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5章 東の地
第237話 大人
しおりを挟むアザル兵士長の元に行こうとするシャルと目が合ったけど、俺は何も言わなかった。
俺とマナスはそれぞれ仕返しというか......殴っているけど、シャルのそれを止める権利は無いように思う。
シャルの方も何も言わずに俺からアザル兵士長に視線を戻し、ゆっくりと近づいていく。
対するアザル兵士長は......マナスによる乱打の影響で未だ立ち上がることは出来ていない。
ただ上半身を起こしてこちらを睨んで......いや、あまり感情が感じられない目でこちらを見ている。
気絶寸前と言うことだろうか?
先程までの嘲り交じりの目ではなく、ただひたすら感情の見えない灰色の目がこちらを見ているだけといった感じだ。
俺はアザル兵士長からシャルの後ろ姿に視線を戻す。
もはや相手は辛うじて意識があると言った状態だ、いくらシャルが怒り心頭であったとしても流石に死体打ちはしないと思うけど......。
悠然と歩みを続けるシャルの後ろ姿からは、今何を考えているのかはさっぱり読み取ることが出来ない。
アザル兵士長とシャルの距離が......後十メートル程といった所で、ゆっくりと近づいていたシャルの姿が突然掻き消えた。
次の瞬間、アザル兵士長のすぐそばに姿を現したシャルは前足でその顎を撃ち抜く。
脳を揺らされたアザル兵士長が白目をむいて気絶する。
『ケイ様、終わりました。』
「......うん、お疲れ様。シャル。」
俺とマナスはシャル、そして倒れ伏したアザル兵士長の元へと近づいていく。
俺が思っていたよりもシャルは冷静だったみたいだね。
というか、マナスが思ったよりも冷静じゃなかった。
ちょっとやりすぎだと思う。
シャルはその辺非常に大人の対応だったと思うけど......でも少し不満そうだな。
っと......今はその前に。
「マナス。皆に確保成功の合図を出してくれるかな?」
俺の言葉にマナスが一度大きく弾む。
これで皆もアザル兵士長の部下を確保してくれるはずだ。
皆の所にはバックアップとしてネズミ君達が張り込んでくれているし、万が一取り逃したとしても追跡は容易だろう。
「これで他の人間も捕らえることが出来るね。」
『はい、あの者達なら問題ないでしょう。』
「うん。こっちもアザル兵士長を拘束しちゃおうか。」
シャルが気絶させた以上そう簡単には起きないだろうけど、何か嫌な予感がするので弱体魔法を全力でかけて意識が戻らない様にしておこう。
俺はアザル兵士長に弱体魔法をかけて身動きが取れない様にすると同時に意識も戻らない様にする。
思考速度も全力で遅くしているので意識を取り戻したとしても、そうそう動くことは出来ないはずだ。
一仕事終えた俺の視線の先でシャルとマナスが向き合っていた。
View of ナレア
少しだけ、ほんの少しだけじゃがヤキモキしていたのじゃが......妾の肩に乗っていたマナスからケイの方の作戦が上手くいったことを知らせる合図が来た。
まぁ、ケイの所にはシャルも居ったからのう。
万が一にも取りこぼしは無いと思っておったが、随分と時間が掛かったものじゃ。
ほんの少しくらいは心配しても仕方がないのじゃ。
恐らく、レギ殿やリィリも心配していたに違いない。
「さて、マナスよ。妾達も仕事を片付けるとするかのう。」
肩にいるマナスがプルプルと震える。
ん?
「マナスどうかしたのかの?」
いつも肯定の場合は弾むようにして答えるのじゃが、何故か今は妾の肩の上で震えておる。
妾が問いかけると問題ないと言う様にマナスが震える。
ケイや他の皆の所で問題が起こったわけでは無いようじゃな。
問題は無さそうなので、妾はトールキン衛士長の部下に貸し出している対になった魔道具を起動する。
これであちらの魔道具も光って合図を出せたはずじゃ。
後は、妾が担当する相手を捕らえるだけじゃな。
この作戦が無事に終わればグラニダにいる檻の構成員を一掃できるはずじゃ。
後はセラン卿達の手腕にもよるが、グラニダの政権はセラン卿達の手に戻るじゃろう。
カザンはまだ若い......じゃが精神的にも資質的にも経験さえ積めばすぐに領主として先頭に立つ事が出来るようになるじゃろう。
その時の為に、そしてノーラの為に......この作戦、失敗は許されないのじゃ。
妾は少し前を歩く対象を見る。
先程まで酒場で酒を飲んでいたのじゃが満足したのか今は店を出てくれたのじゃ。
あのまま店にいたままだと捕獲が難しいところじゃったからのう。
幸いここは人気もない......すぐに捕まえるとするのじゃ。
妾が接近しようと足を速めた瞬間、相手が進路を変えて路地に入ったので姿が見えなくなってしまった。
妾以外にも監視しているネズミ達がいるとは言え、見失うのはまずいのじゃ。
妾は距離を詰めて路地を覗き込み、路地の奥でこちらを振り返っている標的と目が合ってしまう。
「先ほどからついて来ていましたが、何か御用ですか?お嬢さん?」
失敗したのじゃ......。
気取られている様子はなかったはずじゃが......相手の方が上手じゃったかのう?
「うむ、すまぬのう。いや、大した用ではないのじゃ。非常に言いにくいのじゃが......ちょっと捕らえさせてくれるかのう?」
妾がそう言った瞬間、礫のようなものが妾目掛けて飛来する。
ケイに掛けてもらっている強化魔法のお陰で避けることはたやすい。
しかし、この男......ケイ達に聞いていたアザル兵士長の部下よりも手練れのような気がするのじゃ。
礫を放った男はそのままこちらに背を見せずに後方に下がっていく。
逃がすわけにはいかないのじゃ......。
左手に装備している魔道具を起動し、斬撃型の魔力弾を放つ。
魔力視が使えないようであればこれで動きを止められるはずじゃ。
しかし妾の思いに反して男は横薙ぎの一撃をしゃがんで躱す。
続けて魔力弾を放つも全てが躱されてしまう。
ここまで見事に躱されたのはケイ達を除けば初めてかもしれないのじゃ。
攻撃の手を緩めることなく魔力弾を撃ちながら相手へと接近していく。
しかし相手もさるもので、魔力弾の飛来する間断をついて妾に向けて礫を放ってきた。
お互いにあまり広くもない路地で飛び道具を放ち、躱しておるが......街に被害を出さぬように気を付けねばのう。
「素晴らしい使い手ですね。そこまで魔道具を使いこなしている方は中々お目に掛かれませんが......それに気遣いも素晴らしい。私に避けられた魔力弾は即座に霧散させるとは、随分と余裕がおありのようですね。」
「ほほ。妾は謎の組織の構成員と言う訳ではないからのう。街を壊してしまうのはバツがわるいのじゃ。」
「......おや、私を捕らえたいのはそう言った理由でしたか。てっきり美しい女性からの熱烈な求愛だと思っていたのですが。」
妾の含みある返答に気取った態度を崩さずに応える男。
めんどくさそうな相手じゃな。
「......お主は求愛してきた美少女に礫で返事するのかの?」
「これは申し訳ない。うっかり殺気に反応してしまいました。女性たちの熱い想いを受け止める為に、もう少し心に余裕を持たなければなりませんね。」
笑みを湛えながら軽く頭を下げてくるその男を見て......なんか、ちょっとぞわっとするのじゃ。
とは言え、そんな態度ではあるが相手は全く油断していないようじゃ。
相当な実力者......ケイ達と出会う前の妾では捕らえるのは無理じゃったかもしれぬのう。
「貴方との逢瀬は非常に心躍るものではありましたが......この辺で失礼させていただきますね。少し用事を思い出しましたので。次の機会には是非お茶でもご馳走させてください。」
「そう慌てることはないのじゃ。ゆっくりして行くと良い、お茶は保証せぬが喋りやすい場所に招待してやるのじゃ。」
「そこまで求められてしまうと悩んでしまいそうですが......やはりここはお暇させて頂きます。次の機会には是非じっくりと......。」
そう言って身を翻した男の背を目掛けて魔力弾を放つも、あっさりと避けられてしまう。
まぁ、ばればれじゃったか......妾も避けられるのは予想していたので距離を詰めるべく走り出している。
「ふふ、女性に追いすがられると言うのも悪くないですね!」
冗談ではなく、心底嬉しそうに笑う男は......この状況に相応しくない。
相当な余裕ということじゃな。
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