【完結】光と影の連弾曲

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第五話

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 最初は手投げでコントロールも悪かったのに今はなかなかに様になっていると思う。まだまだ練習は必要だけど左投手として確実に進歩していた。
 そろそろ休憩にするかと思ったところで女子マネージャーの佐原さんがわざわざ俺たちに水を持ってきてくれた。
「おつかれ。今みんなのとこまわってたところなんだ。もう水切れているでしょ?」
「ありがとう。そうそう、ちょうどなくなってたんだ。ほんと助かるよ」
 受け取った水をゴクゴクと豪快に飲んでいると佐原さんが嬉しそうに微笑む。秀司はなんだか置いてけぼりを食らったようにぼうっと俺たちを見つめていたが、それに気づいた佐原さんがすぐさま水を差し出す。
「ごめんごめん。はい、九重君も」
「……ありがとう」
「二人ともほんとよく頑張ってるね。聞いたよ、いつも寮に戻るの二人が一番遅いんだってね。頑張るのはいいけど、あんまり無理しないようにね」
「うん、そうだね。たまには早上がりして休むようにするよ。な、秀司?」
 佐原さんを安心させようとするが肝心なところで秀司が返事しない。
「秀司!」
「っん? なんだ透」
「たまには早上がりして休もうな、な?」
 有無を言わせないよう圧を込めて言うと、秀司が遅れ気味に「……ああ」と同意する。
 どうしたのだろうか。ぼうっとしてるというより何かに気を取られているような感じだ。疲れているのだろうか。早上がりしようと言ったところだし今日は秀司を帰らせるかと思ったところ、グラウンドでは決して見かけない人物がやってきた。
「……先生?」
「ああ良かった。もう寮に帰ったのかもと思ったよ」
「いや俺大体遅くまでここにいますよ」
「そうだったのか?」
 先生がさして興味なさそうに答える。
「それで先生、俺に何か?」
「あーこの前の話のことなんだけど……ここじゃああれだし、別のところで話そうか」
 この前って父の話のことだろうか。
 気が重たくなる俺の様子を秀司が訝しげに窺うけど、別に逐一何か話すことでもない。それよりと先生の後を付いて行く前に彼に声を掛ける。
「佐原さんも言ってたし今日はこれでもう切り上げるわ。秀司も今日はここら辺でやめとけよ」
「いや俺はもう少しやっていくよ」
 なんだよ。帰る流れにしたのに全然乗っかってこないな。
 秀司の練習に付き合ってからいつも一緒に行動していたものだからこの時もきっと「だったら俺もやめるよ」って言うと思ってた。そしたら秀司を休ませられる、そう思っていたのに。
 気を利かせたのにとかよりも一緒じゃないってのがなんか少し苛立った。
「あっそ。じゃあ俺は先に帰るよ。キャッチボールのお相手は誰かに頼むんだな」
 本当はキャッチボールの相手が俺以外なんて嫌だった。
 だけどこう言えば秀司もだったらやめると言うと思ってた。変な自信だ。だが秀司はそんな自信をことごとく潰していった。
「じゃあ佐原さんに頼もうかな?」
「えっ私?」
「うん、お願いしていい?」
 やっぱりマネージャーとして頼られるのが嬉しいのか佐原さんは快く頷いた。
「分かった。キャッチボールくらいなら私もできると思うし」
「良かった。グローブは持ってる?」
「うん大丈夫。こういう時のためにも用意しておいてるから」
 広がる二人だけの空間。
 取り残されたような気分だった。
 自主練では捕手とももちろんするけれど、キャッチボールみたいなこういう軽いものは俺とだけ。
 なのにこんな簡単に他人に頼むなんて。キャッチボールぐらい俺で充分だろ。一人になるんなら捕手を捕まえるか筋トレでもしてろよ。
 なんだか居場所を取られたようでこのままじゃまずいと焦る。やっぱり俺も今日はまだ練習すると言いかけた時、邪魔が入った。
「千歳何してる。早く来なさい」
「透、先生待ってるぞ。行かなくていいのか?」
「あ、ああだけど……」
「千歳君、先生待たせたらダメだよ。早く行ってあげて」
 本当はここを離れたくなかったけどそう二人に急かされれば行かざるをえない。
 人気のない校庭に連れて行かれて話し出したのはやっぱり父のことだった。
「先日また君のお父さんから電話が来たんだ。その時もこの前と同じようなことをお父さんは話していたよ。千歳君、君きちんとお父さんとはお話したんだよね?」
 やべ、そう言えば先生に電話するよう言われてたんだっけ。秀司の肩のことで忙しくてすっかり忘れていた。
「すみません。話はまだできてないです」
「そうだろうと思ったよ。君携帯は持っているのか?」
「えっと、持ってないです……」
 寮でも携帯を持つことは許されているが、厳しい父は携帯を持たせたら気が逸れて野球に身が入らないと言って与えなかった。欲しいとは思わないけどこう押されると申し訳なくなる。
 先生は俺が持っていないと分かると、ポケットから財布を出しチャリチャリンと小銭を手渡す。
「ではこれで今すぐお父さんに電話してきなさい。公衆電話の位置は分かりますか?」
 自費を厭わない姿に先生の苦労さを知る。
 別に好きじゃないけどここまで追い詰められていると流石に先生が可哀想に思う。
 そうして狭い電話ボックスに一人佇んでいるのだが、十円を入れる勇気がなかなか起きなかった。
 夏は帰ってないからもう半年以上実家には帰っていないし、連絡もお互い取らなかった。夏休み明けに会う友達とどう接したらいいか分からなくなるように、俺も久しぶりすぎて父と喋るのが緊張する。それになにより父が怖かった。先生の話によると野球で俺が活躍できていないことを不服に思っているようだったし、電話に出たところで機嫌がいいはずがない。
 小さい頃に散々浴びせられた怒号を思い出して怖くなる。高校生にもなって親に怒られるのが怖いなんて幼いとは思うが、実際手が震えて小銭の差し込み口に十円がカチャカチャとぶつかる。
 三十分くらいそうしてやっと決心して十円を入れることに成功した。冷たい指先でボタンを押してプルルルルと鳴る呼出音が長くなると共に心臓がバクバクと嫌な音を立てる。いっそのこと出ないで欲しいと思った。けど相手は出てしまった。
『……はい』
「っ……」
『どちら様ですか?』
「…………」
『もしもし?』
「……っ」
『ッチ、なんだよ悪戯電話か』
「……と……っと、とうさん!」
 切られそうになって急に言うことを効かなくなった喉から慌てて声を無理矢理捻り出す。
『なんだ透か。お前なぁとろいんだよ、さっさと返事くらいしないか』
「ご、ごめんなさい」
『ったく。……まぁいい。で? なんだ? 何か用があって掛けたんだろ』
「えっと、その……」
 本番の舞台で台詞が飛ぶみたいに頭が真っ白になる。沈黙が流れるが受信機の向こう側の苛立ちをまざまざと感じた。怒られたくなくて頭をフル回転させる。
 ……っそうだ、先生の話だ。
「……き、聞いたんだけどさ、父さん野球のことで俺に不満を持ってるって。……それって本当?」
『あーそれか。お前がいつまで経ってもバッターとして活躍しないから担任に問い詰めたんだよ。本当はお前に直接訊きたかったが携帯もないし寮に電話もないだろ』
「でも先生は部活のことも野球も全然詳しくないよ」
『そんなの知ってるさ』
「……え? じゃあなんで?」
『元々はお前のせいだぞ。プロを目指してんのに全くこれと言った成果がない。なんだあの試合は? 満塁だったんだからサヨナラホームランでもする気概くらい見せろや。もうあんなんじゃプロなんて無理だぞ!?』
「…………」
 止まらない説教にそういうことかと納得した。
 つまり父はたまった不満を先生でガス抜きしていたということか。
 考えみれば単純だ。だって聞く限り父は担任以外に苦情を言っていない。率先して意見が向かうだろうコーチに父が何も言わなかったのは不満をぶち撒けたことで俺がスタメンであり続けることにネガティブな影響を与えかねないと危惧したからだ。
『透! 聞いているのか?』
「は、はい! ごめんなさい……もっと練習します」
『そんなの当たり前だろうが!』
 耳をつんざく怒鳴り声にびくりと体が震える。
『プロになるためにはな、血反吐吐くぐらいの努力が必要なんだよ。お前血反吐吐いたことあるか?』
「……ないです」
『だったらそりゃあ努力不足だ。朝から晩まで気を抜かずにそんくらい練習に励め。次あんな無様なプレイ見せたら承知しないからな。分かったな?』
「……はい。あのもう先生には……」
『お前がしっかりやればもう掛けねぇよ。だから結果を出せ結果を』
 ブツリと音が途切れる。
 期待してたわけじゃないけど結局褒められなかったな。もっと努力しろか。全くその通りだ。これ以上先生に迷惑かけないためにも練習もっと頑張らないと。
 そういうわけで練習を切り上げるというのは撤回してグラウンドに戻る。
「あれ透、今日はもうやめるんじゃなかったのか?」
「気が変わった」
「そうか。あっ透! 俺の個人練習のことなんだけどな、お前も自分の練習あるだろうし佐原さんに手伝ってもらうことにしたよ。佐原さんも快く承諾してくれたし」
「は?」
 全面的に頼られているのが嬉しいのか照れたように佐原さんが言う。
「私でもできるようなことしかできないけどね」
 秀司にとってどうやら俺はもう必要ないらしい。気遣ってのことだとは分かっていても捨てられたようで俺の気分は急降下だった。
「……そう。佐原さん、じゃあ秀司のことよろしくね」
 抑揚なく機械みたいにそう伝えて俺はバットを持って自分の練習に向かった。球を打ち終わってちらりと二人がいる方を見る。秀司は佐原さんとフォームを確認しているらしくて冗談混じりで話をしているのかお互い笑っていた。俺がいたあそこはもう二人だけのものとなっていた。
 それから俺は練習の量もこれまで以上に増やして休日もみっちり野球に励んだ。だけどそれでも練習試合では大した結果は残せなかった。コーチのアドバイス通りにやってるし練習量で見れば俺が一番だというのに誰よりも成長が見られなかった。
 焦りを感じていた。周りはどんどん上手くなっていくのに俺だけが置いていかれる。このままだとスタメンどころかレギュラーも怪しくなってくる。
 もっと努力しないとと思った。使える時間は全て練習に費やして休み時間なんかは野球が効率的に上手くなれるような本を読んだ。しかしそれでテストが赤点になって部活に出られなくなったら困るから勉学も隙間時間に怠らずに励んだ。
 冬休みに入り、ランニングをしようと部屋を出ようとすると実家に帰るため荷造りをしていた秀司が「透!」と俺を呼び止める。
「なぁ少し頑張りすぎじゃないか? 正月くらい体のためと思って休んだらどうだ?」
「俺の場合は逆だよ。みんなが休んでる時に努力しないともうチームに追いつけなくなる」
「だけど何事も塩梅が大事だと言うだろ。それにお前は良くても流石に親父さんが寂しがるんじゃないか? 去年だって一度も家には帰らなかったじゃないか」
 的外れもいいところだ。俺が帰って来ないからって父が寂しがるはずがない。秀司のとこは息子の帰省を喜んで迎えると思うが、俺は秀司のところとは違う。家に帰って俺を迎えるのは居心地の悪さと怒号だ。
「……いいよな秀司は」
 言葉に出たのは羨望の一言だった。家が隣だからこそよく聞こえよく見えた。温かな家庭、溢れる愛情。俺が秀司の家に生まれていれば、そんなもしを何度思ったことか。
「透……?」
 心底分からないといった表情で秀司がこちらを窺う。だけどきっとこんな気持ち秀司には分かるはずがないよな。
 毎回これみたいな話題になると穴に落とされ生きたまま土をかけられるような息苦しさを感じる。俺はその息苦しさから逃げるように部屋を後にした。後ろから「透!」と離れる背中に手を伸ばすような必死な声が聞こえたが振り返ることはしなかった。
 乾燥した寒空の下タッタッタッとテンポよく足を進めていくが、心はすっきりしないままだった。
 秀司の家の子に生まれたかった。
 そんな風に望む俺はなんて幼稚なのだろう。こんな思いせいぜい小学生が癇癪を起こして喚くようなものだ。秀司はただ俺を気遣ってくれただけなのに。
 悪魔みたいな笑い声と呻き声が閑散とした街に響き渡る。
 ふと声が聞こえた方向に視線を向ければ人気のない荒地に物騒な集団がたむろしていた。それだけなら俺もただ通り過ぎるだけで終わっていたのだがいたのはチンピラだけではなかった。彼らはギャハハと品のない笑い声を上げて地面に横たわる老人を囲み蹴っていじめていた。
 面倒臭いと思ってしまった。見ないふりをしてそのまま行こうとも思ったが、そうすると後味が悪そうだった。
「っあの!」
「あ?」
 思い切ってチンピラに声を掛けると柄の悪い人相でギリっと睨まれるが、ここは動じないのが肝心だと強気で立ち向かう。
「警察呼びますよ!」
 空っぽのポケットに手を突っ込んであたかも携帯を取り出すような仕草をすると、チンピラたちはすぐに威勢を無くして「おい行くぞ」と案外あっさりとトンズラこいて行ってしまった。
「大丈夫ですか?」
 老人に駆け寄り具合を見ると、怪我はしているものの命に別状はないようだった。
「……っだいじょうぶです」
 やっと聞き取れるくらいにぼそぼそと老人が喋る。男性特有のつんと鼻をつく臭い、洗濯をしていないだろうボロボロな身なりからこの人はホームレスなんだろうと思った。それに老人だと確信していたその人はよく見れば四十代くらいで髭が伸びきっているからそう見えただけだった。
 こんな風にはなりたくないな。
 単純にそう思った。
 彼らは社会のゴミとまで世間に言われる立場。彼に何があったかは知らないが、頼れる人が周りにいたらこんなことにはならなかっただろう。誰からも見捨てられ行き着いた先がここというわけだ。
 誰にも必要とされていない、むしろいなくなった方がよいと思われているような存在。
「あの……ありがとうございました」
 そう男は軽く頭を下げてとぼとぼと荒地の中へ進み、ブルーシートで作った継ぎはぎのテントの中へと姿を消した。
 アレにだけはなりたくない。
 俺もこのままじゃいけないという危機感に襲われて俺はまた駆けて行く。
 俺はプロにならなきゃいけないんだ。
 それだけが俺の価値。
 だから誰よりも練習して努力しなければならないんだ。
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