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第1章 変わる日常

第10節 無知とおいしいごはん

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「へえじゃあ本当に何も知らないんですね」

「すいません」

 二人を手をつないだまま街の中心部を歩いていた。人の往来が多い中二人を気にする人は特にいない。

 街を歩いている間少女の質問の意図を聞いてみると、ここについて、というより一般常識からなにまで何も知らないらしかった。

「ここはアウリント国のリンアという都市です」

「アウリント国……」

 グラフォスの説明を受けても困惑した表情を崩さない少女。そんな彼女の様子を見てグラフォスも少し困ったように眉を寄せて苦笑いを浮かべる。

「えーっと、まず一つずつ整理していきましょうか。この世界のことは何というか知っていますか?」

「いえ、知りません」

 普通の人が聞かれたらばかにしているかと怒りそうな質問にも少女は無知であると素直に答える。
 グラフォスは彼女の特徴と知識の少なさから一つの仮定を頭の中で思い浮かぶが、それを口に出すことはなく少女にこの世界の説明を始めることにした。

「この世界は『マジエイト』といいます。まあ世界の成り立ちは今詰め込んでも仕方ないので省きますね。それでこの世界には大まかに分けて五つの国が存在します。何か知ってる国とかあります?」

「国かどうかわかりませんが、フィーコーという場所から来たのは何となく覚えています」

「フィーコー? 聞いたことないな……。どんなところでした?」

「あんまり覚えてないですけど……お城からでたら森の中でしたし雰囲気は暗かった……です」

 グラフォスの問いかけにこたえる彼女の様子はどこか苦しそうに見えた。
 それを見てグラフォスは手を出して話を遮る。

「ああ、大丈夫ですよ。無理に答えなくても」

 きっとどこかの国の箱入り娘が家出したか、もしくは……。
 そこまで考えたグラフォスは早計に結論を出すべきではないと判断して思考を元に戻す。

「まあ国としては残念ながら聞いたことがありませんね。ここには四つの大国が存在しています。『セレナ』『アウリント』『ノーフェイ』『クリート』です」

「クリート……」

 グラフォスは指を折りながら数えていたため、彼女が小さくつぶやいたことに気づかずそのまま話を続ける。

「で、ここはアウリントです。まあ見ての通り木と山に囲まれた何もない国ですよ」

 グラフォスは苦笑いしながら周りを見渡す。街の外に出ても森が広がっているだけで、その森を抜けると西と東には大きな山脈が立ちはだかっている。

 街の中はそれなりに整っているため、にぎやかではあるが特筆すべき産業品も存在しない何の変哲もない街だ。

「人じゃないような方もちらほらいらっしゃるみたいですが……」

 そういう彼女の視線は仮面、被り物をしていないのであれば明らかに人ではない、顔が魚のようにのっぺらとしていて、上半身うろこまみれのその体を見せて歩いている者に引き寄せられている。

「ああ、ここは獣族と共存している国でもありますからね。人よりは少ないですけどちらほらいますよ。見たことなかったですか?」

「そう……ですね」

 そんなことを話していると、いつの間にか二人はミンネが待つ家ヴィブラリーに戻ってきていた。とたんに彼女は不安そうに家の入り口を見つめる。
 家出・脱走したことにそんなに忌避感を覚えているのだろうか。

「大丈夫ですよ。そりゃちょっとは怒られるかもしれないですけど、僕もフォローはしますし」

「……はい」

「それにミンネさんは基本優しいので。いろいろと聞かれるかもしれないですけど、そこはあきらめてください。怒られるのは代わりに僕がやります」

 フォローになっていないグラフォスの言葉を受けて彼女は小さく苦笑いを浮かべる。

「お、笑った」

「私笑ってます?」

「んー、少なくとも柔らかくなってはいますよ」

 グラフォスも小さく微笑むと彼女の手を再び握り直し、家の中へと戻るのであった。



 家の中に戻った少年と少女は二人とも目のまえに用意されたスープ、肉をかきこんでいた。
 黒い髪と白い髪を乱しながら皿の中のスープを一気に腹に詰め込む二人をミンネがあきれたように見つめながらパンを食べる。

「おかわり」

「たく、いつもに増して今日はよく食べるね」

「よくよく考えたら昼から何も食べてなかったですからね。朝もパンだけでしたし」


 グラフォスと少女が店に戻るとミンネは特に何も言うことなく二人を二階の食卓へと連れて行った。

 そして二人はミンネが作ったのであろう夕食のにおいと同時に空腹を自覚して、席に着くとそのまま目の前の料理にがっつく結果となったというわけだ。

「あんたはおかわりいらないのかい?」

 目の前の皿がなくなるとほぼ同時にミンネに皿を差し出したグラフォスとは別に、少女は少し迷った様子で殻になった皿の中を見つめながらパンをかじっていた。

「遠慮するんじゃないよ。ほらよ」

 ミンネは少女の前にあったからの皿を取ると、代わりにスープが入った皿を少女の前に置く。

「ありがとうございます……」

「あいよ」

「ミン姉それ僕の……」

「ちょっと待ちな」

 ミンネは自分の元に来るはずだったスープがなみなみと入った皿を眺める。見られていると気づいていないのか隣に座る少女はスープにパンを浸しておいしそうに頬を緩めながら食べていた。

 グラフォスは昼からだが、思えば少女はいつから食べていないのかわからない。少なくともグラフォスが運んでからはずっと倒れたままだったのだから、丸一日は何も食べていない。

「はいお待たせ」

 ミンネはグラフォスの前にもお代わりがつがれたスープを置く。
 しかしグラフォスはそれに手を付けることなく、目の前のスープと隣でスープで浸したパンをほおばる彼女を交互に見る。ふと少女の皿に目を向けるとスープは再びほとんどからになっている状態だった。

「これも食べます?」

 グラフォスは今しがた自分の目の前に置かれた皿を少女の方に近づける。少女は食べる手を止めると、パンを口に含んだままグラフォスのほうに視線を向ける。

「いいんですか?」

「なんかお代わりのスープ見たら、自分が結構お腹いっぱいだということに気づきました。ミン姉に渡すのもあれですし、食べていいですよ」

「……ありがとう」

 少女は自分の前に置かれたスープを飲み干すと、グラフォスが渡したスープを若干恥ずかしそうに受け取る。
 思いのほか自分ががっついて食べていることに気づき羞恥心でも感じているのかもしれない。

「へえフォス、やるじゃないか」

 ミンネがからかうようにグラフォスに笑いかける。

「うるさいですよ」

 グラフォスは照れを隠すように少し不貞腐れた様子でパンにかじりついた。

「これ食べな」

「ありがとう」

 ミンネから渡されたパンを受け取りながら、グラフォスと少女は食事を続ける。
 それをミンネは優しく微笑みながらパンをほおばっていた。
 和やかな雰囲気が食卓に流れていた。


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