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1巻

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   一章 荒れ狂う風


 ――精霊に守られている国、ニーシュライナー王国。
 そこには悲しい目をした王子と彼の異母弟である双子の王子がいた。第一王子の名前はフェリクス・エレメンタル・ニーシュライナー、双子の王子の名前はデリックとユーリン、とある理由で第二王子であるデリックが王位を継承する事となっていた。
 そんなデリックの婚約者である公爵令嬢、リオノーラ・ダーカーは火の精霊にとても愛されていた。輝く星のような金色の髪とガーネット色の瞳は、男女問わず魅了する。しかし性格は傲慢で、リオノーラの我儘にえかねたほとんどの侍女は一カ月とたずに逃げ出してしまう。
 リオノーラが婚約者候補となったのは、彼女とデリックが十歳の時だ。自分の婚約者に相応ふさわしいのはデリックだと思い込んでいたリオノーラは、嫌がるデリックを気にする事なく、強引に関係を推し進めていく。
 転機はその一年後、リオノーラは、離れて暮らしていた母のアーリン、妹のスフレと共に暮らす事となった。今日から家族四人で暮らすのだと、嬉しそうに父から伝えられたリオノーラは、母親と父親の愛情を独り占めしていたスフレがどうしても許せず、妹のスフレをしいたげていた。
 そして王家主催のお茶会に招待された時、リオノーラに嫌がらせをされて汚れたドレスでの出席となったスフレは、会場から少し離れた噴水にあるベンチに座って静かに涙を流していた。リオノーラに付きまとわれて疲れ果てたデリックは、そこでスフレと出会い、可憐さに心奪われる。デリックは、徐々にスフレに惹かれ、二人の恋は燃え上がってしまう。
 それを知ったリオノーラの嫌がらせや虐めが激化していき、ついにはリオノーラに脅されて下僕のように動いていたユーリンが作った薬でスフレは昏睡状態に陥る。
 スフレが水の精霊と契約していたため、彼女が眠ってから、雨が降り続き水害が起こる寸前となった。デリックが弟を懸命に諭したことで、ユーリンが涙を流しながら今までの経緯を話し、デリックに解毒薬を渡す。
 悪事がバレたリオノーラはスフレをおとしめた罪と王族であるユーリンを脅した罪で断罪される事となる。

「……呪ってやるッ!」

 と、叫びながら火炙りにされるリオノーラは迫力満点だった。まるで実際に見たかのように語れるが、これはゲームの記憶である。
 そしてリオノーラの呪いにより……と物語はゲームの続編へと続いていくのだが、ここである事に気づく。

(そのリオノーラって……私じゃあああああんッ‼)
「――いやぁぁあぁっ‼」
「リ、リオノーラお嬢様?」

 高橋莉子たかはしりこ、アラサーオタクの会社員だった。平日は朝起きて、支度して、仕事に行って、寝る前に推しを目に焼きつける。休日は朝起きて、推しを見て、推しを見て、たまに友達と遊びに行って推しについて語り明かし、コンサートという一大イベントのために己を磨く。そんな、現実は干からびつつも、心はうるおう慎ましくも素晴らしい生活を送っていたはずなのに、一体何を間違えたら、乙女ゲームの悪役令嬢になっているのだろうか。

(……リオノーラ・ダーカー、火の精霊に愛されていた悪役令嬢)

 じんわりと思い出しながら脳内にある記憶を辿たどる。目の前にいるシンシアはリオノーラにとって唯一の味方だった侍女だ。

「どうしたのですか⁉ 今日は殿下達との顔合わせの日ですよ?」
「ごめんなさい聞き間違いかしらもう一度言ってくださるうぅぅッ⁉」
「き、今日は、顔合わせの日ですぅ……」

 ガバッと起き上がり、息継ぎなしに言いきったためか、シンシアはこちらの勢いに怯えた様子で答えた。
 という事は現在リオノーラは十歳で、一年後には妹のスフレをしいたげるという事だろう。
 顔合わせに行きたくなくて、リオノーラは必死に抵抗したのだが、突然現れた父親のジョンテによってはばまれてしまい、あれよあれよという間に準備が進んでいく。侍女の一人が持ってきた、赤い布地に白のリボンとフリルで胃もたれしそうになる派手派手しいドレスを見て驚愕し、そのドレスを着たくないと駄々をねた。髪もストレートでシンプルがいいと泣きながら訴えかける。そしてクローゼットの奥の奥に仕舞い込んでいた大きめの箱を取り出し、シンプルで品のある薄紫色のドレスを着る事に成功した。

「大変お待たせいたしました……お初にお目にかかります。フェリクス殿下、デリック殿下、ユーリン殿下。わたくしはリオノーラ・ダーカーと申します。ようこそお越しくださいました」

 やる気のない声と裏腹に、見事なカーテシーを披露したリオノーラに、驚いたのはリオノーラ自身である。どうやら体にみ付いた所作とは、簡単には消えないようだ。
 公爵令嬢として恥ずかしくないようにと、幼い頃から毎日毎日毎日……厳しい講師達に指導を受けているリオノーラにとっては朝飯前である。

「はじめまして、リオノーラ嬢。僕はフェリクス。そして弟のデリックとユーリンだ」
「デリックだ。よろしく」
「………………よろしく」

 目の前の第一王子の美しさと双子の王子達の可愛らしさにゴクリと生唾を飲み込む。しかし、一目惚れでは断じてない。悪役令嬢であるリオノーラは、この時点でデリックに恋をしなければならないのだろうが、こんな可愛らしい幼気いたいけな少年に恋をする気になどとてもなれなかった。
 それに莉子の時は砂漠のように乾いていたので、もう男なんて正直どうでもいいのだ。推しがいればなんの問題もない。父達の会話を聞き流しながら、莉子だった時、最推しだったアイドルの姿を思い浮かべる。
 銀髪で癖毛で顔が男性とは思えないくらい神々しくて美しく、いつもは素っ気ないが、たまに見せてくれる笑顔がとっても素敵で可愛くて推せるのだ。基本的には紳士で、時々茶目っ気があるところもすべてが最高なのである。
 そういえばそもそもデリックに好き好きアピールをしなければ婚約者にならなくても済むのではないか、という考えは次の父の言葉でき消された。

「リオノーラはデリック殿下と会う事をそれはもうとても楽しみにしておりました。是非とも婚約者として前向きに……」
「ストーップ、お父様ストップ‼」
「リオノーラ、何を⁉」

 父の服の裾をギュイーンと引っ張りながら、リオノーラはガタガタと震えた。婚約者にならない事が目的であるというのに、思わぬ邪魔が入ったようだ。確かに『リオノーラ』は王妃になりたいと強く思っていた。けれどそれは昨日までの話であって今日は違う。

「お父様、こちらにいらしてください……!」

 父の腕を引き、そっと耳打ちする。

「わたくしは王妃の座を諦めます! それよりも、ひとつ確認したいのですが、ダーカー公爵家の娘であれば、婚約者候補は妹のスフレでもよいのですか⁉」
「リオノーラ、一体どうしたんだ⁉」
「乙女心は複雑なんです‼」
「…………は?」
「わたくし、スフレを推薦してもいいですか?」
「……スフレを? 何を言ってるんだ」
「将来きっと良い子になりますわ! オホホホ‼」

 むしろ良い子に育ってくれないと困るのだ。ゲームどおりのスフレなら可愛らしく性格もいいので申し分ないだろう。尚も追求しようとする父を追い出して、リオノーラは一息付いてから表情を切り替える。そもそもはじめからヒロインと攻略対象者がくっつけば悪役令嬢は必要ない。あとはリオノーラがスフレを虐めなければ問題ない。悪役令嬢問題は万事解決である。

「……という事で、わたくしは妹のスフレを推薦いたしますわ」
「……えっと」
「きっと殿下達はスフレを好きになると思います‼」
「リオノーラ嬢……?」
「きっと可愛い子に育ちます。言いきれますわ!」

 戸惑うデリックとユーリンを気にすることなくリオノーラは力強く訴えかける。

「…………」
「…………」
「なんかこう……いい感じになるような気がするのです!」

 これ以上、スフレをおすすめする言葉は思いつかない。当然といえば当然だった。

「会った事ないって、公爵から聞いたけど……?」
「何か……訳が?」
「……うっ!」

 デリックとユーリンは痛いところを突いてくる。そう、この時点でのリオノーラはスフレに一度も会った事がないのだ。祖母と叔母が、別邸で暮らす母と病弱なスフレの事が気に入らず、いつもリオノーラの前で二人の文句を言っていた事を思い出す。

「そんなに、僕達の事は気に入りませんか……?」

 第一王子のフェリクスは困ったように笑いながらリオノーラを見ていた。色気をはらんだ優しい瞳にクラクラしてしまう。どうして乙女ゲームに出てくる王子達はこんなにもイケメンなのだろうか。

「そんなに……拒否しないで」
「……ユーリン殿下」
「リオノーラ嬢……答えを決めるのはお互いを、もう少し知ってからでもいいんじゃないかな?」
「デリック殿下……」

 三人の困惑した表情に心はチクチクと罪悪感という名の針で刺されていた。よく知っているのは三人が成長した姿であり、やはり目の前にいるのはただの子供なのだ。リオノーラは先走りすぎたと反省して肩をすくめた。

「申し訳ございません……」
「まだ婚約者になるわけではないから気楽に……ね?」
「フェリクス殿下……ありがとうございます」

 そして、あっという間に時は過ぎ、王子達が帰る時間となる。デリックとユーリンは帰りの馬車に乗り込んだ。

(やっと終わった……! 危機が去っていくわ)

 笑顔で手を振りながら馬車を送り出そうとすると、フェリクスが二言三言話しかけてくれた。
 落ち着いて話してみると、フェリクスはニーシュライナー国王にとてもよく似ているような気がした。瑠璃色の髪と、常に優しい笑みを浮かべ落ち着いた雰囲気が漂っているところがそっくりだ。どこか寂しそうな青藍の瞳を思わず見つめてしまう。

「そんなに見つめられると照れるね」
「はっ……! ご、ごめんなさい。その、すごく美しかったので」
「あはは、ありがとう。面白い子だね」


「~~っ!」

 不意打ちの笑顔に胸キュンである。フェリクスはリオノーラの二つ上で、病で命を落とした前王妃の息子だった。跡を継ぐのは本来第一王子であるフェリクスだが、複雑な事情がありデリックが王位につく事になっているそうだということはゲームでも軽く説明されるので当然知っている。しかし、改めて本人と向き合うと一体何の事情があるのだろうと思ってしまう。

「……リオノーラって、呼んでもいいかな」
「は、はい! もちろんです」
「今日はごめんね」
「え……?」
「あんまり気が進まないようだったから。疲れただろう?」

 リオノーラの気持ちをみとり、気遣ってくれるフェリクスに感動していた。心配になるくらい、フェリクスは大人びて見えた。

「いえ……こちらこそ気を遣わせてしまって、申し訳ございません」
「リオノーラ嬢は……噂とは、だいぶ違うんだね」
「それは……あのっ、今日から心を入れ替えようと思ったのです!」
「そうなんだね。頑張って」

 なんとか表情を取り繕いながら答えると、フェリクスは納得したように頷いて、言葉を続けた。

「でも、無理はしないようにね」
「…………!」

 フェリクスはそう言ってにっこりと笑った。その笑顔に心を揺さぶられる。もっとフェリクスと話したい……そう思った時だった。

「フェリ兄、まだ?」

 デリックが外に少しだけ身を乗り出して声を上げた。

「ああ、今行くよ。リオノーラ嬢……また会えたら話そうね」
「あ…………はい」

 リオノーラは放心状態で馬車を見送った。頭はフェリクスの事でいっぱいになっていた。

(とても寂しそうな目をしてた。どうしてだろう……)

 まさかの、デリックではなくフェリクスに惹かれてしまった。リオノーラは考えを振り払うように首を横に振って、気合を入れるためにパンパンと頬を叩く。ひとまず、これで物語のシナリオから抜け出す一歩は踏み出せただろう。ここからだ。


 次の日、あまりにも派手なドレスしかクローゼットになかったため、父にシンプルなドレスがほしいとお願いすると「またか」という言葉とともに仕方なしに了承してくれた。その時、リオノーラは初めて父を買い物に誘ったのだと気づいた。今まではドレスをねだっても、面倒だとばかりに適当に買ったものを与えられるばかりだったのだ。ブティックに向かい、ドレスを選びはじめるまではよかったが……

「――お父様! それは派手過ぎですわ!」
「このくらい普通だろう?」
「それなら今あるものと変わりません」
「シンプルで可愛いものをと言うからだな……」

 父との間に火花が散る。一触即発の雰囲気に店員も困り顔だ。
 その時、チリンチリンと店のベルが鳴り、周囲がざわめき始める。豪華なドアから入ってきたのはスレンダーで美しい女性だった。横には黒豹が優雅に歩いている。

(……この世界は黒豹がペットなの⁉ ゲームでそんな設定あったっけ⁉)

 そして目の前で足がピタリと止まる。

「久しぶりね」
「……なぜここに」
「あら、ここは私の店よ。知っているでしょう?」

 父が顔をしかめている理由が分からずに首を傾げると、女性はクスクスと笑っていた。

「……可愛いお嬢さんね、お名前は?」
「は、はい! お初にお目にかかります。わたくしはリオノーラ・ダーカーです」

 慌てて挨拶をすると、女性は優しく微笑んだ。

「私は……そうね、ゾイと呼んでちょうだい」
「はい、ゾイ様」
「おいっ! 何を考えているんだ」
「ジョンテ……あなたは奥で待っていて」
「なっ……!」

 女性の指示で店員が現れる。案内されて、渋々ついていく父の姿を見送った。公爵家の当主である父を簡単にあしらえるほどだ、もしかしたら身分がとても高いのではないか、とリオノーラは悟る。それに二人はとても親しい間柄のように思えた。

「私は……ここのデザイナーのようなものよ」
「そうなのですね! どのドレスもとても素敵です」
「ふふ、ありがとう」

 ゾイの真っ赤な唇が弧を描く。妖艶な表情に同性でもドキドキしてしまう。

「どんなドレスを探しているのかしら?」
「えっと、シンプルで綺麗なシルエットのドレスを……」
「それならこの辺はどうかしら?」

 上半身は体に合う綺麗なラインで、スカートの部分はふんわりとした形のドレスをいくつか出してくれた。裾にレースと刺繍がバランスよく組み合わさっていてパステルカラーで優しい印象である。ゾイが持ってきてくれるドレスは、どれも求めていたものばかりだった。
 そこからいくつか選んで父に渡すと、意外そうな顔をされた。

「リオノーラ、ドレスを全部替えたいと言っていたじゃないか。買いたいのはそれだけか……?」
「はい。これだけで十分ですわ! ありがとうございます。お父様」
「本当に、リオノーラだよな……?」

 父の横でゾイも黙ったままリオノーラの方をジッと見ている。

(え……⁉ もしかして今までのリオノーラとは違いすぎて疑われている⁉)
「ま、まっ、また買い物に行く楽しみが出来ますしね。か、可愛いドレス嬉しいですわ! うふふ~」

 ドレスを持ち、子供らしくクルクルと回りながら適当に誤魔化していると、ゾイは真剣な顔をして父に問いかけた。

「……アーリンは、まだ本邸に戻らないの?」
「あぁ……」
「そう……。リオノーラ、よかったらまた私と一緒にドレスを選ばない?」
「本当ですか⁉ 是非お願いします!」

 母の名前まで出てくるとなると、ますますゾイは何者か気になってしまう。しかし、今聞いていいことではないだろう。
 父が会計している間、ゾイとたわいない話をしていた。

「私もゾイ様のように美しくなりたいです」
「あら…………嬉しいわ。ありがとう」
「このドレスが似合うように頑張って努力します」
「それは、とても楽しみだわ」

 従者が購入したドレスの箱を持ち、ゾイの店を後にした。
 公爵邸に帰るとシンシアが笑顔で迎えてくれた。莉子としては昨日会ったばかりにもかかわらず思わずほっとできるほど、シンシアの側は唯一、安心出来る場所だった。リオノーラにとってシンシアの存在が支えなのだと心から思う。ずっとシンシアがリオノーラの母親代わりだった。性格が歪み我儘放題だったリオノーラだが、シンシアだけは何があっても最後まで寄り添い続けてくれたのだ。

「これ、今日お父様に買ってもらったドレスなの」
「まぁ、ヴィーナスのドレス……! 素敵ですね」
「今までのドレスはすべて要らないわ。そうね……これとこれ以外は申し訳ないけど処分をお願いできる?」
「えっ⁉ 本当にいいのですか? お嬢様のお気に入りのドレスばかりなのに……」
「もういいの……お願い」
「…………お嬢様」
「この宝石も売りに出して、自分の好きなアクセサリーを買いたいの。お父様に許可はとってあるわ」

 ギラギラと自己主張の強い宝石達はまるで『自分を見てほしい』と強く願うリオノーラの心の中を表しているような気がした。
 広々としたクローゼットを見て清々すがすがしい気持ちになる。今度はヴィーナスのドレスを着て、ゾイにお礼をしに行こうと考えながら眠りについた。


 莉子がリオノーラになってからしばらく経つが、一向に元の世界に帰れる気配はない。これは異世界転生で確定だろうと受け入れる。子供には虐待同然の教育の日々も、アラサーの記憶で乗り越えられる。今日はよく晴れた日だった。超スパルタな講師達と闘ったリオノーラは疲れを癒すためにのんびりと池を覗いていた。

『……何してるの?』

 誰かに声をかけられて顔を上げると、銀髪で癖毛で、推しにそっくりな男の子が目の前に立っていた。いわば推しの子供バージョンで大変可愛らしい。

(推しがぁ……! 推しが目の前に現れたッ⁉)

 感激に涙が出てきそうになり、夢かもしれないと頬を思いきりつねるがとても痛い。やはりここは現実のようだ。

『僕の声、聞こえているよね?』
「…………」
『ねぇってば……!』
「はい‼ 聞こえてますッ」

 瞬きするのも惜しい。目が乾いて血走ったとしても、この姿を一秒でも長く目に焼きつけなければならない。

(これは頑張ったリオノーラへの神様の贈り物よ。はあぁあぁあぁ、尊い……!)

 あまりの興奮に心臓が握り潰されそうになり胸を押さえた。

『君さ……大丈夫?』
「んふー……可愛い……えへへ。やっぱり大好き!」
『好き……? 僕の事が好きなの⁉』
「もう本当に素晴らしっ……ずっとずっと大好きです」
『ずっと……⁉ 本当に?』
「当然!」
『そんなに僕の事を好きだったら、契約してもいいよ?』
「はあぁぁ~! もう尊いっ」
『……ねぇ! 聞いてる⁉』

 男の子が眼前に立って可愛らしく拗ねている姿を見て、はっと意識を取り戻す。上目遣いの怒った表情に胸が高鳴り、フラリと倒れそうになるが、ぐっとこらえる。

『僕の事……好きなんでしょう?』

 ブンブンと首が千切れるほどに縦に振った。大好きである。主にお顔が尊い。

『なら僕のお願い、聞いてくれるよね?』
「……もちろんです‼」

 なぜか嬉しそうな男の子の表情。『契約しようよ』とよく分からない事を言っているが、可愛いからいいかと思い、ニヤニヤする口元を隠しながら首を縦に振る。

『名前、頂戴』
「なまえ……?」

 言葉の意味を考えていると『早く』と急かされる。愛称をつけてほしいということだろうか? 銀髪の猫っ毛、少し吊り上がった深いブルーの瞳と透き通るような白い肌を見て、ある景色が思い浮かんだ。

「…………メーア。メーアなんて、どうかしら?」

 ドイツ語で海を意味する言葉だ。この男の子を見ていると、どこまでも広がる綺麗な海を思い出す。リオノーラの提案に、男の子は黙ったままだ。名前が気に入らなかったのかと思いつつも、考え込む尊い顔はしっかりと目に焼き付けていた。
 ふと、メーアの手がこちらの方に伸びてくる。その手に恐る恐る指を絡ませた。ひんやりとした体温に驚いて、メーアの手を見つめていた時だった。

『リオノーラ・ダーカー』

 名前を呼ばれて顔を上げると、チュッという軽いリップ音と共に、柔らかくて冷たい唇が口元に重なる。

『契約成立だよ』
「…………」
『宜しくね、リオノーラ』
「…………」
『おーい』

 あまりの衝撃的な出来事にポカンと口を開いたまま固まる。メーアの言葉が遠くに聞こえた。

(これは夢……? じあわぜぇ……‼)

 顔を手のひらで覆い隠したまま倒れ込む。そのままリオノーラはそっと意識を手放した。

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