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36.火の海とは

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――わたしは自壊しなければならないの。
 イブロの脳裏に何度もチハルの言葉がこだまする。どういうことだ?
 考えがまとまらないイブロへ向けてチハルは淡々と言葉を続ける。
 
「このままでは火の海になるの。星が降ってくる」
「星だと……」
「うん、六十二日後に星が世界へ直撃するの」
「星か……それは夜空に浮かぶ星のことなのか?」
「うん、夜空に浮かぶお星さまは小さいけど、実は大きいの」

 イブロにはチハルの言うことが半分も理解できないでいた。星とは? 一体何を示すのだろう。
 破壊的な何かが起こるというのか。しかしそれで何故、チハルが自害する必要がある?
 
「チハル、順を追ってもう一度、詳しく教えてくれないか?」
「うん、直径にしておよそ二十キロの小惑星がわたしたちの住む星へ超高速で降ってくる。その破壊力は周囲を一瞬にして蒸気に変え、この星の裏側まで届くほどの衝撃波が世界へ襲い掛かる」
「ま、待て。余計に分からない」

 しかし、チハルの言葉は止まらない。
 
「その小惑星をわたしが自分を分解し、全てをエネルギーに変えて押しとどめるの。速度を失った小惑星なら大丈夫。それでも犠牲はでると思うけど」
「チハル。俺にはお前さんが何を言っているのか分からない。しかしだ。チハル。俺はお前さんが自殺することを許容できない」
「でも、イブロ。わたしは自律型防衛兵器なの。それがわたしなの」
「違うだろ、チハル。それは『ワタシ』であって『わたし』じゃないはずだ。お前は『恐れ』も『悲しい』も『嬉しい』だって分かるだろう?」
「うん……だから、だから……」

 チハルはイブロの胸に飛び込んで、彼の胸に顔を埋める。
 そうだ。誰だって死ぬのは怖いし死にたくない。役目だから自害しろなんて知って、普通でいられるわけがないのだ。
 イブロはチハルに与えられた残酷な役目に憤りを覚えるが、自害したくないと思ってくれるチハルの成長が嬉しい。

「チハル……俺が」

 イブロの言葉を遮り、チハルが慟哭する。

「イブロはわたしが消えると『悲しい』と言ったよね。だから、わたしは自壊するのを迷っているの。でもワタシはそうしなければならないの」
「チハル、お前さんは……」

 イブロは自分の頭をハンマーで思いっきり殴られたような気持ちだった。
 チハルが迷っていた原因は自分自身が死ぬという怖さからではなかったのだ。彼女はイブロが、ソルが……これまで出会った人たちが自分がいなくなって悲しむのが「悲しくて」、「怖い」のだ。
 この娘はなんて……イブロは胸に熱いものがこみあげてくる。
 
「チハル、必ず俺がお前さんを護る。星なんてくそくらえだ」
「ワタシは自律型防衛兵器です」

 感情を遮断しイブロへ言葉を返すチハルへ思わず彼は強く彼女を抱きしめた。
 何とかしてやれないだろうか。代われるものなら自分が代わってやりたい。元よりイブロは誰かの為に命を使うことを望んでいるのだから。
 
 ただ事ではない二人の様子に何かを感じ取ったのか、ソルがチハルの傍でぐるると低い声を出す。
 ソルを見て取ったイブロはチハルから体を離し、それを待っていたかのようにソルが彼女の頬を舐める。
 
 ソル。大けがをしていてチハルに治療してもらったんだよな。彼ほどチハルの事を思ってるやつはいないだろう。
 イブロは獰猛な雷獣の姿からは想像できないソルの穏やかな様子へ目を細める。
 待てよ。ソルは確か……。
 
「チハル、魔晶石だ。魔晶石を使えば何とかなるんじゃないか?」
「イブロ、確かに魔晶石も力に変わるけど……わたしの身体の方がより優れているよ」
「だったら、大丈夫な量を集めればいいじゃないか。まだ二か月もあるんだろ」
「う、うん。でも、わたしの倍の体積がいるよ。こんなに小さな魔晶石をそんなに集めないとだよ」
「いいじゃないか。集めれば!」

 ありとあらゆる伝手を使い、魔晶石を集める。きっと集まるはずだ。
 何故ならチハルはともかく、ただの人間であるディディエでさえ魔晶石を持っていたのだから……。
 
 しかし、チハルの顔は優れない。

「どうした? チハル」
「わたし、自壊しなくていいのかな……わたしはそうなるように作られたんだよ?」

 チハル……。
 チハルは作られたと言った。ならばなぜ、チハルという形にしたのだ。星が落ちてくるというのなら、星が落ちる直前に目覚め問答無用で破壊すればいい。
 待てよ……。そうか。そういうことか。
 
「チハル、お前さんを作った者は『お前さんが自害しなくてもいい』という思いがあったはずだ」
「どうしてなの……」
「考えてみろ、チハル。何故わざわざ、星が落ちてくる相当前にお前さんは目覚めた。何故、長い旅をさせた」
「わからないよ」
「それは、俺のようなお節介が現れることを期待してだ。お節介が来ればお前さんは人となり、魔晶石を集めることになる。そう期待したんだよ」

 そうではないかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。
 「俺がそう決めた」だからそれでいい……イブロは心の中でそう独白する。傲慢でも騙してでも、イブロはチハルに生きていて欲しい。
 
「わたしはわたしでいていいの?」
「ああ、いていいんだ。だから、魔晶石を集めるぞ」
「うん!」

 チハルはソルを撫で、にぱあと満面の笑みを見せたのだった。

『お主ら、世界の滅びにあがらう者だったのか』

 唐突にグウェインの声が響き渡る。

「何だそれは、俺はそんな大した者ではない」
『嘘か誠か分からぬが、天が降ってくる伝説があっての。もし誠に起こるというのならば、どれ、儂も一つ噛ませてくれんか?』
「興味本位で参加されてもな……俺は本気なんだ」

 おもしろおかしく語るグウェインをイブロが睨みつける。
 それに対しグウェインは「すまぬすまぬ」と謝罪し、自らの思いを語る。
 
 グウェインは龍としての誇りを失った。生きる目的が無い。それが目の前に伝説が起ころうとしていると聞き、余りの壮大さに龍の誇りなどちっぽけなものだと感じ入ったと言う。
 世界を滅びから守護する。もしこれが成るのなら、これこそ本物の誇りであると。
 
「分かった。好きにするといいさ」
『言うではないか。イブロ。儂にこれほど尊大な態度を取る人間はお主が初めてだ』
「ふん」

 ニヤリと笑みを見せるイブロへグウェインは地面が揺れるほどの笑い声を出す。
 
『チハル、この男、言うことが立派だが抜けておるところがある』
「うん?」

 チハルは首をコテンと傾けた。
 イブロがグウェインへ言い返そうと口を開く前にグウェインが言葉を続ける。
 
『待ち受ける場所はどこになるのだ? 遥か遠くならば、行くだけで骨だ』
「大丈夫だよ。ここだから」
『そうか、ここか! そいつは愉快』

 確かに抜けていた。世界の裏側まで行けとなると二か月はかかるかもしれない……。
 憮然とした顔で腕を組むイブロへグウェインが声をかける。
 
『イブロ、儂のペットを使うがよい。儂の力が必要ならば申せ。儂とて人の事情を少しは分かっておる。儂が街に出向くわけにはいかぬからな』
「飛竜か! ありがたい」

 飛竜があれば、イブロが拠点としていた旅立ちの街ルラックまで一日もかからず到着できるかもしれない。
 時間勝負な魔晶石集めにこの上ない助けになるだろう。
 
「チハル、行こう。まず行きたいところがある」
「うん、イブロ」

 二人は立ち上がり、旅の準備を始める。
 そこへ、紅目と緑目が降り立ちくええと大きな声で鳴く。俺たちの準備は万端だとでも言うように。
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