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第1章 変わる日常
第23節 記憶喪失と覚悟
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帰路を歩く二人の周りは街灯の明かりのみが照らされており、周りは真っ暗となっていた。完全に夜になってしまっていた。
「思った以上に長居してしまいましたね……」
「いろんなものが置いてたもんね」
確かにシン婆と話していたのもあるが、大半はあの店の雑貨を触っていたことが原因だ。
手に取るものすべてが普通だと聞かないようなものだった。
いったいどこから仕入れているのだろうか。
「グラフォス君、私一つ気になることがあるんだけど聞いてもいい?」
「気になること?……ああ、だいたい想像はつきますけどいいですよ」
アカネが少し様子をうかがいながら口を開いたのに対して、グラフォスは思い当たる節があるのか軽い口調で返事を返す。
「シンさんが言っていたドラ坊っていうのは……」
「まあそのことですよね。うーん、何から話せばいいのかわからないんですけど……まあいっか。簡潔に言うとですね、記憶がないんですよね」
「え?」
あまりの軽い口調で放たれたカミングアウトに思わずアカネはその場で足を止める。
それに合わせるようにグラフォスも二歩ほど先に行ったところで足を止めて振り返った。
「えっと……記憶がないって?」
「僕、5歳より前の記憶がないんです。正確に言うとこの街にいる頃より前ですかね。きっと魔法か魔道具か何かで消されたと思うんですけど。だから僕の記憶にはまったくないんですけど、僕が生まれたところって結構な名家だったらしいんですよね。『ドラフォノス一家』なんて呼ばれてるみたいです。なんか初代大魔導師の子孫だとか言ってたかな?」
「記憶が消されたって、それは大丈夫なの?」
「そんなに珍しいことでもないですよ? きっと僕が『書き師』を選んだから捨てられたんだろうし、そういった子供は別に珍しくないです。そういった名家生まれの子供とかならなおさらですけど。この世界は選んだ職業で人生の価値を決めがちですからね。書き師は一般的には魔法適正も剣術適正もない人がなる最弱職業ですから、きっと失望したとかそんな理由じゃないですかね」
「そう……だったんだ」
明るい雰囲気を保つグラフォスに対してアカネの表情はどんどん暗くなっていき、それを隠すように顔はうつむいていた。
「最初僕ただのグラフォスですって言いましたけど、本当は『ドラフォノス・グラフォス』っていうんです。これを知ってるのがミン姉とシン婆だけで、苗字を言うとややこしいことになるから普段は隠せって言われてたんですよね。だからあの時もあえて名字を言わなかったんです。だましてたみたいですみません」
「ううん……」
「あれ? でもシン婆いつもほかに人がいたら絶対にドラ坊なんて呼んでこないのに今日は何で普通にドラ坊って呼んできてたんだろう……」
シン婆がうっかりミスでほかの人にグラフォスとドラフォノス家に関係があるなんてにおわせるはずがない。だってこれまでにそんなミスをしたことがないから。
ならなぜ今日はずっと呼び方を変えずに呼んでいたのだろう。アカネが目の前にいたのに、気にしている様子がなかった……。
またしても自分の思考の渦に取り込まれそうになっていたグラフォスはずっとアカネが黙っていることに気づき、慌ててアカネの方に目を向ける。
「え……?」
アカネは泣いていた。長い髪に隠れて見えづらいが確かに彼女の瞳から大量のしずくが零れ落ち、それが地面に滴り落ちていた。
「ちょ……ちょ、なんでアカネ泣いてるんですか!?」
わかりやすく動揺するグラフォス。今まで同年代とかかわりを持ったことがない。それどころか人との関わりも限られている。
そんなグラフォスが目の前で泣いている女の子を前にしてどうしたらいいかなどわかるはずもなかった。
「僕何か気に障ること言いましたか? 傷つけちゃいました? ごめんなさい!」
訳も分からず理由もなくあたふたしながら謝るグラフォスに、ゆっくりと首を横に振ってそれを否定するアカネ。
「ごめんね……私が泣くことじゃないんだろうけど……私ってちっぽけだなって思って……グラフォス君はつらい経験をしているのに、私一人だけつらいみたいな顔して落ち込んで、逃げたりしたから。グラフォス君はすごいなって……ちゃんと乗り越えられて」
「まあ……乗り越えるも何もそもそも記憶がないですからね……」
グラフォスは困ったように頭を掻きながら少しずつ恐る恐るアカネに近づく。
「考えてみれば今日だって私グラフォス君に守ってもらってばっかりだったし、命を助けてもらったのに何もできてない……」
「それはこの街のこと何も知らないし仕方ないんじゃ……。そ、それに僕も運がよかったんですよ! 最初のころはミン姉に守ってもらってばっかりでしたし、最初はだれしもそんなもんですよ! 生きる知恵がないんだから仕方ないです!」
「…………」
「僕は今も苦労してないですしね! ミン姉のおかげでそれなりの生活ができているしきっと元の家にいた時より今の方が楽しいんじゃないかな! わからないけど、ハハハ……はははは……」
涙は止まったようだがうつむいたままのアカネ。グラフォスの乾いた笑い声だけが夜の街に響いていた。
「ごめんねグラフォス君。困らせちゃって……」
「いえ、僕の方こそ変な話してすいませんでした」
アカネの謝罪に対して謝罪を返すグラフォス。二人の間に一瞬気まずい空気が流れたが、アカネが勢いよく顔をあげたことでその空気は霧散される。
「アカネ……?」
アカネはまだ涙でぬれているその目を両手でぐしぐしとこすって涙を拭きとる。
そして再び見えたその表情はやけに真剣みを帯びていた。
そんな覚悟を決めたかのような目で見つめられたグラフォスも思わず姿勢を正す。
「私決めた。この世界でちゃんと生きていくよ。グラフォス君の後ろじゃなくて隣を歩けるように、私がグラフォス君を守れるように。何ができるかわからないけど、精いっぱいこの世界で生きてみる」
「僕は守られる前提なんですね……。まあ心強い限りですけど」
「ごめんね……急に泣いて、こんな変なこと言っちゃって」
「いいですよ。僕はさっきより今のアカネの表情の方が好きです」
「へっ!?」
アカネは出会ったころよりも何かに吹っ切れたのかどこか明るい表情をしていた。憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。
彼女の心境にどんな変化があったのかはわからない。ただ自分の記憶喪失の話が何かのきっかけになったのなら、それでいい、そう思った。知識欲の塊であるグラフォスがそう思えるほどに今の彼女の表情は綺麗だった。
まあ最後のグラフォスの一言でそのりりしい顔は崩れさって今は真っ赤な顔をして沸騰状態になってしまっているわけだが。
「あ、そうだ。アカネにこれ、渡そうと思ってたんでした」
鈍感なのかわざとなのかアカネの顔が真っ赤になったタイミングでリュックに視線を移動させたグラフォスは、彼女の変化に気づくことなく一冊の本を取り出すとアカネに差し出した。
「え、これって……」
何とか冷静さを取り戻したアカネはグラフォスから差し出された本を手に取る。
それは先ほどシン婆の店で購入した桃色の表紙に赤色の花が刺繍されている本だった。
「シン婆に見せてもらった時からアカネに上げようと思ってたんです。結局今日は何も買えなかったわけですし、これくらいはしないとなと思って」
「え、でも私のために街探索をしてくれたのに、こんなものまでもらっちゃっていいの?」
「いいですよ。僕はまだ残念ながらストックがありますし、それにこの花アカネは何の花かわかるんですよね。余計にアカネが持った方がいいです」
「そういうことなら……」
最初は戸惑いながら受け取っていたアカネだったが、完全に自分の手に渡り表紙を眺めているうちにどんどんと笑顔になっていた。
「ありがとうグラフォス君! 大事にするね!」
「大事にするよりは使い倒した方が本も僕もうれしいと思いますよ」
「じゃあいっぱい使う!」
少し子供っぽい口調になっていて、完全に元気を取り戻していたアカネの姿に安心したグラフォスは思わず口を綻ばせてしまう。
「さあ、そろそろ本当に帰らないと! ミン姉に怒られる可能性大ですしね」
「うん、明日からお仕事頑張らなくちゃ!」
「そんな気合を入れるほどすることはないですけどね」
そんな他愛のない話をしながら二人は歩みを再開させる。アカネは少し駆け足でグラフォスに追いつくと、その背中ではなく隣に立ちグラフォスの顔を見ながら歩いていた。
グラフォスは行きと違った感覚に気恥ずかしさを覚えながらもそれでも楽し気に帰路を歩いていた。
家に着いた二人は案の定ミン姉に怒られた。
そしてグラフォスはアカネの目が真っ赤にはれ上がっていたことを問い詰められ、そしてちゃっかりとギルドでの白金貨の一件を報告していたギルド嬢の思惑通り、こっぴどく叱られるのであった。
「思った以上に長居してしまいましたね……」
「いろんなものが置いてたもんね」
確かにシン婆と話していたのもあるが、大半はあの店の雑貨を触っていたことが原因だ。
手に取るものすべてが普通だと聞かないようなものだった。
いったいどこから仕入れているのだろうか。
「グラフォス君、私一つ気になることがあるんだけど聞いてもいい?」
「気になること?……ああ、だいたい想像はつきますけどいいですよ」
アカネが少し様子をうかがいながら口を開いたのに対して、グラフォスは思い当たる節があるのか軽い口調で返事を返す。
「シンさんが言っていたドラ坊っていうのは……」
「まあそのことですよね。うーん、何から話せばいいのかわからないんですけど……まあいっか。簡潔に言うとですね、記憶がないんですよね」
「え?」
あまりの軽い口調で放たれたカミングアウトに思わずアカネはその場で足を止める。
それに合わせるようにグラフォスも二歩ほど先に行ったところで足を止めて振り返った。
「えっと……記憶がないって?」
「僕、5歳より前の記憶がないんです。正確に言うとこの街にいる頃より前ですかね。きっと魔法か魔道具か何かで消されたと思うんですけど。だから僕の記憶にはまったくないんですけど、僕が生まれたところって結構な名家だったらしいんですよね。『ドラフォノス一家』なんて呼ばれてるみたいです。なんか初代大魔導師の子孫だとか言ってたかな?」
「記憶が消されたって、それは大丈夫なの?」
「そんなに珍しいことでもないですよ? きっと僕が『書き師』を選んだから捨てられたんだろうし、そういった子供は別に珍しくないです。そういった名家生まれの子供とかならなおさらですけど。この世界は選んだ職業で人生の価値を決めがちですからね。書き師は一般的には魔法適正も剣術適正もない人がなる最弱職業ですから、きっと失望したとかそんな理由じゃないですかね」
「そう……だったんだ」
明るい雰囲気を保つグラフォスに対してアカネの表情はどんどん暗くなっていき、それを隠すように顔はうつむいていた。
「最初僕ただのグラフォスですって言いましたけど、本当は『ドラフォノス・グラフォス』っていうんです。これを知ってるのがミン姉とシン婆だけで、苗字を言うとややこしいことになるから普段は隠せって言われてたんですよね。だからあの時もあえて名字を言わなかったんです。だましてたみたいですみません」
「ううん……」
「あれ? でもシン婆いつもほかに人がいたら絶対にドラ坊なんて呼んでこないのに今日は何で普通にドラ坊って呼んできてたんだろう……」
シン婆がうっかりミスでほかの人にグラフォスとドラフォノス家に関係があるなんてにおわせるはずがない。だってこれまでにそんなミスをしたことがないから。
ならなぜ今日はずっと呼び方を変えずに呼んでいたのだろう。アカネが目の前にいたのに、気にしている様子がなかった……。
またしても自分の思考の渦に取り込まれそうになっていたグラフォスはずっとアカネが黙っていることに気づき、慌ててアカネの方に目を向ける。
「え……?」
アカネは泣いていた。長い髪に隠れて見えづらいが確かに彼女の瞳から大量のしずくが零れ落ち、それが地面に滴り落ちていた。
「ちょ……ちょ、なんでアカネ泣いてるんですか!?」
わかりやすく動揺するグラフォス。今まで同年代とかかわりを持ったことがない。それどころか人との関わりも限られている。
そんなグラフォスが目の前で泣いている女の子を前にしてどうしたらいいかなどわかるはずもなかった。
「僕何か気に障ること言いましたか? 傷つけちゃいました? ごめんなさい!」
訳も分からず理由もなくあたふたしながら謝るグラフォスに、ゆっくりと首を横に振ってそれを否定するアカネ。
「ごめんね……私が泣くことじゃないんだろうけど……私ってちっぽけだなって思って……グラフォス君はつらい経験をしているのに、私一人だけつらいみたいな顔して落ち込んで、逃げたりしたから。グラフォス君はすごいなって……ちゃんと乗り越えられて」
「まあ……乗り越えるも何もそもそも記憶がないですからね……」
グラフォスは困ったように頭を掻きながら少しずつ恐る恐るアカネに近づく。
「考えてみれば今日だって私グラフォス君に守ってもらってばっかりだったし、命を助けてもらったのに何もできてない……」
「それはこの街のこと何も知らないし仕方ないんじゃ……。そ、それに僕も運がよかったんですよ! 最初のころはミン姉に守ってもらってばっかりでしたし、最初はだれしもそんなもんですよ! 生きる知恵がないんだから仕方ないです!」
「…………」
「僕は今も苦労してないですしね! ミン姉のおかげでそれなりの生活ができているしきっと元の家にいた時より今の方が楽しいんじゃないかな! わからないけど、ハハハ……はははは……」
涙は止まったようだがうつむいたままのアカネ。グラフォスの乾いた笑い声だけが夜の街に響いていた。
「ごめんねグラフォス君。困らせちゃって……」
「いえ、僕の方こそ変な話してすいませんでした」
アカネの謝罪に対して謝罪を返すグラフォス。二人の間に一瞬気まずい空気が流れたが、アカネが勢いよく顔をあげたことでその空気は霧散される。
「アカネ……?」
アカネはまだ涙でぬれているその目を両手でぐしぐしとこすって涙を拭きとる。
そして再び見えたその表情はやけに真剣みを帯びていた。
そんな覚悟を決めたかのような目で見つめられたグラフォスも思わず姿勢を正す。
「私決めた。この世界でちゃんと生きていくよ。グラフォス君の後ろじゃなくて隣を歩けるように、私がグラフォス君を守れるように。何ができるかわからないけど、精いっぱいこの世界で生きてみる」
「僕は守られる前提なんですね……。まあ心強い限りですけど」
「ごめんね……急に泣いて、こんな変なこと言っちゃって」
「いいですよ。僕はさっきより今のアカネの表情の方が好きです」
「へっ!?」
アカネは出会ったころよりも何かに吹っ切れたのかどこか明るい表情をしていた。憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。
彼女の心境にどんな変化があったのかはわからない。ただ自分の記憶喪失の話が何かのきっかけになったのなら、それでいい、そう思った。知識欲の塊であるグラフォスがそう思えるほどに今の彼女の表情は綺麗だった。
まあ最後のグラフォスの一言でそのりりしい顔は崩れさって今は真っ赤な顔をして沸騰状態になってしまっているわけだが。
「あ、そうだ。アカネにこれ、渡そうと思ってたんでした」
鈍感なのかわざとなのかアカネの顔が真っ赤になったタイミングでリュックに視線を移動させたグラフォスは、彼女の変化に気づくことなく一冊の本を取り出すとアカネに差し出した。
「え、これって……」
何とか冷静さを取り戻したアカネはグラフォスから差し出された本を手に取る。
それは先ほどシン婆の店で購入した桃色の表紙に赤色の花が刺繍されている本だった。
「シン婆に見せてもらった時からアカネに上げようと思ってたんです。結局今日は何も買えなかったわけですし、これくらいはしないとなと思って」
「え、でも私のために街探索をしてくれたのに、こんなものまでもらっちゃっていいの?」
「いいですよ。僕はまだ残念ながらストックがありますし、それにこの花アカネは何の花かわかるんですよね。余計にアカネが持った方がいいです」
「そういうことなら……」
最初は戸惑いながら受け取っていたアカネだったが、完全に自分の手に渡り表紙を眺めているうちにどんどんと笑顔になっていた。
「ありがとうグラフォス君! 大事にするね!」
「大事にするよりは使い倒した方が本も僕もうれしいと思いますよ」
「じゃあいっぱい使う!」
少し子供っぽい口調になっていて、完全に元気を取り戻していたアカネの姿に安心したグラフォスは思わず口を綻ばせてしまう。
「さあ、そろそろ本当に帰らないと! ミン姉に怒られる可能性大ですしね」
「うん、明日からお仕事頑張らなくちゃ!」
「そんな気合を入れるほどすることはないですけどね」
そんな他愛のない話をしながら二人は歩みを再開させる。アカネは少し駆け足でグラフォスに追いつくと、その背中ではなく隣に立ちグラフォスの顔を見ながら歩いていた。
グラフォスは行きと違った感覚に気恥ずかしさを覚えながらもそれでも楽し気に帰路を歩いていた。
家に着いた二人は案の定ミン姉に怒られた。
そしてグラフォスはアカネの目が真っ赤にはれ上がっていたことを問い詰められ、そしてちゃっかりとギルドでの白金貨の一件を報告していたギルド嬢の思惑通り、こっぴどく叱られるのであった。
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