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第九話 合同軍事演習
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朝目が覚めると俺の身体は何事もなかったように綺麗になっていた。だけど記憶ははっきりしていた。色欲に溺れたあの夜の全てを。
……あの野郎。
「おい!! 出て来い!!」
朝陽が差す窓際で黒くのっぺりと伸びる影に俺は開口一番怒鳴り声をあげる。だけど影は黙ったまま。
「だんまり決め込みやがって。さっさと出て来い!! 一発殴ってやる!!」
俺の声だけが大きく響き渡る。
出てくる気は毛頭ないようだ。
アイツ覚悟してろよ。次出てきたらしばき倒してやる。
従者が俺に今日の予定を淡々と告げる。今日は軍事演習を実施する演習場の下見をしに行かなければならない。
結果を言えば同盟国と合同軍事演習を行うという俺の案は通された。先日のグランツォレ帝国大使との会談で兄は既にその旨を伝えていたらしい。グランツォレ帝国もそれについては快く承諾したとか。
合同軍事演習は我がアンヘルティア帝国、グランツォレ帝国、サントルニア王国の三国が参加し、二ヶ月に渡り行われる。訓練内容によって場所は三国間でコロコロ変わるが、最初はこの三国が接する我が帝国の国境付近で行われる。
これはナディルア王国を唐突に滅ぼした俺を警戒してのことだろう。もし俺が暴れても国境付近にいればなんの問題なく対応できる。
馬車が到着したとのことで演習場へ向かうため部屋から出れば待機していたエルモアが不安そうに俺を見る。と言っても俺に話しかけもしない。最近エルモアはずっとこんな調子だ。何か悩み事があるのだろうか。そう思って訊こうとしたのだがエルモアと目が合った瞬間、彼が意を決したように口を開く。
「……あの、殿下」
「ん? どうした?」
「少しお伺いしたいことがあるのですが……」
悩みを打ち明ける気になったらしい。ここは主らしく速やかに解決してみせよう。
そう意気込んでいたのだが。
「殿下はその……大丈夫ですか?」
「?? 何がだ??」
「部屋から時々大きな声が聞こえるので……」
全てを察した。
っ恥ずかしすぎる!
あの日以来俺は一向に現れる気配のない邪神に腹を立てて一人になる機会があれば怒鳴るように呼び続けていた。しかしどうやらその声が大きすぎて外に漏れていたらしい。
失態だ。これじゃあ俺は一人きりで怒鳴ってる頭のおかしな奴じゃないか。
恥ずかしくてエルモアを直視できない。
部下にとって俺は尊敬されるような頼れる存在でないといけないのに。これから俺は奇異の目に晒されるというのか。
「殿下、もしかして体調が優れないのではありませんか? だからあのように苦しさに声をあげているのですか??」
「えっ?」
「申し訳ございません。良質な薬を手配したつもりだったのですが、効き目が弱いとはつゆ知らず殿下に辛い思いをさせてしまって……」
いつも俺を気遣ってくれるエルモアは一人で怒鳴り散らかしている俺を頭のおかしな奴とは思いもしなかったらしい。
エルモアがいい奴すぎて泣けてくる。
今はその勘違いに乗っかっておこう。
「ああ、いや違うんだ。同盟国との合同軍事演習が決定しただろ? だから自分に喝を入れてたんだ。エルモアから貰った薬は良く効いてるよ。おかげで身体が軽い」
危機一髪。
今度からはもっと気をつけよう。
でも辿っていけば全てあの邪神のせいだ。出てきたらもう一発殴ろう。
「そういうことでしたか。ですが本当にお身体は大丈夫なのですか?」
不安そうに俺の様子を窺う。
あの夜会以降エルモアは一層俺を心配するようになった。俺の一挙一動を見逃さず、手洗いに行く時でさえ人知れず倒れたりしないようそばにいると言い張る始末。
俺のプライベートはどこに行った!?
と言っても流石にそれは容認しなかったが。
いつも何事もないように振る舞う俺が人前で倒れた。その事実が余程ショックだったのだろう。
実のところやはり薬の効力は然程ないが本当のことを言ったら火に油を注ぐようなものだ。これ以上心配もさせたくない。これは俺の中だけにしまっておく。
「ああ。本当の本当に大丈夫だ。これも全てエルモアのおかげだ。ありがとう」
「……………………」
「エルモア?」
「……そうでしたか。体調が良くなったようでなによりです」
エルモアは何か喉に詰まったような表情をしていたが、すぐに調子を取り戻し瞳をキラキラさせ始めた。
「にしても流石殿下、自身に喝を入れるなど素晴らしい心意気です」
「そ、そんなことはないさ」
そんなに褒められると罪悪感が湧く。
俺は怒鳴っていただけなのに。
「いえそんなことはありません! 殿下は全てが素晴らしい。殿下のお側で仕える身として私も見習わなければ!」
そう言うや否やバシィンと弾けるようなけたたましい音が鼓膜を振動させる。
「エ、エルモア!?」
エルモアの手が離れると両頬にはくっきりと赤い手形がついていた。痛々しいそれに目を逸らしたくなる。
流れる沈黙に心配が増す。
「……エルモア?」
「殿下はお強い」
「え?」
「しかし何も全て背負わなくてもよろしいのです」
優しげな翠の瞳が俺を包む。
「どんなことになろうとも私がずっと貴方様のそばにいます。ですから私をもっと頼ってはくれませんか?」
聞いたことのある言葉。エルモアは時を遡る前もこうして俺に言ってくれた気がする。それでも当時の俺は兄に夢中で周りの人間なんてどうでも良かった。だけどエルモアはそんな俺でもずっとそばにいてくれた。
最期は敵陣の真っ只中で深手を負った俺を命を賭して守ってくれた。「生きて」と言い遺して。
言葉の通りエルモアは何があってもきっと俺の護衛騎士であり続けるだろう。
エルモアに全てを打ち明けたい。時を遡ったことも、身体がしんどくて堪らないことも、何もかもが上手くいかなくて辛いことも。
「っ……」
言葉が溢れそうになる。だけど俺はなんとか踏みとどまった。
「ありがとうエルモア。俺を心配してくれて。でも俺は大丈夫だ。エルモアが手配してくれた薬のおかげで身体もこの頃調子が良いしな」
こうして過去に戻る前は俺の身勝手さで散々エルモアを振り回してきた。エルモアが死んだのだって兄と弟ばかり仲が良くて自暴自棄になった俺が1人敵陣に突っ込んだからだ。
俺はエルモアを巻き込みたくはない。もう自分のせいで誰かを傷付けたくはない。
それに俺はエルモアの主でもある。ありがたいことに尊敬もされている。弱音を吐いて主のあるべき姿を崩したくはない。
「……そうですか。それは良かったです」
そう言うエルモアは明らかに沈んでいた。お前を信用してないわけじゃない、そう伝えようとしたところに従者が来てしまった。
「殿下、馬車は既に到着しております。御支度が済みましたらお早めの移動をお願いします」
「準備は出来てる。今そちらに向かっていたところだ。申し訳ございません殿下、私が引き止めてしまったばっかりに」
「エルモア、俺は──」
「さぁ殿下、先を急ぎましょう」
そう言ってエルモアは先導するように歩き出し行ってしまった。
エルモアの背中がなんだか遠い気がした。
二ヶ月後。
今日からいよいよ軍事演習が始まるのだがどうやらグランツォレ帝国の到着が少し遅れるらしい。だから先にサントルニア王国のゴードン将軍と軽く打ち合わせをすることにした。
ゴードン将軍を横目で見る。見上げなけれならないほど高い身長。筋骨隆々の身体。漢の中の漢という感じの勇ましい見た目。
俺とは比べ物にもならない逞しい身体に思わず見惚れる。
いいなぁ。俺もああなりたい。
突然、ザバリとテントの入り口が開かれる。
真っ先に目が行ったのは全てを燃やし尽くすような真っ赤な髪。
夜に輝く月のような金色の瞳。整った顔立ちに服の上からでも分かる程よく筋肉のついた逞しい身体。
……やっぱり来たか。
「遅れてしまい申し訳ない。転移魔法陣に不備があってな。出口を間違って作ったそうで危うく火口に落下するところだった」
そうして、はっはっはっとお出まし早々快活に笑う青年。
イェルク・フォルン・グランツォレ。彼がグランツォレ帝国の現皇帝だ。
現皇帝が軍事演習に参加するなんて通常ありえない話だが、こいつに普通は通じない。
「やあ、君がイライアス皇子か」
イェルクは俺の姿を確認するなり、真っ直ぐ俺に近付いてきた。
……はぁ。
「噂はかねがね聞いている。先陣を切って敵を一掃する勇ましさ、向かうところ敵なし。巷では『漆黒の狂犬』と呼ばれているとかなんとか」
……話したくねぇ。
「……はははは。そんな、買い被りすぎですよ」
「そんなことはないさ。俺も君のような猛者と一度剣を交えてみたいものだ。といっても二ヶ月に渡る長期軍事演習なのだから一度くらい戦うことはあると思うがな」
「はははは。戦士として名高いイェルク殿とでしたら私は無傷ではすまないでしょう。剣を交えるのは遠慮したいところです」
戦ったらどうせ結婚しろって迫り出すんだろ。それは御免だ。
「そんな悲しいこと言わないでくれよ。それにそんな畏まらなくていい。歳だって近いだろ」
「ですが──」
「肩っ苦しいのは嫌いなんだ。俺のことも呼び捨てでいい。まぁ確かに俺の方がお前より三つ年上ではあるけど。そっか、なんなら俺のことお兄ちゃんって呼んでもいいぜ」
「………………」
ああそうだった。こいつはそういう奴だった。
俺もう限界。
「は? 呼ぶかよ」
「おっ! んじゃ呼び捨て一択だな」
ぞんざいな言葉遣いにイェルクが嬉しそうに言う。
なんでそこで喜ぶんだよ。
「なぁイーライ、この国のおすすめの酒屋とか知ってるか? 今度一緒に呑みにいこうぜ」
「……イーライ?」
もしかしてそれは俺のことか??
「なんだ知らないのか? ならそこのお前……えーと名前は?」
イェルクが俺の背後に立つ騎士を見遣る。
「わ、私ですか? 私はエルモアと申します」
「そうか。エルモアは知ってるか?」
「おすすめの酒屋ですか……そうですね私も詳しくはないのですがグラレロという店は取り扱ってる酒の種類も豊富でそこでしか扱ってない貴重な酒もあると聞きます」
「んじゃイーライ、今日の演習終わったらそこに行こうぜ。もちろんお前らの騎士団も連れてな。俺も自分の仲間連れてくから。ゴードン将軍も行くだろ?」
いつの間にか酒屋に行くことが決まってしまう。しかも今会ったばかりのゴードン将軍も含め騎士団勢揃いでだ。エルモアもゴードン将軍も唖然とした表情を浮かべている。
この場の雰囲気が全てイェルクに持っていかれていた。
「おい勝手に決めんなよ」
「えーいいじゃんかー。そもそもこの軍事演習は国同士の親睦を図るという目的もあるじゃないか。だったら酒呑んで語らうのが一番だろ?」
砕けた口調といいこうして見ると本当に皇帝に見えない。皇帝の威厳も全くないし騒がしくて鬱陶しい。
……だけど不思議と居心地は悪くないんだよなぁ。
「なぁいいだろ? イーライ行こうぜ」
そう肩を組まれ、晴れやかな笑顔を向けられる。馴れ馴れしいのは相変わらずで今更突っぱねる気にもなれず、おまけにイェルクの人懐っこい犬のような瞳に見つめられ断る気も失せる。
そんな顔で俺を見るなよ。……全く、仕方ないな。帝国との友好関係を保つためにもここは付き合っておくか……。
「それは無理でしょうな」
ガシリと俺の肩を誰かが掴む。見上げれば輝くような美貌が視界いっぱいに広がった。
「あ、兄上!?」
兄は俺とイェルクを突き放すように自身の肩に抱き寄せると、人当たりのいい柔和な笑みをイェルクに向ける。だけどその目は全く笑ってはいなかった。
俺にとってそれは怒ってるように見えた。
……少し怖い。
「アラン殿、それはどういうことですか?」
「俺の弟は剣のことばかりで世俗に疎く、教養は全くといってない。残念ながらイェルク殿を楽しませられないと思います」
「俺は別に余興の一部として彼を誘ったわけではありません。俺はただイーライと話したくて誘っただけです」
イェルクの改まった態度にびっくりする。
あいつ敬語話せたんだ。
「イーライね……」
兄が苛立ちを滲ませた声色で呟く。
「そうですか。なら平民が集う酒屋ではなく、きちんとした宴会を開きましょう。貴方達は大切な盟友だ。手厚くおもてなしをしなければ。イェルク殿もそれでよろしいでしょう?」
兄のその案にイェルクは案外悪くないといった様子だった。
「せっかく来たんだ。この際帝国の雰囲気を味わいたかったが、まぁそれで構わないか。アラン殿、温かい歓迎感謝いたします」
「いえ。ご理解いただけて良かったです。それで御二方には申し訳ないのですがイライアスに用がございますので少しよろしいでしょうか?」
そうして二人が了承するや否や兄が俺の腕を強く掴んで引っ張るようにして誰もいない草原まで連れて行く。
「あ、兄上っ」
腕の痛みに思わず顔が歪む。それに気付いたようで兄は掴む手を緩めるが離しはしなかった。
怒ってるような険しい顔つきで俺に言う。
「アイツとはあまり関わるな」
「……アイツ??」
「あの皇帝のことだ。何を企んでるか分からん。決してアイツには近付くな」
イェルクのことか。兄はこう言ってるがアイツは割と何も考えてないから警戒しなくても大丈夫だとは思うんだが──。
「イライアス、分かったな?」
曖昧な俺の態度に兄がきつく念を入れる。
「は、はい」
すると兄はするりと手を離してくれた。
兄はなんだか焦っているようだった。こんな風になっているのはあまりないから物珍しく感じる。
そういえばなぜ兄はこんなところにいるのだろう?? 兄は忙しいから軍事演習を見学でもしに来たとも思えない。
「あの、兄上はなぜここに?」
「軍事演習に参加するためだ」
「えっ!?」
あの兄が!? 今まで軍事演習など参加したことなどなかったのに!?
時を遡る前も兄は滅多に戦場には出なかった。訓練なんて言わずもがな。
兄らしからぬ行動に動揺を隠せない。
「何を突っ立ってる? 早く行くぞ」
受けた衝撃に立ち尽くす俺を兄がそう呼び戻す。俺は慌てて兄について行った。
「到着が遅れてしまい申し訳ありませんでした。それに続きお詫びを後回しにしてしまったことをお許しください」
それを切り出しに打ち合わせが始まる。俺は治らない動揺で話を聞くのに精一杯だった。
……あの野郎。
「おい!! 出て来い!!」
朝陽が差す窓際で黒くのっぺりと伸びる影に俺は開口一番怒鳴り声をあげる。だけど影は黙ったまま。
「だんまり決め込みやがって。さっさと出て来い!! 一発殴ってやる!!」
俺の声だけが大きく響き渡る。
出てくる気は毛頭ないようだ。
アイツ覚悟してろよ。次出てきたらしばき倒してやる。
従者が俺に今日の予定を淡々と告げる。今日は軍事演習を実施する演習場の下見をしに行かなければならない。
結果を言えば同盟国と合同軍事演習を行うという俺の案は通された。先日のグランツォレ帝国大使との会談で兄は既にその旨を伝えていたらしい。グランツォレ帝国もそれについては快く承諾したとか。
合同軍事演習は我がアンヘルティア帝国、グランツォレ帝国、サントルニア王国の三国が参加し、二ヶ月に渡り行われる。訓練内容によって場所は三国間でコロコロ変わるが、最初はこの三国が接する我が帝国の国境付近で行われる。
これはナディルア王国を唐突に滅ぼした俺を警戒してのことだろう。もし俺が暴れても国境付近にいればなんの問題なく対応できる。
馬車が到着したとのことで演習場へ向かうため部屋から出れば待機していたエルモアが不安そうに俺を見る。と言っても俺に話しかけもしない。最近エルモアはずっとこんな調子だ。何か悩み事があるのだろうか。そう思って訊こうとしたのだがエルモアと目が合った瞬間、彼が意を決したように口を開く。
「……あの、殿下」
「ん? どうした?」
「少しお伺いしたいことがあるのですが……」
悩みを打ち明ける気になったらしい。ここは主らしく速やかに解決してみせよう。
そう意気込んでいたのだが。
「殿下はその……大丈夫ですか?」
「?? 何がだ??」
「部屋から時々大きな声が聞こえるので……」
全てを察した。
っ恥ずかしすぎる!
あの日以来俺は一向に現れる気配のない邪神に腹を立てて一人になる機会があれば怒鳴るように呼び続けていた。しかしどうやらその声が大きすぎて外に漏れていたらしい。
失態だ。これじゃあ俺は一人きりで怒鳴ってる頭のおかしな奴じゃないか。
恥ずかしくてエルモアを直視できない。
部下にとって俺は尊敬されるような頼れる存在でないといけないのに。これから俺は奇異の目に晒されるというのか。
「殿下、もしかして体調が優れないのではありませんか? だからあのように苦しさに声をあげているのですか??」
「えっ?」
「申し訳ございません。良質な薬を手配したつもりだったのですが、効き目が弱いとはつゆ知らず殿下に辛い思いをさせてしまって……」
いつも俺を気遣ってくれるエルモアは一人で怒鳴り散らかしている俺を頭のおかしな奴とは思いもしなかったらしい。
エルモアがいい奴すぎて泣けてくる。
今はその勘違いに乗っかっておこう。
「ああ、いや違うんだ。同盟国との合同軍事演習が決定しただろ? だから自分に喝を入れてたんだ。エルモアから貰った薬は良く効いてるよ。おかげで身体が軽い」
危機一髪。
今度からはもっと気をつけよう。
でも辿っていけば全てあの邪神のせいだ。出てきたらもう一発殴ろう。
「そういうことでしたか。ですが本当にお身体は大丈夫なのですか?」
不安そうに俺の様子を窺う。
あの夜会以降エルモアは一層俺を心配するようになった。俺の一挙一動を見逃さず、手洗いに行く時でさえ人知れず倒れたりしないようそばにいると言い張る始末。
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と言っても流石にそれは容認しなかったが。
いつも何事もないように振る舞う俺が人前で倒れた。その事実が余程ショックだったのだろう。
実のところやはり薬の効力は然程ないが本当のことを言ったら火に油を注ぐようなものだ。これ以上心配もさせたくない。これは俺の中だけにしまっておく。
「ああ。本当の本当に大丈夫だ。これも全てエルモアのおかげだ。ありがとう」
「……………………」
「エルモア?」
「……そうでしたか。体調が良くなったようでなによりです」
エルモアは何か喉に詰まったような表情をしていたが、すぐに調子を取り戻し瞳をキラキラさせ始めた。
「にしても流石殿下、自身に喝を入れるなど素晴らしい心意気です」
「そ、そんなことはないさ」
そんなに褒められると罪悪感が湧く。
俺は怒鳴っていただけなのに。
「いえそんなことはありません! 殿下は全てが素晴らしい。殿下のお側で仕える身として私も見習わなければ!」
そう言うや否やバシィンと弾けるようなけたたましい音が鼓膜を振動させる。
「エ、エルモア!?」
エルモアの手が離れると両頬にはくっきりと赤い手形がついていた。痛々しいそれに目を逸らしたくなる。
流れる沈黙に心配が増す。
「……エルモア?」
「殿下はお強い」
「え?」
「しかし何も全て背負わなくてもよろしいのです」
優しげな翠の瞳が俺を包む。
「どんなことになろうとも私がずっと貴方様のそばにいます。ですから私をもっと頼ってはくれませんか?」
聞いたことのある言葉。エルモアは時を遡る前もこうして俺に言ってくれた気がする。それでも当時の俺は兄に夢中で周りの人間なんてどうでも良かった。だけどエルモアはそんな俺でもずっとそばにいてくれた。
最期は敵陣の真っ只中で深手を負った俺を命を賭して守ってくれた。「生きて」と言い遺して。
言葉の通りエルモアは何があってもきっと俺の護衛騎士であり続けるだろう。
エルモアに全てを打ち明けたい。時を遡ったことも、身体がしんどくて堪らないことも、何もかもが上手くいかなくて辛いことも。
「っ……」
言葉が溢れそうになる。だけど俺はなんとか踏みとどまった。
「ありがとうエルモア。俺を心配してくれて。でも俺は大丈夫だ。エルモアが手配してくれた薬のおかげで身体もこの頃調子が良いしな」
こうして過去に戻る前は俺の身勝手さで散々エルモアを振り回してきた。エルモアが死んだのだって兄と弟ばかり仲が良くて自暴自棄になった俺が1人敵陣に突っ込んだからだ。
俺はエルモアを巻き込みたくはない。もう自分のせいで誰かを傷付けたくはない。
それに俺はエルモアの主でもある。ありがたいことに尊敬もされている。弱音を吐いて主のあるべき姿を崩したくはない。
「……そうですか。それは良かったです」
そう言うエルモアは明らかに沈んでいた。お前を信用してないわけじゃない、そう伝えようとしたところに従者が来てしまった。
「殿下、馬車は既に到着しております。御支度が済みましたらお早めの移動をお願いします」
「準備は出来てる。今そちらに向かっていたところだ。申し訳ございません殿下、私が引き止めてしまったばっかりに」
「エルモア、俺は──」
「さぁ殿下、先を急ぎましょう」
そう言ってエルモアは先導するように歩き出し行ってしまった。
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……やっぱり来たか。
「遅れてしまい申し訳ない。転移魔法陣に不備があってな。出口を間違って作ったそうで危うく火口に落下するところだった」
そうして、はっはっはっとお出まし早々快活に笑う青年。
イェルク・フォルン・グランツォレ。彼がグランツォレ帝国の現皇帝だ。
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「やあ、君がイライアス皇子か」
イェルクは俺の姿を確認するなり、真っ直ぐ俺に近付いてきた。
……はぁ。
「噂はかねがね聞いている。先陣を切って敵を一掃する勇ましさ、向かうところ敵なし。巷では『漆黒の狂犬』と呼ばれているとかなんとか」
……話したくねぇ。
「……はははは。そんな、買い被りすぎですよ」
「そんなことはないさ。俺も君のような猛者と一度剣を交えてみたいものだ。といっても二ヶ月に渡る長期軍事演習なのだから一度くらい戦うことはあると思うがな」
「はははは。戦士として名高いイェルク殿とでしたら私は無傷ではすまないでしょう。剣を交えるのは遠慮したいところです」
戦ったらどうせ結婚しろって迫り出すんだろ。それは御免だ。
「そんな悲しいこと言わないでくれよ。それにそんな畏まらなくていい。歳だって近いだろ」
「ですが──」
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なんでそこで喜ぶんだよ。
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「……イーライ?」
もしかしてそれは俺のことか??
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イェルクが俺の背後に立つ騎士を見遣る。
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「そうか。エルモアは知ってるか?」
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「おい勝手に決めんなよ」
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「それは無理でしょうな」
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「あ、兄上!?」
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俺にとってそれは怒ってるように見えた。
……少し怖い。
「アラン殿、それはどういうことですか?」
「俺の弟は剣のことばかりで世俗に疎く、教養は全くといってない。残念ながらイェルク殿を楽しませられないと思います」
「俺は別に余興の一部として彼を誘ったわけではありません。俺はただイーライと話したくて誘っただけです」
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あいつ敬語話せたんだ。
「イーライね……」
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「そうですか。なら平民が集う酒屋ではなく、きちんとした宴会を開きましょう。貴方達は大切な盟友だ。手厚くおもてなしをしなければ。イェルク殿もそれでよろしいでしょう?」
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「せっかく来たんだ。この際帝国の雰囲気を味わいたかったが、まぁそれで構わないか。アラン殿、温かい歓迎感謝いたします」
「いえ。ご理解いただけて良かったです。それで御二方には申し訳ないのですがイライアスに用がございますので少しよろしいでしょうか?」
そうして二人が了承するや否や兄が俺の腕を強く掴んで引っ張るようにして誰もいない草原まで連れて行く。
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腕の痛みに思わず顔が歪む。それに気付いたようで兄は掴む手を緩めるが離しはしなかった。
怒ってるような険しい顔つきで俺に言う。
「アイツとはあまり関わるな」
「……アイツ??」
「あの皇帝のことだ。何を企んでるか分からん。決してアイツには近付くな」
イェルクのことか。兄はこう言ってるがアイツは割と何も考えてないから警戒しなくても大丈夫だとは思うんだが──。
「イライアス、分かったな?」
曖昧な俺の態度に兄がきつく念を入れる。
「は、はい」
すると兄はするりと手を離してくれた。
兄はなんだか焦っているようだった。こんな風になっているのはあまりないから物珍しく感じる。
そういえばなぜ兄はこんなところにいるのだろう?? 兄は忙しいから軍事演習を見学でもしに来たとも思えない。
「あの、兄上はなぜここに?」
「軍事演習に参加するためだ」
「えっ!?」
あの兄が!? 今まで軍事演習など参加したことなどなかったのに!?
時を遡る前も兄は滅多に戦場には出なかった。訓練なんて言わずもがな。
兄らしからぬ行動に動揺を隠せない。
「何を突っ立ってる? 早く行くぞ」
受けた衝撃に立ち尽くす俺を兄がそう呼び戻す。俺は慌てて兄について行った。
「到着が遅れてしまい申し訳ありませんでした。それに続きお詫びを後回しにしてしまったことをお許しください」
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