徒花の先に

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第十九話 反乱軍

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 身体は回復し、一人で歩けるようになったもののいつものようにまた体調を崩すことが多くなってきて部屋から一切出してもらえない日々が続いた。
 しかしこのくらいの体調不良なら慣れすぎて日常生活くらい普通に送ることができるし、兄がそばにいるおかげか具合が悪くともすぐ元通りになることがほとんどだった。だから外に出るくらい大丈夫だろうと思っていたのだが父は決して許しはしなかった。父の過保護ぶりには困惑するが、俺が幼い頃も割とこんな感じだったのでただ元に戻っただけなのかもしれない。
「ここ一週間は遠方への務めでお前のそばにいてやれない。すまないなイライアス。だがなるべく早く戻ってくるようにするよ」
 くっきりと隈のついた青白い顔。申し訳なさそうに眉尻を落とす兄の姿に俺は寂しさよりも心配でどうしようもなかった。
「俺のことは大丈夫です。兄上、どうかお気をつけて」
「ああ。では行ってくるよ」
「っあの兄上!」
「……どうした?」
「兄上は分かっておいでだと思いますが、休息はどうか充分に取られてください。食事も抜くなんてことはありませんように」
「ああ、分かってるよ。心配してくれてありがとう」
 くすりと笑って頭を撫でられるが本当に分かってるのか不安になる。
 兄がこんなに具合の悪そうな顔をしているのは俺のせいだ。
 兄は俺の状態を聞きつけて軍事演習も他の者に任せてグランツォレ帝国の転移魔法を借りて駆けつけ、ずっと俺のそばにいてくれたらしい。けれどそれからというもの執務で用が外せない時以外はいつも俺のそばにいるのだ。食事も眠りにつく時も兄は俺のもとを離れはしない。それは嬉しいことなのだが何せいつもなのが不安だった。
「兄上……あの、いつもそばにいてくれるのはとても心強く嬉しいのですが、何も一日中俺に付き合ってくれなくとも良いのですよ」
「どうしてだ? もしかして鬱陶しかったか?」
「いえ、部屋に籠りっぱなしで息苦しいところを兄上がこっそり散歩へと連れて行ってくださったり一緒にティータイムを過ごしてくださったりしたおかげでとても楽しいのですが、兄上にも第一皇子故にやらなければならないことも膨大でしょう? 俺のために貴重な時間を使わなくたっていいのです。兄上の睡眠時間が減ってお身体に障るようなことはあってはいけません」
「俺なら平気だ。ほらこうしてピンピンしているじゃないか」
 全然元気そうじゃないのにそう振る舞う様子に苛立って思わず声を荒げる。
「平気なはずはありません! 俺ちゃんと知っているんですよ。俺が寝ている間ずっと兄上が膨大な書類と向き合っていることを。隈だってこんなに濃いじゃないですか!」
「……気づいていたのか。というよりなぜそんなことを知っているんだ。夜更かしは身体に悪いんだ。イライアス、夜はきちんと寝なければ駄目だろう!」
「その言葉そっくりそのままお返しします!」
 俺への心配が先に行っていたのか墓穴を掘っていたのに今気付いたようだった。むむと何も言い返せずにいるところを締めにかかる。
「とにかく俺のことは置いといて睡眠時間だけはちゃんと取ってください! でないと俺……」
「俺……?」
「俺、あ、兄上のこと嫌いになりますよ!」
 ガーンとショックを受けている様がありありと伝わる。俺もこんなこと言いたくはなかったが、これも兄のためだ。
 幼い頃兄が学問と稽古に忙しく俺に構う時間が取れなくなってしまった時に拗ねて嫌いだなんて言ってしまったことがあった。その時の兄は食事も喉が通らないほどに落ち込んでいて。その後すぐに謝ったのだが一ヶ月くらい引きずっていたと思う。
 きっと生温い説得じゃあ聞かないから兄にとって一番嫌がることをすれば俺の言うことも少しは聞いてくれると思ったのだがそう思い通りにはいかなかった。
「……ぬぐっ嫌われるのは嫌だが……どうしても駄目か? 俺はお前と過ごしたいだけなんだ」
「俺も兄上と過ごせるのはとても嬉しいですけどまともに眠れなくなって体調を崩すくらいなら俺は兄上をこの部屋に入れませんからね!」
 俺の意思が固いことをやっと理解したらしい。縋るように兄が言う。
「……お前の意見はよく分かった。なら今度からは日中執務に取り組むようにして睡眠時間はきちんと確保できるようにする。だからどうかお前のそばにいさせてくれないか」
「もちろんです。というか俺も兄上と……一緒にいたいです」
 俺は別に兄と散歩やゆっくりお話なんかができなくとも、そばにいてくれるだけで嬉しい。だけどなんだか言い慣れていなくて恥ずかしくてまともに兄の顔が見れない。柄でもない気がした。
「や、やっぱりなんでもないです……!」
 掻き消すように声を大きくしてさっきのことはなかったことにしようとしたが兄を見た途端もう手遅れだと知る。
 頬は赤く染まり感情を抑えるように手で口元を塞いでいるが、そんなの無意味なくらい兄の顔はニヤけきっていた。
「……イ、イライアス。もう一度言ってくれないか?」
「っ……!」
 期待した瞳に、今まで具合が悪そうに青白かった顔も心配は不要だったかと思ってしまうくらい興奮気味に元気になっている。
「っ兄上、早く行ってらしっしゃい!」
 恥ずかしさのあまり顔が真っ赤に火照りながらもぐいっと兄の背中を押す。それでもしつこく「イライアス、もう一度」と強請ってはいたがそんなのできっこないから無理矢理部屋から追い出した。



 それからは退屈な日々に逆戻りした。部屋から出られない上に、何もすることがないのだ。しかし俺を診る医者の量は増えて一日に何度も部屋に訪れた。医者はイェルクが派遣したグランツォレ帝国の者で魔法が使えるとのことで俺の不調の原因である魔力量を調整してくれているとのことだった。イェルクがわざわざ俺のためにしてくれたことは感謝するが、目の前で段々と具合が悪そうになっていくのを見ると申し訳なくてもう来なくていいと拒絶してしまった。

 体調が悪くなってもすぐ戻るしこの頃調子はいいんだ。だから医者なんていらない。大丈夫だと思っていた。

 窓から外を覗けばザァザァと雨が止めどなく降っていた。外を護衛する兵の動きも忙しなくてなんだか胸がざわざわする。
 扉を開き、部屋の前にいた新しい護衛騎士になんとはなしに訊ねてみた。
「なんだか外が騒がしいな。賊でも入ったのか?」
「ラルトゥフ王国反乱への援軍でしょう。規模が大きく、鎮めるのにアラン殿下も少し手こずっているようです」
「兄上がっ!? おい、反乱とは一体どういうことだっ!」
 乱れる俺の様子に大して反応もせずに騎士は淡々と答える。
「属国であるラルトゥフ王国が突如反乱を起こしたのです。王国は反乱軍に乗っ取られ国内も混乱を極めています。現在アラン殿下が対処中です」
 恐れていた未来がこんなに早く訪れるとは思ってもみなかった。兄が出かける際に言っていた務めとはこのことか。俺がついていかないようわざとああ言って……。
 こうしてはいられないと部屋から剣を取って走り出すと腕を強く掴まれた。
「離せ!」
「いけません。貴方様が部屋から出ないよう監視を陛下に頼まれているのです」
「お前は俺の護衛騎士だ。なら俺の命令に従え」
「それは出来ません。それに貴方様が行ったところで何になると言うのですか?」
「少なくとも俺はお前より何倍も強い。これで充分意味があるはずだ!」
「本当は戦いもままならないというのに。いつか倒られて周りを混乱させるのがオチです」
「……だけどこのまま黙って見ることなんてできるかよっ──!」
「っい……!」
 護衛騎士の足を思いっきり踏みつけて怯んだ隙に駆け出す。廊下にいた従者たちが慌てた様子で俺を止めようとするが、なんとか振り切って走り抜けていく。やっとのことで外に出て土砂降りのなか援軍のため馬を連れていた何も知らない兵士に声を掛けた。
「すまない、馬を一頭借りていくぞ」
「えっ!? で、殿下!?」
 馬に跨り、降りしきる雨を潜って風の如く駆けて行く。
 自分がどんなに周りに迷惑を掛けているか分かっていた。父もノエルもきっと心配するだろう。でも兄が戦場で戦っているというのに安全な部屋に何もせずいることなんて出来なかった。
 雨の雫が服に染み渡り身体を芯まで冷やし手が寒さで震える。そのせいか頭までズキズキと痛くなってきた。
 こんな時に……!
 体を壊す前兆に苛立つが、手綱をしっかり握って不安を煽るような黒い雨雲に急き立てられるようにして兄のもとへ向かう。
「っく……!!」
 近道をしようと林の中を通ると思ったよりも土がドロドロで馬の脚がぬかるみに取られ、勢いよく転び落ちる。地面に強く打ち付けられはしたが幸いにも外傷はほとんどなく、馬も怪我はしていないようだった。
 泥だらけになりながらも早くと馬に跨ろうとした途端、明らかに帝国の者ではない集団が馬で駆けてきていた。警戒したように剣を抜き俺の周りを囲みだす。
「なんだ通りすがりの市民か?」
「いや待て。その身なり、泥だらけではあるがよく見れば貴族ではないか?」
「へぇ。じゃあ金品なんかもたんまり持ってるってわけか」
「そんなことはどうでもいいだろ。俺たちには任務があるのだからな」
「その通りだ、グラッセ。我々にとって任務は第一だからな」
 なんだコイツらは。見るところ金が目的ではないから盗賊ではない。帝国のものとは一風変わった重装備。……まさかラルトゥフ王国の反乱軍か。いやそんなはずはない。帝国から王国が近いと言ってもまだ国境にはついていないはず。いや待て……もしやもう帝国軍が──。
 そこからはもう意識が変わった。
 なんとしてでも奴らを。
 集団の中から正義感の強そうな男が馬から降りて俺に近付いてくる。
「すまないな。市民だろうと貴族だろうと任務のため俺たちを見た者は殺さなければならない」
 男が握る剣の切先が銀色に光る。その瞬間、俺は泥に隠れていた剣を柄から抜いた。
 キィンと甲高い金属音を響かせて男の剣が空中へ飛ぶ。
「こ、こいつ!!」
 侮れないと見たのかもう一人が俺に襲いかかるが、それもなんなく防ぐ。それからは一斉に剣を向けてきたが、相手は五人と少なかったため数分で片付けた。
 わざと息の根を止めないよう倒した一人の胸倉を掴む。返り血を浴びて獣じみた俺の姿に男はキッと睨むがその瞳の奥は怯えに染まっていた。
「なぁお前らどこから来たんだ? 帝国の者ではないだろう? ラルトゥフ王国の反乱軍か?」
「くっ……答えるものか!」
「そうか。だがお前には答えてもらう」
「うっ……っぐぅ……」
 ふとザァザァと降る雨音の中から微かに聴こえた呻き声に男がその方へと視線を向ける。その先には息も絶え絶えな男の仲間が倒れて雨と共に血を滴らせていた。
「グラッセ!!」
「ああ、まだ生きてたんだな」
 胸倉をパッと離し、倒れている男のもとへと立ちとどめを刺そうと胸元へ剣を突き刺す。
「っやめろーー!!」
 突如空を裂くような叫び声が轟く。あともう少しというところで俺は剣先を止めた。
「なぁ俺はこいつの命を握ってるわけだが、それを潰すかどうかもお前次第だ」
「俺次第だと……?」
「ああ。つまり情報を吐けばこいつの命は取らないでやる。さぁどうする? 言っておくが俺はそんなに待てないぞ」
 己の忠義心と仲間への想いでせめぎ合っているのだろう。悶々と男は表情を歪ませる。
「……悪魔め」
 俺がわざと仲間を生かしておいていたことに気付いていたのかそう吐き捨てた後、男は言うのもやっとというぐらい苦しそうに情報を吐いた。
「俺たちはサヘラン王国の偵察部隊だ。貴様ら帝国の属国であるラルトゥフ王国反乱軍を支援し、混乱している隙に我々王国は帝国を潰そうと目論んでいた。そのための偵察が我々だ」
「……なんだと!?」
「反乱軍と戦っている貴様ら帝国軍ももう直全滅することになる。我々王国軍が後ろから叩き込み、反乱軍と挟み撃ちにするという作戦だ」
 それを聞いた途端、俺はすぐさま馬に跨り駆けて行った。本当は情報を吐き出させたら二人もろともとどめを刺すつもりだったのが、そんな時間ももったいなかった。
 だが男が泣きながら仲間を抱き抱える光景に俺は嫌な胸騒ぎがした。
 血を流した兄を俺が抱える。
 俺ももしかしたらこうなるんじゃ。
 そんな不安を抱けば現実になってしまう気がして俺は頭から無理矢理振り払った。
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