【完結】光と影の連弾曲

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第十二話

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「……秀司」
 柔らかに浮かべる陽だまりのような微笑みはいつまで経っても変わらない。目の前にいる彼は本当に秀司なのだと実感した。ふと周りから声が聞こえる。
「あれ、九重秀司じゃね?」
「わっマジじゃん! やべぇ!」
 まずいと秀司がさっとマスクとメガネを戻し、俺の腕を掴んで引っ張るように走り出した。
「お、おいっ……!」
 駅を抜け一心不乱に駆けて行く。人気のない道を選び、幾度も後ろを振り返って誰も尾けている人がいないか秀司は確認しているようだった。居酒屋まで逃げて人目を気にしないで済む個室に入り、俺ははぁはぁと息を整えて注文して出されたビールを真っ先にぐびっと呷った。
「ぷはっおま、少しは、はぁはぁ……俺のこと、考えろよ」
 プロの秀司とほとんど家にいるような俺じゃあ体力に差がありすぎる。息切れで倒れるかと思った。
「あ、すまん……」
 秀司はといえば俺の疲労ぶりに今気付いたようだった。
「にしても久しぶりだな。六年ぶりか?」
「六年三ヶ月二十九日ぶりだ」
「やけに細かいな」
 しかしそんなにも時間が経っていたとは。実際見る秀司の姿はやっぱり大人びていて対して俺はどこも成長していないように思えた。変わったといえばヤマトに変えられたこの外見くらいなものだろう。
「そういえば俺のことよく分かったよな。俺の外見なんて当時の高校の奴らが見たら全く分からないだろうに」
「透が言うほどそんなに変わってない。見ればすぐ分かった。それにピアノの音色が居場所を教えてくれた」
「ふーん。そっか」
 外見はさておき、ピアノの音色で分かるとか結構凄いのではないだろうか。
 久しぶりの邂逅に酒が進む。一方秀司はお酒に全く手をつけず俺をまじまじと見つめていた。
「どうした? 呑まないのか?」
「……あの、透。手に触れてもいいか?」
 調子の外れた問いに思わず「えっ?」と声が洩れる。
「もしかして今目の前にいる透は幻じゃないのかって不安になってきて。直に触れて実感したいんだ」
「あーなるほどな」
 そう言うならと秀司の目の前に両手を差し出した。秀司は恐る恐る手を伸ばして一瞬躊躇した後何事もなく俺の手と重なった。
「ほら俺は本物だぞ」
 そうして手をにぎにぎしてやれば、秀司は今にも涙を流しそうなくらい感極まっていた。
「俺は、……俺はやっと会えたんだな」
 こんなに感情的になるなんてあまり見たことはなくて思わずぎょっとする。
「本当に良かった。お前が無事で本当に……」
 驚きのあまり言葉を失っていたが、その涙ぐむ様子に家を出たあの日から秀司にどれだけ心配を掛けたか俺は初めて理解した。
「ごめんな。あの日、何も言わず急にいなくなって」
 俺にはこうして謝ることしかできない。
 秀司は静かに耳を傾け、俺の言葉を真っ正面から受け入れてくれているようだった。吐露するように静かに秀司が言う。
「……ずっと……ずっとお前のことを探してた」
「ああ……」
「少しでも情報が欲しくて何度も街の人に聞き込みに行った。時間ができれば透の行きそうな所に行って、県を跨いで手当たり次第に探し回ったりもした。探偵だって雇ったんだ。そしたらお前が度々あの駅にいるって情報があって。縋って行ってみたんだ」
「……そうだったんだな」
「……なぁ、どうして急にいなくなったりしたんだ? 『ありがとう』だなんて人伝に遺言みたいな言葉だけ残して。もしかして既に死んでしまっているんじゃないかって怖くて俺は……」
 その言葉の端は怯えているように震えていた。
「朝目が覚める度に夢であってくれと何度も願った。……俺は透のために何も出来なかった。俺が透の力になれていたら透も消えることなんてなかったんじゃないかって後悔してもしきれなかった」
「秀司のせいじゃない」
 間髪入れずに否定する。
「俺は解放されたくて家を出た。引き戻されるのも御免だったから誰にも知らせず誰も俺を知らない遠くへ行ったんだ。だから秀司は何も悪くない。秀司のせいなんかじゃない」
「だが俺は……」
「こんなこと言っちゃお前に悪いだろうけど、多分秀司が何をやっても俺はいつか必ず家を出ていたと思う。こうなるのは必然だったんだ。……ごめんな、お前に重荷を抱かせてしまって。こんなことになるんだったらお前にだけは全て話しておけばよかった」
 今更後悔しても遅いけれど、俺のせいで秀司が苦しんでいたことに我慢ならなかった。
「お互い様だな」
「えっ」
「俺も、透もお互い辛かった。そうだろ?」
 それは言外にだからお前は悪くないのだと言っているようだった。秀司はあの頃のまま変わってはいなかった。お日様のような暖かさに色んな感情が込み上げてくる。
「……ああ、そうだな」
 それからは心機一転まるで同窓会のように話に盛り上がった。
 左投手として完全復活し、夏の甲子園で見事優勝を果たしたこと。その後ドラフト会議を経て、幼い頃からの夢であったプロ野球選手になるという夢を叶えたこと。今も野球が大好きだということ。
 自分のことのように嬉しく感じ、また誇らしい気分だった。頑張ってきた秀司をいつもそばで見ていた分、自慢に思う家族のような気持ちと似ていた。
 秀司がそう言えばと話の最中俺の家が火事になったことにも触れてきた。
「妹が気付いてすぐに消防を呼んだんだが、間に合わなくて……。火元は丁度透の部屋だったんだそうだが、透何か知ってるか?」
 追及されるのが嫌で首を横に振り「いや。その時俺もう家を出てたから……」と言葉を返すと秀司は「そうか……」とだけ呟いて、これ以上深くは訊かなかった。
でもなんだか俺を見つめるその瞳が全て見透かされているようで目を逸らし俯いていると「まぁ夏樹が透は既に家にいないって教えくれていたから当時は安心してたけど、火事になる前にお前が家を出てて本当に良かったよ」と心の底から喜ばれた。
 その流れで秀司は俺が家を出た後のことも教えてくれた。
 父は火事の後に隣町のアパートに引っ越したようで、やっぱりと言うべきか俺がいなくなっても何とも思っていなかったらしい。夏樹ちゃんの話が消防士から伝わっていて、俺が家に帰っていたという事実は知っていたようだが、父は俺が失踪しても普通に毎日を過ごしていたという。俺の遺した言葉に不審に思った秀司が父に問い詰めたことで俺の家出が発覚したそうだ。案の定、父は引っ越したばかりだというのに町の噂になることを恐れて捜索願を渋った。だが秀司と秀司の父がなんとか説得して出させたという。秀司の家族も随分俺を心配していたとか。
「迷惑をかけてしまい申し訳ございませんでした!」
「もう終わったことだ。それにお前とこうして会えたんだからな」
 そう土下座する勢いで謝るが、秀司は俺を責める気など微塵もないようだった。
「……それで透はどうだったんだ?」
「どうって?」
「今までどこで何してたんだ? きっと色々あったんだろ?」
「まぁな。出来る限り電車で遠くまでって来たはいいけど、どこにも働けずにホームレスになって。偶然通りかかった人に飯奢ってもらったりして。なんやかんやでちゃんと生きてる」
「そうか……今はどうしてるんだ? 衣食住には困ってないのか?」
「今は~……」
 言い淀んでしまう。俺がヒモだなんて口が滑っても言えない。
「今は友達と同居してて、……バイトとかしてる。生きる分には何も困ってないよ」
 さらっと嘘を吐いたが、秀司がこちらをじっと凝視する。早くもバレてしまったのかと内心焦る。
「友達ってこっちで新しくできた奴か?」
「えっああ、そうだけど」
「そうか……。仲は良いのか?」
「普通、だと思う」
 ヤマトを思い浮かべるが、仲は険悪ではないだろう。
「風呂は一緒に入ったりするのか? まさか寝室は一緒じゃないだろう?」
「待て待て待て。なんか取り調べみたいになってないか? てかなんでそんなこと訊くんだよ」
「俺はお前が心配なんだよ」
「心配って」
 秀司は何か考え込んでいるのか口元に運んだジョッキがピタリと止まる、と思えば結局ジョッキをテーブルに置いた。
「透、俺と一緒に住まないか?」
「えっ……」
「俺、家建てるからさ、そこで一緒に住もう。とは言っても俺はホテルで泊まることがほとんどだからあまり帰ってはこれないけれど、透にとってはいいんじゃないか? ほぼ一人暮らしのようなもんだ。やっぱり同居より一人暮らしの方が気も遣わないし、透もいいだろ? それに高校で一緒の部屋だったし、お互いがお互い知ってるからまた一緒に暮らしても不快になることもないしな」
「いやちょっと待てよ! 話が急すぎやしないか!? まず前提がおかしいだろ。秀司が使わないんだったら家なんて必要ないじゃないか」
「ホテル暮らししてるとやっぱ根を張った暖かい暮らしに憧れるんだ。だから透が家で待っててくれるんなら野球ももっと頑張れると思うんだ」
 秀司は続ける。
「気にするな。球場はこっちにあるから家もこっちに建てるし、透もここら辺に住んでるんだろ? だから引っ越す必要もバイトを辞める必要もない。家を変えたって透の生活は前と同じままだ」
「だからってお前……」
 年俸ガッツリもらってるとはいえ、こんな簡単に家を建てることを決めるなんて感覚少し鈍ってきてはいないか?
 呆れる部分もあるが案だけ見ればとても魅力的なものだった。けれどここで頷いては後が辛いのは目に見えていた。
「秀司、気持ちは嬉しいけどやっぱり駄目だ」
「どうしてだ? 何か不都合でもあるのか?」
「幼馴染だからってそんな俺を気遣う必要はないんだ。秀司には秀司の人生がある。それを俺が邪魔してはいけない」
「邪魔だなんて俺はちっとも思ってない。俺は透が良ければそれで──」
「俺の気持ちの問題でもあるんだ。秀司が良くたって俺は良くないって思っちまう」
「分からない。その『良くない』ってどういうことだ?」
 だってお前と一緒にいたらまた憎んでしまうから。
 けどそんなこと言えるはずがなかった。
「ん~~あまり言葉にできないんだけどなんとなく上手くいかない気がするんだよ。それに今の家だって俺は別に不満はないしな」
 不満がないわけではないが説得のために捻り出した言い分に秀司は未だ完全には納得してくれていないようだった。けれど俺の意思だからと呑み込んではくれたようだった。
「……透がそう言うなら仕方ない。また気が変わったら俺に言ってくれ」
「分かった」
 きっとそんなことは起こらないだろうけどなんて思いながら電話番号を交換する。ちなみに俺のスマホはヤマトに買い与えられたものだ。
 今は楽しい。まるで同窓会を開いたようで心が浮き立つ。けれど一緒にいすぎるとまた俺は秀司を憎んでしまう。俺の欲しいものを全て持っている秀司がとんでもなく妬ましい。俺は秀司をそんな風に思いたくはなかった。
 だからこの距離感が丁度が良い。こうやってたまに会ってテレビで秀司の勇姿を応援するくらいが一番良い。ほら、手の届かないアイドルに誰も嫉妬したりはしないだろう?
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