かむづまり──朱夏の庭で君と

RINFAM

文字の大きさ
上 下
13 / 36

しおりを挟む
 そもそも神の名というものは、勝手に人が付けたものに過ぎない。力のある人間の付けたものや、長年、そう呼ばわれ続けて蓄積された人の想いが、神の名として言霊の力を得て定着するものだが、俺を縛る一族の者共にはそのような力がなかったのだ。

 神に神たる名を与えるは、神の力を得ることと同じ。

 千年前、俺をこの屋に封じた陰陽師は、一族の祖にそう伝えていた。そんな訳で、一族はこれまでに何度かこの俺を縛ろうと、いくつもの名を付けてみてはいたらしい。けれど残念ながら俺は、そのどれからも言霊を得ることはなく記憶もしていなかった。
 まあ、奴らに名付けられても嬉しくもなんともないから、本音では残念などと欠片も思ってはいないんだが。
「俺に名はない。あえて呼ぶなら『かむづまりの神』だ」
「かむ……なんだって?」
「ああ、もう良い。お前の好きに呼べ」
「ム…ッ、じゃあ、ど変態」
「………あのな」
「スケベ。強姦魔」
「………………」
 『俺に名はない』と言った途端、ハルは名前と言うにはあまりにふざけた呼び方を口にした。が、どうもこれは、ハルの本心からの言葉ではあるらしい。なにせ目がマジだし。
 何とも言えずに押し黙って青い目を睨み返したが、ハルは感情を見せない無表情で俺の視線を跳ね返した。おかげでハルが完全に俺へ気を許した訳ではないと解る。まあ、これが当り前だよな。仕方がない。
 1晩明けたら唐突に態度が軟化し、打ち解けてくれたように見えたから、妙に思いつつも少し心が浮き立ったのだが──どうやら俺の早とちりであったようだ。

 ハルの心は変わってない。頑なに俺を拒絶したままだ。

「…何でもかまわないが、せめて、もう少しマシな呼び名にしてくれ……」
 自業自得ながらハルの心情に少しだけ落胆を感じたものの、俺は、ともあれ呼び名だけはなんとかしなければならないと気を取り直す。
「マシな名前……?」
「そうだ。『名前』であれば、あとは適当で構わんぞ」
 所詮、人の付ける名前だ。ハルが俺をどう名付けようとも、それが言霊の力を持って俺に影響を与えることはない。だが、そうは言ってもさすがに酷い呼び名なので、俺はわざとらしくハァと息を吐いて見せると、あえて下手に出てハルに異議を申し立てをした。
「………うーん」
 するとハルは、少しだけ考える素振りを見せ、『仕方ないなぁ』と言いたげに代案を提示してきたのである。
「じゃあ、セツ」
「セツ……?」
「そう。『雪』って書いてセツ」
 またおかしな『名とも言えぬ名』を口にするのでは??と警戒していたら、ずいぶんと普通な名前が告げられ拍子抜けした。ちなみにその名には何か意味でもあるのか?と興味を覚えて尋ねると、ハルは懐かしむ目で遠くを見て教えてくれる。
「俺ん家で昔飼ってた真っ白な犬でね。俺のことをずっと守ってくれた賢い犬。ホントはアンタなんかには勿体ないけど…」
「…………犬」
 犬の名前と来た。しかも、それでも俺には勿体ないって、えらい言われようだ。内心密かに不満を覚えつつ『強姦魔よりはマシか』と、俺はハルの顔を見下ろして仕方なく頷く。ハルはそんな俺の様子を目にすると、青い目をわずかに細めて言った。
「セツはね、アンタみたいな金色の眼をしてたんだ」
「……へーえ…」
「じゃ、これからアンタのこと、セツって呼ぶね?…『セツ』…」
「……………ッッ!!??」

 ──しまった!!??またしても俺は、この少年を──ハルを侮っていたのかも知れない。

「………なに、どうかした?」
「ハル、お前……」
 微かに笑ったハルから『セツ』と呼ばれた瞬間、俺は、かつて感じた事のない感覚にめまいを覚えた。俺を包む空気と気配とが、いや、存在そのものが根本から書き換えられたような、そんな今まで1度も経験した事のない不思議な感覚。
「……………??」
「いや、なんでもない……」
 何も解かっていない顔でハルは首を傾げるが、俺は内心の動揺を彼から隠すだけで精一杯だった。そりゃそうだろう。こうやって見ていても、ハルに特別な力などないのは確かなのだ。
 それなのにこの無力な少年は、ただの人でありながら俺に、神性存在たるこの俺に──

 『真名』を与えた、のだ。

「………セツ??」
「お前は…本当に変わった奴だな……ハル」
 この瞬間から俺は──屋敷神『セツ』は、月見里陽斗という、ただ1人の少年にとってだけの『真の神』となった。一族の人間が千年をかけて出来なかった悲願を、ハルは出会ってたった3日で成し遂げてしまったのである。

 言霊の件でも少し触れたが、『真名』とは人にとって重要な意味を持つ言葉、存在そのものを指す言葉のことだ。

 そして、神にとっては『力の根源』そのものでもある。

 実をいうと、これまでの俺は『屋敷神』として封じられているだけで、人の願いを叶える力など持っていなかった。
 俺がここに封じられていることでの『御利益』とは、せいぜいが一族に連なる者共が不幸を避け、人より多くの幸運を掴める、ということくらいだったのだ。
 本来なら、それだけでも一族が繁栄するには十分すぎるのだが、人の欲と願望はどこまでも底が尽きないものである。
 彼等は様々な欲を満たす願望を持っていたがゆえに、なんとしても俺に真名を与え、真の『神』として顕現させようと躍起になっていた。座敷童とたいした違いの無い俺が、『人の願いを叶える神』となること。それが千年もの間の一族の悲願であったのだ。
 俺に花嫁を貢ぎ、思いつく限りの名を与え、一族の者総出で神と敬い讃え続ける。
 だが魂の根底に欲望を持つがゆえに、彼らの言霊が俺に届くことはなかった。

 『セツ』

 ハルが思い付きで付けたこの名が、あっさり俺の真名となったその理由は、彼が俺に対して何の期待も願いも持っていなかったからに他ならない。
 無欲で純粋であること。
 それが人の世でどれほどに尊く、稀有なものであることか。
長年人と接しながら生きてきた俺が誰よりも一番よく知っていた。
「ハル…俺はお前ただ一人の為にある」
「………は?」
 自分がどれほど凄いことをやってのけたのか、当人たるハルはまったく気付いていない。そして、おそらくこれからも一生気付くことはないだろう。
 だが、お陰で俺はハルの為に、神としての力を存分に行使することが出来るようになった。

 ハルただ一人の神『セツ』として。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

処理中です...