徒花の先に

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第十四話 契約

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※アラン視点




 咄嗟に守るように弟の前へ出る。
「っっなんだお前は!?」
 顔すら見えない黒く染まった人の異様さにただならぬものを感じ声を荒げる。すると口も何もないというのにそれは言葉を発した。
「驚く様も兄弟とあってか似ているものだな。我に名はない。だがお前たち人間は我を邪神と呼ぶな。神と言っても此奴に封印された身だがな」
「……邪神だと?」
 到底信じられなかった。それにコイツは今イライアスに封印されていると言っていた。一体どういうことだ??
「信じようが信じまいがどっちだっていい。だが今は説明する暇はない。質問に答えろ。お前イライアスを救いたいか??」
「どういうことだ?? なぜそんなことを訊く??」
「質問に答えろと言ったのだ。貴様はイライアスを救いたいのか、救いたくないのかどちらなのだ??」
 急に現れた邪神という存在に頭がついていけなさそうになるが、あまりにも真摯な問いかけに俺は迷いなく答える。
「ああ、もちろん救いたいとも」
 イライアスにはこんな苦しい思いをさせたくない。弟にはいつも笑っていてほしい。そのためなら俺はなんだってする。
「なら話は決まったも同然だな」
 邪神とやらがイライアスへ顎をしゃくる。
「此奴はもうすぐ死ぬ。朝陽はもう拝めないだろう」
「…………イライアスが……死ぬ?」
「そうだ。そしてそれはもう今となっては変えられぬ運命だ」
 急に告げられた非情な言葉に、言っていることが嘘か真かも分からないのに動揺を抑えられない。

 イライアスが死ぬ?? 朝陽も拝めないだって??
 そんな…………。

 だけど本当はどこかで分かっていた自分もいた。
 奴の言っていることは嘘ではない。
 日々衰弱するイライアスに迫る最期。
 それは紛れもない事実だった。
 しかし冷静さを保てるほど俺は最期の日を受け入れきれてはいなかった。
 絶望に瞳の色を濁す。しかし──。
「だがお前ならそれを変えることができる」
 そう言って邪神とやらは指先から光の粒子を出し始めた。何をするのかと一気に警戒を強めるが、散った粒子は瞬く間に集まり出し、見たこともない文字と紋様で埋め尽くされた大きな円がちょうどイライアスの上空に出来上がる。
「この魔法陣は時間魔法の一つだ。これを使えば此奴の身体をまだ容態が良かった頃に戻すことができる。だが魔法陣を発動させるには莫大な魔力が必要だ。それこそ命を捧げるほどのな」
 邪神が意味を込めるように問いかける。
「お前はイライアスを救いたいのだろう?」
 おそらく邪神はこの魔法陣を俺に発動させるつもりなのだろう。
 夢のような話だった。魔法による代償が命だなんてささやかなものだ。これでイライアスを救うことができる。
 だがだからこそ邪神を疑う。
 黙る俺に嘲笑うような口調で邪神は首を傾げた。
「なんだ?? 今になって自分がかわいくなったのか??」
「そんなわけがない。だが怪しいにもほどがある。何者かも分からない、それにお前は自身を邪神と言ったじゃないか。信じようが信じまいがどちらでもいいとお前は言ったが、そんな奴がイライアスを救うためにと持ちかけても頷くわけがないだろう」
 そう答えると邪神と名乗った人の姿をした黒い何かはしばらくの沈黙の後、無言でイライアスの折れた腕に手を翳す。光の粒子が腕を包む。
「おい!!」
 何をするのかとそうイライアスから引き離そうとするが、粒子は腕に集まると腕を巻く包帯ごとすぐさま消え散ってしまった。
 折れた腕は完全に治っていた。
 腫れもなく、傷ひとつすらない。
 まるで時が戻ったかのようだった。
「理屈は分かるが、今は我が何者なのかなどどうでもよい。だが我は此奴に危害を加えるつもりはない。これで分かっただろう? 我とお前の目的は一致しているはずだ。イライアスを救う。ならやるべきことは一つだ」
 邪神の魅せた技は人間離れしていた。魔法使いでさえ傷を完全に治癒することなどできない。心の内で揺れていた奴が邪神であるという信憑性が増す。
 それに腕を治したところを見るに本当にイライアスを傷つける意思はないように思えた。
 だが納得がいかない。
「なぜお前自身が治さないんだ? 俺に見せたようにイライアスを治せば済む話じゃないか」
「神は運命に干渉してはいけない、そういう決まりだ。だから手の出しようがないのだ」
 流暢に話す邪神にどこかまだ釈然としない。
 懐疑の目を向ける俺に邪神が付け加える。
「信用しろとは言っていない。だがこのままだと此奴は死ぬぞ。選択肢は他にない。お前はもうこれに縋るしかないのだ」
 弟に目を落とす。
 生気の感じられない青白い顔に、痩せ細った身体。
 奴のことは信じられない。だが奴に言われなくても俺は実感していた。日々衰弱し続ける弟が近いうちに最期を迎えてしまうことを。
 奴の言う通り、俺に選択肢はなかった。
 覚悟は決まっていた。
 だが叶うのならと俺は願いを口にする。
「身体を元に戻すことしかできないのか。……そもそも病弱さを治すことはできないのか??」
「無理だな。あれは魂が人とは違う。治すのであれば身体自身を作りかえるしかあるまい。だがそんなのは此奴が苦しむだけだぞ」
 イライアスが苦しむのなんて論外だった。
 しかしどうやったって根本からイライアスを救えない事実に自身に虚しさと怒りが湧く。
「たとえ身体が元に戻ったとしてもイライアスは二十歳以上の未来を望めない。命だってなんだって差し出す。だからイライアスがもっと長く生きることはできないのか??」
 縋るように言えば、邪神は重たい空気を身に纏う。
「お前の言うそれは定められた運命を曲げるということだ。代償は重い。差し出すのは魂だ。差し出してしまえば魂は消え、輪廻を巡ることもその先に再び此奴と出会うことも望めなくなる。それでも構わないと?」
「ああ」
 答えに迷いはなかった。



 邪神から再び光の粒子が現れ、二手に別れる。一つの流れは魔法陣に注がれ、運命を曲げる魔法を加えていく。もう一つは俺の手前へと流れていき、収束すると一枚の紙のようなものが出来上がった。それと同時にイライアスの上空で浮いていた魔法陣が光の粒子となって紙に移っていく。光の粒子が全て消えた頃には紙に魔法陣が描かれていた。
「これはなんだ?」
「契約書だ。貴様がそれに了承すれば即魔法陣が発動する」
 紙に刻まれた文字を読む。
 要約すればこうあった。
 邪神が時間魔法陣、特殊魔法陣を提供し、俺が契約書に了承次第魔法陣は発動されること。
 魔法の代償により俺は命と魂を差し出すこと。
「古くからある魔法の契りだ。契りを破れば罰が下る。もちろん神である我にもな」
 これで邪神は不正を働くことはない。
 俺にとってこの魔法陣は見たこともない未知数なもの。時間魔法ですらない関係のない魔法陣で騙されて命を落としてはたまったもんではない。
 邪神は契約書により俺にこれは真っ当な取引であることを証明したわけだ。
 だがこれでは俺は安心できない。
「この内容では無理だ。ここにもう一つ追加しろ。お前がイライアスに危害を加えないと。でないと俺はこれにサインするわけにはいかない」
 預言では全てを壊す邪神から世界を守る役目は皇族が背負っていると言われていた。その役目を果たす方法なんて誰も知らなかったが、まさかイライアスが知っていたとは。知らず知らずのうちに一人で大きなものを背負わせてしまったことに槍から刺されたように胸が苦しくなり、俺が弟から逃げていなければと違う未来を想像し後悔する。
 だが邪神がイライアスによって封印されているのなら邪神は安易に世界には手出しできない。しかしそれはイライアス以外の話ではないのか。奴はイライアスに危害を加えるつもりはないと言った。『できない』とは言っていない。
 それに契約書を持ち出すあたり奴は俺にどうしても魔法陣を発動させたいようだった。
 何か奴には計画があるように見えた。そのために俺を利用しているようでもあった。だからといって選択肢のない俺には契約をなしにすることはできない。
 だから契約に追加することで俺がいなくともイライアスが大丈夫なようにしておきたかった。
「……いいだろう。お前の言う通り此奴に危害は加えない。そもそも我はそんなつもりなど一切ないがな」
 そう邪神が渋々といった声色を隠しきれていない様子で契約書に文を追加していく。



 ベッドに腰掛け眠り続けるイライアスのそばに寄り、汗ばんだ髪の毛を手で梳かす。
「イライアス、もう大丈夫だからな。俺が守るから、だからもう大丈夫……」
 死の淵から弟を守り、未来を守った。だが邪神のことだけが気がかりだった。
 弟は自身を犠牲にして邪神を封印した。その代償は計り知れないほど大きいものだろう。だがそれについて邪神は心配することはないと言っていた。邪神の言うことなど信じられなかったが、俺は命と魂を使いもう差し出せるものはなく、代償を肩代わりする術がない。俺は邪神のその言葉を信じるしかなかった。
 だけど不安なことには変わりない。あんな得体の知れない奴が身の内にいるだなんてと、イライアスのことを想わざるを得なかった。
 知らず知らずのうちにイライアス一人にこんな重荷を背負わせてしまったことが悔やまれる。
 熱や頭痛で日々を苦しみ、その上一人で世界を背負って。
 これも俺が弟から目を背けたせいだ。
 弟には償いきれない罪を犯した。
 許されようとは思ってはいないが、弟にはもう一度きちんと謝りたかった。
 だが今願うのは弟の幸せ。
 弟がいつも笑っていられるような明るい未来であることを願って額にキスをする。
「おやすみ、イライアス」




 テーブルに置いた契約書が光りだし、了承した証である俺の名が自動で刻まれていく。
 邪神は俺が弟に別れを告げる様をじっと眺めていた。しかしその最後の一文字というところで邪神の様子が急変した。
「気が変わった」
 そう言った途端あの光の粒子が現れ、契約書に新たな文が刻まれていく。
「っっおい何をしている!?」
「代償を後払いにするよう手を加えただけだ。荒技であり裏技だがな。神であるからこそできる所業だ。そうだな……期限は次の満月の夜とするか」
 世界を混沌に貶めようとする根っこから悪だと思われる邪神が自身に得でもないことをしている。意味が分からなかった。
「なぜそんなことをする??」
「此奴にも褒美は必要だろう?」
 顔は真っ黒でも邪神がニヤリと笑った気がした。
「だが代わりに契約にもう一つ加えさせてもらう。我のことは他言無用であり、もし誰かに話せばその時点で契約失効だ。つまり此奴の身体も契約時に戻るということだ。それが嫌なら我のことは誰にも話すな。もちろん此奴にもな」
 それについてはすぐ了承した。時間があれば邪神についても調べられるし、方法を見つけてイライアスを邪神と封印による重荷から解放させることができるかもしれない。
 更新された契約書が目の前に浮かび上がり、不備がないことを確認させられる。
「よく覚えておけ、期限は次の満月の夜だ。それまでの時間努々無駄にはするなよ」
 そう言って邪神は俺の前から消えた。
 契約書に俺の名前が刻まれ、紙が光の粒子に戻るとそれはイライアスへと流れ込んでいく。
 イライアスの目がゆっくりと開く。美しいルビーの瞳が俺を捉えた。
「……あにうえ?」
 そう不思議そうに俺を見る弟。顔色も元に戻っていた。
 死の淵から抜け出し、イライアスが生きているというだけで涙が溢れそうなほどに嬉しくなる。
 丁度朝陽がテント越しから差し込み、辺りを温かい光で包み込む。それに眩しそうにイライアスが目を細めた。
「おはよう、イライアス」
 そう心から笑みを浮かべる。
 イライアスが生きている。
 この朝を俺はこれほどまで感謝したことはなかった。
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