徒花の先に

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第十六話 別れ

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 軍事演習をいつまでもほっぽり出しているわけにもいかず、今朝兄はそちらの方へ出かけてしまった。出かけたと言っても無理矢理に近く、俺が心配で仕方ないのか行くのを渋っていた兄をなんとか背中を押して行かせたのだ。
 本来は兄ではなく俺が行くべき務め。正直言って俺は心中穏やかではなかった。
 痩せて細くなった腕では剣をまともに握れもしない、再び軍を指揮できるかも怪しい。
 無力を感じざるを得なかった。
 もし今何かあってもこんなんじゃ兄も誰も守ることができない。これからだって宮廷からもう一歩たりとも出してもらえないかもしれない。そしたら代わりに戦場へは兄が出ることになる。
 戦う兄を前に俺は何も出来ない、そんな未来俺は絶対に嫌だ。
 身体が回復したら父にでもすぐ復帰できるように頼み込んでみよう。兄のあの様子じゃあきっと復帰には賛成してくれないだろうが、父を説得できたら後はどうとでもなる。父の命令は絶対、第一皇子の兄であっても逆らうことは出来ないのだ。
 だからこそ父を説得できるように今は身体の回復に全力を注がなければ。そうしてベッドで寝ていたのだが眠気なんてないし、暇で仕方なかった。
 ベッドで安静に尚且つ楽しめる娯楽はないだろうかと、らしくなく本を手に取り読んでみるがやはり活字は苦手でおかげなのかなんだか眠くなってきた。
「イライアスにいさまぁぁ~~」
 突然、眠気を吹き飛ばす程の大声が響き、膝にボフンと軽い衝撃が走る。
 金糸のような輝く金髪、空を閉じ込めたような碧眼はうるうると濡れ、可愛らしい顔がぐしゃりと歪んでいた。
「ノエルっ!?」
「身体は大丈夫なの?? 熱はない?? どこも辛くない??」
 続けざまに迫るノエルに思わず驚きを隠せない。どうしてノエルがここにいるのかと疑問が浮かぶが、だいぶ取り乱していて訊ける状態ではなかった。とりあえず安心させようと笑みを浮かべる。
「ああ大丈夫だよ。身体はこんなんだけどもうなんともないし、心は元気いっぱいさ」
 そう言うとノエルは嗚咽を漏らし、更に顔をぐしゃりと歪ませる。
「うぇっうぅ……兄様が良くなって、ひぐっほんどによがっだぁぁ~~」
 ノエルの瞳からうわぁんと大粒の涙が溢れる。
 そうか、俺はノエルにこんなに辛い思いをさせちゃってたんだな。
「ノエル、心配させてごめんね」
 ノエルの頭を慰めるように優しく撫でる。それでもしばらく泣き続けていたが、じっと撫で続けていると落ち着いたようだった。
「兄様……」
「ん? どうした?」
「……っあの、ごめんなさい!」
 赤く腫らした瞳をまたうるうるさせてぺこりと頭を下げる。
「兄様は辛くて苦しんでいたのに僕は気付きもしなかった。寄り添うこともできなかった。兄様……僕っ本当にごめんなさい」
 ノエルが俺のことをここまで想ってくれているとは思ってもみなかった。とりあえずこのままじゃいけないと思って優しく声をかける。
「顔を上げてノエル」
「……ぐすっ」
「ノエルが気付かなかったのは俺が隠していたからだ。気付いて欲しくなかったからそうした。だからノエルは何も悪くない、謝る必要なんてないんだよ」
「っひぐ……でも」
「何度でも言うよ、ノエルは悪くない。だけどありがとう。正直ノエルに心配されて俺嬉しいんだ」
「っっうぅ……し……い……」
「えっ?」
「心配するに決まってるじゃないかぁ~~!!」
 そう言ってノエルが勢いよく腰に抱きつく。
「兄様がいなくなったらと思ったら僕、僕……」
 ボロボロと滝のように涙を流す弟相手に俺はどうすればいいか分からなくてただよしよしと背中を撫で摩ることしか出来なかった。しがみつくノエルの力は痛くはないが思ったよりも強くてまるで絶対離れないとでも言っているようだった。

 落ち着きを取り戻したノエルに問えば、アラン兄上が軍事演習で宮廷からいなくなったことが寂しくて来てしまったらしい。それはもうノエルだってまだ小さいのだから気持ちはよく分かる。俺も小さい頃は稽古に行こうとする兄に無理矢理ついて行ったものだ。
 だがずっと滞在するわけにもいかず、ノエルは今日ここを発つと言う。
「僕だけじゃないよ。イライアス兄様も僕と一緒に帰るようにってアラン兄様が言ってた」
「えっ!?」
 驚いたが、考えてみればそうだろう。虚弱さが判明した今、侍医もいて設備も整っている宮廷へ返すのは正しい判断だ。
 ここを離れるのは居場所が無くなるようで未練たらたらだが、父を説得すればまた戻れるだろうと元気づける。

 準備が整い、いざここを発つことになると車椅子を側付きが押してくれた。だけどどんなに見渡せどどこにもエルモアの姿は見えない。
「エルモアはどうした?」
 そう訊ねると側付きは無表情を変えず淡々と告げた。
「その者は自ら護衛騎士の任から退き、五日ほど前に帝国を出たと聞いております」
「……エルモアが……辞めた?」
 信じられなかった。五日前と言えば俺が寝込んでいた頃だ。俺の知らない間にそんなことが起こっていたなんて。
「エルモアと連絡は取れないのか?」
「彼は平民の出で、帝国外に当てがあるとも思えませんし言うなれば今の彼は根無草。一応調べてはみますが連絡は難しいかと」
「……そんな」
 なぜ辞めてしまったのだと疑問で頭が埋め尽くされる。
『どんなことになろうとも私がずっと貴方様のそばにいます』
 いつの日かエルモアが俺に言ってくれた言葉。
 あれは嘘だったのか。
 だが思い返せばしばらく前からエルモアは少し様子がおかしかった。話していてもどこか平静を装っているような。うまく言えないがエルモアとの間に距離ができたような感覚があった。
 エルモアはもしかして何か悩んでいたのではないだろうか。
 演習で忙しく、エルモアの様子に違和感を感じていてもそこに目を向ける余裕がなかった。
 俺が声を掛けていれば……!!
 そう悔やんでももう遅かった。
「一つ彼から手紙をお受けしておりました」
 そうして便箋を俺に渡す。俺は起きてたんだからもっと早くに渡せただろうにと苛立ったが、貴族出身の多い側付きは所詮庶民の願いだと軽く見ていたのかもしれない。
 気を取り直して便箋を切る。手紙は一枚のみで簡潔に数行でまとまっていた。
『何も言わず殿下の護衛騎士を辞することをお許しください。私は護衛騎士として最も相応しくない人間でした。貴方様を守るために私はお側を離れます。裏切るような真似をしてしまい申し訳ございません。しかし貴方様の幸せを私は誰よりも願っております』
 なぜとしか思えなかった。
 エルモアは命を懸けて主を守る護衛騎士の鑑のような人だった。相応しくないなんてことは一切ない。
 それに俺を守るために離れる??
 守るためなら普通離れることはしないのではないか。
 何度読み返してもエルモアが何を考えて出て行ったのかさっぱり分からなかった。だけどはっきりと突きつけられる。

 もうエルモアとは会えない。

 その明らかな事実にただ俺は悲しみに暮れるしかなかった。


 出発の時刻が迫り、悲しみに浸ったままテントを後にする。馬車へ着いたはいいものの、ノエルの姿がどこにもない。
 側付きに車椅子を押してもらいノエルを探す。
 途中騎士の面々と会ったが、皆申し訳なさそうななんとも言えない表情をしていた。
 俺もあの日兄に惨敗した手前情けなくて仲間に顔向けできないし、しかもこんな弱った姿を仲間の前で晒したくなくて早くここを通り過ぎたい思いでいっぱいだった。
 ささっと道を抜け、ノエルを探す。だけどその姿はどこにもなかった。ノエルもまだ幼いから遊びに飛び出して迷子になっているのかもと思うと心配だった。
「ノエル~」
 そう呼びかけテントとテントの間を縫っていく。ふと小さな影が目の端に映った。
「……ノエル?」
 そっと覗けば、そこには兄とノエルが立っていた。二人の放つ雰囲気がなんだか異様に感じる。耳を立てると深刻そうな兄の声がよく聞こえた。
「ノエル、今までのことお前に詳しく話しておきたい」
「……やっとこの時が来たんですね」
 ノエルのその表情はまるでこうなることをずっと待っていたようだった。兄が訝しげに見るが、ノエルは気にせず話し続ける。
「その様子だともう受け入れたようですね。なら僕に説明する必要はありません、僕は全て知っていますから」
「どういうことだ?」
「アラン兄様は僕をイライアス兄様の代わりにしていた、そうでしょ?」
 驚いたように兄が目を丸くする。逆に俺はノエルが何を言っているかさっぱりだった。
 俺の代わりがノエル? 一体どういうことだ?
「……すまない。俺はお前を代用品として都合のいいように利用してきた。苦しむイライアスから逃げて元気なお前を第二のイライアスとして無理矢理思い込んで接していた。身勝手にお前を利用したこと本当に申し訳なく思っている」
「兄様だけが悪いわけじゃない」
「ノエル……」
「僕は……、僕はアラン兄様が誤った考えをお持ちなのに気付いていた。だけど言ってしまったら兄様が壊れてしまいそうで結局何もできなかった。イライアス兄様は僕のこと悪くないって言ってくれたけど、もし僕が行動していたら兄様の容態にも気付けて早く支えてあげれたんだ。……僕にも非があります。だから兄様が謝る必要性もありません」
 ノエルが堪えるように眉根を寄せる。
 頭が少し混乱している。二人の会話を俺なりに解釈すればつまり兄上はノエルを俺だと無理にでも思い込んでいたわけか。そこまでしてしまう程俺の苦しむ姿が兄上を追い詰めていたとは知らなかった。それにノエルに心配どころではなくそんな負担をかけてしまっていただなんて。胸を締め付けられるみたいに辛くなるけれど安堵と嬉しさが沸き起こる。
 そうか、俺は兄にとっていらない存在ではなかったんだ。
 ふと我に帰って二人がどんなに辛い思いをしたのか分かっているのにそう思ってしまったことに自分が嫌いになる。俺のせいで二人を、兄を苦しめていたというのに。
 夜会に見た絶望に滲んだ兄の顔を思い出す。
 結局俺が兄を不幸にしてたんだ。
 俺が苦しむ姿を見せたばっかりにこうなってしまった。
「……そうか。お前には色々迷惑をかけた。だがこれからはまた一からお前との関係を築いていきたいと思っている」
「はい。僕もそうしたいと願っていました。アラン兄様、また一から弟としてよろしくお願いします」
「……ああこちらこそ」
 二人の間で行き交う言葉はまるで蟠りなく再出発を果たすかのように清々しかった。
 突然風が吹き、ノエルが髪に手を添え顔を背ける。美しい碧眼と目が合った途端、ノエルの顔が花が咲いたように綻んだ。
「あっイライアス兄様!!」
 ノエルが駆け寄り、ぎゅっと抱きつく。
「ごめんなさい兄様、待たせてしまっていたのですね。あの、もしかして僕を探しに来てくれたのですか?」
 子ども特有の明るい声に俺はまだ付いていけなかった。
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