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第五話 閃き
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灼熱の太陽がじりじりと肌を焼き、どっと汗が溢れ出る。
なぜこんな絶不調な時に限って猛暑日なんだ。もう夏も終わりだろうに。
目眩と吐き気はなんとか治ったものの寝不足に熱に頭痛。熱と頭痛は昨日よりマシになったが正直立つのがやっとだ。
だけど立場上立ってるだけじゃいられない。俺は軍や騎士団のことを任されている身。騎士団の訓練なども務めの一つだ。
「おい大丈夫か!?」
「……っ!!」
どうやら騎士団の一人が負傷したらしい。すかさず仲間が助けに入るが、そうはさせない。
「そこ!! 前を向け!! ブレスが来るぞ!!」
俺が叫んだ瞬間、駆け寄ろうとした男目がけて業火のような火の柱が現れる。咄嗟に男は避けたもののブレスが追うように幾たびも放たれる。ドラゴンもたまったもんじゃないだろう。寝ているところを叩き起こされたのだから。だが帝国のしかも民家近くの森に居座るお前も悪い。
だから今回は騎士団の訓練に利用させてもらった。訓練も討伐も出来る。一石二鳥だ。
今回訓練に参加している第一から第四騎士団全て含めて二十人なのに対しドラゴンの強さは見たところ二百人ほどで倒せる中隊クラス。怪我は必至だろうけどまぁなんとかなるだろう。
騎士らを戦わせている間に俺は余計な敵が乱入して来ないよう随時モンスターを倒して行く。勿論助言も忘れない。
「助けたいのならまず己の身を守れ!! 仲間は大事だが冷静にならなければ道は開けないぞ!!」
負傷している騎士は放っておく。鬼かもしれないが、負傷者の救護も訓練の一部だ。手を出すわけにはいかない。
自分の大声でズキンと頭が痛む。もう、戦闘の時くらい鳴りを潜めててくれ。
「おいそこ!! 一人で突っ込もうとするな!! 周りを見て行動しろ!!」
ズキン。
痛っ!!
思わず頭を抱えそうになるがなんとか耐える。
柄をぎゅっと握りしめる。
しっかりしろ。俺が倒れでもしたら森の魔物が一気に仲間を襲うことになるんだぞ。
そうして五時間後、死闘のすえドラゴンはやっとのこと倒された。
はぁはぁぜぇぜぇと騎士たちはもう疲労困憊だった。俺も疲れた。でも正直よくやったと思う。思う存分褒めてあげたいが、まだ訓練は終わっていない。
「三十分休憩とする。その後帝都まで走って帰還する。それまで休め」
それに「はい」と弱々しく返事する騎士たち。疲れているのだろう。寝転がったまま置物のように起き上がらない者もいる。
騎士らがつかの間の休息を味わっている間、俺はドラゴンの亡骸を捌きに行く。ドラゴンの素材は貴重だ。骨まで無駄にしてはいけない。
しかし馬に全て載せきれるだろうか。俺含めて乗ってきた馬が二十一頭いるのだから大丈夫だと信じたい。流石に疲れきった騎士に素材を持って走れとは言いたくないからな。
そう考えながら黙々とナイフを走らせていくが鱗が硬く中々進まない。どうしたものか。
「私どもも手伝います」
その声に視線を移すと頬に生傷のついた精悍な若者が俺の横でナイフを取り出し捌き始めた。
「無理しなくていい。お前たちは休んでていいんだぞ」
「いえ。殿下だけに大変なことはさせられませんから」
それに続き休んでいたはずの騎士たちがドラゴンを取り囲み、各々ナイフを走らせていく。
「それに殿下のもとに私どもがあるのです。共にやらせてください」
そうして結局誰も休むことなく全員がドラゴンの解体に取り掛かってしまった。
気を遣わせてしまったな。そりゃあ上司が手を動かしていたら部下も手伝わざるを得ない。その上司が少しのことでキレる坊やだったら尚更だろう。なぜ手伝わないのだと罰をくらったらたまったもんじゃないからな。昔の俺も任務中には流石に誰かに当たり散らかすということはしなかったが、他の者にとってはいつキレ出すのか気が気でなかったはずだ。
騎士がナイフを持てばドラゴンの鱗などないようにスムーズに進んでいく。これが力の差か。俺も鍛えてはいるが身体に筋肉がつきにくく、騎士らほど屈強な身体つきではない。俺ももっと頑張らないとな。皆んながついて行きたいと思うような相応しい奴になるって決めたんだから。
帰れば書類が出迎える。それに追い討ちをかけるように軍からの訪問者がわんさかやって来る。戦場に出ていた方が休めるとはこれ何事か。効率よくこなせるわけでもないしやっぱり俺には現場が向いていると思う。
そうして今歩きながら片手間に書類に目を通しているのだがエルモアが一刻を争うような様子で俺に迫ってきた。
「殿下、少しは休まれてください!! もう今にも倒れそうではないですか!!」
「お前こそ休め。先程まで第六騎士団の訓練にあたっていたのだろう?」
朝のことが思い出される。兄の命で俺は第一から第四騎士団を、エルモアは第六騎士団の指導を任されていたのだ。いつまで経っても離れようとしないエルモアを引き剥がすのは本当に一苦労だった。
「それは殿下も同じことです!! どうか少しでもお休みになってください。殿下が倒れでもしたら私は生きていられません」
そんな大げさな。確かに具合は悪いには悪いが、こんなの時を遡る前もざらにあったし、頭痛は少し良くなったから倒れるほどでもない。
「すまないがそうする時間はないんだ。それはお前も分かってるだろう?」
まだまだ職務は尽きない。夜には大使を招いた夜会もあるのだ。
「ですが……。せめて私にできることはありませんか?? 私は貴方様のお役に立ちたいのです」
その縋るような面持ちに俺もなんだか心が痛くなる。俺はエルモアにそんな顔して欲しくはない。
「そうだな……。では街で薬を買ってきてはくれないか? 帝国の保管庫から持ち出せば足がつくからな。勿論誰にもバレないように頼む」
薬といっても俺の症状は結構酷く、薬が効いたとしても少し和らぐ程度であまり意味はない。俺の虚弱さは内に秘める魔力が原因だからそもそも薬は対症療法に過ぎないのだ。
だけど薬はないよりあった方がいいだろう。それにエルモアもこれで調子が戻るだろうし。
「分かりました。今夜にも間に合うよう調達いたします。他には何かありますでしょうか?」
「他?? そうだな……」
うーんと悩むが何も思い浮かばない。というか熱のせいか頭がぽわぽわして何も考えられない。もうこれでいいか。
「少し屈んでくれないか?」
「……殿下?」
「屈んでくれ。それが俺の頼み事だ」
俺の言葉にはっとした様子で不思議そうにしながらもエルモアがおずおずと屈む。
「よしよし。エルモアはよく頑張ってるな。えらいぞー」
そうして俺はエルモアのさらさらとした茶髪をめいいっぱい撫でた。大人になれば褒められる機会なんてぐっと減る。だから俺がいっぱいエルモアを褒めてやらないといけないんだ。誰だって褒められなければ辛いんだ。前の俺みたいに。
「殿下あの……とても嬉しいのですがやはり少し休まれた方が──」
照れているのか頬が赤く染まっているも予想外にエルモアはますます心配の色を濃くして俺を窺う。こんなことになるはずじゃなかったのに。
「行くぞエルモア。まだ予定は詰まってるんだ」
意地でも休まされそうな気がして振り返らず先を急ぐ。今日は夜会の前に行かなければならないところがあるのだ。
一年に一度開かれる帝国最大の軍事演習。騎士や兵士の育成を目的に陸海空全ての領域において行われる。これは俺の管轄で現場は自分が仕切ることになっているが、演習の項目や配置決めなどの諸々は兄に任されている。正直俺は頭が悪いので助かる。
だけど今回は俺も少しは頭を使おうと思う。これから俺は帝国を平和にしなければいけない。なのに俺のせいで帝国はナディルア王国を侵略したことで現在多くの国々から警戒されている。
ならどうしようかという話だが俺は一つ思いついた。同盟国と共に軍事演習をすればいいじゃないかと。そうすれば同盟国との信頼も取り戻せるし、結束も固まるはずだ。
そうと決まれば兄に申し入れをしなければいけない。
そうして俺はドアの前に立っているのだがその前に深呼吸。
兄を愛さないと決めたが、まずは形から入った方がいいだろう。決断したってその行動が中途半端じゃ前のようにすぐ簡単に兄を求めてしまう。だから形から入って徹底的にあの感情を排除する。形が変われば中身もいつか変わるはずだ。
心の細波を鎮めて無になる。
コンコンとノックすると入っていいとの声がかかった。
……よしいくぞ。
「失礼します」
部屋に入れば、兄は俺に見向きもせず黙々と書類をこなしていた。
「アラン兄上、少しお話があるのですが……」
「なんだ?」
疲れているのだろうか声の調子が苛立っているように感じる。だけど時間は有限だ。なるべくあまり気にしないようにして声を掛ける。
「今度行われる軍事演習のことです。そのことで一つ提案があるのですが──」
「その必要はない。そもそも今年の軍事演習はないからな」
そう淡々と告げる兄。落胆はしない。時を遡る前も兄は軍事演習をなしにしたからだ。
「それは先の戦が関わっているのですか?」
「ああ。今、帝国が軍事演習を行えば更に他国からの警戒が強まる。全ての国が敵になるなんてのは避けなければならないからな」
カツカツカツカツ。
静寂にペンの走る音だけが響く。その筆圧の強そうなペンの音に兄の苛立ちがひしひしと伝わってきた。
何やってんだ俺。言わなきゃいけないんだろ。なんでぼーと突っ立ってるんだ。
なんとか口を開こうとするも言葉は喉元から出ない。
気にしないようにしていたが俺は兄の苛立ちを前に完全に自信をなくしていたようだった。
というか馬鹿な俺が思いついてるなら兄上だって思いついてるはず。その上で兄がそう選択したならそれが最善の選択ということではないのか?
「話は終わりか? なら出て行け。邪魔だ」
ほら言い悩んでいるうちに言われてしまったではないか。もういい。言おう。罵倒されるのは慣れっこだ。今更精神的ダメージなんてくらわないだろ。
「いえ、話はこれからです。兄上のおっしゃることは重々承知しています。しかし俺にも考えがあります」
半ば投げやりに言うも兄がやっと顔を上げてくれた。訝しげに俺を見る。
「我が国だけでなく同盟国も招き合同軍事演習をするというのはどうでしょうか?」
「それで揺らいだ同盟国との信頼を取り戻すというわけか」
「そうです」
じっと俺を見つめる兄。きっと罵倒されるに違いない。だけど口に出たのは罵倒ではなかった。
「……お前、顔が赤いぞ」
「っえ」
思いもよらない言葉に思わず顔をさする。やっぱり熱があるからか頬は熱かったが、まさか顔色にまで出てるとは思わなかった。兄が深刻そうにこちらを窺う。
「イライアス、お前熱があるのか??」
しまった!!!!
完全にバレた!!!!
「いえ、そのっこれはその……」
なんとかその場凌ぎの嘘を考えようとするが突然のことに頭が回らない。
俺の馬鹿!! 何やってんだよ!! これじゃあますます真実味が増すだけじゃないか!!
「えっとですね……これは──」
「いや違うな。まさかお前酒を呑んでるのではあるまいな」
「……え?」
ん? 酒?
「だからか。俺に意見するなど珍しいなとは思ったのだ」
勝手に納得する兄。呆れたようにため息を吐く。
「はぁ。お前はとんでもない愚弟だな」
「…………」
「そんな酔っ払いを大使のいる夜会に呼ぶわけにはいかない。お前が何をしでかすか分かったもんじゃない。今日は部屋にいろ。決して外に出るな。いるだけで迷惑だ」
「…………」
どうやら幸いなことに兄にとって俺は酒を呑んで酔っ払ってるらしかった。
良かった。けど俺は酔っ払いでもなんでもない。俺が酔っ払ってるからって兄が俺の意見を世迷言と受け取ってもらっても困る。
「兄上、俺は酒など呑んでいません。俺は素面です」
「ならなぜ顔が赤い?」
「訓練から戻ってきたばかりでその熱がまだ引き切っていないのです。それだけのことです」
そう言うものの未だ兄は疑い深く俺を見つめる。
「ではお前は素面で俺に意見したということか?? 今までそんなことなどなかったのにか??」
つまり兄は酒の力を借りて自分に意見を言いにきたと思っているらしい。そう不審に思うのも無理はない。執務に関しては俺は兄に口出しなど一切しなかった。頭のいい兄に俺が言うことなどないからだ。だけどこれからは違う。
「俺は帝国の平和を望んでます。だから帝国のために変わらなければと思ったのです」
「お前が帝国の平和を望む? 頭でも打ったのか?」
兄の俺に対する信用は皆無なようだ。それはそれくらい俺が信用を無くす行為をしてきたということ。暗殺未遂の件もある。今更疑念を晴らすことはできない。俺ができるのはただ真っ直ぐに伝えることくらいだ。
「俺は本気です」
兄の見定めるような眼差しが俺に向けられる。広がる沈黙が二人を包み込む。
「剣を捨てる気はないのか……」
兄の小さな呟きが聞こえた気がした。
「そもそもなぜそこまで戦場に固執する? 皇族が戦に出るのはここぞという時だけで良いのだ。毎度出る必要はない」
「俺は馬鹿でも軍の者から頼られているのは分かっています。その期待に応えるのは皇族として当たり前のことです」
そうはっきりと答える。それに俺は剣しか取り柄がないのだ。剣しか帝国に貢献はできないのだから戦場を離れるわけにはいかない。もちろん平和のために剣を捨てることは厭わないが、今はその時ではないだろう。だがなぜ兄はこんなことを訊くのだろう。これまで必要以上に話したことなんてなかったのに。
「それはお前が頼られなくなれば戦場には出ないということか?」
「……兄上?」
意味ありげな言葉に首を傾げる。兄は一体何を考えているのだろう。俺なりに思案してみるもやっぱり分からなかった。
なぜこんな絶不調な時に限って猛暑日なんだ。もう夏も終わりだろうに。
目眩と吐き気はなんとか治ったものの寝不足に熱に頭痛。熱と頭痛は昨日よりマシになったが正直立つのがやっとだ。
だけど立場上立ってるだけじゃいられない。俺は軍や騎士団のことを任されている身。騎士団の訓練なども務めの一つだ。
「おい大丈夫か!?」
「……っ!!」
どうやら騎士団の一人が負傷したらしい。すかさず仲間が助けに入るが、そうはさせない。
「そこ!! 前を向け!! ブレスが来るぞ!!」
俺が叫んだ瞬間、駆け寄ろうとした男目がけて業火のような火の柱が現れる。咄嗟に男は避けたもののブレスが追うように幾たびも放たれる。ドラゴンもたまったもんじゃないだろう。寝ているところを叩き起こされたのだから。だが帝国のしかも民家近くの森に居座るお前も悪い。
だから今回は騎士団の訓練に利用させてもらった。訓練も討伐も出来る。一石二鳥だ。
今回訓練に参加している第一から第四騎士団全て含めて二十人なのに対しドラゴンの強さは見たところ二百人ほどで倒せる中隊クラス。怪我は必至だろうけどまぁなんとかなるだろう。
騎士らを戦わせている間に俺は余計な敵が乱入して来ないよう随時モンスターを倒して行く。勿論助言も忘れない。
「助けたいのならまず己の身を守れ!! 仲間は大事だが冷静にならなければ道は開けないぞ!!」
負傷している騎士は放っておく。鬼かもしれないが、負傷者の救護も訓練の一部だ。手を出すわけにはいかない。
自分の大声でズキンと頭が痛む。もう、戦闘の時くらい鳴りを潜めててくれ。
「おいそこ!! 一人で突っ込もうとするな!! 周りを見て行動しろ!!」
ズキン。
痛っ!!
思わず頭を抱えそうになるがなんとか耐える。
柄をぎゅっと握りしめる。
しっかりしろ。俺が倒れでもしたら森の魔物が一気に仲間を襲うことになるんだぞ。
そうして五時間後、死闘のすえドラゴンはやっとのこと倒された。
はぁはぁぜぇぜぇと騎士たちはもう疲労困憊だった。俺も疲れた。でも正直よくやったと思う。思う存分褒めてあげたいが、まだ訓練は終わっていない。
「三十分休憩とする。その後帝都まで走って帰還する。それまで休め」
それに「はい」と弱々しく返事する騎士たち。疲れているのだろう。寝転がったまま置物のように起き上がらない者もいる。
騎士らがつかの間の休息を味わっている間、俺はドラゴンの亡骸を捌きに行く。ドラゴンの素材は貴重だ。骨まで無駄にしてはいけない。
しかし馬に全て載せきれるだろうか。俺含めて乗ってきた馬が二十一頭いるのだから大丈夫だと信じたい。流石に疲れきった騎士に素材を持って走れとは言いたくないからな。
そう考えながら黙々とナイフを走らせていくが鱗が硬く中々進まない。どうしたものか。
「私どもも手伝います」
その声に視線を移すと頬に生傷のついた精悍な若者が俺の横でナイフを取り出し捌き始めた。
「無理しなくていい。お前たちは休んでていいんだぞ」
「いえ。殿下だけに大変なことはさせられませんから」
それに続き休んでいたはずの騎士たちがドラゴンを取り囲み、各々ナイフを走らせていく。
「それに殿下のもとに私どもがあるのです。共にやらせてください」
そうして結局誰も休むことなく全員がドラゴンの解体に取り掛かってしまった。
気を遣わせてしまったな。そりゃあ上司が手を動かしていたら部下も手伝わざるを得ない。その上司が少しのことでキレる坊やだったら尚更だろう。なぜ手伝わないのだと罰をくらったらたまったもんじゃないからな。昔の俺も任務中には流石に誰かに当たり散らかすということはしなかったが、他の者にとってはいつキレ出すのか気が気でなかったはずだ。
騎士がナイフを持てばドラゴンの鱗などないようにスムーズに進んでいく。これが力の差か。俺も鍛えてはいるが身体に筋肉がつきにくく、騎士らほど屈強な身体つきではない。俺ももっと頑張らないとな。皆んながついて行きたいと思うような相応しい奴になるって決めたんだから。
帰れば書類が出迎える。それに追い討ちをかけるように軍からの訪問者がわんさかやって来る。戦場に出ていた方が休めるとはこれ何事か。効率よくこなせるわけでもないしやっぱり俺には現場が向いていると思う。
そうして今歩きながら片手間に書類に目を通しているのだがエルモアが一刻を争うような様子で俺に迫ってきた。
「殿下、少しは休まれてください!! もう今にも倒れそうではないですか!!」
「お前こそ休め。先程まで第六騎士団の訓練にあたっていたのだろう?」
朝のことが思い出される。兄の命で俺は第一から第四騎士団を、エルモアは第六騎士団の指導を任されていたのだ。いつまで経っても離れようとしないエルモアを引き剥がすのは本当に一苦労だった。
「それは殿下も同じことです!! どうか少しでもお休みになってください。殿下が倒れでもしたら私は生きていられません」
そんな大げさな。確かに具合は悪いには悪いが、こんなの時を遡る前もざらにあったし、頭痛は少し良くなったから倒れるほどでもない。
「すまないがそうする時間はないんだ。それはお前も分かってるだろう?」
まだまだ職務は尽きない。夜には大使を招いた夜会もあるのだ。
「ですが……。せめて私にできることはありませんか?? 私は貴方様のお役に立ちたいのです」
その縋るような面持ちに俺もなんだか心が痛くなる。俺はエルモアにそんな顔して欲しくはない。
「そうだな……。では街で薬を買ってきてはくれないか? 帝国の保管庫から持ち出せば足がつくからな。勿論誰にもバレないように頼む」
薬といっても俺の症状は結構酷く、薬が効いたとしても少し和らぐ程度であまり意味はない。俺の虚弱さは内に秘める魔力が原因だからそもそも薬は対症療法に過ぎないのだ。
だけど薬はないよりあった方がいいだろう。それにエルモアもこれで調子が戻るだろうし。
「分かりました。今夜にも間に合うよう調達いたします。他には何かありますでしょうか?」
「他?? そうだな……」
うーんと悩むが何も思い浮かばない。というか熱のせいか頭がぽわぽわして何も考えられない。もうこれでいいか。
「少し屈んでくれないか?」
「……殿下?」
「屈んでくれ。それが俺の頼み事だ」
俺の言葉にはっとした様子で不思議そうにしながらもエルモアがおずおずと屈む。
「よしよし。エルモアはよく頑張ってるな。えらいぞー」
そうして俺はエルモアのさらさらとした茶髪をめいいっぱい撫でた。大人になれば褒められる機会なんてぐっと減る。だから俺がいっぱいエルモアを褒めてやらないといけないんだ。誰だって褒められなければ辛いんだ。前の俺みたいに。
「殿下あの……とても嬉しいのですがやはり少し休まれた方が──」
照れているのか頬が赤く染まっているも予想外にエルモアはますます心配の色を濃くして俺を窺う。こんなことになるはずじゃなかったのに。
「行くぞエルモア。まだ予定は詰まってるんだ」
意地でも休まされそうな気がして振り返らず先を急ぐ。今日は夜会の前に行かなければならないところがあるのだ。
一年に一度開かれる帝国最大の軍事演習。騎士や兵士の育成を目的に陸海空全ての領域において行われる。これは俺の管轄で現場は自分が仕切ることになっているが、演習の項目や配置決めなどの諸々は兄に任されている。正直俺は頭が悪いので助かる。
だけど今回は俺も少しは頭を使おうと思う。これから俺は帝国を平和にしなければいけない。なのに俺のせいで帝国はナディルア王国を侵略したことで現在多くの国々から警戒されている。
ならどうしようかという話だが俺は一つ思いついた。同盟国と共に軍事演習をすればいいじゃないかと。そうすれば同盟国との信頼も取り戻せるし、結束も固まるはずだ。
そうと決まれば兄に申し入れをしなければいけない。
そうして俺はドアの前に立っているのだがその前に深呼吸。
兄を愛さないと決めたが、まずは形から入った方がいいだろう。決断したってその行動が中途半端じゃ前のようにすぐ簡単に兄を求めてしまう。だから形から入って徹底的にあの感情を排除する。形が変われば中身もいつか変わるはずだ。
心の細波を鎮めて無になる。
コンコンとノックすると入っていいとの声がかかった。
……よしいくぞ。
「失礼します」
部屋に入れば、兄は俺に見向きもせず黙々と書類をこなしていた。
「アラン兄上、少しお話があるのですが……」
「なんだ?」
疲れているのだろうか声の調子が苛立っているように感じる。だけど時間は有限だ。なるべくあまり気にしないようにして声を掛ける。
「今度行われる軍事演習のことです。そのことで一つ提案があるのですが──」
「その必要はない。そもそも今年の軍事演習はないからな」
そう淡々と告げる兄。落胆はしない。時を遡る前も兄は軍事演習をなしにしたからだ。
「それは先の戦が関わっているのですか?」
「ああ。今、帝国が軍事演習を行えば更に他国からの警戒が強まる。全ての国が敵になるなんてのは避けなければならないからな」
カツカツカツカツ。
静寂にペンの走る音だけが響く。その筆圧の強そうなペンの音に兄の苛立ちがひしひしと伝わってきた。
何やってんだ俺。言わなきゃいけないんだろ。なんでぼーと突っ立ってるんだ。
なんとか口を開こうとするも言葉は喉元から出ない。
気にしないようにしていたが俺は兄の苛立ちを前に完全に自信をなくしていたようだった。
というか馬鹿な俺が思いついてるなら兄上だって思いついてるはず。その上で兄がそう選択したならそれが最善の選択ということではないのか?
「話は終わりか? なら出て行け。邪魔だ」
ほら言い悩んでいるうちに言われてしまったではないか。もういい。言おう。罵倒されるのは慣れっこだ。今更精神的ダメージなんてくらわないだろ。
「いえ、話はこれからです。兄上のおっしゃることは重々承知しています。しかし俺にも考えがあります」
半ば投げやりに言うも兄がやっと顔を上げてくれた。訝しげに俺を見る。
「我が国だけでなく同盟国も招き合同軍事演習をするというのはどうでしょうか?」
「それで揺らいだ同盟国との信頼を取り戻すというわけか」
「そうです」
じっと俺を見つめる兄。きっと罵倒されるに違いない。だけど口に出たのは罵倒ではなかった。
「……お前、顔が赤いぞ」
「っえ」
思いもよらない言葉に思わず顔をさする。やっぱり熱があるからか頬は熱かったが、まさか顔色にまで出てるとは思わなかった。兄が深刻そうにこちらを窺う。
「イライアス、お前熱があるのか??」
しまった!!!!
完全にバレた!!!!
「いえ、そのっこれはその……」
なんとかその場凌ぎの嘘を考えようとするが突然のことに頭が回らない。
俺の馬鹿!! 何やってんだよ!! これじゃあますます真実味が増すだけじゃないか!!
「えっとですね……これは──」
「いや違うな。まさかお前酒を呑んでるのではあるまいな」
「……え?」
ん? 酒?
「だからか。俺に意見するなど珍しいなとは思ったのだ」
勝手に納得する兄。呆れたようにため息を吐く。
「はぁ。お前はとんでもない愚弟だな」
「…………」
「そんな酔っ払いを大使のいる夜会に呼ぶわけにはいかない。お前が何をしでかすか分かったもんじゃない。今日は部屋にいろ。決して外に出るな。いるだけで迷惑だ」
「…………」
どうやら幸いなことに兄にとって俺は酒を呑んで酔っ払ってるらしかった。
良かった。けど俺は酔っ払いでもなんでもない。俺が酔っ払ってるからって兄が俺の意見を世迷言と受け取ってもらっても困る。
「兄上、俺は酒など呑んでいません。俺は素面です」
「ならなぜ顔が赤い?」
「訓練から戻ってきたばかりでその熱がまだ引き切っていないのです。それだけのことです」
そう言うものの未だ兄は疑い深く俺を見つめる。
「ではお前は素面で俺に意見したということか?? 今までそんなことなどなかったのにか??」
つまり兄は酒の力を借りて自分に意見を言いにきたと思っているらしい。そう不審に思うのも無理はない。執務に関しては俺は兄に口出しなど一切しなかった。頭のいい兄に俺が言うことなどないからだ。だけどこれからは違う。
「俺は帝国の平和を望んでます。だから帝国のために変わらなければと思ったのです」
「お前が帝国の平和を望む? 頭でも打ったのか?」
兄の俺に対する信用は皆無なようだ。それはそれくらい俺が信用を無くす行為をしてきたということ。暗殺未遂の件もある。今更疑念を晴らすことはできない。俺ができるのはただ真っ直ぐに伝えることくらいだ。
「俺は本気です」
兄の見定めるような眼差しが俺に向けられる。広がる沈黙が二人を包み込む。
「剣を捨てる気はないのか……」
兄の小さな呟きが聞こえた気がした。
「そもそもなぜそこまで戦場に固執する? 皇族が戦に出るのはここぞという時だけで良いのだ。毎度出る必要はない」
「俺は馬鹿でも軍の者から頼られているのは分かっています。その期待に応えるのは皇族として当たり前のことです」
そうはっきりと答える。それに俺は剣しか取り柄がないのだ。剣しか帝国に貢献はできないのだから戦場を離れるわけにはいかない。もちろん平和のために剣を捨てることは厭わないが、今はその時ではないだろう。だがなぜ兄はこんなことを訊くのだろう。これまで必要以上に話したことなんてなかったのに。
「それはお前が頼られなくなれば戦場には出ないということか?」
「……兄上?」
意味ありげな言葉に首を傾げる。兄は一体何を考えているのだろう。俺なりに思案してみるもやっぱり分からなかった。
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