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23.なんだかえらいことになっているような

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 エギルの母を連れて行った夫婦らしき者達の家は森の外れにある小さな集落の中にあった。
 家の扉をフレンがノックすると、ほどなくして中から女が現れた。

 五年ほど年は取っているものの、先程魔術で見た女の姿で間違いない。
 女は最初にフレンを見て目を見開き、それから俺に視線を移して口をあんぐりと開けた。

「フレン様に……エーティア様⁉ お二人がどうしてこのようなところへ⁉」

 俺もフレンもそれなりに顔も名前も知られているため目立たぬようフードを被ってきたのだが、じっくり見られると気付かれてしまうらしい。

「少々尋ねたいことがあってここに来た。五年前、白い兎を保護しただろう? その兎は……」

「ぼくのお母さんですっ‼」

 言葉を言い切るより前に俺のローブの中から堪え切れずにエギルが飛び出して来た。
 女がひゃっと悲鳴を上げる。

「驚きました……。この辺りでは使い魔を見ることなんてないので。お喋りが上手なんですね」

 城下町の方へ行けば魔術師も使い魔もそこそこいるので驚かれることはあまりないが、この集落では使い魔がしゃべる光景が珍しいようだった。

「お母さーん、お母さーんっ! ぼくが来たですーっ‼」

 わーわーと家の中に向かって叫び続けるエギルをフレンが抱え上げた。
 大興奮状態になっているので、抱えられてもなお脚をバタバタさせている。放っておいたら勝手に家の中に乗り込んで行きそうな勢いだ。

「こいつはエギル、俺の使い魔だ。ここで保護された母兎の子供だ。母親のことを知ったばかりで少々興奮しているので許してやって欲しい」

 俺は簡単に経緯を説明した。
 つい最近になってエギルを塔に置いて行ったのが母兎だと知ったということ。魔術で過去の光景を見たらその兎がここへ運ばれて行ったということを。

「まあ、まあ! そうだったんですね。ルナにこんな可愛い子供がいたなんて……」

 エギルに向けてにこにこと明るく笑う女の顔を見て、母兎は生きているのだと確信した。
 これまでずっと緊張していたらしい、肩から力が抜けていくのが分かった。
 ほうっと息を吐く。

「ぼくのお母さん、ルナって言うですか? とっても綺麗な名前です」

「ええ、私が名前を付けたの。さあ、どうぞ上がってください。ぜひルナに会って行ってくださいな」

 家の中へと案内される。
 女の名はレイテと言った。薬草師である夫と暮らしていて、もともとは城下町に住んでいたそうだが、薬草がよく取れるためこの集落に移り住んできたという。

 母兎を塔で見つけたあの日も夫婦で薬草を取りに森へと行っていたそうだ。そして帰る道すがら塔の方で起きた騒ぎに気付いたという。
 母兎を治療したのは夫の方だというが、今は薬草摘みのため不在にしている。



 部屋の中に通されたところでフレンが抱えていたエギルを床へと下ろした。
 窓辺のところにクッションが敷いてあって、そこにエギルの母である白兎が寝そべっていた。
 年を経たせいか毛並みに以前のような艶はなくなってしまっているが、元気そうな様子だ。

 こちらの訪問に気付いていたらしく、じっと見つめてくる。あれだけエギルが叫んでいたら当然か。
 エギルは母親を前にして先程までの威勢がしぼんでしまって恥ずかしそうに少しの間もじもじしていたが、覚悟を決めたようにそっと近づいていく。

「ぼく、エギルって言うです。あの、あの……ぼくのこと、覚えてるですか?」

 白兎が起き上がりエギルの方に近づこうとして、それは叶わなかった。ぺたっとクッションにへたり込んでしまう。

「ぴゃっ、大丈夫ですか⁉」

「ルナはモンスターに襲われた時の怪我が原因で歩けなくなってしまったのよ」

 驚くエギルにレイテが説明した。
 そうだったのか。だからエギルに会いに塔へやって来る様子がなかったのか。
 大きな傷痕の残る脚に視線を落とした。白い毛はその部分だけ抜け落ちてしまっていて、痛ましい。
 過去にフレンが負った怪我が治せなかったように、これほどの傷ともなると魔術で治すことは不可能だ。

「あなたと話したがっているみたい。もっと近づいてあげて」

「はいです。……えっ!」

 驚いた声を上げたエギルの耳がピンッと立った。それからしばらくしてパタパタと瞳から涙を流し始めた。

「ふえっ。ぼくのこと、覚えててくれたですか。お母さぁん‼」

 二匹だけにしか分からない会話を交わし合っているのだろう。
 生憎俺に兎の言葉は分からないが、エギルの様子から母兎はちゃんとエギルのことを覚えていたということが伝わってきた。

 互いにすりすりと顔を寄せ合って、母兎がエギルの頬をやさしく舐めた。
 フレンが穏やかな顔で二匹を見守っている。

「ルナはここへ来てからいつも窓の外を眺めていたの。だから窓側がルナの居場所になっているのよ。外ばかり見ているのは外の景色が好きなんだと思っていたけれど、そうじゃなくてきっとエギルちゃんのことを考えていたのね」

「お母さん……うえええん。エギルは悪いウサギです、ごめんなさい」

 エギルはごめんなさいと謝ってわんわんと激しく泣き始めた。母兎が驚き耳をピンッと立てる。

「あら、あら。どうしてしまったのエギルちゃん」

 レイテがおろおろと慌てる。

「だって、ぼく、今までお母さんのこともお父さんのこともちっとも考えたことなかったです。ぼく、ぼく……エーティアさまと暮らすのが楽しくて、今はフレンさまとお仕事して、毎日毎日楽しくて、だからお母さんがそんな風にぼくのこと思ってるって知らなかったです。ぼく悪い子です……」

「エギル……」

 エギルの中では父や母といった概念がそもそもなかったのだろう。自分にはそういった存在はいないと思っていたのではないだろうか。

 俺にも家族がいないので、エギルがどうしてこれまで父や母について何も尋ねて来なかったのか想像がついた。
 ところがここへ至って母の存在を知り、母だけが子を思っていたという事実を目の当たりにしてしまった。
 罪悪感に押しつぶされてしくしく泣き続けるエギルに、母兎は再び顔を寄せてすりすりした。

「お母さん……そうなんですか。ふぇ、ありがとうです……」

 ぽろぽろと落ちていた涙が止まる。

「母兎は何と言っているんだ?」

「そんなこと気にしなくていいって。ぼくが毎日楽しく幸せに暮らしていて良かったって言ってくれたです! お母さんやさしいですぅ」

「そうか……良かったな」

「それからお母さん、エーティアさまにありがとうって言ってるです」

「俺にか?」

 母兎に視線を移すと黒くて丸いエギルとそっくりの瞳がこちらを見ていた。

「お母さん、エーティアさまに会うまでいっぱい大変で、独りぼっちだったって言ってたです。誰かに助けてもらったのはエーティアさまが初めてだって」

 エギルの話を要約するとこうだ。



 エギルの母である白兎は生まれた時からあまり良い境遇ではなかった。
 巣穴の外に出ればモンスターに狙われ続け、かといって街へ行ってもその美しい毛皮に目を付けた人間に捕まって毛皮を剥がれて売られそうになる生活で、ほとほと疲れ切っていたという。

 そんな時に俺が現れて白兎をモンスターから守った。
 俺はエギルと勘違いして白兎を助けたのだったが、そんな事情は白兎からしてみれば分からない。どうして人間が自分を守ってくれたのか? と疑問に思った。
 しかし助けられたからには恩返しをしなければと、白兎はモンスターの爪で怪我を負った俺の傍にいることにした。

「そうだったのか。だから何度も助けてくれたわけか」

「お母さん、フレンさまはいつもやさしくて美味しいご飯をくれて、エーティアさまは時々撫でてくれたから嬉しかったって言ってるです。少しの間だったけど、あの暮らしはとても楽しかったって。でも……」

 エギルの声が段々と小さくなる。
 俺達から離れて森へ帰ってしばらくしてから、白兎は雄の兎と番になった。
 幸せな暮らしだったが、その幸せは長くは続かなかった。
 やがてエギルが生まれたが、その年はどこも不作でほとんど食べ物が手に入らなかった。当然モンスター達も飢えて凶暴化する。

 白兎達の住む巣穴も飢えたモンスターに襲われたのだ。
 白兎とエギルを逃がすために、夫の兎が犠牲になった。身を挺して二匹を守ったのだ。

「うえっ、うええん。お父さん……‼」

 父の最期を聞いてぐすぐすと鼻をすするエギル。
 何とか巣穴を脱出してエギルを連れ出した白兎だったが、執拗にそのモンスターに追われてもう逃げられないと悟った。

 その時になって白兎は「お前が困った時があれば塔へ来い。必ず力になろう」という俺の言葉を思い出したので、最後の力を振り絞って塔へ向かい、我が子を託すことにしたという。


「エーティアさまにぼくを託して良かったってお母さん言ってるです」

「そうか。賢いお前のことだ、俺の言葉が分かっているんじゃないか?」

 過去の世界でもしかしたら俺の言葉が分かっているのではないか? と思うことが何度もあったので問いかけてみる。
 すると白兎は鼻をひくひくと動かした。母の代わりにエギルが答える。

「はい。あんまり難しい言葉は分からないけど、何となく分かるって言ってるです」

「上出来だ、伝えたい言葉は実に簡単なものだ。あの時はありがとう。『ルナ』良い名だ。お前が良い飼い主に出会えて良かった……」

 白兎を助ける道を選べなかった俺だったが、心の奥底では助けたいと…幸せになって欲しいと願っていたのも事実だ。だから良かったと思う。

「えへへ。エーティアさまの言葉、お母さんにも伝わったです。お母さんいっぱい大変なこともあったけど、今は幸せみたいです。ぼくがエーティアさまに会えたように、お母さんもやさしいご主人様達に会えたですね……ふぇ、良かったです」

 エギルが泣き笑いを浮かべた。

「お母さん、ぼくは立派な使い魔になるのが夢です。お母さんみたいにやさしくて頭が良くて、お父さんみたいに立派で勇敢なウサギの使い魔になるです‼ だから、だから……ぼく、このままエーティアさまとずっと一緒にいるです」

 母兎に対して決意を述べるエギルは、永遠の別れを決意しているかのような口調だったので、ん? と俺は首を傾げた。

「エギルが会いたければいつだって母兎に会いに行けばいいんだぞ?」

「そうよ、エギルちゃん。いつでもルナに会いに来てくれて構わないのよ」

 レイテもまたエギルにここに来るよう勧めてくる。しかしエギルの顔は曇ったままだ。

「でもぼくにはお仕事があるです。フレンさまだってお家に帰ってません。ぼくだけワガママできません」

 ふむ、なるほど。
 家があるにも関わらず塔に滞在しているフレンがいるから、自分も行ってはいけないと思っていたわけか。
 フレンが膝を折ってエギルと目線を合わせた。

「俺が家に戻らないのは特に帰りたいと思っていないからだよ。エギルが母君の顔を見たいならいつだって行って構わないんだ。俺が不在の時にエギルが頑張ってくれたように、君が不在の時は俺が働けばいい。俺と君は共にエーティア様をお支えするために働くパートナーなのだから、もっと頼って欲しい」

「フレンさまぁ……ありがとです」

 ぐしゅ、とエギルの顔がくしゃくしゃになる。

「だそうだ、エギル。お前がいない間はフレンが働いてくれるそうだから気にすることはない。それにお前は足が速いのが自慢だろう? 塔からここまで、あっという間に行って戻って来られる距離だと思うがな。違うか?」

「違わないです。ぼくの足だったらピュンッとあっという間ですっ‼ あ、そっか。お仕事の合間に行って戻って来られるです!」

「そういうことだ」

「えへへ。良かったです。お母さん、ぼく、これからいっぱい会いに来るです。お母さんが普段どんなことをしてるかとか……お父さんのことも聞きたいです。ぼくのお仕事のことも話したいし……とにかくたくさんお話したいです」

 母兎の頬へとエギルが頬をすり寄せる。
 今までの分を取り戻すかのようにたくさん甘えている。

「積もる話もあるだろう。俺とフレンは先に塔へと戻るからエギルは後から戻って来い」

「はいです‼」



 そうして俺達はレイテの家を後にした。
 帰りは特に急いでなかったので、ゆっくりと馬の背に揺られながら戻る。

「やれやれ。何だってお前達はそう俺の世話をしたがるんだか。フレン、お前も帰りたければ好きなタイミングで里帰りしたらいいんだ。俺だって一人でも数日程度なら何とかやれるぞ?」

 肩をすくめると、後ろのフレンが苦笑した気配がする。

「エーティア様。俺はもう成人した男ですよ? エギルに伝えたのは本音で、家に帰りたいとは特に思っていません」

 それに、と言葉を続ける。

「里帰りするよりも愛する人の傍にいたいと思うのは当然だと思いませんか? あなたを一人にしておきたくありません」

 うなじの辺りにちゅ、と唇を落とされた。

「ひゃっ。な、な、何だいきなり」

 びっくりして肩越しにフレンを振り返ると、何かを企んでいるような意味ありげな笑みを浮かべている。

「俺とエーティア様は確かに年が離れていますが……あまり子供扱いしないでください」

 顎を掬われて唇を重ねられる。
 ひゅっと息を吸うために開けた口から舌が滑り込んで来て口の中を蹂躙していく。性交を思わせるような淫らな口づけだ。

「う、ン……確かに子供ではない。子供がこんなことをするはずない」

 腰がへなへなと力を失って、支えられてなければ確実に馬上から転がり落ちていたことだろう。
 何て恐ろしい奴なのだ……。
 息が絶え絶えになる。

「分かっていただけて良かったです」

 フレンは色気と爽やかさが半々に混ざった顔で笑った。


 ***


 あれから週に一、二度ぐらいの頻度でエギルは母兎の元へと通っている。
 真面目なエギルは、毎回自分の仕事を終えてから向かうことにしている。
 『立派な使い魔になるためにはしっかり仕事をする』というのはエギルの矜持であるので、そこは譲れないようだ。
 そしてその日にやる必要のない細かな仕事に関してはフレンにお願いするようにしたようだ。


 今日は自分がすごく美味しいと思ったとっておきのニンジンをお土産に持って行くそうだ。そしておやつに半分こして母兎と食べるのだという。
 あとは最近読んだ『素晴らしい絵本』を一緒に読むのだとリュックサックに詰め込んだ。

 このリュックサックはエギル用のもので、以前フレンがプレゼントしたウサギの形のポシェットと対のデザインになっている。
 毎回荷物をいっぱい抱えて行くエギルのために新たにフレンがプレゼントしていた。
 リュックサックの上部からウサギの耳のようなものがニョキっと生えている。ポシェットと同様にエギルお気に入りのリュックサックだ。

「えーと、えーと、それから今日はお歌を歌ってお母さんに聞かせてあげるです。次に行く時はラークくんも連れて行って一緒に歌いたいです。それからそれから……」

 エギルは行く前と後にいちいち律儀に報告してくるので、毎回何をしてきたのか全て把握している状態だ。
 楽しそうで何よりだと思う。

「しかしエギル、そんなにしゃべっていていいのか?」

「あっ、もうこんな時間です。早くお母さんに会いに行かなくちゃ‼」

「そうするといい。気を付けて行って来い」

「はい。それじゃあエーティアさま、フレンさま、いってくるです‼」

 そして今日もエギルは元気に母兎の元へ向かった。





END
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