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秋葉原の日常

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 朝だ。
 まろやかな微睡みを切り裂く目覚ましの電子音で起こされたクレイジージャックは、大きなあくびを一つ入れてから目を開けた。
 すぐ耳元で鳴り叫ぶアラームを泊め、時間を見ると、午前一〇時。僅かな隙間からは、陽射しが入り込んできていた。

「ん、んー……ああ、良く寝た」

 ガタガタと音を立て、クレイジージャックはロッカーの戸を内側から開けて出た。
 身体をゴキゴキと鳴らし、ストレッチしながらシャワーへ向かう。
 このロッカールーム、営業していた頃は完全に窓にはカーテンが敷かれてクローズされていた。だが、今は完全にオープンで、アキバに降り注ぐ陽射しをオールスルーしている。

「きゃあああああああっ!?」

 そこで悲鳴が起こった。
 誓ってクレイジージャックのものではない。本物の黄色い悲鳴、女性のものだ。
 ロッカールームとシャワー室を繋ぐドアの前で、ぴちぴちの制服に身を包む女が赤い顔を両手で覆って座りこんでいる。

 さすがに寝起きで耳が痛くなるような大声は、クレイジージャックの機嫌を損ねた。

 彼は耳を小指でほじくりながら、不快を隠さずに座り込む女──サンダーソニアを見下ろした。

「なぁ、何してんのアンタ。朝から丸見えかくれんぼか?」
「そ、そそそれはこっちのセリフですぅ! なんでそんな格好……っ、ていうか、どこから来たんですか!」
「そこのロッカーからだけど?」

 さも当然とクレイジージャックは答えるが、サンダーソニアはぴたりと硬直する。

「そこの、ロッカー」
「そこの、ロッカー」

 反芻する彼女の言葉をさらに反芻すると、今度は沈黙がやってきた。
 クレイジージャックは耳から小指を抜いて観察する。何もついていない。それでも一応ふっと息を吹きかけておいて、またサンダーソニアを見る。だが、今だ硬直したままである。

「と、とりあえず、服を着てくださいぃ」
「断る。ここは俺の家だぞ。俺が好きなようにして何が悪い」
「そ、そんなぁ」
「後、俺は風呂に入るんだ。どけ。っていうか、なんでこんな時間からいるんだよ」

 クレイジージャックは呆れながら訊ねる。

「え、いやだって、私ここで暮らしてますし」
「おっとちょっと待て。俺はいつからリア充になったんだ? でも俺の腕枕には何もいないんだけど、なんで? いや、それはともかく、お前どこで寝てたんだよ」
「あ、何もなかったお部屋をお借りしました。元はトレーニングルームだったんでしょうけど」
「そこは今も昔もトレーニングルームだ」

 言い切ってから、クレイジージャックはトレーニングルームに向かう。ロッカールームから出ればすぐである。
 サンダーソニアの制止を振り切って、クレイジージャックは扉を開けた。

「な、なんじゃこれ……」

 いつもであれば、無機質な床があるだけのトレーニングルーム。
 それが、所狭しとぬいぐるみが並び、可愛らしいフリルのついたベッドやテーブル等、とても可愛らしい内装に変化していた。

「なんだこの全力ファンシーは! ふざけてんのか!」
「そんな、ふざけてなんていませんよ! 女の子の部屋なんですから! っていうか、勝手に入っちゃダメですよぉ?」
「ダメも何もそもそも俺の家だぞ! つか、俺は許可した覚えなんてねぇぞ!」

 クレイジージャックは不機嫌を一切隠さずにがなり倒すと、サンダーソニアは怯えて両手を胸元で固めながらも、首を傾げる。

「え、だってお目付け役として頑張れって許可したじゃないですか」
「それで何がどうなって俺の家に住み着くことになるんだ! くそっ! ふざけんな、なんでこの俺がこんな常識的なツッコミをさせられてんだ!?」
「それは良いことなんじゃ?」
「お前はオドオドしてるくせに高速で言葉を漏らす口を少し制御して後数mm考えたらどうだ? 俺が常識的なツッコミしてるってことは、お前は俺以上にヤバいってことだぞ」

 クレイジージャックが指摘したとたん、サンダーソニアはころころと笑った。

「まさかぁ、そんなことあるはずないじゃないですか。っと振り返らないでください。撃ちますよぅ」

 反射的に動こうとしたクレイジージャックにゴリゴリと銃口を押し当てながら、サンダーソニアは困ったように言う。
 これが狙っての行動であれば大した演技力だが、クレイジージャック自慢の鼻はそういった臭みを感じなかった。つまり天然である。

 ──クレイジーだ。

 クレイジージャックは呆れて項垂れる。

「COSSeFの連中は何を考えてやがるんだ? こんな頭のネジが何本もぶっ飛んだヤツをエージェントなんかにしやがった? いや、これはアレか、対俺用か。ちくしょう、だとしたら最高イカすぜ!」
「一人で何をブツブツ言ってるんですか……」
「いかにイケてるかって話だ」

 端的に答えると、クレイジージャックの腹が鳴った。

「……どっか食べに行くか」
「もちろん同行します」
「好きにしろ。後、伏せるか何かしてろ。風呂に入るんだ、俺は」


 ◇◇◇◇◇


 アキバ。秋葉原。
 いつからか、ここはオタクの聖地になった。アニメ、小説、漫画、フィギュア、グッズ。元々はラジオといった電化製品のコアな部品ショップが立ち並ぶエリアだったのだが。もちろんそういった店も息づいてはいるが、やはり主流はそっちだ。

 クレイジージャックはその頃のアキバを知らない。

 だから、別段アキバの歴史にはさして興味がない。あるとすれば、今日の飯をどこで食べるか、ぐらいだ。
 アキバはオタクの聖地だが、同時にグルメの点からいっても侮れない。有名なカツ屋や絶品スープカレー、果てはファーストフードや露店まで。様々なグルメが集まっていた。
 今や一大観光スポットなのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。

 そんなアキバは、休日というのもあって酷く賑わっていた。
 JRの電気街口付近では、少し歩くのに苦労するエリアもあるくらいだ。

「さーて、何を食うかな」

 そんなエリアを抜け、クレイジージャックは山手線の手前にある免税店の角を曲がる。路地裏のような狭さの道の先には、橋がある。神田ふれあい橋である。
 まさに裏道的存在のこの橋は、通り抜けると近道だった。

「ここだけ下町っぽいですね」
「まぁ、神田川だしな」

 この橋から見ると、建物は全部裏手側だ。だからこそ、剥き出しのコンクリートばかりで、どこか懐かしい。もっとも、クレイジージャックにそんな感覚はないのだが。

「で、どこへ向かうんですか」
「スープカレーカムイだよ。ボリュームもあるし、とびっきりに美味い。俺が知る中で、一番のスープカレーだ」
「へぇ、それは凄いですね」

 橋を抜け、そのままひたすら真っすぐ、山手線沿いにその店はある。
 架線下のその店は、オープン前にも関わらず行列が出来ていた。やはり、いつもより人が多い。

「うわ、結構待ちそうですね。さすが二週間の法則」
「くそメンドくせぇ。全員ぶっ倒すか」
「ダメですよ。犯罪です」

 キッパリと言い切られ、クレイジージャックは舌打ちした。

「にしても、二週間の法則、ねぇ」

 つまらなさそうに、クレイジージャックは独りごちた。
 異世界からの侵略として位置づけられている、こちら側の世界と向こうの世界――《ニア》を繋ぐ穴、《ブレイク》は、一度出現すると、その周囲を含めて二週間は最低でも再出現はしない。
 これを二週間の法則といい、安全が確保されている期間だ。
 だからこそ、人は多くなる。
 そうでない時は、やはり少ない。出現の十五分前には判明し、警報が発令されるシステムが確立されているが、やはり人々は警戒しているのだ。

 何せ、一定時間異世界に入り込めば、戻れなくなるのだから。

「それでも人の営みは続く……世界は回る。ってか? 滑稽なもんだな」
「何がですか?」
「いや、別に。この世界に対する愛を語ってたんだよ。分かるか? 愛だ」

 これはクレイジージャックの本音である。

「クソまみれで染みだらけ。排気ガスとドブ川、薄皮一枚剥げばどれも同じな、汚染物質たっぷりの人間どもの臭い。最高じゃねぇか」
「ホント、おかしい表現しますね。私は広がってくるこのカレーの匂いが好きです」

 確かに、このスパイスたっぷりの香りは、クレイジージャックにとっても魅力的だ。
 さぁ、今日はどれにするか。やはりチキンは外せない。トッピングは何があるだろうか。基本的にクレイジージャックはチーズが大好きなので、必ず入れる。臭みの少ない、ナチュラルチーズ系が好みだ。

 などと思考していると、いきなりポケットのスマホが振動した。

 とたん、クレイジージャックの機嫌が悪くなる。
 力の限り無視してやろうかと思ったが、隣には《内閣府公安》の肩書を持つ女。もし無視をしたら、何を言われるか分かったものではなかった。
 その威圧で周囲を圧迫してから、クレイジージャックはポケットからスマホを取った。

『クレイジージャック、聞こえるか』
「ああ、聞こえてるよ。今日も大阪城の堀の水より生臭い息もな」
『いきなり最悪に失礼なヤツだな、貴様は』
「とびっきりのランチ前に邪魔されたからな」
『そうか。悪いがそのランチは先延ばしだ。出動依頼だ。日本橋付近の多次元コンフリクト境界に異常な圧力を検知した。《ブレイク》だ。すでに避難誘導は始まっている』

 冷静でいて、しかし緊迫感のある声を受け、クレイジージャックは目を細める。
 いつもであれば、厳戒態勢を敷いて特務自衛隊が対処するレベルのものだ。だが、それでもクレイジージャックに依頼がくるということは、何かがあるのだ。
 そこまで看破して、クレイジージャックは口を開く。

「報酬は?」
『いつもの通り』

 返事は即答だった。
 どうやら面白そうな事態になっているようだ。クレイジージャックは思わず笑んだ。

「オーケー。それじゃ足りない。良いか、スープカレーカムイの持ち帰りで、一辛、ライス普通のチキンカレー、トッピングはトマトとチーズとポークだ。それが出来なきゃこの依頼は受け付けねぇ」
『なんだそれは……まぁいい。分かった分かった。部下に命令しておく』
「約束だぞ! 帰った時に無かったら暴れるからな!」
『とにかく駅近くの消防署へ行け、そこにヘリを持っていく』

 通話はそれで終わった。急げという言外の主張だ。
 クレイジージャックはそんな主張に、ではなく、ただ、面白そうな事態に駆り立てられて地面を蹴った。すぐにサンダーソニアがついてくる。
 盗聴していたか、事態を理解している様子だ。

「あのっ、私の分のテイクアウトは?」
「知るかんなもんっ! テメェで手配しておきやがれ!」
「ひ、ひどいっ……!」

 などと言いつつもサンダーソニアはちゃっかりスマホを取り出して操作を始めていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『日本橋付近の特殊警報発令中――避難は一〇〇%完了』
『周囲の道路封鎖完了、付近に車両なし』
『多次元コンフリクト境界、今だ異常な圧力。対抗装甲破損。カウントダウン開始』
『《音楽隊》現場上空に到着、まもなく任務開始』
『《ブレイク》対抗用特殊電磁波射撃隊、現場に急行中』

 けたたましいローター響くヘリの中で、鋭いクレイジージャックの耳は飛び交いまくる無線を全て聞いていた。
 どうも、今回の《ブレイク》は一味違うようだ。
 言い換えるなら、攻撃的。
 まるで、明らかな意思でも持っているかのような動きのようだ。だからこそ、周囲がピリピリしているのだ。

「ふーん、例の地球外生命体群サンは高度な精神性は認められない、だったよな?」
「ええ。それは何度も研究を重ねて出された結論よ。まるで多細胞のアメーバのような存在に過ぎないって、地球に侵略して、模倣して異世界を作ったのも、無意識的な生命活動であろう、って専門家たちが出した結論よ」
「未知の存在に従来の知識だけで推し量っただけの理論だろ、それは。言い換えれば、異世界《ニア》は生きてるんだろ。だったら、何があってもおかしくねぇ」

 痛烈な皮肉を浴びせると、サンダーソニアは黙り込んだ。

「まぁとにかく、それを調査するのが俺の役目なんだろ」
『そういうことだ。良く分かってるじゃないか』

 ヘリの中に、例の男の声が響いた。思わずクレイジージャックは鼻をつまむ。
 
「へいへぃ。じゃあとっとと行きますかね」

 眼下に視線を送ると、日本橋の交差点で黒く渦巻く穴が出現していた。《ブレイク》だ。
 素早く狙いをつけて、クレイジージャックはサンダーソニアの襟首を掴んだ。

「降りるぞ」
「へ?」
「カウトダウン! 三! ゼロ! ひゃっほーっ!」
「ちょっと待って、っきゃあああああああああ――――――――っ!?」

 カウントダウンを省略し、クレイジージャックは飛び降りた。





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