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35.龍の誇り
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御者台に並んだイブロとチハルは龍の巣へ進む。奥から漂う圧倒的な気配を感じているのだろう。辺りにモンスターの気配はまるでない。
そこへ挑む矮小な人間たるイブロの顔に気負いはなく、チハルもまた無表情のままだ。
『よくぞ来た。待っておったぞ』
鷹揚とした王者の声が響き渡る。
声の主はもちろん邪龍。青き鱗に覆われたあらゆる生命体の王。
「ここでよかったのか?」
イブロは周囲を見渡し、自然体で龍へ問いかけた。
これが龍の巣なのだろうか。ここは街の広場のようになっていて、石畳があり外周はレンガの壁で覆われている。龍が三匹ほど入っても余裕があるほどの広さを誇る広大な場所ではあるのだが……。
中央には水の出ていない噴水の跡地があり、水を湛えていたであろう場所にはキラキラ輝く宝石が敷き詰めれれている。そして、噴水には鷹の頭をした人型の彫像が立っていてこちらを睨みつけていた。
古代遺跡は様々だ。たいていは街の遺跡があり、どこかに地下へ繋がる階段が存在する。ここもそうなのだろうか。いや、古代遺跡に入る必要は無い。対峙する龍から左目を頂くこと。それだけだ。
イブロはチハルの手を引き御者台から降り立った。
『ここが儂の食事場だ。お主らも食べるがいい』
邪龍が時の底から響くような咆哮をあげると、先ほどみた紅目に加え、緑色の目をした緑目が脚に猪の丸焼きを抱えて降り立つ。
「そいつはどうも」
『酒もあるぞ。人間は酒が好きなのだろう? 儂もだ』
続いて大きな樽が持ち込まれ、イブロ達の前にも樽が一つ置かれるのだった。
「龍さん、すぐに演奏をはじめる?」
『その前に……儂はグウェイン。そなたは?」
「わたしはチハル。こっちはイブロ」
『ふむ。すぐにはじめてくれ』
「うん」
チハルはリュートを構え、柔らかな暖かい旋律を紡ぎはじめる。
邪龍を前にしたイブロのささくれだった気持ちが途端に落ち着いていき、邪龍の前だからだろうか必死に強さを求めていたあの頃を思い出す。
友との楽しかった思い出だけがよみがえり、イブロの口元が綻ぶ。
『イブロと言ったな。お主、儂の事を覚えておるか?』
出し抜けに邪龍グウェインがイブロへ問いかける。
覚えているかだと? 忘れたことなどない。しかし、チハルの旋律がすぐにイブロの気持ちを落ち着けた。
「ああ」
『イブロ、お主は龍とはどのような存在なのか知っておるか?』
「自分自身が世界の王と思っている傲慢な破壊者だろう」
『人間から見るとそう見えるのか。それは愉快。龍とは「孤高」でなければならないのだ』
グウェインはそう呟くと、チハルくらいの大きさがある酒樽をひょいとつまみ一息に飲み干す。
「何が言いたい?」
『龍とはな。ありとあらゆる生物から『畏怖』されねばならぬのだ。儂以外の龍も同様にな』
「だから、襲うのか」
『「威」を見せねばならぬ。しかし……儂はもう龍とは言えぬ。ここに移動したのもそのためなのだよ』
どうも話が見えてこない。何が言いたいんだ。グウェインは……。イブロは訝しみ眉間に皺を寄せる。
『儂はな、お主らに持ってはいけない感情を持ったのだ。それは「恐怖」。龍が持ってはいけない感情なのだよ』
「俺はいつも感じているがな」
『そうか! それは愉快。儂はな、龍以外の生き物が全て虫けらだと思っておった。お主らに会うまではな』
グウェインは言葉を続ける。
龍を打倒するという絶対的な意思はグウェインにも想像ができた。しかし、自らを犠牲にして同族に後を託すことが理解できないと言う。
自分の命あってこそ、敵を倒すことに意味がある。彼は理解できぬ故に恐れた。命を捨てて相打ちを狙う強靭な精神に畏れた。その結果、グウェインは逃げ出したのだ。
しかし、龍とは絶対的な存在でなければならぬ。だから、グウェインは他の龍から「お前はもはや龍ではない」と告げられ、住処を失った。
それ以来、グウェインは威を見せることもなく、ここで朽ちるまですごすつもりでいる。
「俺と再びやろうとは思わないのか?」
『それもいいだろう。お主が儂の巣を犯すというのならばな』
その言葉は逆に言えば、グウェインはもうイブロと戦うつもりがないということだ。彼は誇りを失わせたイブロの息の根を止めようとは思わないのか。
『正直に言おう。イブロ、儂はな、あれ以来虫けらなんぞこの世にはいないのではないかと思っておるのだよ。どの生物にも誇りがあり矜持があると。それをお前と大剣の男から学んだのだ』
「そうか……俺から言うことは何もない」
――ゴンサロ、お前さんの犠牲は真の意味で龍を打倒していたのだな……。
イブロはここにはおらぬ友人へ心の中でそっと称賛の言葉を送る。
『お主は儂を打倒しようとは思わぬのか?』
「俺にはもっと大事なことがあるんでな」
イブロはリュートを奏で続けるチハルを見やった。
『ふむ。不思議な娘だな。儂を見てもまるで動揺しなかった』
「龍さん、イブロ、『恐れる』ってどういうことなのかな?」
ここで初めてチハルは彼らに言葉を投げかける。
その言葉を聞いてイブロは思わずチハルの頭を撫で、ふうと大きく息をつく。
「チハル、『恐れる』ことは誰かを失うかもしれないと思うことなんだ」
「そう、わたし、イブロがいなくなっちゃうのが怖いよ」
「そうか、ありがとう、チハル」
イブロはぎこちない笑みを浮かべ、チハルの頭を再度撫でた。
対する彼女は目を細め、んーと気持ちよさそうな声を出す。
しばらく無言の時が続きグウェインが酒樽を更に二樽飲み干す頃、彼が静寂を破る。
『チハル、約束の宝玉だ。もう一つ、イブロ。これを持っていけ』
グウェインはチハルの前に宝玉を置くと、イブロへ向き直った。
彼は右腕を伸ばし、背後からイブロの身の丈ほどもある大剣を取り出す。
「そ、それはゴンサロの」
遠目でも間違えるわけがない。人の腰ほどの幅があり、二メートル近くの長さを誇るバカげたサイズの大剣。これを振るえるのはイブロが知る限りゴンサロ唯一人。
この大剣はいかなイブロでも持ち上げるのが精一杯な代物なのだ。
『うむ。お主と問答を交わした礼だ』
「いや、その剣はここに置いていく。お前さんの『畏れ』なのだろう? 墓前に置くよりはゴンサロもその方が喜ぶさ」
『そうか』
グウェインは大剣を降ろす。
「演奏はもういいかな?」
『ああ、今宵は楽しめたぞ。チハル』
「うん」
チハルはリュートを脇に置くと、宝玉を手に取る。
彼女の手のひらくらいの大きさがある宝玉はどうみても彼女の眼窩には収まらない。
「それが左目なんだよな?」
確認するようにイブロが問うと、チハルは首を縦に振る。
「うん。ここまでありがとう。イブロ」
「ここまでじゃない。これからもだ。チハル」
「うん」
チハルは花が咲くような笑みを見せて大きく頷きを返した。
そして、あぐらをかいて手のひらを上にした状態で両手を重ね、その上に宝玉を乗せ目を閉じる。
「照合します。照合完了。装着依頼。依頼受領」
感情の一切籠らないチハルの声に応じ、宝玉が青く輝き、小さくなっていく。
光が途絶えるとチハルの手に乗っていた宝玉が青い目に変化していた。
「実行」
青い目となった宝玉がひとりでに浮き上がるとチハルの左の眼窩へ吸い込まれていく。
「完了。記録を結合します。結合中……結合完了」
目を開くチハル。
「もういいのか? チハル」
イブロは両目を瞬きさせているチハルへ声をかける。
「うん、全部……分かったよ。イブロ」
「そうか。『火の海』だったか?」
「うん、わたしは自壊しなければならないの」
何? イブロは目を見開き、チハルの顔を覗き込んだ。
対する彼女は最初に会った時のような無表情な顔でイブロへ目を向ける。
そこへ挑む矮小な人間たるイブロの顔に気負いはなく、チハルもまた無表情のままだ。
『よくぞ来た。待っておったぞ』
鷹揚とした王者の声が響き渡る。
声の主はもちろん邪龍。青き鱗に覆われたあらゆる生命体の王。
「ここでよかったのか?」
イブロは周囲を見渡し、自然体で龍へ問いかけた。
これが龍の巣なのだろうか。ここは街の広場のようになっていて、石畳があり外周はレンガの壁で覆われている。龍が三匹ほど入っても余裕があるほどの広さを誇る広大な場所ではあるのだが……。
中央には水の出ていない噴水の跡地があり、水を湛えていたであろう場所にはキラキラ輝く宝石が敷き詰めれれている。そして、噴水には鷹の頭をした人型の彫像が立っていてこちらを睨みつけていた。
古代遺跡は様々だ。たいていは街の遺跡があり、どこかに地下へ繋がる階段が存在する。ここもそうなのだろうか。いや、古代遺跡に入る必要は無い。対峙する龍から左目を頂くこと。それだけだ。
イブロはチハルの手を引き御者台から降り立った。
『ここが儂の食事場だ。お主らも食べるがいい』
邪龍が時の底から響くような咆哮をあげると、先ほどみた紅目に加え、緑色の目をした緑目が脚に猪の丸焼きを抱えて降り立つ。
「そいつはどうも」
『酒もあるぞ。人間は酒が好きなのだろう? 儂もだ』
続いて大きな樽が持ち込まれ、イブロ達の前にも樽が一つ置かれるのだった。
「龍さん、すぐに演奏をはじめる?」
『その前に……儂はグウェイン。そなたは?」
「わたしはチハル。こっちはイブロ」
『ふむ。すぐにはじめてくれ』
「うん」
チハルはリュートを構え、柔らかな暖かい旋律を紡ぎはじめる。
邪龍を前にしたイブロのささくれだった気持ちが途端に落ち着いていき、邪龍の前だからだろうか必死に強さを求めていたあの頃を思い出す。
友との楽しかった思い出だけがよみがえり、イブロの口元が綻ぶ。
『イブロと言ったな。お主、儂の事を覚えておるか?』
出し抜けに邪龍グウェインがイブロへ問いかける。
覚えているかだと? 忘れたことなどない。しかし、チハルの旋律がすぐにイブロの気持ちを落ち着けた。
「ああ」
『イブロ、お主は龍とはどのような存在なのか知っておるか?』
「自分自身が世界の王と思っている傲慢な破壊者だろう」
『人間から見るとそう見えるのか。それは愉快。龍とは「孤高」でなければならないのだ』
グウェインはそう呟くと、チハルくらいの大きさがある酒樽をひょいとつまみ一息に飲み干す。
「何が言いたい?」
『龍とはな。ありとあらゆる生物から『畏怖』されねばならぬのだ。儂以外の龍も同様にな』
「だから、襲うのか」
『「威」を見せねばならぬ。しかし……儂はもう龍とは言えぬ。ここに移動したのもそのためなのだよ』
どうも話が見えてこない。何が言いたいんだ。グウェインは……。イブロは訝しみ眉間に皺を寄せる。
『儂はな、お主らに持ってはいけない感情を持ったのだ。それは「恐怖」。龍が持ってはいけない感情なのだよ』
「俺はいつも感じているがな」
『そうか! それは愉快。儂はな、龍以外の生き物が全て虫けらだと思っておった。お主らに会うまではな』
グウェインは言葉を続ける。
龍を打倒するという絶対的な意思はグウェインにも想像ができた。しかし、自らを犠牲にして同族に後を託すことが理解できないと言う。
自分の命あってこそ、敵を倒すことに意味がある。彼は理解できぬ故に恐れた。命を捨てて相打ちを狙う強靭な精神に畏れた。その結果、グウェインは逃げ出したのだ。
しかし、龍とは絶対的な存在でなければならぬ。だから、グウェインは他の龍から「お前はもはや龍ではない」と告げられ、住処を失った。
それ以来、グウェインは威を見せることもなく、ここで朽ちるまですごすつもりでいる。
「俺と再びやろうとは思わないのか?」
『それもいいだろう。お主が儂の巣を犯すというのならばな』
その言葉は逆に言えば、グウェインはもうイブロと戦うつもりがないということだ。彼は誇りを失わせたイブロの息の根を止めようとは思わないのか。
『正直に言おう。イブロ、儂はな、あれ以来虫けらなんぞこの世にはいないのではないかと思っておるのだよ。どの生物にも誇りがあり矜持があると。それをお前と大剣の男から学んだのだ』
「そうか……俺から言うことは何もない」
――ゴンサロ、お前さんの犠牲は真の意味で龍を打倒していたのだな……。
イブロはここにはおらぬ友人へ心の中でそっと称賛の言葉を送る。
『お主は儂を打倒しようとは思わぬのか?』
「俺にはもっと大事なことがあるんでな」
イブロはリュートを奏で続けるチハルを見やった。
『ふむ。不思議な娘だな。儂を見てもまるで動揺しなかった』
「龍さん、イブロ、『恐れる』ってどういうことなのかな?」
ここで初めてチハルは彼らに言葉を投げかける。
その言葉を聞いてイブロは思わずチハルの頭を撫で、ふうと大きく息をつく。
「チハル、『恐れる』ことは誰かを失うかもしれないと思うことなんだ」
「そう、わたし、イブロがいなくなっちゃうのが怖いよ」
「そうか、ありがとう、チハル」
イブロはぎこちない笑みを浮かべ、チハルの頭を再度撫でた。
対する彼女は目を細め、んーと気持ちよさそうな声を出す。
しばらく無言の時が続きグウェインが酒樽を更に二樽飲み干す頃、彼が静寂を破る。
『チハル、約束の宝玉だ。もう一つ、イブロ。これを持っていけ』
グウェインはチハルの前に宝玉を置くと、イブロへ向き直った。
彼は右腕を伸ばし、背後からイブロの身の丈ほどもある大剣を取り出す。
「そ、それはゴンサロの」
遠目でも間違えるわけがない。人の腰ほどの幅があり、二メートル近くの長さを誇るバカげたサイズの大剣。これを振るえるのはイブロが知る限りゴンサロ唯一人。
この大剣はいかなイブロでも持ち上げるのが精一杯な代物なのだ。
『うむ。お主と問答を交わした礼だ』
「いや、その剣はここに置いていく。お前さんの『畏れ』なのだろう? 墓前に置くよりはゴンサロもその方が喜ぶさ」
『そうか』
グウェインは大剣を降ろす。
「演奏はもういいかな?」
『ああ、今宵は楽しめたぞ。チハル』
「うん」
チハルはリュートを脇に置くと、宝玉を手に取る。
彼女の手のひらくらいの大きさがある宝玉はどうみても彼女の眼窩には収まらない。
「それが左目なんだよな?」
確認するようにイブロが問うと、チハルは首を縦に振る。
「うん。ここまでありがとう。イブロ」
「ここまでじゃない。これからもだ。チハル」
「うん」
チハルは花が咲くような笑みを見せて大きく頷きを返した。
そして、あぐらをかいて手のひらを上にした状態で両手を重ね、その上に宝玉を乗せ目を閉じる。
「照合します。照合完了。装着依頼。依頼受領」
感情の一切籠らないチハルの声に応じ、宝玉が青く輝き、小さくなっていく。
光が途絶えるとチハルの手に乗っていた宝玉が青い目に変化していた。
「実行」
青い目となった宝玉がひとりでに浮き上がるとチハルの左の眼窩へ吸い込まれていく。
「完了。記録を結合します。結合中……結合完了」
目を開くチハル。
「もういいのか? チハル」
イブロは両目を瞬きさせているチハルへ声をかける。
「うん、全部……分かったよ。イブロ」
「そうか。『火の海』だったか?」
「うん、わたしは自壊しなければならないの」
何? イブロは目を見開き、チハルの顔を覗き込んだ。
対する彼女は最初に会った時のような無表情な顔でイブロへ目を向ける。
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