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「…………陽斗ハルッ!?」
 消え入る1瞬前の花火みたいな思念が、俺と言う存在を掠めて通り過ぎて行ったのは、聖域での浄化を終えて、ハルの元へ帰ろうとしていた時だった。


「早く帰って来てね、セツ……!!」
 夏の初めに陽斗と出会って2ヶ月が過ぎていた。
『……ハル…すぐに、帰るからな…』
 閉じられた小さな箱庭の、小さな離れ屋で少年『ハル』と暮らす、得難く愛しい日々。2人で過ごす宝石の如き輝かしい時は、かつてない幸福と安寧と充足感を俺に与えてくれた。
 神として終わりなき久遠を生きる俺が、1日1日をこんなにも短く感じ、かつ、過ぎていく時間を惜しむだなんて。まるで限られた生を生きる人のように、一瞬、一瞬を記憶に刻む日々を送るだなんて、こんな奇跡が起こるなど俺は思っても見なかった。

 けれど、夢のような夏の日は、そう長くは続かなかったのである。

『……ハル、寂しがってなきゃ良いが…』
 あっという間に短い夏が終わり、人の世で言う『神無月かんなづき』を迎えた頃、俺は、愛しいハルと離れて遠く出雲の地にあった。
 年に1度行われる、古代から続く日の本の神の集い。そこは人の世の穢れを払い、神々自身を浄化するための儀式の場だった。
 全国から八百万やおろずの神がこの地に集い、身に付いた1年のけがれを払い落とす。そうして再び祀られし地へと帰り、神々はその身に人々の不浄と穢れを引き受け、祈りを捧げた彼らの心を浄化していくのだ。
 この国の人間なら誰もが知るような高名な神から、俺みたいに無名でちんけな屋敷神まで。この地には数えきれない多くの神が1月余りも滞在するが、別に何か特別な儀式を個別に受けると言う訳ではなかった。
 『この時期』『この地にある』ということ。ただ、それだけで神々は浄化されていくのだ。ゆっくりと時間をかけて。ゆえに、その身に溜まった穢れの量によって、浄化にかかる時と日数は違ってくる、という訳だ。
「やあ。元気そうで何より」
「貴様……毎年毎年、よくも俺の前に顔を出せるものだな」
 1人残したハルのことを想いうれいていた時、俺の前に長年見飽きた忌々しい顔が現れた。
「おやおや…長年の付き合いなのに、つれないじゃあないか」
「ぬかせ。このくそ陰陽師が」
 この地にあって違和感を醸し出す、『スーツ』に身を固めた現代人と変わらぬ格好の男。それは千年の時を経て今も生きる、人であって人ではない存在。半人半神と言っても良い稀なる存在、陰陽師『安倍晴明あべのせいめい』の現代における姿であった。
「屋敷神としての生活はいかがですか…と、聞きたい所でしたが、どうやらようやく貴方に名を付ける存在が現れたようですね…?」
「……うるさい。貴様には関係ない話だ」
「関係大有りです。是非にと人に頼まれたこととは言え、やはり自分のしたことには責任を感じますからねえ…」
「ぬかせ。あと、ニヤニヤ笑いながら言っても説得力無いぞ」
「それは失敬。しかしこれはもはや、私の地顔の様なものでしてね…」
 俺が屋敷神としてあの地に封じられた後、この男は毎年のように出雲へ現れては、旧知の友でもあるかのような態度で俺に接して来るようになった。
 忌々しい限りではあったが、その人並みならぬ強大な霊力によって、半神として奉じられた存在に喧嘩を売るのも馬鹿らししいので、仕方なく毎回、適当にあしらってきたのであるが。
「これは余計なお世話とは思いますけれども」
 何故かこの時、晴明は、張り付いた笑顔の中で瞳だけに真剣な光を灯し、まるで俺の身を気遣うような言葉を投げ掛けてきたのである。
「人の子にあまり深入りせぬ方が身の為ですよ…」
「………………ッッ!?」
「彼は今に御身の存在を危うくするでしょう」
「………何を」
 『彼』とはハルのことか。何故それを知っているのだ。いや、知っているのはともかくとして、彼の存在が俺の身を危うくするとはどういうことだ。まさか、ハルの身に何か起こるとでも言うのか。
「……………せいめ…ッ!?」
 気を引かれそっぽを向いていた晴明を振り返ったが、すでにその気障ったらしくてムカつく姿はどこにも無かった。奴だけが身に纏う独特な気配すらも。
 不吉な予言めいた言葉を残しておいて、詳しく説明する気はさらさらないらしい。本当に嫌な奴だ。しかし、親しくこそないものの、長年の付き合いであるからこそ解るのは、奴が人をからかうためだけに、そのような言葉を吐かないことだ。それだけは確かだった。
「まさか………」
 嫌な予感がした。早く帰らなければ。ハルの元に居てやらなければ。強くそう思った。

 俺が浄化を終えたのはそれから1週間後。
 晴明の残した言葉が気を急かしたが、俺は帰る前にと人の街を見て回っていた。
 俺は神であるがゆえに、人の様に距離や時間に縛られない。帰ろうと思えば一瞬でハルの待つ離れ屋へ戻れた。だから、どうせならハルに何か土産を、などと呑気なことを考えてしまったのだ。

 そんなわずかな瞬間にも、ハルの身に危機が迫っていたなどと、知りもせずに。

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