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呪い

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「ラトール様、あの…これからフィーリウ様を、お嬢様扱いしても大丈夫でしょうか?」
「ああ…そのことなら問題は無い。どうせ昨夜、乳母一派が捕縛された件で、偽装がバレたことは相手も察しているだろうしな」
 不安げなキアイラにそう告げると、彼女はホッとした様子で胸元を抑えた。
 まあ、彼女も衝撃の真実で取り乱していたとはいえ、さっそくフィーリウに女装…いや、女の子用のドレスを着させてしまっているしな。ていうかそのドレスどこから…って、心当たりはひとつしかないけど、とりあえず今は置いておくことにする。
 そしてたぶんキアイラは、ここへ来て俺と話しをするまで、フィーリウを本来の性別に戻すことの危険性について考えが及ばなかったのだ。

 それも無理ないことだろう。
 なにしろ俺だっていまだに、ちょっと現実を受け入れきれずにいるんだから。

「本来の性を自覚させるなら早い方が良い」
「そう……そう、ですわよね」
 問題があるとすればフィーリウ自身の心の方だけだが──それもまだ5歳になったばかりという幼さを考えれば、今後、精神的なことでの深刻な問題とはなりえないはず、と、そう俺は良い方に判断した。
 むしろ、早いうちに判明して良かったよ。
 それに、どのみち奴らのせいで、ろくな教育も施されていないようだし。これからでも淑女教育を始めれば、自然と本来の性に準じた成長を遂げるに違いなかった。
「問題は父上がどう出るかが読めないことだが…そうだな…念のため、しばらくはこのまま離れ屋敷で過ごさせてやってくれ」
「お任せくださいませ」
 プロ乳母の貫禄を見せてキアイラが胸を張る。そんな彼女を頼もしく思いながら俺は、彼女の膝枕ですっかり寝入ってしまったフィーリウの手を取った。

 触れてみれば解ることだが、小さな手は骨ばっていて痛々しい。
 顔も、大きな目ばかり目立つのは、痩せて頬がこけているせいだ。

「……………ッ」
 エルロア乳母曰く『坊ちゃまは食わず嫌いで、食事をきちんととってくれない』とのことだったが、裏ではろくに食事を与えていなかったことはすでに解っている。奴らはフィーリウの養育費をもすべて着服し、3人で共謀して私利私欲のために使っていたのだ。
 俺は愚かにもあの女のそんな虚言を信用し、その口が語る出鱈目を鵜吞みにして、フィーリウの置かれた苦境に気付かなかったことを改めて悔やんだ。
「明後日には新しい使用人も手配できる。今まで辛かった分、優しくしてやってくれ」
 乳母らを断罪すると同時に、離れ屋敷に居た使用人はすべて解雇した。虐待を見て見ぬ振りをした奴らなど、エルロア乳母らとなんら変わりがないからだ。
 今は俺が信用のおける使用人を数人、本邸から連れてきて屋敷の管理をさせているが、それだけでは到底足りるものではないので、俺自身で直接面接して新たに何人か雇うことに決めていた。
「ええ…ええ!それは当然ですけども!!ラトール様も、お顔を見せてあげてくださいね」
 フィーリウにとって一番必要なのは『家族の愛情だから』と、母性本能全開のキアイラは涙目のまま傷まし気に、膝の上で小さな寝息を立てて眠る子供を見詰めている。
「ああ…解ってる」

 こんなことになったのは、そもそも、あの日、俺が選択を間違えたがゆえなのだから。


 ──5年前、父上がフィーリウを離れ屋敷に幽閉すると決めた時、俺はあえてそれに反対しなかった。

 その理由は、当時まだ俺が10歳の子供に過ぎなかった、ということもあるにはあるが、それよりもなによりもまず、生まれたばかりの弟を守る方を優先したいと考えたからであった。
『わたくしが今日から新しい母になります。ラトール坊ちゃま、どうか仲良くしてくださいませね』
『はい。よろしくお願いいたします。義母上』
 母の死から間もないというのに、愛人を再婚相手として家へ入れた父を、息子である俺が少しでもよく思うはずがなかった。けれど『父もまた寂しいのかも知れない』と考え、表面上だけでも取り繕って義母と接することくらいは子供の俺にも出来たから──

 しかし、残念ながら義母に心を赦すことは出来なかった。

 何故なら当時から俺は、『義母がフィーリウを虐待するかも知れない』と危ぶんでいたからだ。

 嫡男である俺へはあからさまに媚びるくせに、生まれて間もないフィーリウを見る目には、嫌悪どころか憎悪すら感じさせる義母。そんな二面性を見せる彼女に、信頼などおけようはずもなかった。
 今にして考えてみると、彼女はフィーリウが実は女の子だと、当時からすでに知っていたのだろう。
 もしかすると自分の産んだ子と同じく、『可能性を秘めた女の子供』を、早いうちから排除したかったのかも知れない。

 当時はそこまでの理由は解らなかった俺だが、弟に危険が迫っていることだけは直感的に解った。
 俺が付きっきりで守ってやれれば良かったが、その頃の俺は、詰め込み気味の後継者教育で、ろくな自由時間もない有様だったのだ。
 それならばいっそ、離れ屋敷の方が保護しやすいかも知れない。そう考えて父上の暴挙に反対しなかったのだが、まさか義母がフィーリウの生まれる前から、屋敷内に手下を潜り込ませていたとは思わなかった。
 
 そう、まだハッキリした証言こそ得られていないが、エルロア乳母一派は義母の手の者だったのだ。

「奴らはまだ口を割らないか?」
「はッ……なかなかに強情でして」
 本邸へ戻った俺は部屋へ入るなり、護衛の者に事後経過を報告させた。
 もちろん屋敷の地下牢に入れた、エルロアらの取り調べについての話だ。
 彼女らには窃盗とフィーリウへの虐待、及び、殺人未遂疑惑も込みで罪を問うつもりでいるが、その前にまずは裏の背景を明らかにせねばならなかった。

 必ずそこには義母の存在があるはずだからと、今も尋問と取り調べを行っている真っ最中なのだ。

「八龍家の長達はなんと?」
 机の前に立つ護衛の者に報告を促した。
それは彼の所属する一族の長らが、今回の件をどう判断しているかの確認であった。


 『八龍家』とは、この国の武を担う一族のことだ。

 この国では皇王や四聖公を守護する親衛隊、騎士団、町を守る警備兵や衛兵など、そういった武力を持つ集団の一切は、すべて八龍家が育成、統括しているのである。
 八龍家は『ナーダ』『パナン』『サガラ』『ヴァース』『タクシャ』『アナヴァー』『マナス』『ウパス』の8家からなる一族で、彼らのその忠誠は例外なく『神聖皇王』に捧げられていた。

 それも、もはや『信仰』に近いレベルで。

 何故なら『伝承』によると彼ら八龍家の始祖は、初代神聖皇王の直属の部下だったのだ。
 いわば神に仕えた使徒の子孫。
 であるからただの人間に過ぎない皇王や四聖公など、彼らにとって神である神聖皇王の復活を待つ間の『仮の主人』に過ぎない訳だ。
 もちろん、表面的にそういう見下した言動や態度を見せたり、警護や命令をおろそかにしたりする行為は決してしない。たとえそれが仮の主人であっても、誠心誠意命を賭けて仕えるのが、彼ら八龍家の厳正なる掟であったからだ。

 もちろんそんな彼らの忠誠も、神聖皇王が降臨されるまでの間の話であろうが。

 ちなみに蛇足だが、この国にはさらに十六氏族という一族がいる。
 彼ら16家の役割は国民の生活に欠かせない、政治機関を運営することだ。商人ギルド、職人ギルド、冒険者ギルドなどが主なものだが、その他、様々な役割を彼ら16家一族が執り行っている。
 皇王と議会が採決した法律などを、実際に執行するのも彼らの仕事だ。

 国にとっては重要な話ではあるが、とりあえず、今は関係ないので、ここまでにしておく。

  
「はい。長達はみな『彼奴らの罪は明白にして重罪であると』…ただ、どうも乳母連中には何か…戒めのようなものが施されているようなのです。例えば、そう…呪術、のような…」
「呪術だと…ッ!?」

 それが本当であるなら、義母は国家規模の罪を犯していることになる。
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