
 遠回しに毒を吐かれているなと感じる。つまり俺の性格が他と違って規格外すぎるから息子の結婚相手としては不安すぎると思っていたわけだ。性格については自覚しているから分からなくもない。男同士の結婚に忌避感を抱いていないだけ充分マシだと言えるだろう。
「ならどうしてあのようなことをおっしゃったのですか?」
「……私の生は有限であるとそう実感したのです」
 不穏な感じに恐る恐る訪ねる。
「…………何かご病気が?」
「ええ。もう進行も進んでいまして、あまり先は長くありません」
 まさかとは思ったがこんな展開になるとは思っていなかった。
 突然のことに一時思考が停止する。
「イェルク殿、どうかこのことは内密にしていただけませんか?」
「……え、ええ、勿論です。あの、このことはご家族には……」
「時が来たらいずれ話そうと思っています。大丈夫です、イェルク殿のご心配には及びません」
 そ、そうか。なら部外者の俺が口を挟むことではない。
 俺が落ち着きを取り戻したのを見計らって彼が続ける。
「話を進めましょう。当然私の亡き後は第二皇子であるイライアスが継ぐことになりますが、身体のこともありイライアスには些か荷が重すぎます。故に私は第三皇子であるノエルに後を継がせようと考えていますが、実のところイライアスをノエルのそばに置いておきたくはないのです」
「どうしてですか? 二人は仲も良いと思いますが……」
「……私はノエルを危険視しているのです」
 これまた思ってもみない発言だった。確かにノエルには裏があると思ってはいたが、実父自らにそこまで言わしめるとは。
「あの子は表面上、年相応に幼く愛らしい、子どもらしい子どもに見えます。けれど本当は違います。あれは演じているだけでその裏には非凡なる賢さと目的のためなら手段を選ばない冷酷さを持ち合わせているのです」
「だからイライアスをノエルのそばに置きたくないと?」
「はい。あのままノエルのそばに置いておけばいつかイライアスに害が及ぶでしょう。それにあの子は執着心が人一倍強い。イライアスに対しては特に。尋常ではない執着ほど怖いものはありません。故に貴殿との婚姻を通してノエルにもう自分のものではないのだとはっきり突きつけ、イライアスへの執着を断ち切って欲しいのです」
 彼はくだらない嘘を吐くような男ではない。なら彼が話した全ては事実なのだろう。
 ノエルがそんな奴だったとは……。しかしなるほど。そういうことか。であれば彼の言う通り、イライアスの身の安全のためにもここは結婚という形で進めるのがいいだろう。
 ふと顔を上げるとまるで体の何倍もの岩を背負ったような彼の姿が目に映る。
「そんな思い詰めたお顔をなさらないでください。お身体に障りますよ」
「しかし……」
 皇帝として父として多くの重責を抱えているのだろう。その眉間の皺は消せないほどに深くなっていた。
 イライアスの父をこのような目には長く遭わせたくなかった。
「お義父様、ご結婚の話快く受け止めてくださりありがとうございます。これで何の戸惑いもなくイライアスとの婚姻を迎えられます」
「ではっ……!」
 安堵に顔色が良くなる。俺は肯定するように彼に頷いた。
「お義父様、どうか心配なさらないでください。イライアスは私のお嫁さんです。末の御子息のことも、イライアスのことも全て俺がなんとかします」
「しかしそのようなことまで──」
「大丈夫です。私の功績の多さには既に貴方の知るところでしょう? ……ですからどうかご自分のお身体のことをお考えください」
 ノエルだけじゃない、イライアスの気の抜けない身体と憔悴しきった心のことも彼は気に病んでいたに違いないのだ。
 俺の言葉を聞いて安心したのか肩の力を抜いて顔を手で覆い、まるで登山をして来たかのような疲れ切った長い息を吐く。
「……すまない」
「いいんですよ」
「イェルク殿、貴殿には何から何まで面倒を見ていただいてどう感謝を申し上げたらいいか。……ふつつかな息子ではございますが、どうかイライアスをよろしくお願いします」
 そう深く頭を下げる彼を見てイライアスへの深い愛情がじんじんと伝わった。

 いつものようにイライアスのお見舞いに行くと、待ち伏せしていたかのように部屋の扉の前にノエルがいた。
「ああ、ノエルじゃないか。奇遇だな。お前もイライアスのお見舞いに来たところか? それとも今出たところか?」
「………………」
 口を閉ざしたままノエルが俺を睨みつけてくる。
 ……もう結婚の話が耳に入ったのか。思ったより早かったな。
 わざと気付かないフリをして訊いてみる。
「どうしたんだノエル、そんな顔をして。何か俺に不満でもあるのか?」
「………………」
「無礼だとかなんだとか言わないからよ、不満があるならはっきり言ってもらって構わないぞ」
「兄様は俺のものです」
 ふとノエルが言い放つ。その眼差しは誰であってもその事実は決して変えられないかのような堅固たる意思を宿したものだった。
 けれどそんな事実は元々ない。
「イライアスがお前のもの? 何言ってんだ。イライアスは誰のものでもねぇよ」
「僕をからかっているのか? 貴様とイライアス兄様の婚約が決まったことを僕が知らないとでも?」
「いや、そうじゃねぇよ。俺が言いたいのは結婚するからと言ってイライアスが俺のものにはならないってことだ」
「どういうことだ」
 さてどう言えばいいものか。イライアスが結婚を自ら望んでいない以上、正真正銘の伴侶とは言い難い。しかしノエルにはイライアスへの執着を断ち切ってもらいたい。だからこう続けた。
「そもそもだな、イライアスは人間であって物じゃねぇ。だから誰かの所有物にはならねぇってこと。イライアスはお前のものでも俺のものでもねぇ、イライアス自身のものだ」
 ノエルの歪んだ認識から目を覚まさせようと軽く説教したつもりだったが、効果はあまりなかったらしい。ふっと鼻で笑われる。
「そんなの理想論に過ぎない」
「理想論?」
「そうだ。もしお前の言う通りに仮定するなら何故人は、愛する人の心が少し他へ向いただけで嫉妬するんだ? 自分でさえ思わず見惚れてしまうほどの美しさを持つ人間が前に現れても、愛する人がその人間に目を奪われてしまえば自分のことは棚に上げて嫉妬する。何故だと思う? それは愛する人を奪われたくないからだ。自分のものなのに他者から強奪されそうになることが許せないんだ。誰だって嫉妬はする。つまり誰でも愛する人には所有欲が湧くもので、アンタの言っていることは自分がそう思いたいだけのただの理想論だ」
 うっわーと明らかに引いてしまう。
 お義父さんの言う通りどんな子どもよりも賢しい。だからこそどんな子どもよりも生意気に見える。
 誰だよ、『可愛らしいという概念においてこの世界中を探しても第三皇子に優る者は誰一人いない』とか言っていた奴は。
 ぜっっっっんぜん可愛くねぇ。
「あっそ。ならお前の言う論ではっきり言ってやるよ。イライアスはもう俺のものだ。俺のは・ん・りょ! だからお前は潔く諦めろ」
 よく聞こえるようにノエルの近くへ身を屈め、大きな声で言ってやる。
 イライアスよ、わからせるために伴侶と言い切ったことはどうか許してくれ。
 だがどうやら俺の伴侶という発言にだいぶ効いているらしい。憎しみをこれでもかとたっぷり込められた瞳が俺を睨む。突然グッと襟を掴まれ引き寄せられる。
「僕はアンタを許さない。……自ら死を望む程に斬り刻み、貴様が考えつかないような屈辱的な方法でお前を殺してやる」
 地獄へ引き摺り込むような憎悪と殺意に満ちた声。
 とうとう本性を見せてきたか。顔は可愛らしいのに中身は牙を剥いた怪物じゃないか。
「アラン兄様が死んでやっと僕だけのものになったんだ。……なのにこんな汚泥よりも穢れた奴なんかと。貴様には絶対渡さない。必ず兄様を取り戻してみせる」
 ここだけ聞くと勇者が姫を救うために魔王に宣戦布告をしているようで笑えてくる。けれどここはぐっと笑いを堪えて舞台で踊ってやることにする。
「やってみろよ。ただ、イライアスを幸せにするのは冗談でもお前じゃねぇ。この俺だ」
 パシリと襟を掴んでいたノエルの手を払う。
 最後に言い放ったそれは俺自身への宣戦布告、俺の決意だった。
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