【完結】光と影の連弾曲

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第九話

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「俺な、お前のこと憎くて仕方なかったんだよ」
 突然の吐露に秀司は目を丸くするが、分かっていたのか「……そうか」と静かに受け入れる。
「スタメンになるために必死に努力したっていうのに秀司はなんなく打者として復帰してよ。お前が目指してるのは投手で復帰を手放しで喜べないのは分かってるんだ。だけど俺にとってはそれがめちゃくちゃ悔しくてなんでお前がって憎かったんだ」
「…………」
「俺と秀司は何もかも違いすぎる。野球の才能だってなんだって、それに……っ家族だって。……俺にとって秀司は眩しすぎるんだ。だから潰したくなる。壊したくてたまらないんだ」
 秀司はじっと俺の話を聞いてくれた。
「ごめん……こんなことお前に言ったって仕方ないのにな」
「いいんだ。むしろ言ってくれてありがとう」
 微笑み、俺を優しく包み込むその姿はまるで聖母のようで。ずっと心の奥底に仕舞い込んでいた思いを秀司に何もかも打ち明けたくなる。
「俺、父さんに捨てられたんだ。もうプロにはなれないって判断されて学校は辞めろ、辞めたくないなら学費は自分で稼げって。俺父さんのために、父さんの夢のためにずっと頑張ってきたのに……。結局母さんみたいに父さんも俺のことっ……うぅ」
 気付いたらボロボロと涙が溢れていた。男なのにそれに秀司の前なのに泣いているのが恥ずかしくて両手で拭ってなんとか止めようとするけれど涙は次々と流れていく。そんな俺を秀司は馬鹿にすることもなく落ち着くようにと背中を優しく摩ってくれた。
「ひぐっ、十八にもなって親から愛されたいなんて自分でも幼いって分かってんだ。だけどっ俺が生きる理由なんてそれしかないんだよ。うぅっ捨てられたら俺の価値なんてどこにも……」
「透の価値は生きているだけで充分ある」
「っそんなの嘘だ! 俺には何もない。そう何も。……っ周りの奴らを見てると全部壊したくなる。なんでみんなはあんなに幸せそうに笑って、俺だけこんな……。ぶっ壊したいだなんて思っちゃいけないのに俺っ。俺、いつからこんなんになっちまったんだろうっ……」
「透」
 不安定で取り乱す俺に秀司は優しく名を呼ぶ。
「俺は透と一緒にいるだけで毎日楽しいぞ。毎日お互いの家行き交って休日はいつも二人で遊んで、遡れば幼稚園から高校まで同じ。小さい頃からどこへ行くにも一緒でさ。透はどう思ってるか分からないけど俺は透のこと友達より兄弟みたいに思ってた。透と幼馴染になれて俺はとても幸せ者だよ」
 陽だまりのような温かな光に包まれる。それは底のない泥沼に浸かる俺の手を引っ張っり出してくれているようで。今ならこの想いに包まれて永遠に瞳が閉じたっていいとさえ思えた。
 秀司がずっと背中を撫で摩ってくれたおかげで涙も治りようやく落ち着きを取り戻す。
「……ごめんな。こんなメンヘラみたいなこと言って」
「謝んなくていい。俺は透が今まで抱え込んでたものをやっと打ち明けてくれて嬉しいんだ」
 そうふっと笑う秀司に鉄の塊がのしかかっていたような重い胸がなんだか軽くなる。
「学校のことは俺の親父にも相談してみる。けど一度親父さんに頼み込んでみないか? 案外許してもらえるってこともあるだろ」
「そんなの無理に決まってる」
「分からないじゃないか。俺も一緒に頼み込むからさ。一度やってみようぜ」
 秀司のその提案に救われていた俺の心が冷めていくようだった。
「親父は一度決めたことは絶対曲げやしない。だからどんなに土下座しようが何度頼み込もうが無駄だ」
「俺も透の親父さんのことはよく知ってるけどよ。なんだかんだ言って息子の頼みは最後には聞くもんだろ。まぁ親父さんこえーし、透の気が乗らないのは分かるけど。やっぱり親子なんだ。だからそんなに不安がることはないと思うぞ」
 そうか、どこまで行っても秀司は結局あっち側なんだ。光と影のように決して俺たちは交わらない。手を差し伸ばされたって俺は泥沼を抜けて眩い光のもとには行けないんだ。
「ああ、そうだな。父さんに一度言ってみるよ」
 胸の重さに耐えながら口元に笑みを浮かべると秀司はそんな俺に安心したように微笑んだ。
 久しぶりに実家を見ても昂りなんてものはない。鍵はしてあるから父さんはまだ仕事から帰ってきてはいないのだろう。いつも通りなら父は夜の八時に帰宅するはず。気は進まなかったが、やるなら今のうちかと思い合鍵をバックから取り出し中へ入る。
 相変わらずの部屋。俺と同じくらいの歳の若い父が写真に載った新聞に、表彰状。父にとって部屋中に飾られたこれらは誇りであり一生の宝物なのだろう。だが俺にとってはただの物だ。
 変わらなすぎて眺めてはいたが、そうゆっくりはしていられない。脇目も振らず二階へ上がり自室に向かう。部屋にはベッドに机と生活に必要なものだけしかなくてなんとも味気ない。だけど棚には父からもらった野球に関する本がびっしり置かれていてお前が俺の夢を叶えるんだという重圧が部屋全体にのしかかっていた。だがそんな圧なんてもう俺は感じない。
 本をスイッと指先で撫でる。
 この部屋にある全てのものは父から与えられたもの。漫画などといった娯楽品など一切ない。俺は今まで父の夢を叶えるための奴隷だった。その象徴がこの部屋だ。
 車庫から持ち出したライターをチャカリとつける。炎を見つめていると愛おしく思う。訣別のための炎。だからだろうか、この小さな炎が特別に感じられるのは。
 象徴がこの部屋だけであってこの家全てが俺を縛り付ける。だから全部燃えたって構いはしない。
 ライターを放り投げる。
 丁度部屋の中央に落ちたそれはすぐにカーペットへと火が移り、焦げた臭いが部屋に充満する。焚き火くらいに成長するのを見守って、その火の中に俺は持っていた合鍵を投げ捨てた。
 もうこの家に戻ってくる気はない。
 赤い火はぐんぐんと広がって俺を縛っていた鎖を燃やし溶かしていく。
 燃やし尽くす様を最後まで見たかったが、騒ぎになる前に家を出た方がいいだろう。
 最後に燃え上がる父との訣別の儀式を目に焼き付けて部屋を出る。
 外は今まで見たこともないくらい美しかった。夕闇の空は幻想的でまるで美術館にでも飾られている絵画のようだった。
 やっと呪縛から解放され、足取りは軽い。自由とはこういうものなのかと全身が悦びに震えた。
「あれ! 透君帰ってきてたの!?」
 塀を出たところで中学生の女の子が俺を見てびっくりしたように声をあげる。
 秀司と似ていると言われれば似ているような整った顔立ちをした女の子。明るい調子にピンと来る。
 ああ、秀司の妹さんか。
 以前会ったのは二年前くらいで彼女も成長していて最初は誰か分からなかったが、雰囲気はあの頃のように元気なままだった。
「なんだ~透君もお兄ちゃんと一緒に帰って来てたんだね~。ならお兄ちゃんそう伝えてくれれば良かったのに~」
 心底不満そうな彼女に俺の帰省がそんなに喜ばしいことなのだろうかと思う。でも秀司の家族はみんないい人たちばかりだからきっと本当にそう思っているのだろう。
「透君久しぶりだね。元気してた?」
「うん。夏樹ちゃんも相変わらず元気そうでなによりだよ。前はあんなに小さかったのにとっても大人びて綺麗になって。最初誰だか分からなかったよ」
「ふふ、ありがとう。透君も相変わらず女性の扱いが上手いですな~。きっと学校でもモテモテでしょ。彼女さんとかいたりして」
「いや、いないよ」
 その逆、俺は学校では浮いた存在だよ。
「そんなぁ。透君かっこいいんだから誰も放ってかないと思うのに~」
「ははは」
「きっと周りの見る目がないんだな! あっそうだ。今日お兄ちゃんが帰ってくるからって家でバーベキューしようってなってたんだ。良かったら透君もどう? もちろん透君のお父さんも一緒で」
 ずしりと胸が重たくなる。いやだ。ここにいたくない。
「ごめんね。今日は疲れちゃって早く休みたいんだ。父さんも仕事だし行けそうにないや」
「そっか。そうだよね。まだここには数日はいるんだよね。なら今度家に遊びに来てよ。久しぶりに透君と一緒にお喋りしたいからさ」
「うん、ありがとう」
「じゃあまたね」と夏樹ちゃんが手を振る。俺も手を振ろうとしたけど秀司のことを思い出す。
「あの夏樹ちゃん。秀司に一言伝えて欲しいんだけど」
「お兄ちゃんに?」
「うん。ありがとうって、そう一言だけ伝えておいてくれないかな」
「……もちろんいいけど」
 秀司には今まで色々世話になってきたんだ。面と向かって言えないのは申し訳ないけど最後くらいちゃんと礼を言いたかった。
 妙な伝言に案の定夏樹ちゃんも訝しげにこちらを窺う。これ以上ここにいると勘付かれそうだった。「じゃあね」と手を振ると「う、うん。じゃあね」と手を振り返され、急ぎ早にそこを離れた。
 所持金は二万ほど。家出にしてはこれだけでも随分遠くに行けると思う。父が捜索願を出すかは分からないけれど警察に捕まるのは勘弁だった。出来るだけ遠くへ、とりあえず行けるとこまで行こうと俺は電車に乗った。
「はぁ~疲れた」
 公園のベンチに蹲って息を吐く。前を眺めればビル群が絶え間なく明かりを灯し続けていた。
 財布には十円が二枚に一円が三枚。ここへ来てから職を探しはしたのだが、身分証明書が必要とかで中々うまくはいかなった。とうとうネットカフェに泊まることも出来なくなって今や俺はこの公園のベンチが寝床となってしまった。
 お腹が減りすぎて胃が痛くなるけれど横になると幾分かマシになった。
「腹減ったなぁ」
 金がないと食べ物も買えやしない。最悪グレーなところで働いてもいいからなんとかしてお金を手に入れなければ。
 早々社会の厳しさを突きつけられたが、憂鬱になったりはしなかった。
「月綺麗……」
 見上げた先には空に浮かぶ銀の満月。そういえば空なんてゆっくり眺めたことなんてなかったな。美しい月に心が癒されるも、ぽっかりと穴が空いたようにどこか虚しかった。突如、目の前が影に染まる。
「君、帰るとこないの?」
 思わず驚いて起き上がり距離を取る。
 暗がりを電灯が照らしうっすらと姿が現れる。水色に染まった髪、どうやったらそんな風に着こなせるのか不思議に思うくらい色鮮やかな派手な服装。ホストにでもいそうな美形に優しげなタレ目が印象的だったが、耳には何個もピアスをつけているし舌先にも小さな銀の玉が見える。しかも首元に刺青もあって俺は怖いという思いしか抱けなかった。
 警戒心マックスで黙りこんでいると彼が察したように俺に言う。
「あーそんな怖がんなくていいよ。俺アヤシイモノじゃありませんから。……ってそっちの方が怪しくなっちゃうか」
「…………」
「んーなんて言えばいいのかな。俺はヤマトって言って、こんなナリしてるけどごく普通の一般人だよ。ちゃあんとした職にだって就いてる。ここから二駅先で俺アパレルに勤めてるんだ」
 確かにアパレルならこの奇抜な格好も分からなくはない。田舎にいた俺には見慣れていないが、都会にはこんな人たくさんといるのだろう。このヤマトって人もその一人だ。
「な? 怪しくないだろ?」
 その言葉が怪しさを醸し出しているのに気づいているのかいないのか。しかしその柔和な笑みに俺は悪い人ではないのかもと感じた。
「どうしてこんなとこに一人でおるん? 誰か待ってるとか?」
 ぶんぶんと首を横に振る。
「あ~じゃあやっぱり家出か?」
 ズバリと当てられてぎこちなく首を縦に振った。
「そか。で、行き着いた先がここと?」
「……金なくて」
「ふ~ん。まぁそうなるよなぁ」
 徐にポケットから煙草を取り出し火をつけヤマトは呑気に嗜み始めた。煙草の煙が鼻につき、足元から頭までじっと眺められればいい気分はしなかった。
 だけど胃はそれでも正直だった。
 グゥゥゥといつまで続くんだと野次が飛びそうなくらい腹から盛大に音が鳴る。恥ずかしさで顔が真っ赤に染まってしまう。
「お、腹減ってたのか?」
「いや、その……そうだけど」
「んじゃ飯食いに行こ」
「……っえ」
「大丈夫。俺が奢ったるから」
 そうしてテンポ良く公園を後にする。確かに俺には行かないという選択肢もあったが、「どした? 行かないのか?」と言われてしまえば空っぽの腹に従ってついていかざるを得なかった。
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