【完結】光と影の連弾曲

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第八話

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 部活をどうするかとコーチから話をされたのはこの後すぐのことだった。部活を辞めてしまえば寮には住めなくなる。だからとりあえず考えておきますと言ってその場を逃げ切ったが、俺の答えは決まりきっていた。
 もう野球をする意味なんて俺にはない。
 けれど今は高校三年だからなんとか卒業はしたかった。
 父は俺には一切お金を出すつもりはないだろうから学費は自分で稼がないといけなくなる。学費は月払いだから今月は大丈夫だが来月からは全部俺が出さなければいけない。だからギリギリまで寮にはいたかった。学費に独り暮らしのための金など俺にとって抱えるものが大きすぎた。
 
 休み時間に勉強していると嫌な視線を周囲に感じる。今日だけじゃない、毎日ずっとだ。
 はっきり言うと不審者が俺の父だってことはもう既に誰もが知っていた。親がモンペで俺はろくに部活も出ない。勝手な憶測が飛び交って俺はもうこのクラスで空気扱いされることはなくなった。奇異な存在として遠巻きにされ、野球部の仲間からも腫れ物扱い。
 働くにしても中卒より高卒の方が選択肢が多いからと学校を辞めないことを選んだが、俺の居場所なんてどこにもない気がして早々高卒という目標も投げ出したくなってきた。
 もうどうでもいい。
 何もかもが面倒臭い。
 鉛筆をぽいっと放って机に突っ伏し寝る。授業なんて聞かない。
 いつもノートに一言一句間違えず板書しているような真面目な俺がそんなんだから先生もどうしたんだと困惑していて周りの視線もうるさくなる。
 けれど寝ていればそんな雑音も全て消えるから気にはならなかった。
 昼になって買ってきたパンを胃に入れるだけの作業に没頭していると、秀司が俺のいる机に近寄ってきた。
「なぁ今日は一緒に飯食おうぜ」
「なんで? 秀司、彼女といつも昼食べてんじゃないの?」
「今日はそんな気分じゃなくてな」
「っそ」
 喧嘩でもしたのかなんて訊く気はなかった。というかよく俺に話しかけてきたなと思う。俺はベンチにも入れなかったのによりにもよって秀司は打者として復活した。
 なんで俺は誰よりも努力してきたっていうのに投手の秀司が打者として試合に出れるんだ。
 それは秀司が打者としての才能も持っていたためなのだが、そのことは一層俺の感情をぐちゃぐちゃにするだけだった。
 そのためか秀司もあまり話しかけてくることはなかった。気まずくてそうしているのか、俺のためにわざとそうしているのか。
 その距離感がまだ救いだった。なのにこんなまるでなにもないみたいに、俺の背番号が奪われたことなんてなかったみたいに接してきやがって。
「そういえば食堂のメニュー増えるらしいぞ」
「…………」
「今まで塩ラーメンしかなかったのに醤油が新しく出るって。価格も他のより高いし、なんかこだわってんのかもな」
「…………」
「今度食べ行こうぜ。千歳も気になるだろ?」
「秀司、気遣ってるのは分かるがもう話しかけないでくれるか? 正直言って迷惑だ」
「……気遣ってるなんて。俺はお前と話したくて」
「俺が何にもうまくいかなくてクラスでも浮いてて可哀想だから話しかけてんだろ。そんなの俺にとってはいい迷惑だっつってんの。俺のこと思うならもう俺に話しかけないでくれ」
 何事かと俺たち二人に視線が集まるが、そんなことどうでもよかった。
「俺はそんなつもりで話しかけたわけじゃ──」
「あっ九重君!」
 突如教室の入口から明るい声が響いて、花が咲いたような笑顔を浮かべた佐原さんが弁当袋を抱えながら秀司へパタパタと駆け寄ってくる。
「佐原さん……」
「ごめん。今日は千歳君と食べるからお弁当も大丈夫って聞いてたんだけどやっぱり売店のじゃあ栄養も偏るかなってお弁当作ってきたんだ」
「そうだったんだ。ごめん、わざわざありがとう」
「うん。それじゃあ私届けにきただけだから……」
 なんで俺は二人のこんな場面を見ていなきゃいけないんだろう。嫌だった。秀司が甘やかに微笑むのもこの溢れる幸せな空間も。
 パン屑しかない空っぽの袋を乱雑に握って席を立つ。
「透、どこ行くんだ?」
「どこ行こうが俺の勝手だろ」
 図書室ならあまり人はいないから心地良いだろうかとそんなことを考えていると腕をがっしりと掴まれる。
「んだよ」
「ここに座れよ。一緒に飯食うって言ってんだろ」
「俺はもう食べ終わってんだよ。てか佐原さんがせっかく作ったんだから一緒に食べてやれよ」
「俺は今日透と過ごすつもりだったんだ」
「はぁ? そこは彼女を優先しろよ。なんで俺なんかを。俺はお前のただの幼馴染に過ぎないじゃないか! 幼馴染より彼女を大切にしろや!」
 力ずくで手を振り払って教室を去る。秀司相手にこんなに怒ったのは初めてだった。まだ収まらないイライラに俺はいつの間にか学校を抜け出して授業もサボってただ街を歩き続けていた。
 なにやら騒がしい。道にパトカーが止まり、野次馬らしき住民が虫のように集まっていた。そこはいつか助けたホームレスが住処にしていた荒地。
 侵入を拒む黄色い帯と茂みにはブルーシートが大きく掛かってあった。
「いやねぇ。だから早く追い出せって言ったのに。市は何もしないんだから」
「最初に見つけた方誰でしたっけ? 佐藤さんでしたか? あのお方もお可哀想よねぇ。きっと忘れようにも忘れられませんでしょうに」
「だからホームレスは嫌いなのよ。臭くて汚いし、街のイメージが落ちるじゃないの」
 どうやら最底辺は誰にも死を悼まれないらしい。
 他人事に思えなくて俺だけでもと成仏しますようにと祈る。
 崖っぷちに立っているような感覚だった。ふと気が付けば足場は崩れて真っ逆さまに堕ちていく。でもそれでいいのかもしれない。元から俺の居場所はきっとここではない。俺にとってここは眩しずぎる。
 
♢♢♢
 
 ゴールデンウィーク。旅行に行くのだろう、駅には家族連れでいっぱいで見ていると全部壊してやりたくなってくる。このままだと取り返しのつかないことを平然とやってしまいそうでガラガラとスーツケースを引っ張って人気のないホームの端っこに寄って線路の石をじっと見つめる。
 石が一つ、二つ、三つ……。
 気を逸らそうと石を数えているとガラガラと音が近付いて俺の隣にピタリと止まる。見なくとも誰かは分かっていた。来るなとキッと睨むが秀司の横顔は曇ることなく、スーツケースの隣に姿勢良く佇み線路の向こう側をまっすぐ見つめるだけだった。
 ゴールデンウィーク中に寮の工事を行うからと野球部の奴らはみんな寮から追い出された。とは言っても帰省を疎む者はおらず俺だけが不満を持っていた。
 父のいるあの家。帰ったって息苦しいだけだ。それにもう俺には家に帰ったって居場所はないのに。
「鬱陶しいな。なんで付き纏ってくんだよ」
 ゴールデンウィーク中とはいえ他に席があるというのに電車の中でも俺の隣に座る秀司にもう我慢できなかった。
「透と俺の家なんて隣だろ。だったら一緒に帰ったっていいじゃないか」
「俺は嫌だ。車両変えるからもう俺に近づいてくんな」
 立ち上がって移動しようとすればぐいっと袖を引っ張られた。
「まぁ待てよ。これあげるから」
 手渡されたのは一つの飴玉。
「はぁ? ふざけんな。俺はガキじゃねぇっての」
 餌付けだとしてもこれは酷すぎる。完全に秀司に舐められてる。
「そうか? これ結構うまいんだけどな」
 そうしてもう一つ飴玉を取り出し、口にぽいっと放り投げた。
 なんだか俺だけが取り乱しているのが馬鹿らしくなってきた。もう席を移動する気も削がれて秀司の隣に腰を下ろす。せっかくだからと飴玉を口に含めばブドウの甘さが広がった。確かにおいしいけれど。
 ぼうっと窓から流星のように流れる景色を眺める。
 ガタンゴトンと揺れるのが心地良い。ずっとこうしていたい。駅になんて着かなければいいのに。
 プシューと電車が停まるけれどまだ降りなくてはいい。だから雲ひとつない青空を眺めていたのだけれど秀司が急に立ち上がった。
「よし、ここで降りるぞ」
「は? なんで? 降りる駅はまだ先だぞ」
「まだ昼前だし寄り道くらいしたっていいだろ」
 秀司に促されるままに電車を降りる。
 どこへ行くのだろう。
 前を迷いなく歩く秀司の背中を追うと風に乗って潮の香りが漂った。行き着いた先は浜辺。どこまでも続く青い海が太陽に照らされてキラキラと輝き、ザァーザァーと白い泡となって波が押し寄せる。
 浜辺に人は誰一人いない。俺たち二人だけ。
 海を見ているとなんだか安心する。生物は海から生まれたという。俺も海をずっと眺めていたいと思うからそれはきっと間違ってはいないのだろう。
 ふとうなじに鋭い冷たさが走って思わず驚いて「ヒッ……!」とビクリと肩を上げる。
 振り返れば秀司が水滴のついた缶ジュースを手に持っていたずらっぽく笑っていた。
「はははっ」
「もうやめろよ」
「っはは、ごめん。でもこれって毎回やっちゃいたくなるよな」
 流れるようにジュースを手渡される。
「……ありがと。金今やるよ」
「いいよ。今日は俺が無理矢理ついてきたんだから。それはその詫びってことで」
 爽やかに笑みを浮かべながら秀司がそう言う。知らぬ内に胸の鼓動が高鳴っているとぐびぐびと秀司が自分に買ったジュースを飲む。秀司の顔がいいのも相まってCMにでも出てそうな豪快な飲みっぷりに釣られて俺もプシュッとフタを開けた。
 炭酸の刺激を味わいながら二人して砂浜に座り、海を眺める。
「綺麗だな」
「ああ。夏になるとよく家族とここに来るんだ。ここすっげー田舎だから人もあの駅では降りなくてな。絶好の穴場なんだよ」
「へぇ」
 見たこともないのに和かに海辺で過ごす九重家が容易に浮かぶ。微笑ましいなんて思えなかった。幸せそうなのが憎くて何もかも全部ぶっ壊したい。
 ふと我に帰る。
 秀司の家族はみんな知っている。優しい両親に元気な妹。俺にもよくしてくれたいい人ばかりなのに壊したいなんて、そんなこと思ってしまった自分に沈む。
「あのさー、俺佐原さんと別れたんだ」
「えっ!? なんで!?」
 突然の告白に仰天する。だってあんなに甘やかでお似合いの二人なのに。
「あまりにも唐突だったからおかげで佐原さんから大きなビンタを食らったよ。……でも気付いたんだ。俺にはもっと優先すべきことがあるってな」
「優先すべきこと……?」
「大切な人のそばにいてやりたい。支えてやりたいって思ったんだ」
「大切な人って……佐原さんじゃないのかよ」
 秀司が愛おしそうに目を細める。
「俺にとっては透が一番大切なんだ」
 ドクンと胸が熱を持つ。
 秀司は俺のことを……。いや、そんなはずはない。だって秀司と俺は仲のいい幼馴染であって、そもそも俺たち男同士じゃないか。
「お前っ勘違いさせること言うなよ! 男が男を好きになるなんておかしいのに変な想像しちまっただろ!」
 秀司が傷ついたように顔を歪める。
 俺、何か悪いことでも言ってしまっただろうか。
 いつも明るい秀司が悲しそうに俯くものだから内心どうしようかと慌てていた。
「秀司、そのっ──」
「そっか。そうだよな。すまん、今のは言葉が悪かった。そりゃあ勘違いするよな」
「…………」
「あーつまり俺が言いたいのはな、透が辛い時は友としてそばにいて支えてやりたいってこと。ただそれだけだ」
 無理矢理笑う秀司に胸が締め付けられる。俺もそういう意味ではないのだと知ってなぜだか悲しかった。でも秀司の思いやりはきちんと俺に響いていた。
「友達って……大切だからって別れることはないだろ」
「いつもお前のそばにいたいと思ったんだ。苦しい時こそ尚更な」
「……彼女より幼馴染を優先する奴がどこにいんだよ」
「ああ。だけどそれが俺なんだ」
 その真っ直ぐな秀司の姿に心打たれる。俺も俺で自分のぐちゃぐちゃした思いに向き合わないといけないんだと決心がついた。
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