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第3話 紅茶

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「いやあ、ハルト兄ちゃんのおかげで助かったよ!」

 大量の魚を藁を編んだ魚籠びくに放り込み、リュートはホクホク顔で感謝の意を述べる。
 一宿お世話になるのだ。生憎私は何も持っていない。
 さしずめ、魚は一宿一般の恩ってところだ。
 
「いや、礼には及ばない」
「それにしてもすごいよなあ。ハルト兄ちゃんの魔法!」
「先ほど使ったのは、術式といって魔法ではないんだ」
「術式?」
「陰陽術の一種だと思ってくれていい」
「陰陽術? ハルト兄ちゃん、さっきもそれ言ってたけど……俺は今までそんな術聞いたこともないや」

 リュートが名前を知らないだけ……という可能性はあるが、漠然と私はこの地に陰陽術は伝わっていないのではないかと感じる。
 何故ならこの地には魔法がある。扱える者が多く、こちらが一般的となると複雑かつ習得できるものが非常に少ない陰陽術をわざわざ学ぶまい。
 もっとも……忍術や武芸は別だろうが……。
 
「リュート、簡単に言うと陰陽術は魔術に近い。陰陽術は大きく分けて三つの術があるのだ」
「へええ。面白いな!」
「術式、札術ふだじゅつ、その他に分かれる。先ほど使ったのは術式。リュートと会話できるようになったのは、その他の術を使ったのだよ」
「すごいな! 俺もハルト兄ちゃんみたいに陰陽術を使えれば……」

 一瞬、ほんの瞬きする間だけだが、リュートの顔が悲壮感の籠った悔し気な表情を見せる。
 しかしすぐに彼はこれまで見せていたような朗らかで少年らしい快活さに戻り、鼻歌交じりに魚籠を担ぐ。
 
「……リュート?」
「どうしたんだい? ハルト兄ちゃん。あ、そうか。飯の心配してるだろお? 大丈夫! 俺はこう見えてなかなか料理が得意なんだって!」
「……そうか、楽しみにしておくよ」

 言いたくないのだろう。リュートが隠し通すつもりなら、あえて触れるような無粋な真似はしまい。

「俺の家まで案内するよ。ついて来て!」
「その魚籠は重かろう。私が持とう」
「大丈夫だって! いつもこれくらいの物を持ってるし。それより、ハルト兄ちゃん」
「何だい?」
「道すがら、陰陽術のことをもっと教えてくれよ! ハルト兄ちゃんの国のこととか聞きたいことが一杯だよ!」
「ははは。私もそうさ。この地のことをリュートから聞きたいものだ」
「気が合うな、ハルト兄ちゃん! 何だか昔から知ってる人みたいだよ」
「そうだな」

 確かにリュートは、私の知るあるお方の幼い頃に似ていると言えなくもない。
 皇太子も幼少の頃は彼のように何にでも興味を持つ快活で素直な少年だった。今もまだ少年と言える歳ではあるが、皇太子という立場上、落ち着いた立ち振る舞いをされるようになったのだ。
 
「ハルト兄ちゃん、こっちこっちいー」
「おいおい、魚籠を持ちながら走ると転ぶぞ」
「平気だって!」

 砂浜を進むと丘になっており、丘の上には赤茶けたレンガが敷き詰められた細い道が続いている。
 いくら運搬が容易である海の傍とはいえ、ここは村なのだろう? まさか舗装された道があるなど思いもしなかった。
 瑞穂国にも舗装された道はもちろんある。しかし、みやこと呼ばれる大きな街でしかお目にかかることは無い。ここのようにレンガではなく、長方形の石を敷き詰めた道であるが……。
 推測するに、この地は相当に豊かなのだろうか。それとも、この村が重要拠点にでもなっているのか? もし、軍事拠点なら厄介だな。静かに暮らすことなんて不可能になってしまう。
 舗装された道の一番の利点は、馬車が動きやすいことにあるのだから……。流通はもちろん、軍事上とても有効だ。
 
「ハルト兄ちゃん、さっき言いかけた……何だっけ式術、札術?」

 舗装の精微さに感心していたら、リュートの声。
 彼の方へ目をやり、顎に指先を当てどう説明すべきか……僅かの間だけ考える。もちろん、進む足は休めずに。

「一口に説明するとなると難しいな……札術は名のとおり札を生き物のように操る術だ。高度な札術になると乗り物にもなる」
「へええ。見せて欲しい!」
「分かった。家についたら見せよう」
「もう一つのは『式術』ではなく『術式』という名だが、こちらは……四つの系統に分かれる。おいおい時間があれば見せよう」
「やったぜ! その他ってのは……」
「一度に説明すると混乱するだろう? とりあえず札術、術式があるとでも覚えておけば問題なかろう」
「うん!」

 リュートと会話をしているうちに、すぐに彼の家へ到着した。
 これまた頑丈そうないい家ではないか。
 漆喰で真っ白に塗られた壁に、赤いレンガの屋根。瑞穂では一般的な平屋ではなく、高い位置に窓があることから二階建てだと思われる。
 
「入って入って!」

 リュートに導かれ、中に入ると驚きから目を見開く。
 漆喰の中は木ではなく石だったようだ。
 というのは、中に入ると剥き出しになった石を積み上げた壁が目に入ったから。
 暖炉に、椅子とテーブル。奥には調理器具らしきものが確認できる。あの奥で調理をするのだな。
 土間が無く、入るとそのまま部屋というのも新鮮だ。
 これだけ堅牢な作りならば、嵐が来ても吹き飛ぶことはないだろう。
 
「リュート、これはここの一般的な家なのか?」
「そうだと思うよ! 村長の家はもっと豪華だけど……」
「そうか……リュートの国は豊かなのだろうな」
「んー。そうかなあ……食べていけるくらいではあるよ!」

 術の系統が違うことよりも、彼らの技術レベルの高さの方が驚きを禁じ得ない。
 先ほどのことだ。
 リュートが魔力を込めると、天井に張り付けた水晶から明かりが灯り、室内がまるで昼間のようになった。
 リュートに尋ねると、水晶はそれなりに高いから大事に扱っているらしい。どのような機構で水晶が光るのかつぶさに調べてみたいところだが……ここはリュートの家。
 魔術、水晶、高い技術レベル。どれも私の探求心を存分に刺激する。
 許されるのなら、この村でしばらく滞在したい。ただ、禁忌を犯したこの身を受け入れてくれるのだろうか。
 誰もがリュートのように気にしないというわけにはいくまい。
 ひっそりと隠棲するだけだと思っていたが、見知らぬ土地に見たこともない人とモノ……心が躍る。
 
「ハルト兄ちゃん、紅茶くらいしかないけど」
「ありがとう」

 リュートは台所で淹れた紅茶なるものが入った陶器でできたポットを手に持ち、テーブルに置く。
 続いて、口の広い陶器のカップを私の前に置き、ポットから紅茶を注ぐ。
 コップの淵まで注がれた琥珀色の液体は、芳醇な香りを放っており私の鼻孔をくすぐる。

「……いい香りだ。抹茶の香りも好きだが、これも悪くない」
「味のそれほどするもんじゃないけど」

 湯気を立てる琥珀色の液体を口に含む。
 ほう。これはまた。茶葉より苦みが薄い。スッキリとして飲みやすいのだが、口の中に広がるかぐわしい匂いが素晴らしいではないか。

「……美味だ」
「気に入ってくれて良かったよ! ハルト兄ちゃんのことだから、紅茶も飲んだことないと思ってさ。飲めなかったら白湯しかないなあって」
「リュート。これほど繊細で薫り高い飲み物は久方ぶりだ」
「紅茶は隣街に行けばすぐ手に入るんだぜ。高い物でもないし、ジャンジャン飲んでくれていいからな!」
「ありがとう」

 目を細めながら、二口目。うん。うまい。
 そういえば、文化の違いや紅茶に驚くばかりで気が付くのが遅れたが……。
 
「リュート、勝手にお邪魔しておいて何だが、ご両親に挨拶をさせてくれないか」

 自分の失礼さに頬が熱くなる。
 私としたことが、なんと礼節を欠いたことを……。
 
 すぐに「わかったぜ! ハルト兄ちゃん、俺もうっかりしてたよ」とでも言ってすぐに両親を連れて来てくれるのだろうと思っていた私の予想に反して、リュートの顔が曇る。

「ハルト兄ちゃん、あのな」
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