異世界は選択の連続である[Re:] ～ブラック社員、自らのチート能力に叛逆す～

第三章 ラーイウラ王国

３／ラーイウラ王城 -3 到着

「──ネル様。馬車で進めるのはここまでのようで」
　御者が、客車の重い扉を開き、そう口にした。
　悲鳴も、笑い声も、もう聞こえなかった。
　ただ、甲高い笛の音だけが、遠く遠く祭囃子のように響いている。
「ありがとう。もう帰っていいわ。あたしたちを待たなくていい。こんなところ、長居したくはないでしょう？」
「しかし」
「いいのよ。帰りの馬車くらいは都合してくれるでしょ」
「……はい」
　御者の顔は青ざめていた。
　無理もない。
　地獄を、目の当たりにしたのだろうから。
「さあ、降りましょう。すこし歩くわ」
　四者四様に頷き返し、客車を降りる。
　陽射しに網膜を灼かれ、俺は目を細めた。
　夏が近い。
「──…………」
　客車の扉を閉じ、周囲を見渡す。
　御者の言葉の意味がすぐに理解できた。
　馬車が、詰まっている。
　大渋滞だ。
「……御前試合には、何人の貴族が集まるのだ？」
「貴族全員、ではないよ。全体の一割くらいだと思う。それでも、軽く百名は超すけどね」
「道理でごった返しているわけだ」
　ふと振り返れば、稜線まで伸びる城壁と、それを穿つ城門。
　視線を戻し見上げれば、高台に荘厳な白亜の城。
　壮観だ。
　だが、美しいとはとても思えなかった。
　御者に会釈をし、歩き出す。
　俺たちの乗ってきた馬車は、緩やかに方向を変えると、城門を抜けて城下街へと消えていった。
「……カタナさん」
　ヤーエルヘルが、俺の上着の裾を掴む。
　その手を取り、繋ぐと、ヤーエルヘルの小さな手のひらは熱く湿っていた。
　ずっと拳を握り締めていたのだろう。
「──皆、俺から離れるなよ。絶対」
「そうね、カタナの言う通り。これだけの貴族が集まるのだから、どうしてもトラブルは起こる。御前試合の当日、城門の中でだけは、貴族の前でも顔を伏せなくていい決まりになってるの。参加者付き添い合わせて何百名って奴隷が一斉に最服従したら、とても歩けないもの。だから、イライラしてる貴族は多いはず」
「そうなのか……」
「……気付いてて言ったんじゃないの？」
「ああ、いや。単に、目の届く範囲にいてくれると安心だと思ってさ。こんなとこではぐれたら最悪だろ」
「あはは！　なるほどねー」
「カタナさんを囲みまし！」
「そ、そうだ、……ね！」
「おいおいおい……」
　ヤーエルヘルは俺と手を繋いだまま、プルが俺の左隣に陣取る。
「では、私が前だな」
　ヘレジナが、俺を先導するように、前方へと位置取った。
「あたしは後ろかー」
「インペリアルクロス……」
「でも、真後ろじゃカタナの視界に入れないよね。あたしは負ぶさろうかなー」
「はいはい、お好きにどうぞ」
　冗談で頷く。
「よいしょッ、と！」
　ネルが、本当に俺の背中に飛び乗った。
「おわ！」
　マジかこいつ。
　ネルの体は、羽根のようだとまでは言わないが、思いのほか軽く感じられた。
　ネルが痩せているのもあるが、俺の筋力自体も上がっているのかもしれない。
「行け行けー！」
　ネルがずり落ちないように、前傾姿勢を取る。
　背中にあたる双丘の感触に、思わず頬がだらしなく弛んだ。
　ネル、意外とあるな。
　うちの三人娘がなさすぎるという説もあるが。
「ふへ、へ。……ね、ネル、楽しそう……」
「また目立つことを」
「本気で来ると思わなかったわ……」
　苦笑しながら、馬車の隙間を縫うように歩いて行く。
　ネルが、耳元で囁くように言った。
「……ごめんね、カタナ。あなたには、大きなものばかりを押し付けてしまった」
　小さく首を横に振る。
「ンなこたないって。ネルがいなけりゃ、御前試合に出ることすら叶わなかった。ジグがいなけりゃ、それに足る実力を身につけることができなかった。二人は恩人だよ。この手で皆を助ける機会もくれたんだからな」
「でも──」
「恩には報いる。必ず、ネルを、両親に引き合わせてやる。ついでにジグもボコボコにして平謝りさせてやるよ」
「──ふふっ、あははは！」
　ネルが、心底愉快そうに笑う。
「カタナは不思議な人だね。とても強くて、すこし弱くて、眩しいほどにまっすぐで……」
「お、おいおい。その評価は下駄履かせ過ぎだって！」
「そうかなあ。どうかなあ。三人はどう思う？」
「うむ。妥当なところではないか？」
「カタナさんがまっすぐなの、わかりまし！」
「う、……うん。か、かたなは、すーごい、ひとだから……」
「ほらね」
「──…………」
　思わず目を逸らす。
　この仕草が、俺が照れている証拠であることは、とっくに全員にバレているのだった。
　溜め息を一つついて、背中のネルに言う。
「……ありがとうな、ネル。すこしだけ気が晴れたわ」
「えー？　あたしはおんぶしてもらってるだけだけどなー」
　ネルが空気を引っ掻き回してくれたおかげで、重苦しい雰囲気はどこかへ飛んで行ってしまった。
　この女、やりおるわ。
　五人で話しながら歩いていると、白亜の城はもう目の前に迫っていた。