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第二十話 罰
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既に着いた時にはもう帝国軍は敵軍により包囲されてしまっていた。
高台から見える街並みは惨いもので士気を高めるような人々の掛け声、そして苦しむ呻き声。雨がとめどなく降っているというのに炎が全てを呑み込むように広がっていた。
そこへ飛び込むのに躊躇いはなかった。
次から次へと薙ぎ払い、兄のもとへと向かう。どこにいるのかさっぱりだったが、危機一髪で助けた騎士に問い詰める。
「イ、イライアス殿下!? なぜここにっ──」
「そんなこと今はどうでもいい。兄はっ兄上はどこだ!」
「アラン殿下は陥落した王城へと一時撤退致しました」
「そうか。ではお前が殿というわけか」
「はい。最初は反乱軍の鎮圧も順調だったのです。しかしこのように急に大軍が押し寄せてきて……。見るところ反乱軍でもないようですし、これは一体……」
隠れていた空っぽの民家の前をドカドカと敵軍が走り、気付かれないよう息を潜める。俺はあの偵察部隊から得た情報を全て騎士に話した。
「そんなサヘラン王国が……」
「このままだと帝国に王国軍が攻め入ることになる。それはなんとしてでも避けなければならない。だからお前に頼む。このことを陛下へ伝えてくれ」
「しょ、承知しました。必ずや陛下にお伝えいたします」
「帝国領内には既に王国軍が彷徨いている。道には充分気をつけろ」
騎士を裏戸からこっそり行かせるために俺が囮となって敵軍の中へ飛び出す。多勢に無勢どころか俺以外は全て敵。流石に無傷とはいかず、身体のあちこちに切り傷ができる。
「お前、噂に聞くあの狂犬か……」
俺の戦いぶりに敵の一人が勘付く。その一言に一層周りの警戒が強まった。
だがその頃の俺は身体の中を襲う苦痛に苛まれていた。
っくそ……!
かち割るかのような頭の痛み。それだけならなんとかなる。けれど胸の鼓動がおかしかった。最初は逆流でもしているような違和感だったのに今じゃあ手で鷲掴みをされているかのように痛みに支配されていた。
視界が歪み、剣捌きも鈍くなる。
王城は目の前だというのに感覚のない足はもう前へと進まない。倒れないよう剣を地面に突き刺し支えにするが、周りを一気に囲まれ、視界を敵兵が埋め尽くしていく。
「今だ! 一気にかかれ!」
必死に足掻き剣を防ぐも頭に衝撃が走った瞬間俺の意識は途絶えた。
「なぜ上はコイツを生かしておくんだ? コイツは漆黒の狂犬、人殺しの怪物なんだぞ!?」
「落ち着けよ。俺だってコイツは生かしておいちゃいけねぇと思ってる。だが上の命令は絶対だ」
「ックソ!」
音だけがよく聞こえる。打たれたせいか頭はぼんやりとしていて温かな液体が額を伝っているのを感じた。鼓動の度にズキズキと胸が痛む。
瞳は重たく、まだハッキリと開けそうにはなかった。
ただ煙のようにボヤッと二人の人影が映り、光といったら蝋燭数本だけの薄暗い家屋の中へ自分がいることだけは分かった。
腕を動かすがロープで縛られているのか全く身動きができない。
「……やっぱり我慢できねぇ」
「おいっやめろ!」
ガタッと何かを男が掴み俺に近づくがもう一人の男が制止しようと間に入る。
「止めるな! コイツは俺の家族をっ……!」
「分かってる。だが今は抑えろ!」
「ここで抑えたところでコイツは別の奴に渡るだけ。俺は何もできねぇじゃねぇか!」
やっと視界がはっきりしてきた。どうやら男は俺への復讐に燃え、剣で突き刺そうとしていたらしかった。
「……お前は移民か?」
呟くような小さな俺の声に男二人が一斉にこちらを向く。
「……サヘラン王国はこれまで帝国と一度も戦争をしたことがない。では移民と考えるのが妥当だろう。違うか?」
「ああそうだ。のどかで平和な小さな国。それが俺の故郷だった。てめぇが現れるまではな」
その瞳は今にも殺さんとばかりに憎しみに染まっていた。
「大義名分をでっちあげ、てめぇは俺の故郷を地獄に変えた。俺の家族を非業の死へ追いやった!」
「……そうか」
憎悪の叫びを静かに受け入れる。
過去、兄に認められたいと俺は罪を犯した。戦争を片っ端から仕掛け、戦果に華々しさを求めて街に火を放ち、民に紛れた兵を見分けるのが面倒だと見境なく民を手に掛けた。
勝利に不可欠ならまだしも、実際そうではなかった。それが残虐非道であり、悪であることは今の俺なら充分に理解できた。
「……その剣、刺したいなら刺せばいい。その道理はある」
「てめぇ、何を言って……」
まさかそう言われるとは思っていなかったのだろう。剣を握る男の顔は困惑しているようだった。
「だが死なないようにしろよ。俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ」
俺にはまだすることがある。今ここで胸の鼓動を止めてはいけないのだ。
剣を握る手からギリっと軋む音が微かに響いた。またあの憎しみに燃えた瞳で俺を睨みつける。
「いいだろう。てめぇの言う通りにしてやるよ。それこそ生きていることを後悔するくらいにな」
剣を俺へと向けるともう一人の男が「やめろっ!」と止めにかかってきた。
「っ邪魔するな!」
グサリと太ももに剣が突き刺さり、ただならぬ痛みに「っぅぐ!」と声が漏れ出る。
「何やってる!? コイツは最重要人物なんだぞ! 上からも手を出すなと言われただろうが! 俺たちはコイツを手渡すまでのただの見張り。お前、どうなってもいいのか!?」
「ああいいさ。コイツに復讐できるならな」
「はぁはぁ……やるなら上手くやれよ」
「てめぇも煽るようなこと言ってんじゃねぇ!」
怒られてしまった。俺なりの贖罪のつもりだったが、コイツらの上層部はそれを赦しはしないらしい。もし仮に俺が人質として扱われているなら話は変わってくる。人質交換で兄や国に不利益を被ってはならない。その時は俺も覚悟を決めて己の命を──。
「ガッ……!」
悲鳴をあげていた胸が強烈に痛みだす。力の限り心臓を掴まれているようで床に倒れ、苦痛に悶える。
「おいっ!」
身体を楽にさせようと男がロープを外すが、それは無意味に等しかった。痛すぎて息を吸うのでやっとだった。あの闇しかない世界にいた頃と同等の苦痛が胸を襲う。視界の端に剣を握る男が薄笑いを浮かべるのが見えた。
「は、はははは。いい気味だ」
「っはぁはぁはぁ……」
「これは天罰だ。俺がやらなくても神はわかっておられたんだ。苦しむがいいさ、自身の罪を噛み締めてな」
俺の罪。必要とあればどんな非道なこともできる。しかし未熟な俺は無意味に命を摘み取った。倫理観は薄くとも罪悪感は確かに存在していた。
けれど俺の罪は償いをこの身一つで済ませるほど軽いものではないだろう。それこそこの胸の痛みはまだ償いの序章でさえないほどに。
視界が霞む。死が頭に過ぎった。
まだ、まだ死ぬわけにはいかないのに……。
「おい、このままじゃあコイツ死ぬぞ! ッチ。軍医を呼んでくる! てめぇくれぐれもコイツには手を出すなよ!」
ここで一番まっとうな男が部屋を出ると、苦しむ俺とそれを眺めて狂ったように笑い続ける男という奇妙な図が出来上がった。
笑い声が煩わしい。気が触れた男と二人だけだというのに頭はやけに冷静だった。
なんとか胸の痛みを逃そうと息の吸い方を変えてみる。けれどその努力はあまり効果がなかった。
痛い、痛い、痛い。
「はははははは──ア」
突然、男が笑顔のままドサリと倒れる。立っていた男の丁度後ろから人影が朧げに見えた。
誰だ……?
「ッイライアス!」
兄上……?
慌てたように俺に近づくけれど、もう意識が飛びそうで顔はよく見えない。だが俺に触れるその手の温もりに確信を得た。
「イライアス、イライアス。俺の声が聞こえるか!?」
兄の腕に抱かれ、肩を揺さぶられるがうっすらとしか目を見開けず、やっとのこと兄の声掛けに頷く。
「イライアス、大丈夫だからな。俺がついてる」
兄がそばにいてくれるのは心強いが、もう俺は意識を保てそうになかった。暗い闇の中に引っ張られる。
まだ俺にはやることがあるのに。
けれど俺の心は今まで感じたことがないくらい穏やかなものだった。
やっと俺は休めるんだ。この苦痛から俺はやっと……。
最期くらい本音を言っても構わないだろうか。どうせ俺はいなくなるんだ。胸の奥底に閉まっていたこの想い、最期に伝えておきたかった。
「っ兄上ぅぐっ……俺っ兄上のことが……はぁはぁ、好きでした。家族としてではなく……一人の人として俺は、っぐ……兄上を愛していました……」
精一杯の告白。薄れゆく意識に兄の反応は分からなかった。全てが真っ暗に染まる。
邪神の声がどこからか聞こえた。
『残念だったな。契約上定められた運命から解き放たれた貴様には安寧は訪れない。それにまだ貴様の兄はお前を地獄に繋ぎ止めておきたいようだぞ』
途端、再び胸が痛みだす。ぼやけた視界に俺は戻ってきてしまったのだと絶望した。先程よりも何倍もひどい痛み。拷問のような苦痛が休むことなく続くもそれを止める手段はどこにもない。悶え苦しむしかない。
「イライアス」と何度も名前を呼び、励ますような言葉が途切れ途切れに聞こえる。俺の手を握る兄の手の温もりはしっかりと感じ取れたが、この痛みには敵わなかった。
「あがっ! 兄上っ、お願いです! っぅぐ、楽にして。もう俺を死なせてくれ!」
なりふり構わず懇願する。少しだけ明快になった視界で兄の顔が苦しげに歪むのが見えた。ぎゅっと強く手を握られる。
「……すまない。それはできない」
逃げることはできないのだと悟った。絶望が俺を覆う。
「だが俺がなんとかする。だからお願いだ。それまでどうか耐えてくれ」
耐えるっていつまで? いつになったらこの苦痛はなくなるんだ?
声のない叫びに今まで我慢していたものが全て解き放たれる。
いつまで俺は耐えればいい。俺はもう休みたいんだ! 俺はもう充分頑張ったじゃないか! 世界だって救ったんだ! 他に俺に何を望むっていうんだ!
誰か、誰か俺を助けて……。
『これは天罰だ。俺がやらなくても神はわかっておられたんだ。苦しむがいいさ、自身の罪を噛み締めてな』
ふとあの男の言葉を思い出す。そうかこれが俺への……。確かに天罰というものはあるかもしれない。
どんなに苦痛に喚こうが死ぬことは許されない。
その絶望こそが俺への罰。
長い苦痛が幕を開ける。
高台から見える街並みは惨いもので士気を高めるような人々の掛け声、そして苦しむ呻き声。雨がとめどなく降っているというのに炎が全てを呑み込むように広がっていた。
そこへ飛び込むのに躊躇いはなかった。
次から次へと薙ぎ払い、兄のもとへと向かう。どこにいるのかさっぱりだったが、危機一髪で助けた騎士に問い詰める。
「イ、イライアス殿下!? なぜここにっ──」
「そんなこと今はどうでもいい。兄はっ兄上はどこだ!」
「アラン殿下は陥落した王城へと一時撤退致しました」
「そうか。ではお前が殿というわけか」
「はい。最初は反乱軍の鎮圧も順調だったのです。しかしこのように急に大軍が押し寄せてきて……。見るところ反乱軍でもないようですし、これは一体……」
隠れていた空っぽの民家の前をドカドカと敵軍が走り、気付かれないよう息を潜める。俺はあの偵察部隊から得た情報を全て騎士に話した。
「そんなサヘラン王国が……」
「このままだと帝国に王国軍が攻め入ることになる。それはなんとしてでも避けなければならない。だからお前に頼む。このことを陛下へ伝えてくれ」
「しょ、承知しました。必ずや陛下にお伝えいたします」
「帝国領内には既に王国軍が彷徨いている。道には充分気をつけろ」
騎士を裏戸からこっそり行かせるために俺が囮となって敵軍の中へ飛び出す。多勢に無勢どころか俺以外は全て敵。流石に無傷とはいかず、身体のあちこちに切り傷ができる。
「お前、噂に聞くあの狂犬か……」
俺の戦いぶりに敵の一人が勘付く。その一言に一層周りの警戒が強まった。
だがその頃の俺は身体の中を襲う苦痛に苛まれていた。
っくそ……!
かち割るかのような頭の痛み。それだけならなんとかなる。けれど胸の鼓動がおかしかった。最初は逆流でもしているような違和感だったのに今じゃあ手で鷲掴みをされているかのように痛みに支配されていた。
視界が歪み、剣捌きも鈍くなる。
王城は目の前だというのに感覚のない足はもう前へと進まない。倒れないよう剣を地面に突き刺し支えにするが、周りを一気に囲まれ、視界を敵兵が埋め尽くしていく。
「今だ! 一気にかかれ!」
必死に足掻き剣を防ぐも頭に衝撃が走った瞬間俺の意識は途絶えた。
「なぜ上はコイツを生かしておくんだ? コイツは漆黒の狂犬、人殺しの怪物なんだぞ!?」
「落ち着けよ。俺だってコイツは生かしておいちゃいけねぇと思ってる。だが上の命令は絶対だ」
「ックソ!」
音だけがよく聞こえる。打たれたせいか頭はぼんやりとしていて温かな液体が額を伝っているのを感じた。鼓動の度にズキズキと胸が痛む。
瞳は重たく、まだハッキリと開けそうにはなかった。
ただ煙のようにボヤッと二人の人影が映り、光といったら蝋燭数本だけの薄暗い家屋の中へ自分がいることだけは分かった。
腕を動かすがロープで縛られているのか全く身動きができない。
「……やっぱり我慢できねぇ」
「おいっやめろ!」
ガタッと何かを男が掴み俺に近づくがもう一人の男が制止しようと間に入る。
「止めるな! コイツは俺の家族をっ……!」
「分かってる。だが今は抑えろ!」
「ここで抑えたところでコイツは別の奴に渡るだけ。俺は何もできねぇじゃねぇか!」
やっと視界がはっきりしてきた。どうやら男は俺への復讐に燃え、剣で突き刺そうとしていたらしかった。
「……お前は移民か?」
呟くような小さな俺の声に男二人が一斉にこちらを向く。
「……サヘラン王国はこれまで帝国と一度も戦争をしたことがない。では移民と考えるのが妥当だろう。違うか?」
「ああそうだ。のどかで平和な小さな国。それが俺の故郷だった。てめぇが現れるまではな」
その瞳は今にも殺さんとばかりに憎しみに染まっていた。
「大義名分をでっちあげ、てめぇは俺の故郷を地獄に変えた。俺の家族を非業の死へ追いやった!」
「……そうか」
憎悪の叫びを静かに受け入れる。
過去、兄に認められたいと俺は罪を犯した。戦争を片っ端から仕掛け、戦果に華々しさを求めて街に火を放ち、民に紛れた兵を見分けるのが面倒だと見境なく民を手に掛けた。
勝利に不可欠ならまだしも、実際そうではなかった。それが残虐非道であり、悪であることは今の俺なら充分に理解できた。
「……その剣、刺したいなら刺せばいい。その道理はある」
「てめぇ、何を言って……」
まさかそう言われるとは思っていなかったのだろう。剣を握る男の顔は困惑しているようだった。
「だが死なないようにしろよ。俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ」
俺にはまだすることがある。今ここで胸の鼓動を止めてはいけないのだ。
剣を握る手からギリっと軋む音が微かに響いた。またあの憎しみに燃えた瞳で俺を睨みつける。
「いいだろう。てめぇの言う通りにしてやるよ。それこそ生きていることを後悔するくらいにな」
剣を俺へと向けるともう一人の男が「やめろっ!」と止めにかかってきた。
「っ邪魔するな!」
グサリと太ももに剣が突き刺さり、ただならぬ痛みに「っぅぐ!」と声が漏れ出る。
「何やってる!? コイツは最重要人物なんだぞ! 上からも手を出すなと言われただろうが! 俺たちはコイツを手渡すまでのただの見張り。お前、どうなってもいいのか!?」
「ああいいさ。コイツに復讐できるならな」
「はぁはぁ……やるなら上手くやれよ」
「てめぇも煽るようなこと言ってんじゃねぇ!」
怒られてしまった。俺なりの贖罪のつもりだったが、コイツらの上層部はそれを赦しはしないらしい。もし仮に俺が人質として扱われているなら話は変わってくる。人質交換で兄や国に不利益を被ってはならない。その時は俺も覚悟を決めて己の命を──。
「ガッ……!」
悲鳴をあげていた胸が強烈に痛みだす。力の限り心臓を掴まれているようで床に倒れ、苦痛に悶える。
「おいっ!」
身体を楽にさせようと男がロープを外すが、それは無意味に等しかった。痛すぎて息を吸うのでやっとだった。あの闇しかない世界にいた頃と同等の苦痛が胸を襲う。視界の端に剣を握る男が薄笑いを浮かべるのが見えた。
「は、はははは。いい気味だ」
「っはぁはぁはぁ……」
「これは天罰だ。俺がやらなくても神はわかっておられたんだ。苦しむがいいさ、自身の罪を噛み締めてな」
俺の罪。必要とあればどんな非道なこともできる。しかし未熟な俺は無意味に命を摘み取った。倫理観は薄くとも罪悪感は確かに存在していた。
けれど俺の罪は償いをこの身一つで済ませるほど軽いものではないだろう。それこそこの胸の痛みはまだ償いの序章でさえないほどに。
視界が霞む。死が頭に過ぎった。
まだ、まだ死ぬわけにはいかないのに……。
「おい、このままじゃあコイツ死ぬぞ! ッチ。軍医を呼んでくる! てめぇくれぐれもコイツには手を出すなよ!」
ここで一番まっとうな男が部屋を出ると、苦しむ俺とそれを眺めて狂ったように笑い続ける男という奇妙な図が出来上がった。
笑い声が煩わしい。気が触れた男と二人だけだというのに頭はやけに冷静だった。
なんとか胸の痛みを逃そうと息の吸い方を変えてみる。けれどその努力はあまり効果がなかった。
痛い、痛い、痛い。
「はははははは──ア」
突然、男が笑顔のままドサリと倒れる。立っていた男の丁度後ろから人影が朧げに見えた。
誰だ……?
「ッイライアス!」
兄上……?
慌てたように俺に近づくけれど、もう意識が飛びそうで顔はよく見えない。だが俺に触れるその手の温もりに確信を得た。
「イライアス、イライアス。俺の声が聞こえるか!?」
兄の腕に抱かれ、肩を揺さぶられるがうっすらとしか目を見開けず、やっとのこと兄の声掛けに頷く。
「イライアス、大丈夫だからな。俺がついてる」
兄がそばにいてくれるのは心強いが、もう俺は意識を保てそうになかった。暗い闇の中に引っ張られる。
まだ俺にはやることがあるのに。
けれど俺の心は今まで感じたことがないくらい穏やかなものだった。
やっと俺は休めるんだ。この苦痛から俺はやっと……。
最期くらい本音を言っても構わないだろうか。どうせ俺はいなくなるんだ。胸の奥底に閉まっていたこの想い、最期に伝えておきたかった。
「っ兄上ぅぐっ……俺っ兄上のことが……はぁはぁ、好きでした。家族としてではなく……一人の人として俺は、っぐ……兄上を愛していました……」
精一杯の告白。薄れゆく意識に兄の反応は分からなかった。全てが真っ暗に染まる。
邪神の声がどこからか聞こえた。
『残念だったな。契約上定められた運命から解き放たれた貴様には安寧は訪れない。それにまだ貴様の兄はお前を地獄に繋ぎ止めておきたいようだぞ』
途端、再び胸が痛みだす。ぼやけた視界に俺は戻ってきてしまったのだと絶望した。先程よりも何倍もひどい痛み。拷問のような苦痛が休むことなく続くもそれを止める手段はどこにもない。悶え苦しむしかない。
「イライアス」と何度も名前を呼び、励ますような言葉が途切れ途切れに聞こえる。俺の手を握る兄の手の温もりはしっかりと感じ取れたが、この痛みには敵わなかった。
「あがっ! 兄上っ、お願いです! っぅぐ、楽にして。もう俺を死なせてくれ!」
なりふり構わず懇願する。少しだけ明快になった視界で兄の顔が苦しげに歪むのが見えた。ぎゅっと強く手を握られる。
「……すまない。それはできない」
逃げることはできないのだと悟った。絶望が俺を覆う。
「だが俺がなんとかする。だからお願いだ。それまでどうか耐えてくれ」
耐えるっていつまで? いつになったらこの苦痛はなくなるんだ?
声のない叫びに今まで我慢していたものが全て解き放たれる。
いつまで俺は耐えればいい。俺はもう休みたいんだ! 俺はもう充分頑張ったじゃないか! 世界だって救ったんだ! 他に俺に何を望むっていうんだ!
誰か、誰か俺を助けて……。
『これは天罰だ。俺がやらなくても神はわかっておられたんだ。苦しむがいいさ、自身の罪を噛み締めてな』
ふとあの男の言葉を思い出す。そうかこれが俺への……。確かに天罰というものはあるかもしれない。
どんなに苦痛に喚こうが死ぬことは許されない。
その絶望こそが俺への罰。
長い苦痛が幕を開ける。
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