上 下
6 / 44

6.雷獣

しおりを挟む
 古代遺跡から出たイブロたちは森へ歩を進めていた。森といっても規模の大きいものではなく、まばらに広がった木と膝上あたりまでの草が占める温帯性の草原といっても差し支えない。
 それ故、馬車はさすがに通過するに厳しいが、馬ならば問題なく進むことが可能である。
 
 遺跡から出て森を進むこと二時間ほど、イブロはチハルの体力に驚きを隠せなかった。歩みこそ同じくらいの背格好の人間と同じ速度であるが、彼女は汗一つかかず疲れた様子をまるでみせなかった。
 彼女の動きは遺跡の地下奥深くで対峙したガーゴイルを彷彿させる。淀みなく同じ速度で動き、止まることを知らない。
 む。イブロはここまで考えたところで、倒れ伏したガーゴイルの姿が脳裏に浮かぶ。ガーゴイルは糸が切れたように突然微動だにしなくなったのだ。
  
「チハル、休まなくても大丈夫か?」
「うん、大丈夫ー」

 ガーゴイルとチハルの姿が重なったイブロは急に不安になり、隣を歩くチハルへ問いかけるも彼女の返答は素っ気ない。
 気を付けていたつもりだが……イブロは自身の聞き方がまずかったことに気が付く。
 
「チハル、動きっぱなしで突然止まったりしないのか?」

 そう、彼女へ問いかける時は具体的に聞かねばならない。イブロの予想は正しく、チハルから彼が期待した返答が戻ってきたのだった。

「歩くのは八時間までだよ。あと、一日に六時間は寝なきゃダメなの」
「そうか。ありがとう」

 イブロはふわっふわのチハルの頭を撫でる。
 まあいつもの無表情だろうなと思い彼女の顔をちらりと見やるイブロだったが、ほんの僅かではあるがチハルの眉が下がっているような気がした。
 そんなチハルの様子にイブロの口元も綻ぶ。
 
 とその時、イブロの背筋に悪寒が走る。
 気配は感じない。だが、何かが近くに潜んでいる。イブロは自身の直感を信じ、チハルを抱え込むようにして全神経を注ぎ探る。
 
――だが、やはり目に見える範囲には何も確認できず、こちらに向けられた敵意も感じることができない。
 あの木の裏か、それとも草むらの影……はたまた草むらで見えなくなっている窪みの中に息を潜めているのだろうか。イブロは腰のダマスク鋼の棒に手をやる。
 こちらの手はまだ見せない。この武器は初見ならば、相手の裏をかくことができるのだ。奇襲を狙うまだ見ぬ敵へ逆に奇襲を喰らわせてやる。イブロはギリっと歯を鳴らした。
 
「チハル、そのまま伏せてくれ。何かが俺たちを狙っている」
「うん」

 イブロは危険動物の縄張りをなるべく避けるように歩いてきたつもりだったが、自分に気配を感じさせない相手となるとそれなりの強者のはず……。
 チハルは何が起こっているのか理解しているのだろうか? いや、見えぬ恐怖に肩を震わせることもない彼女の在り方はことこの時にあっては、大きな利点だ。
 その証拠に、彼女は怯むこともまるでなく表情一つ変えずイブロの指示通りその場で四つん這いになり伏せの姿勢を取った。
 
――イブロは風を感じる。
 あそこか! 敵は木の上に潜んでいた。枝が大きくたわみ、イブロが気が付いた時にはもう彼らに向かって空より急襲をかけている。
 敵の体躯はヒョウのようであった。濃い緑色の肌地に黒のまだら模様が浮き出た毛皮を持ち、口からは顎下まで伸びる牙が左右に二本生えている。
 しかし、そのモンスターはヒョウに似ていながらサイズは倍近かった
 
 そんな巨体が空から勢いをつけて落ちて来たのだからたまらない。だが、イブロの驚きは一瞬だった。すぐに彼はダマスク鋼の棒へ「伸びろ」と念じる。
 躱すわけにはいかないのだ。チハルに当たる。ここは……。イブロはモンスターを睨みつけ、身の丈ほどの長さになったダマスク鋼の棒を横なぎに払った。
 次の瞬間、モンスターの前脚とイブロの棒が交差しお互いに押し合う。しかし、それも長くもたずイブロは後方へ吹き飛ばされてしまった。
 一方のモンスターも勢いを完全に殺され、右方へよろけながら体が流れる。
 
 さすがに無茶だったか……イブロはじんじんと痺れる手に顔をしかめながらもモンスターが動き出す前にチハルの前に出た。
 チハルはそれだけでイブロの動きを察し、立ち上がって彼の後ろへ退避する。
 
 乾坤一擲の奇襲を凌がれたからだろうか、モンスターはぐるぐると唸り声をあげイブロを睨みつけるばかりで踏み出そうとしない。
 イブロはイブロで先ほどの攻防で痺れた腕がまだ回復しておらず、後ろに守るべきチハルが控えていたから動くことは無かった。
 
 睨みあう両者。
 一見したところ動きが無い両者であったが、イブロは内心冷や汗を流していた。
 あれは雷獣だ。イブロは心の中で独白する。
 なるほど、雷獣ならば気が付かなくても無理がない。奴は樹上に潜み地上を歩く獲物へ一息に襲い掛かることを得意としている。あの体色は木の葉に紛れるための保護色なのだ。
 敏感な草食動物でさえ雷獣の接近に気が付くことができないほど奴らの潜伏は巧みだ。
 動いている雷獣でさえ耳を研ぎ澄ませねば接近に気が付くことはできないというのに、ましてや息を潜め待ち構えていた雷獣なら尚更不可能ごととなる。
 問題は奴らは数匹で狩りを行うことが多いということなのだ。
 一匹ならこのまま押し切ることは……おそらくできる。見たところ、奴の右前脚は折れているからな。
 行くか……それともこのまま待つか。イブロは迷う。
 
 イブロは棒を握りしめる手に力を込めると、一歩前へ踏み出す。
 しかし、雷獣はそんな彼の動きに対して目を逸らし右前脚をかばいながら踵を返したのだった。
 
「チハル、奴を追う。掴まれ」

 イブロはチハルへ手を差し出すと彼女の手を握りしめ、もう一方の手を彼女の腰に回しひょいと彼女を抱え上げた。
 ダマスク鋼の棒を腰に戻したイブロはチハルを姫抱きし、雷獣から距離を取りつつ後を追う。
 奴が単独ならばそのまま見逃す。もし仲間がいるようならば、強襲される前に仲間を仕留めねば……。
 
 雷獣が万全の状態ならば、彼らはすぐにそれを見失っていたことだろう。しかし、右前脚をかばう雷獣であればチハルを抱えたイブロであっても追いかけることができた。
 ものの五分も追いかけぬうちに、雷獣は森を抜けて切り立った崖のところへ出た。そして、雷獣はぽっかりと空いた横穴へと入っていく。
 
――チャンスだ。
 イブロは口元に笑みを浮かべる。仲間がいたとしてもあの洞穴に陣取れば後ろを取られることはない。それに、休息するにもあの場所はもってこいだ。

「チハル、俺の後ろをついてきてくれ」
「うん。イブロ」
 
 イブロはチハルを降ろし、ダマスク鋼の棒を構える。
 
 ◆◆◆
 
 洞穴の中に入るとさきほどの雷獣が襲い掛かってきたが、イブロには予想できたことだったので軽くいなし雷獣の脇腹へ一撃を見舞う。
 そこで前を向くイブロの目には、二匹の雷獣が飛び込んできた。
 
 一匹は先ほどまで対峙していた雷獣より一回りほど小さい。もう一方はまだ生まれて数週間ほどなのか大型の猫ほどの大きさだった。
 
「なるほど。すまんな……」

 イブロは雷獣たちの状況を察し、謝罪の言葉を述べる。
 彼に襲い掛かってきた雷獣はこの二匹の母親だったのだろう。小さな幼獣を抱える動物は外敵に対して普段以上に厳しくなる。だから、この雷獣はイブロたちに牙を剥いたのだろう。
 い、いや、違う。イブロは思わず目を伏せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

処理中です...