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第1章 変わる日常

第1節 日常と街の本屋さん

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「グラフォス! あんたまた一人で外に出たんだって!?」

 町の本屋さん『ヴィブラリー』でいつものごとく店主の叫び声が辺り一帯に響きわたる。

「ミンネさん、お店では静かにしましょうって習いませんでした?」

  そんな怒鳴り声に冷静に反応する白髪が目立つ少年。その手には少年にとっては持ちにくいであろうほどの大きさの装丁本が握られている。

「一体誰が私の血圧を上げてるんだい!」

「ここに立ち寄るのに何も買わない無銭常連客にでしょうか」

 少年は店の前で大きく立ちはだかるミンネを横目に淀んだ瞳で店内を見つめる。
 店内にいた客達は名指しされてないにもかかわらず、いそいそとミンネの横を縮こまりながら通り過ぎ、街中へと消えていく。

「あんな連中いてもいなくても変わらないよ! あんたに怒ってんの!」
「まあまあ、こうして何事も帰ってきてるんだからそれでいいじゃないですか」
「何かあってからじゃ遅いんだよ! 分かってんのかい!グラフォス!」

  少年の名前が再び大声で街中に響き渡った直後、同じくらいの大きさで鈍い音が周りに響く。

 「……今日受けたダメージの中で1番痛いんですが……」

  ミンネの愛の鉄拳がグラフォスの脳天を突き抜ける。
  今まで無表情を保っていたグラフォスも涙目を浮かべて、思わず頭を抑えた。

「まったくこれくらいじゃ足りないくらいだよ」

「勘弁してください、僕街中で死にたくないです」

「はっ、早く入りな。飯にするよ!」

  グラフォスの必死な懇願を鼻で笑い飛ばしたミンネはその細身ながら長身長の体をグラフォスに巻き付けるように羽交い締めにする。

「ちょ!痛い痛い! 1人でこの距離なら歩けますから!!」

「知ったことか! ほらアンタらも見せもんじゃないんだ! 今日はもう店じまいだよ!」

「なんだ、今日はもう終わりか」

「まあミンネさんのあの鉄拳くらったらな」

  ヴィブラリーの店前を陣取りにやにやしながら2人のやり取りを眺めていた少なくない群衆は口々に好き勝手言いながら、街の雑踏へと戻っていく。

  ただみんな本屋の前にいたはずなのに、誰一人としてその手には本は握られていなかった。

「もう十分見世物ですよね……」

  グラフォスはため息混じりに呟きながら、それが聞こえてないのか聞こえてないふりをしているのかなんの反応も示さずミンネに引っ張られて店内の二階へと足を運んだ。

  グラフォスが街の本屋「ヴィブラリー」店主ミンネにひろわれてここ数年、これはほぼ毎日お決まりの光景であった。



  街の本屋さん『ヴィブラリー』は、1階こそ本屋の体裁を保っているものの、2階に上がればそこは、ミンネとグラフォスの居住スペースである。

  小さな小部屋が3つ。簡素なキッチンスペースが用意された部屋でグラフォスは質素な木製いすに座り、目の前のテーブルに置かれたミネストローネと固いパンを頬張っていた。

「ミン姉、このパン固くなってますよ」
「セールで安く売ってたんだよ、文句言わずに食べな」

  店舗内以外でグラフォスはミンネのことをミン姉みんねえ、ミンネはグラフォスのことをフォスと呼ぶ。

  口調こそ古臭いミンネだが、見た目は20代前半だと言われても疑わないほどの若々しさ、しかも他人目で見ればかなりの美人だ。姉と呼んでも何ら違和感がない。

  店舗で愛称で呼ばないのは一応周りへの体裁だろうか。本を買う客など滅多に訪れない本屋だが、そこら辺は気にするようだ。

「フォス、食事中に本を読むなって何度言えばわかるんだい」

「大丈夫です。本を汚すような真似はしませんし、これは自作です」

「そういう意味じゃないよ……」

  パンを片手間に本に体の八割を向けているグラフォスを呆れるように見つめパンをかじりながら、向かいの椅子に座る。

「全く仕事熱心と言うべきなのかねぇ」

「僕は生粋の書き師ですからね」

「それで、自称生粋の書き師様の本日の収穫はいかがなものなのかね」

  からかうようにニヤついたミンネの言葉にグラフォスは若干不機嫌そうに顔を上げる。
  そして未だニヤついたまま片手をグラフォスの方に向けてくるミンネのその手に、自分が今のいままで読んでいた本を開いたまま手渡す。

「ふーん、どれどれ? ……全部魔物書物に載っている魔物ばかりだねぇ。これのどこに命を張る必要があるのか……」

「そんなの僕だってわかってますよ、それに別に命を張ってるわけじゃないし……」

  若干口をとがらせながらブツブツと言い訳にも思える言葉を吐くグラフォスを苦笑いで見ながら、ミンネはついさっき受け取ったばかりの本を返した。

  グラフォスは本をテーブルに置くと、再び開いていたページに目を向ける。それはミンネに渡す前と何ら変わらない同じページが開かれていた。

  それも当然だ。半ページは文字で埋まっているが、もう半ページは白紙のままだ。そしてその状態からここ一週間は変動がないため、ページをめくる必要が無いのだ。

  そしてそこに書かれてるのはこの街のすぐ外、森の入口にいる魔物ばかり。
  今更その情報が公開されてないなんてことはありえない。

「なんでそう意固地になって自分で書こうとするのかね」

「それが僕の仕事です」

  ミンネは頬杖をつきながら傍から聞けば至極真っ当なことを言っているグラフォスに溜息をつきながら軽く笑う。

「よく書き師なんて仕事にそこまで熱中できるもんだね」

「ミン姉も書き師でしょ」

  グラフォスははっきりと不機嫌をその顔に表すと、ずっと眺めていた本を閉じて自室へと向かった。

「あらあら逆鱗に触れちゃったかね」

  扉を開けた時、そんな苦笑混じりの呟きが聞こえた気がするが聞こえないふりをした。
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