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第12話 不穏な気配
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二日後――。
エステルに教えてもらったトレーシングペーパーのおかげで、十冊の本全ての記憶が完了した。
後は「実行」するだけで、いくらでも書写本が量産可能だ。
そんなこんなで一息ついたので、無地の冊子を補充しなきゃなあと考えながら階下に降りていく。
その時ちょうど宿の受付で、エステルがお客さんの対応をしているところだった。
お客さんは、ふくよかなお腹が特徴的で立派な口髭を生やした四十歳くらいの男だけど……この人を俺は知っている。
「おはようございます。ストームさん。ちょうどあなたに取り次いでもらおうと」
「そうでしたか、トネルコさん。どうされました?」
この恰幅のよい男はトネルコ。街の本屋の店主だ。店主といっても、彼の店は彼と彼の奥さんの二人だけで経営している店舗になる。
俺がトネルコへ目を向けると、彼は満面の笑みを浮かべて樽のようなお腹をポーンと叩く。
「ストームさん、書写本なんですが売り切れました!」
「お、おおー」
「それどころか、予約がどんどん入ってます。今回の仕入れ分から前金で代金をお支払いしますので、なんとか仕入れさせてもらえませんか?」
「分かりました。なにぶん手作業ですので二日お待ちいただけますか?」
「はい!楽しみにお待ちしております!」
勢いよく頭を下げた後、意気揚々とトネルコは帰って行った。
呆気にとられて感情が出てこなかったけど、彼の姿が見えなくなってからようやく俺にも実感が湧いてくる。
売れた、売れたのか!
小さくガッツポーズをして喜びを噛み締めて……ん、視線を感じる。
目を向けると、にこおっと微笑ましそうに俺を眺めるエステルの姿……。
「う……」
そうだった。エステルがいたことをすっかり忘れていたぞ。
恥ずかしさから頰が熱くなる。
じとーっと恨めしそうな目でエステルを見ていると、彼女はあからさまに目を逸らし「えーと」とかワザとらしい声を出しながら受付カウンターを両手でスリスリとしていた。
「ストームさん、トネルコさんから本のお代を預かってます」
「ありがとう」
微妙な雰囲気の中、俺はエステルから小さな布袋を受け取る。
「じゃ、じゃあ、このお金で無地の冊子を仕入れてくる」
「は、はい。いってらっしゃいませ」
俺とエステルはお互いにぎこちない仕草で手を振るのだった。
◆◆◆
トネルコが訪ねて来てから三週間が経つ。
彼が来た翌日には他の二店の店主も訪ねて来て、トネルコの店と同じように書写本は全て売り切れ、予約が入っていると嬉しい悲鳴を伝えてくれた。
そんなわけで、俺はひたすら書写を繰り返し納品していたわけなんだが……本はまだまだ飛ぶように売れているとのこと。値段設定が良かったのか、在庫がすぐに補充されることが喜ばれたのかバカ売れした理由は不明だ。
俺にとって「売れた理由」は特に知る必要はないと思っている。それより「売れた事実」こそ重要なんだ。
売るだけではなく、三週間の間に扱う本の種類も十ほど増やしている。七冊がにゃんこ先生から新たに預かった本で、残り三冊はトネルコから依頼されたものになる。トネルコから依頼されたものは、これまでと趣が異なる本で大衆向けの物語を扱った本だった。
物語の内容は意外や意外、とても熱中できるもので俺にとっても意外な驚きだった。読んでいて面白いものは「記憶」する時も楽しい!
といっても、いい事ばかりではない。
昨日のことだ。屋根裏に人の気配を感じたんだよ。
幸い部屋に侵入された形跡はなかった。俺は森での生活から、部屋に何者か入った形跡があるかどうかに敏感なのだ。
例えば、エステルは毎日俺の宿泊している部屋を掃除するが、彼女が掃除を終えた後、俺は必ず物の配置と床の形状を確認しているからな。
大方、誰の差し金か予想はついている。俺が順調に儲けを増やしていて、どうやって書写本を短時間で大量に作っているのかを盗みに来たのだろう。
こちらが一人でやっているってことも既に調べられているに違いない。脅す前にまず手口を真似できるか見に来たってわけだ。
予想通りの動き過ぎて笑いが出てきた。
俺の中にどす黒い何かが流れてくる……まずは、こそこそと隠れている奴を捕らえるか……。ふふふ。
暗い笑みを浮かべ、俺は今晩のことを考えながらベッドに腰かけるのだった。
◆◆◆
意外だ。夜が更けてから行動に移すと思っていたが、下手人は夕飯を食べ部屋に戻ると室内にいた。
この部屋は魔法の灯りで照らされ、本が読める程度に明るさがある。
俺は何食わぬ顔で椅子に腰かけ、机に置いてある無地の冊子を手に取り眺めるフリをした。
下手人が俺の真後ろに立っているのが分かる。しかし、奴が今どのような体勢になっているのかは分からない。
振り返ったとしても同じことだ。
何故なら――
――下手人の「姿は見えない」から。
そう、奴の姿形はまるで見えない。部屋に入った時、気配はするのに姿が見えず思わず首を捻りそうになった。
透明で魔法の灯りさえ素通りするから、影も映らないのだ。それに加え、歩いて俺の傍まで移動したというのに足音も聞こえない。忍び足で歩いているから聞こえないと思うかもしれないが、俺の耳は獣の足音でさえ聞き逃さないほど鍛えられているんだ。
集中して耳をそばだてれば、どんな小さな音でも聞き逃さない自信がある。
なるほど。姿と音を消すことができるスキルを持っているってことか。面白い。
しかし、相手が悪かったな。俺がどんな場所で三年間生き抜いていたのか少しでも考えれば、別の諜報員を送り込んだだろうに。
肩を竦めそうになるのをグッと堪え、引き出しから羽ペンを取り出すフリをして、あらかじめ準備していた投げ網を掴み後方に向けて放り投げた。
バサリと網がかぶさる音がして、網が人型を形つくる。
お、姿が消えていても物理的な物は通さないってことか。
網に囚われた下手人はバタバタと手を揺らしているようだが、そう簡単に網は振りほどけないぞ。
「姿を現せ。さもないと……」
俺は網を睨みつけ、引き出しからナイフを出し構える。
しかし、網の中からは反応が無い。
なるほど、なるほど。そういうつもりか、別に構わないさ。
「どこに刺さるか分からないけど、ナイフをそっちに投げるがいいか?」
ニタアと自分の考え得る限りの悪そうな顔をして、ナイフをチラつかせる。
すると観念したのか、網の中から人の姿が現れた。
出て来たのは俺の胸くらいまでの背丈しかない小柄な体躯をした黒装束。口元を黒い布で覆っていてキリっとした釣り目と意思の強そうな眉しか確認できない。
頭も黒頭巾を被っているからどんな髪形をしているかとか不明。体つきはほっそりとしていて華奢だった。
「な、何故、拙者の姿が分かったのです?」
目を見開き驚いたように黒装束は呟く。
声からして、こいつはかなり若いと思う。何故なら声変わりをしていない少年のような声だったのだから。
「姿と音を消しても、気配と匂いは消えていない。まさに頭隠して尻隠さずってやつだよ」
「今まで拙者のことに気が付いた御仁などいなかった……」
「それは相手が甘すぎだ。知っているか? 夜は暗いんだ」
「一体何がいいたいんでござるか?」
「簡単なことだよ。魔の森の夜は真っ暗闇。しかし、モンスターの中には夜行性のものも多数いるってことさ。そいつらは抜群に音を消すのがうまい。今のお前と同じようにな」
「き、規格外過ぎるでござる……。相手はたかが冒険者と聞いていたのですが……」
「残念だったな。さて、お仕置きの時間だ」
「……」
俺はワザとらしく肩を竦め、ナイフを黒装束に見えるようにして上下に揺らす。
「大人しく言うことを聞くなら、傷一つなくお帰りいただこうと思っている」
「……」
「まずは、頭巾を取って名前を名乗れ」
黒装束は渋々と言った風に頭巾と口元の黒い布を取る。
予想通り、黒装束は十代半ばほどの少年だった。肩口で切りそろえた黒髪に、スッキリとした鼻筋、小さめの口……と中性的な顔立ちをしている。
「拙者は千鳥と申す」
黒装束――千鳥は憮然とした顔で自分の名前を名乗るのだった。
エステルに教えてもらったトレーシングペーパーのおかげで、十冊の本全ての記憶が完了した。
後は「実行」するだけで、いくらでも書写本が量産可能だ。
そんなこんなで一息ついたので、無地の冊子を補充しなきゃなあと考えながら階下に降りていく。
その時ちょうど宿の受付で、エステルがお客さんの対応をしているところだった。
お客さんは、ふくよかなお腹が特徴的で立派な口髭を生やした四十歳くらいの男だけど……この人を俺は知っている。
「おはようございます。ストームさん。ちょうどあなたに取り次いでもらおうと」
「そうでしたか、トネルコさん。どうされました?」
この恰幅のよい男はトネルコ。街の本屋の店主だ。店主といっても、彼の店は彼と彼の奥さんの二人だけで経営している店舗になる。
俺がトネルコへ目を向けると、彼は満面の笑みを浮かべて樽のようなお腹をポーンと叩く。
「ストームさん、書写本なんですが売り切れました!」
「お、おおー」
「それどころか、予約がどんどん入ってます。今回の仕入れ分から前金で代金をお支払いしますので、なんとか仕入れさせてもらえませんか?」
「分かりました。なにぶん手作業ですので二日お待ちいただけますか?」
「はい!楽しみにお待ちしております!」
勢いよく頭を下げた後、意気揚々とトネルコは帰って行った。
呆気にとられて感情が出てこなかったけど、彼の姿が見えなくなってからようやく俺にも実感が湧いてくる。
売れた、売れたのか!
小さくガッツポーズをして喜びを噛み締めて……ん、視線を感じる。
目を向けると、にこおっと微笑ましそうに俺を眺めるエステルの姿……。
「う……」
そうだった。エステルがいたことをすっかり忘れていたぞ。
恥ずかしさから頰が熱くなる。
じとーっと恨めしそうな目でエステルを見ていると、彼女はあからさまに目を逸らし「えーと」とかワザとらしい声を出しながら受付カウンターを両手でスリスリとしていた。
「ストームさん、トネルコさんから本のお代を預かってます」
「ありがとう」
微妙な雰囲気の中、俺はエステルから小さな布袋を受け取る。
「じゃ、じゃあ、このお金で無地の冊子を仕入れてくる」
「は、はい。いってらっしゃいませ」
俺とエステルはお互いにぎこちない仕草で手を振るのだった。
◆◆◆
トネルコが訪ねて来てから三週間が経つ。
彼が来た翌日には他の二店の店主も訪ねて来て、トネルコの店と同じように書写本は全て売り切れ、予約が入っていると嬉しい悲鳴を伝えてくれた。
そんなわけで、俺はひたすら書写を繰り返し納品していたわけなんだが……本はまだまだ飛ぶように売れているとのこと。値段設定が良かったのか、在庫がすぐに補充されることが喜ばれたのかバカ売れした理由は不明だ。
俺にとって「売れた理由」は特に知る必要はないと思っている。それより「売れた事実」こそ重要なんだ。
売るだけではなく、三週間の間に扱う本の種類も十ほど増やしている。七冊がにゃんこ先生から新たに預かった本で、残り三冊はトネルコから依頼されたものになる。トネルコから依頼されたものは、これまでと趣が異なる本で大衆向けの物語を扱った本だった。
物語の内容は意外や意外、とても熱中できるもので俺にとっても意外な驚きだった。読んでいて面白いものは「記憶」する時も楽しい!
といっても、いい事ばかりではない。
昨日のことだ。屋根裏に人の気配を感じたんだよ。
幸い部屋に侵入された形跡はなかった。俺は森での生活から、部屋に何者か入った形跡があるかどうかに敏感なのだ。
例えば、エステルは毎日俺の宿泊している部屋を掃除するが、彼女が掃除を終えた後、俺は必ず物の配置と床の形状を確認しているからな。
大方、誰の差し金か予想はついている。俺が順調に儲けを増やしていて、どうやって書写本を短時間で大量に作っているのかを盗みに来たのだろう。
こちらが一人でやっているってことも既に調べられているに違いない。脅す前にまず手口を真似できるか見に来たってわけだ。
予想通りの動き過ぎて笑いが出てきた。
俺の中にどす黒い何かが流れてくる……まずは、こそこそと隠れている奴を捕らえるか……。ふふふ。
暗い笑みを浮かべ、俺は今晩のことを考えながらベッドに腰かけるのだった。
◆◆◆
意外だ。夜が更けてから行動に移すと思っていたが、下手人は夕飯を食べ部屋に戻ると室内にいた。
この部屋は魔法の灯りで照らされ、本が読める程度に明るさがある。
俺は何食わぬ顔で椅子に腰かけ、机に置いてある無地の冊子を手に取り眺めるフリをした。
下手人が俺の真後ろに立っているのが分かる。しかし、奴が今どのような体勢になっているのかは分からない。
振り返ったとしても同じことだ。
何故なら――
――下手人の「姿は見えない」から。
そう、奴の姿形はまるで見えない。部屋に入った時、気配はするのに姿が見えず思わず首を捻りそうになった。
透明で魔法の灯りさえ素通りするから、影も映らないのだ。それに加え、歩いて俺の傍まで移動したというのに足音も聞こえない。忍び足で歩いているから聞こえないと思うかもしれないが、俺の耳は獣の足音でさえ聞き逃さないほど鍛えられているんだ。
集中して耳をそばだてれば、どんな小さな音でも聞き逃さない自信がある。
なるほど。姿と音を消すことができるスキルを持っているってことか。面白い。
しかし、相手が悪かったな。俺がどんな場所で三年間生き抜いていたのか少しでも考えれば、別の諜報員を送り込んだだろうに。
肩を竦めそうになるのをグッと堪え、引き出しから羽ペンを取り出すフリをして、あらかじめ準備していた投げ網を掴み後方に向けて放り投げた。
バサリと網がかぶさる音がして、網が人型を形つくる。
お、姿が消えていても物理的な物は通さないってことか。
網に囚われた下手人はバタバタと手を揺らしているようだが、そう簡単に網は振りほどけないぞ。
「姿を現せ。さもないと……」
俺は網を睨みつけ、引き出しからナイフを出し構える。
しかし、網の中からは反応が無い。
なるほど、なるほど。そういうつもりか、別に構わないさ。
「どこに刺さるか分からないけど、ナイフをそっちに投げるがいいか?」
ニタアと自分の考え得る限りの悪そうな顔をして、ナイフをチラつかせる。
すると観念したのか、網の中から人の姿が現れた。
出て来たのは俺の胸くらいまでの背丈しかない小柄な体躯をした黒装束。口元を黒い布で覆っていてキリっとした釣り目と意思の強そうな眉しか確認できない。
頭も黒頭巾を被っているからどんな髪形をしているかとか不明。体つきはほっそりとしていて華奢だった。
「な、何故、拙者の姿が分かったのです?」
目を見開き驚いたように黒装束は呟く。
声からして、こいつはかなり若いと思う。何故なら声変わりをしていない少年のような声だったのだから。
「姿と音を消しても、気配と匂いは消えていない。まさに頭隠して尻隠さずってやつだよ」
「今まで拙者のことに気が付いた御仁などいなかった……」
「それは相手が甘すぎだ。知っているか? 夜は暗いんだ」
「一体何がいいたいんでござるか?」
「簡単なことだよ。魔の森の夜は真っ暗闇。しかし、モンスターの中には夜行性のものも多数いるってことさ。そいつらは抜群に音を消すのがうまい。今のお前と同じようにな」
「き、規格外過ぎるでござる……。相手はたかが冒険者と聞いていたのですが……」
「残念だったな。さて、お仕置きの時間だ」
「……」
俺はワザとらしく肩を竦め、ナイフを黒装束に見えるようにして上下に揺らす。
「大人しく言うことを聞くなら、傷一つなくお帰りいただこうと思っている」
「……」
「まずは、頭巾を取って名前を名乗れ」
黒装束は渋々と言った風に頭巾と口元の黒い布を取る。
予想通り、黒装束は十代半ばほどの少年だった。肩口で切りそろえた黒髪に、スッキリとした鼻筋、小さめの口……と中性的な顔立ちをしている。
「拙者は千鳥と申す」
黒装束――千鳥は憮然とした顔で自分の名前を名乗るのだった。
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