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二人の暮らし
しおりを挟む「アーサー様はどこだ!」
捜索から一旦城に戻ったコランがメイドに尋ねた。だがメイドは怯えながら小さい声で「分かりません」と呟くばかりだ。
(……リラ様の事をどれだけ心配しておられるだろう。早く無事だとお伝えしなければ)
その思いだけで馬を走らせ、二日かかる行程をコランは不眠不休で戻って来たのだ。
「城に来ておられないのか?」
「いえ、来られました。けれど……」
「まさかとは思うがグロリア様か?」
黙ったまま震えるメイドの様子に、コランは己の予感が当たった事を確信した。
「グロリア様は部屋か?」
「さっ左様です」
「分かった。ありがとう」
コランはそう言うと魔女の住まう宮殿に向かって駆け出した。
「アーサー様」
グロリアは眠るアーサーをうっとりと見つめる。
「早く目を覚ましてその魅力的なオッドアイを見せて下さいな。そしてその薄く男らしい唇で私に愛を囁いて下さい」
そんなグロリアの声が聞こえているのか、いないのか。ぴくりとも動かないその姿で眉間に皺だけが深く刻まれている。
アーサーが眠るベッドの横には先程の媚薬を練り込んだ蝋燭がゆらゆらと揺れて、怪しげな煙を絶えず燻らせていた。
「本当に端正な顔立ちでいらっしゃる。私たちに子どもが出来たらそれはそれは可愛らしいでしょうね」
囁くようにそう言ってアーサーの頬に唇を寄せる。あとほんの僅かの距離まで近づいた時、ドアの外でグロリアを呼ぶ大きな声がした。
「……なんなの。うるさいわね」
ドアをほんの少し開けて外を見遣ると、コランが苛立ちを隠せない顔で立っている。またこの男か。グロリアも負けじと不機嫌な顔でコランを睨みつけた。
「アーサー様がこちらにおられると聞きました。すぐお呼び下さい。お伝えしたい事があります」
「残念ね。先程お休みになったわ。とても体調が宜しくないの。またにして頂戴」
「そんなわけにはいきません!」
「無礼者!」
グロリアが持っていた扇子でコランの頬を打った。傷付いた彼の頬に血が滲む。
「どうしてもお伝えしないといけないのです」
辛抱強くコランは繰り返す。正妃で無いとはいえ、一国の皇太子の愛妾だ。どれだけ心の中で蔑んでいても態度には出せない。
「目が覚めたら呼ぶから下がりなさい」
「承知しました。お目覚めになるまで待たせて頂きます」
「ちょっ!」
ドアの隙間からするりと部屋に入り込んだコランは、壁を背に直立不動で待ちの姿勢を取った。
「何してるの!早く出なさい!誰か来て!」
慌てて人を呼ぶグロリアだが、リラの捜索で殆どの兵士は出払っている。彼女は仕方なく部屋に戻り蝋燭の火を消した。
(こんな面倒な男まで虜にしたら後が大変だわ。まだアーサーの目は覚めないだろうし、セラフィスも間も無く戻るでしょう)
グロリアは諦めのため息をついてソファに腰を下ろした。
時刻は夕暮れ。
森の中の塔ではリラと兄王子が、先程グロリアのメイドが持って来た食事を分け合って食べていた。
「思ったよりちゃんとした食事ですね」
野菜や肉、そしてデザートまでもが、大きめのプレートに盛られていて、ちゃんとバランスを考えて作られている。
「栄養失調で死なれても困ると思っているんだろう。しかしいつもより随分と多いな」
「コランが上手く伝えてくれたんでしょうか。最近兄王子の食欲があるようなので増やしてくれとか」
「そうかもしれないな」
ふっと微笑む兄王子の顔にリラはドキドキする。
大人の魅力?兄王子は歳を取ってもかっこいいな、そんな事を思うと自然と顔が赤くなった。
「どうかした?」
「いえなんでも。それより想像以上に広くてびっくりしました」
わざと明るく話題を変えて部屋を見渡す。城の部屋とは比べるべくも無いが、こぢんまりと小綺麗で、部屋も二つあり先程までリラが眠っていた寝室と、今食事をしている居間に分かれていた。
「掃除は兄王子が?」
「そうだ。コランが合鍵を持っている事は、弟もグロリアも知らないから中に入って来ない。それよりこのイチジクのタルトを食べてごらん。本当に美味しいから」
「はい。頂きます」
リラはクリームを絞った美味しそうなタルトを頬張りながら、これからの事を考える。
(このままだとモルトワは間違いなく滅ぶ。そしたら兄王子はどうなるんだろう)
不安定な情勢だ。近隣の国から侵略でもされて国を乗っ取られたら?兄王子の身分がバレて打首になるかもしれない。そんな事を思い、リラは身を震わせる。
(死なせない。僕が兄王子を守る。でもそれにはまず、兄王子の気持ちを変えなきゃいけない。今みたいに全てを諦めてしまっていたら前には進まない)
「そうだ。兄王子、名前を決めませんか?」
「名前?なんの?」
「兄王子です!いつまでもその呼び方はどうかと思うんです。セラフィスの名前を取り戻すまでの仮でいいので僕が考えていいですか?」
「……ああ。だが私はセラフィスの名前を取り戻そうなどどは……」
「まあまあ!人って名前を呼んで貰わないと自分が何だか分からなくなるじゃ無いですか」
「それもそうだな」
兄王子は頷いた。心なしか嬉しそうに見えるのはリラの思い過ごしだろうか。
「じゃあライラックはどうですか?」
「ライラック?」
「はい!リラの別名です。リラとライラックは同じ花なんです」
「リラと同じ……」
兄王子は異国の上等な砂糖菓子を口に含むように、ライラックと呟く。それは例えようもない充足感を持って、彼の全身を甘く包んだ。
「いい名前だ」
「よかった!じゃあ今日からライラック王子と呼びますね」
「王子も敬語もいらない。昔のように話して欲しい」
「分かりま……分かった」
(まるで時間が巻き戻ったみたいだ)
リラはあの頃のような舌ったらずな子供ではないし、ライラックに至っては祖父程の年寄りになり、名前まで変わってしまった。
けれど二人の間に流れる空気は子供の頃のままで、リラ達はそれからしばらくの間、お茶とデザートを楽しんだ。
「ライラックはいつからここにいるの?」
「国王が倒れてしばらくしてからだ。ある日突然、弟の側近達に捕えられてここに連れて来られた。その日から弟がセラフィスと名乗り、私のふりをして皇太子の座に着いた」
「抵抗はしなかったの?」
「弟はずっと離宮で名前も付けてもらえず過ごして来たんだ。それを思うと私に取って代わりたいと思っても仕方ない」
(優しい。優しすぎる!!僕がグロリアの腕を折ったなんて言ったら、呆れて捨てられる!)
リラは嫌な汗をかきつつ話題をそっと変える。
「僕が来る事はセラフィスから聞いたの?」
「ああ。とても浮かれて話に来たよ。リラの美しさを人伝に聞いたらしい。幸せにしなければ一切の政務は放棄すると脅したんだが嫌な思いはしなかったか?」
「……まあ」
会うなり事に及ぼうと躍起になってた姿を思い出すと呆れるけど。
「ライラックは僕とセラフィスが結婚する事を何とも思わなかったの?」
「それは……」
口を尖らせてライラックを見上げるリラは破壊的な可愛さで彼を責める。
ライラックにしてもリラは初恋だ。本当に結婚出来たらと夢を見ていた。けれど今の自分はグロリアの薬のせいでこんな老人になってしまった。しかも塔に閉じこめられ、なんの権力もなくリラにあげられる物も無い。
こんな自分が軽々しく若く美しいリラに自分の側にいて欲しいなんて言える訳がない。
それに見た目通りに体も衰えているとしたら、ほんの数年でリラを置いて死んでしまうのだ。
「リラには幸せになって欲しいんだ。私は相応しくない」
「なにそれ。俺が幸せにするって言ってくれないの」
そんなリラの文句にもライラックは苦笑いを返し、そろそろ寝るようにと寝室に促す。
「ライラックは?」
「私は仕事が残っているからね」
「……分かった。ベッドは一つだもんね。先に休んでるから早く来てね」
「ああ」
ライラックと一緒にいられるのが嬉しいのか、ご機嫌なリラは足取り軽く隣の部屋に消える。
そんなリラを見送ったライラックは膝の痛みを堪えながら立ち上がり、書類を書く為に事務机に向かった。
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