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5歳になった僕
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そういえば、いつだったか、メイドが言っていた。
兄上がこうしてたまに様子を見に来るのは、僕が良い子でいるか確認に来ているからだと。
「坊ちゃまが大人しく良い子でいれば、きっとご主人様は坊ちゃまを本邸に呼んでくださるはず。そうなさらないということは、坊ちゃまが悪い子だからに決まっています」
何をどうすれば良い子と認めて貰えるのか。
メイドも執事も具体的なことは何一つ教えてはくれなかったけど。
とにかく彼らの言いつけを守っていれば、いつか兄上が僕を本邸に呼んでくれるかもしれない。
兄弟一緒に暮らせる日が来るかも知れない。
そんなささやかな望みを僕は、死ぬ一瞬前まで胸に抱いていた。
何年も何年も。
馬鹿みたいに。
そして15歳になったある日、僕は唐突な死を迎えた。
死の要因となった事件も、その状況も良く解らないし、もはやどうでも良かった。
一人で死ぬのは寂しかったけれど、死ねば楽になるとの思いもあった。
そういえば最後に、兄上の声を聴いた気もする。
その声はひどく動揺していて、色んな感情で揺れていた。
そんなはずないけど。
僕の脳が死の間際に、僕の望みを叶えたに過ぎないと、解っているけども。
でも僕は、僕を思う兄上の声を聴きながら、幸せに死ねたと──思っていた。
「坊ちゃま、早く起きてください!!」
「…………え」
その日の朝、ヒステリックな女の声で、ベッドから叩き起こされるまでは。
「ホントに手間かけさせないで下さい」
「え……エルロア…?」
乱暴に揺さぶられて目を覚ますと、眉間に皺を寄せた乳母エルロアの顔が視界に入った。
いつものメイド…ロザリアも、すぐ側に控えてこっちを睨んでいる。
なんだろ、これ。走馬灯の続きかな。
ぼんやりと寝起きの頭でそう考えていると、乳母は憎々し気に僕の二の腕を抓って怒鳴った。
「まだ寝ぼけてるんですか!?坊ちゃま!」
「…………ッッ」
痛い。夢じゃ、ない??
でも、おかしい。
乳母はとっくに辞めてしまって、今はメイドのロザリアしか、僕の世話をしていないはずなのに。
それにロザリアも、なんか若いような気がする。
「さあさあ、早く起きてお顔を洗ってください。はぁ、まったくいつになったら、この乳母の手を煩わせないようになってくださるのやら…」
「ご…ごめん…なしゃい」
反射的に謝ってから自分の声に驚く。
舌足らずで幼い声は、僕の今の声とは違っていた。
ちょっと待って、これ、本当に僕の声??
思わず口に当てた掌を見て、さらに僕は驚いてしまう
「え………?」
寸詰まりな小さな手。どう見ても15歳の僕の手と違う。
死の直前に見た僕の手はもっと大きくて、でも物凄く痩せ細っていて、骨と皮みたいに艶もなく荒れていたはずなのに。
「さあさあ、急いで。今日は坊ちゃまの5歳の誕生日ですよ。お兄上がいらっしゃる前に、身支度を整えなくてはいけませんからね!!」
「…………ッ!?」
5歳??
15歳の間違いでは??
乳母の苛立った声に驚きつつも僕は、雑に差し出された洗顔用の冷たい水の入った器を覗き込んだ。するとそこには、おぼろげな記憶にある、子供の頃の僕の顔が……!
ガリガリに痩せ細り、目ばかり大きくて、死神みたいな15歳の僕ではなく、5歳にしては小さいが、まだしも子供らしい面影をわずかに残した、5歳の僕の顔が揺れる水面に写り込んでいたのである。
「誕生日おめでとう、フィーリウ」
「…………」
豪勢に盛られた食卓の上を見渡しつつ、僕は未だに何が起こったのか解らず混乱していた。
というか、その想いはさらに加速しつつある。
何故なら、
「お前の好きそうなものを、いっぱい用意したからな。好きなだけ食べろ」
「に…にいさま……??」
僕の『すぐ隣』の席に座った兄上が、有り得ないくらいニコニコと笑っていたからだ。
あの『冷徹な黒の宰相』『人の姿をした冷気』とまで呼ばれた兄上が、こんな人並みの少年みたいに朗らかに笑っているだなんて!?
「……………????」
え??えっ??
確かに子供の頃の記憶は曖昧でおぼろげだけど、兄上っててこんな風に僕の前で笑う人だっただろうか??この幼い子供の身体といい、兄上の意外過ぎる様子といい、目覚めてからの僕の混乱には、ますます拍車がかかる一方だった。
「にいさま………」
ううん。やっぱりこれは、僕が死ぬ前に見ている夢の続きかも知れない。
僕が夢に見た、幸せな世界。死ぬ瞬間まで抱いていたその願望を、哀れに思ったこの世界の神が、最後に夢として見せてくれているのかも。
ああ、でも。それでも、構わない。
夢でも良いから、ずっと見ていたい。
「フィーリウ!?どうした??」
きゅうっと胸が苦しく締め付けられ、それへ押し出されるように涙が溢れた。
そんな僕の様子に兄上が驚き、心配そうな顔で慌てている。
こんな親近感に溢れた兄上を、僕は知らない。見たことがない。
僕が知っているのは、いつだって無表情で、冷静、冷徹で。
常に『完璧な当主』として振舞う、兄上の姿だけだったから。
でも、ああ、そうか。
もしかしたら、僕は、僕が、知らずにいただけかもしれない。
本当は、本当の兄上はもっとずっと、温かく優しい心の持ち主だったのかも──
「嬉しかっただけでしす…にいさま、お祝い、ありがとう」
「フィーリウ…」
解ってる。こんなのたぶん、自分とって都合がいいだけの解釈、心地よい言葉のみを詰めた偽物ばかりの宝物。ても、それでも僕は、嬉しかった。
最後にこんな夢を見れるのなら、死ぬのも悪くないとさえ思ったのに。
なのに。
「兄上様の前であのようにみっともない姿をお晒しになるとは。反省なさい、坊ちゃま!!」
兄上と2人だけの誕生日パーティー。幸せな、幸せな世界の楽しい一時。
それが終わった直後に、悪鬼の如く顔を歪めた乳母の顔を目にした僕は、ひょっとしてこれはただの夢ではないのではないか??と気付かされたのだった。
幸せ過ぎる兄上との誕生日と、直後の乳母による仕置き。
あれから僕は3日も物置に閉じ込められ、その間、最低限の水と食物しか与えられなかった。
そうして目覚めて9日が過ぎるころには、さすがの僕も、これが夢なんかではないという現実を受け入れざるを得なくなっていたのである。
「これ、どういうこと……」
これが死ぬ間際の夢であるなら、こんな酷い夢を見続ける訳がなかった。
それに、いつまで経っても、一向に夢が終わらないのもおかしいし。
「さあさ、お坊ちゃま、きちんと召し上がって下さいね」
死の夢から覚めて、10日目の朝。
にやにやと薄笑いを浮かべるメイド、ロザリアの手には、嫌な臭いを放つ残飯のようなもの。
それを彼女は『僕の餌』だと言い、音を立てて乱暴にテーブルの上へ置いた。
「美味しそうでございましょう?シェフが3日前に作った最高級のお料理ですから、きっと舌の肥えたお坊ちゃまにもご満足いただけると思いますわ」
「……………」
シェフは確かに最高の食材で、最高の料理を作ったに違いない。だが、すでに季節は夏に近い。こんな暑い時期に3日も放置すれば、こんな据えた匂いがする状態になるのは解り切っていた。
だというのにロザリアも、そしておそらく、乳母も執事も他の使用人らも、知らぬ顔でこんな物を僕に食べさせようとする。
色の悪くなった肉らしきものからは、明らかな腐臭。
空腹に負けて食べようものなら、腹を壊して逆に体力を消耗するだろう。
いや、下手したら死ぬかもしれない。
結果と未来が解っていても、以前の僕は──そう、おそらくは僕は死後、時間を逆行したのであろう──その逆行前の幼かった頃の僕なら、愚かにも彼らの悪意に大人しく従っていただろう。
どうなるか解っていても、空腹を堪えきれずに。
兄上がこうしてたまに様子を見に来るのは、僕が良い子でいるか確認に来ているからだと。
「坊ちゃまが大人しく良い子でいれば、きっとご主人様は坊ちゃまを本邸に呼んでくださるはず。そうなさらないということは、坊ちゃまが悪い子だからに決まっています」
何をどうすれば良い子と認めて貰えるのか。
メイドも執事も具体的なことは何一つ教えてはくれなかったけど。
とにかく彼らの言いつけを守っていれば、いつか兄上が僕を本邸に呼んでくれるかもしれない。
兄弟一緒に暮らせる日が来るかも知れない。
そんなささやかな望みを僕は、死ぬ一瞬前まで胸に抱いていた。
何年も何年も。
馬鹿みたいに。
そして15歳になったある日、僕は唐突な死を迎えた。
死の要因となった事件も、その状況も良く解らないし、もはやどうでも良かった。
一人で死ぬのは寂しかったけれど、死ねば楽になるとの思いもあった。
そういえば最後に、兄上の声を聴いた気もする。
その声はひどく動揺していて、色んな感情で揺れていた。
そんなはずないけど。
僕の脳が死の間際に、僕の望みを叶えたに過ぎないと、解っているけども。
でも僕は、僕を思う兄上の声を聴きながら、幸せに死ねたと──思っていた。
「坊ちゃま、早く起きてください!!」
「…………え」
その日の朝、ヒステリックな女の声で、ベッドから叩き起こされるまでは。
「ホントに手間かけさせないで下さい」
「え……エルロア…?」
乱暴に揺さぶられて目を覚ますと、眉間に皺を寄せた乳母エルロアの顔が視界に入った。
いつものメイド…ロザリアも、すぐ側に控えてこっちを睨んでいる。
なんだろ、これ。走馬灯の続きかな。
ぼんやりと寝起きの頭でそう考えていると、乳母は憎々し気に僕の二の腕を抓って怒鳴った。
「まだ寝ぼけてるんですか!?坊ちゃま!」
「…………ッッ」
痛い。夢じゃ、ない??
でも、おかしい。
乳母はとっくに辞めてしまって、今はメイドのロザリアしか、僕の世話をしていないはずなのに。
それにロザリアも、なんか若いような気がする。
「さあさあ、早く起きてお顔を洗ってください。はぁ、まったくいつになったら、この乳母の手を煩わせないようになってくださるのやら…」
「ご…ごめん…なしゃい」
反射的に謝ってから自分の声に驚く。
舌足らずで幼い声は、僕の今の声とは違っていた。
ちょっと待って、これ、本当に僕の声??
思わず口に当てた掌を見て、さらに僕は驚いてしまう
「え………?」
寸詰まりな小さな手。どう見ても15歳の僕の手と違う。
死の直前に見た僕の手はもっと大きくて、でも物凄く痩せ細っていて、骨と皮みたいに艶もなく荒れていたはずなのに。
「さあさあ、急いで。今日は坊ちゃまの5歳の誕生日ですよ。お兄上がいらっしゃる前に、身支度を整えなくてはいけませんからね!!」
「…………ッ!?」
5歳??
15歳の間違いでは??
乳母の苛立った声に驚きつつも僕は、雑に差し出された洗顔用の冷たい水の入った器を覗き込んだ。するとそこには、おぼろげな記憶にある、子供の頃の僕の顔が……!
ガリガリに痩せ細り、目ばかり大きくて、死神みたいな15歳の僕ではなく、5歳にしては小さいが、まだしも子供らしい面影をわずかに残した、5歳の僕の顔が揺れる水面に写り込んでいたのである。
「誕生日おめでとう、フィーリウ」
「…………」
豪勢に盛られた食卓の上を見渡しつつ、僕は未だに何が起こったのか解らず混乱していた。
というか、その想いはさらに加速しつつある。
何故なら、
「お前の好きそうなものを、いっぱい用意したからな。好きなだけ食べろ」
「に…にいさま……??」
僕の『すぐ隣』の席に座った兄上が、有り得ないくらいニコニコと笑っていたからだ。
あの『冷徹な黒の宰相』『人の姿をした冷気』とまで呼ばれた兄上が、こんな人並みの少年みたいに朗らかに笑っているだなんて!?
「……………????」
え??えっ??
確かに子供の頃の記憶は曖昧でおぼろげだけど、兄上っててこんな風に僕の前で笑う人だっただろうか??この幼い子供の身体といい、兄上の意外過ぎる様子といい、目覚めてからの僕の混乱には、ますます拍車がかかる一方だった。
「にいさま………」
ううん。やっぱりこれは、僕が死ぬ前に見ている夢の続きかも知れない。
僕が夢に見た、幸せな世界。死ぬ瞬間まで抱いていたその願望を、哀れに思ったこの世界の神が、最後に夢として見せてくれているのかも。
ああ、でも。それでも、構わない。
夢でも良いから、ずっと見ていたい。
「フィーリウ!?どうした??」
きゅうっと胸が苦しく締め付けられ、それへ押し出されるように涙が溢れた。
そんな僕の様子に兄上が驚き、心配そうな顔で慌てている。
こんな親近感に溢れた兄上を、僕は知らない。見たことがない。
僕が知っているのは、いつだって無表情で、冷静、冷徹で。
常に『完璧な当主』として振舞う、兄上の姿だけだったから。
でも、ああ、そうか。
もしかしたら、僕は、僕が、知らずにいただけかもしれない。
本当は、本当の兄上はもっとずっと、温かく優しい心の持ち主だったのかも──
「嬉しかっただけでしす…にいさま、お祝い、ありがとう」
「フィーリウ…」
解ってる。こんなのたぶん、自分とって都合がいいだけの解釈、心地よい言葉のみを詰めた偽物ばかりの宝物。ても、それでも僕は、嬉しかった。
最後にこんな夢を見れるのなら、死ぬのも悪くないとさえ思ったのに。
なのに。
「兄上様の前であのようにみっともない姿をお晒しになるとは。反省なさい、坊ちゃま!!」
兄上と2人だけの誕生日パーティー。幸せな、幸せな世界の楽しい一時。
それが終わった直後に、悪鬼の如く顔を歪めた乳母の顔を目にした僕は、ひょっとしてこれはただの夢ではないのではないか??と気付かされたのだった。
幸せ過ぎる兄上との誕生日と、直後の乳母による仕置き。
あれから僕は3日も物置に閉じ込められ、その間、最低限の水と食物しか与えられなかった。
そうして目覚めて9日が過ぎるころには、さすがの僕も、これが夢なんかではないという現実を受け入れざるを得なくなっていたのである。
「これ、どういうこと……」
これが死ぬ間際の夢であるなら、こんな酷い夢を見続ける訳がなかった。
それに、いつまで経っても、一向に夢が終わらないのもおかしいし。
「さあさ、お坊ちゃま、きちんと召し上がって下さいね」
死の夢から覚めて、10日目の朝。
にやにやと薄笑いを浮かべるメイド、ロザリアの手には、嫌な臭いを放つ残飯のようなもの。
それを彼女は『僕の餌』だと言い、音を立てて乱暴にテーブルの上へ置いた。
「美味しそうでございましょう?シェフが3日前に作った最高級のお料理ですから、きっと舌の肥えたお坊ちゃまにもご満足いただけると思いますわ」
「……………」
シェフは確かに最高の食材で、最高の料理を作ったに違いない。だが、すでに季節は夏に近い。こんな暑い時期に3日も放置すれば、こんな据えた匂いがする状態になるのは解り切っていた。
だというのにロザリアも、そしておそらく、乳母も執事も他の使用人らも、知らぬ顔でこんな物を僕に食べさせようとする。
色の悪くなった肉らしきものからは、明らかな腐臭。
空腹に負けて食べようものなら、腹を壊して逆に体力を消耗するだろう。
いや、下手したら死ぬかもしれない。
結果と未来が解っていても、以前の僕は──そう、おそらくは僕は死後、時間を逆行したのであろう──その逆行前の幼かった頃の僕なら、愚かにも彼らの悪意に大人しく従っていただろう。
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