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四章 第一妃の変化
304、初めての宿泊学習 2(休息日の戯れ 2/4)
しおりを挟む「寄るな、縁起の悪い匂いをさせやがって! 俺ぁまだ死にたくねぇ!」
「エリー、この人貴女の体臭に文句があるみたい。女性に対して失礼だこと、怒って良いのよ」
「あらお嬢様、この方どう見てもお嬢様の方を見て言ってらっしゃるみたいだけど……」
微笑み合ってのアルベラとエリーとのやり取りに、ミミロウに捉えられていた青年は眉を寄せる。
(お嬢様だ?)
自分を見下ろしてくる艶のない茶髪の少女。狩人や冒険者が纏うような動きやすいパンツスタイルは、一見「お嬢様」という言葉からはかけ離れていた。
だがよくよく観察してみればそうでもない。服は既に何度も着まわしているようだが、質が良く手入れも丁寧なのだろう。一番汚れやすい外側のローブはともかく、その下の衣類はあまりくたびれていなかった。ブーツといい腰に下げられた未使用のグローブといい、どれもこれも質がいい。
(ふーん……貴族のお嬢様のお忍びの外出ってところか……。突くならここだな。―――この冒険者の女とチビは厄介だが、貴族の言葉には逆らわねぇだろ。……けどこの男)
青年は自分を見下ろす黒髪の男を盗み見る。堂々と見るのは危険だと思った。だから盗・み・見・た・。
(魔族か。魔族が人間相手に従順に付き従ってるとは思えねぇ。となると、このガキの匂いに釣られて寄って来たのか? このガキが男の正体に気付いてるのかどうか……。何にしたって魔族は厄介だ。化けるのが上手ければうまい程手に余る。―――大方、顔のいい男の姿でこのガキを弄んでるか……もしくはもう既にこのガキの家もろとも掌の上で転がしているか……。どっちにしろこんな輩に目を付けられたんじゃこのお嬢様とやらの家門は行く末は知れてるな。しかもこの匂い……魔族に目を付けられても付けられてなくても、だな―――)
「……」
なぜか同情されるように見つめられたお嬢様は「何よその顔、気に入らないわね」と不機嫌そうな声を上げた。
***
「弱えぇ弱えぇ! 紙っぺらとかわんねぇな!」
「ぐっ……」
「ひぃ、ひぃぃ……」
男は片手に騎士をぶら下げていた。その片脚の下では腕を折られて蹲ってる騎士が痛みに涙を流していた。首を掴んでぶら下げられた騎士の顔は散々殴られて痛々しく腫れあがっている。
「―――も、もういいはろ……くるし……はなひへ……」
「あぁ? なんつってっかきこえねぇぞ! 男なら腹から声出せってんだ!!」
「うぁ、あ―――」
男が片足を大きく振り上げ、踏んでいた騎士を蹴り飛ばす。
蹴り上げられた騎士の体は軽々と数メートル先の野次馬の人々の元へと跳んで行き、重たい音とともに数人の人々を下敷きにした。
「ひゃ、ひゃめ……はなひへ……」
ぶら下げられたままの騎士は情けなく涙を流す。その様にイラついた男のこめかみに、腕に、メキメキと血管が浮き上がる。
「―――くっそがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
男の咆哮が轟た。
周囲の建物のガラスが震えた。辺りに居た人間は両手で強く耳を塞いだ。
怒号を真正面に受けた騎士は泡を吹いて気を失った。
救援の為にやって来た騎士達が男の大声に驚き動きを鈍らせる。彼等の内の一人が急いで前に出ようとしたが、その前に既に駆けつけていた騎士が男の前へと進み出ていた。
男の怒号が止む。
外から見守っている者達の視線が「気を失い首を締め上げられている騎士に向けられた物」と「男の前に現れた一人の騎士に向けられた物」とに二分化された。
現れた人物の姿に騎士達は意味深に顔を見合わせる。周りからは「おい良いのか?」「一人だぞ」「誰か止めてやれ」というやり取りが上がっていた。
救援にきた騎士の一人が「おい」と焦ったように仲間に問いかける。彼は自分達も助けに行くべきだろうと視線で問いかけたが、共に来た騎士達は口元に小さな笑みを浮かべてその場を動こうとしなかった。
「いいだろ」と彼等の内の一人が返す。
「ニセモノが痛い目を見た後でも間に合うさ……」他のもう一人がそう溢した。
「さっきの威勢はどうしたぁ! 喧嘩を吹っ掛けてきやがったのはテメェ等だろが!! やる気にさせといて生殺したぁどういうことだぁ! ―――あぁ゛!?」
男の前に一人の青年―――いや、少年だろうか―――が姿を現した。
まだ体ができたばかりのように見える大人とも子供ともとれる年頃の騎士 (?)に、男は顔を赤くし更に怒ったように目元をピクピクと震わせる。
「離せ」
「あ? なんだぁてめぇ……痛い目見たくなきゃこっから失せろ。今ならまだ見逃してやる」
男の警告を無視しその人物は男を見上げた。
「その人を離せ」
「そうか。折角逃げるチャンスをくれてやったのに―――」
真っ直ぐな赤い瞳が男を貫き男は言葉を失う。「ごう……」と炎の燃え盛る音と、赤々と照らされる視界。
―――どぉん……!
先ほどの大声とはことなる空気の振動がびりりと辺りに広がった。
「―――……がっ、はぁ……?」
男の体が後ろへ倒れた。男の手から解放された騎士の体もその隣に転がる。
辺りは呆気にとられしんと静まり返った。
「油断大敵だろ」
ジーンは炎が消えた拳を振りながら呆れたように呟く。
「……けどおかげで剣を抜くほどでもなかった」
この言葉が聞こえていたのかいないのか、白目をむいた男のみけんがピクリと揺れた。
男の腹には深い殴打の跡。炎を纏った拳に殴られた辺りは服と皮膚が焦げ付いてたが、肉が抉れるほどではなかった。
(この皮膚……他人種との混血ってのは本当だったんだな)
ヌーダが防御もせず丸腰であの一発を受ければ、これだけですまなかっただろうなと彼は思いながら手際よく拘束用の縄で男を縛りあげた。縄はここに来た際、倒れていた兵士達から拝借したものだ。
辺りに目をやれば男の暴れた痕跡とばかりに地面にヒビが入っていた。
(整地が大変そうだな……)
男の首や耳にかけられた魔充石らしき鉱石を見て、ジーンは「これは外しておいた方がよさそうだ」と重たい首飾りと耳飾りを外しにかかる。
「―――す、すみません! ありがとうございます!」
人垣の中で様子を見ていた兵士達が、危険人物の無力化を認めて駆けつけてきた。その中で一番偉いであろう男が頭を下げて礼を言う。
「申し訳ありません、騎士様一人にこんな……! 後処理は我々が行いますので」
そう言った彼の後ろから兵士たちが進み出て、ジーンから男を預かり石や武器等を回収していく。
(良かった。思ってたよりすぐ戻れそうだ)
見回りの午後の当番の先輩騎士達と入れ替わったのは、ローサとリサがこちらに向かったのを見送ってすぐだった。
『おいジェイシ、ここの当番お前だけじゃなかっただろ。他の奴らどうした?』
『すみません、すぐ戻るので』
『いや、戻らなくても良いけど……おい! 退勤表にはちゃんと時間入れとけよ!』
「我々の手には負えない相手でしたので何もできず……助かりました。本当に有難うございます。お陰で負傷した兵たちの救護も間に合いましたし感謝の限りです。負傷した騎士様達も、一緒に近くの病院へ送らせて頂きました」
「いえ……、あの人達も助かったなら良かったです」
自分より年上の、義父のザリアスと同年位であろう兵士に頭を下げられジーンは内心困りながら言葉を返す。
いつの間にかやって来ていた護送用の馬車。そこに乗せられていた男はもう目を覚まし「てめぇずりぃぞ! やるならやるって言え! もう一回勝負だ!!」等と喚いていた。
縄は一本では不安だからと、男の体にはこれでもかとさらに数本の縄が巻かれ、止めとばかりに太めの鎖の拘束も追加されている最中だった。
「てめぇ、くそがぁ! 顔覚えたからなあ!!」
その言葉を最後に護送車の荷台の幕が下ろされる。中から響く男の声が喚き声から呻き声に代わった。多分猿ぐつわでも噛まされたのだろうとジーンは想像し目を据わらせた。
「忘却薬を飲ませておきます。何かあって纏わりつかれたら厄介でしょうから」
「はい……ありがとうございます……」
取り合えずあの男の記憶から自分の顔は消されるらしいし安心か、と思いながらジーンは憐みのような気持ちを抱く。
「ちっ……」
赤い瞳の彼を疎ましく思う騎士の一人は舌を打った。窃盗団の一人の後始末は警備兵たちが引き受けたのでこの場にはもう自分達は必要ない。「行くぞ」と年配の一人が言い、騎士達はぞろぞろとその場を立ち去っていった。
離れた場所から見守っていたローサは近くにいた兵に馬を預け駆けだしていた。リサも同じ兵に馬を預けローサの後を追う。
「―――先輩!」
この日、平民出身の赤髪赤目の騎士の活躍が町人や兵士たちの間で話題となった。
警備兵として長く経験してきた者や、数人がかりで騎士達が相手をしても敵わなかった粗暴な悪党を一人で倒したという武勇伝は、子供や酒飲みたちの間でも持て囃され、特に差別や生まれで苦しい思いを強いられてきた平民たちに希望を与えたのだった。
***
―――どぉん……!
「さっきから騒がしいわね」
アルベラは煙が上がっている方を見上げる。先ほどまで砂塵が舞っていたのだが、今は低く響くような音が轟いて以降静かなものだ。アルベラ達のいる通りの人々は、あちらの様子が気になりざわめいていた。
―――「最近王都内で悪さしてた窃盗団だと。無事捕まったってよ」
辺りから偶然聞こえたやり取りに、カスピが「窃盗団……あぁ、そう言えば最近大きい通りでスリや盗みが頻繁に起こってるって聞きました」と呟いた。
「へぇ……盗み……『スリ』」
というアルベラの言葉と共に、その場の全員の視線が青髪の青年に集まる。
(ちっ……あの暴れよう……窃盗団どうのってのが本当ならアンガだな……)
「失礼な奴らだな、俺はその窃盗団とかってのとは無関係だ! 大体スリなんてまだしてねーだろ、未遂だ!」
「やろうとした事を自白したわね」
「み、未遂ってのは言葉の綾だ……やろうともしてねぇよ……」
ぼそぼそと自分の言葉を訂正する青年。彼を後ろ手に拘束しているミミロウは「うーうん」と首を横に振った。
「盗った」
「……?」
―――ジャラ……
ミミロウが青年の背中の服を掴み盛大に持ち上げた。そしてそこから袋が垂れて落ち、中から金属とその他がこすれ合う音が上がった。アルベラがしゃがみ込みその袋の口を開いて中を確認すると財布やネックレス、指輪等の装飾品が詰め込まれていた。
「カスピから盗ろうとした前、さっき他の人から盗ってた」
「まぁ豊作だこと……」とアルベラがぼやく。
「ち、ちげーよ! これは……! これは……初めから俺が持ってたんだ。盗ったもんじゃねぇ」
「へぇ……そう……」
「クソガキ! なんだその顔―――」
「―――うろこ」
ミミロウが青年の背中を指さす。
「うろこ?」
「あら、」とエリー、「まぁ」とカスピも声を上げた。
ミミロウが捲った青年の背、服の下には青い鱗が広がっていたのだ。
「スーみたい」
「は? スー?」
「こちらの話よ気にしないで」
アルベラは己の呟きについて誤魔化し話を戻した。
(ちっ……。鱗がばれたか……めんどうだな。どうせこいつらも今以上に俺の事なんて人間扱いしなく……)
今まで自分に他人種の血が流れているとしった人々は、容赦なく軽蔑の目を向けてきた。その経験から青年はどうせ今回も、と思っていた。が、少女の緑の瞳は今までと変わらない質感で自分を見つめていた。―――スリ、というレッテルからすでにある程度蔑んでいるのは変わりないが……。
「……な、なんだよ」
「お兄さんどちらの国の人? どちらの種族の方なの? まさか不正入国?」
「ちげーよ。生まれも育ちもこの国だ。母親はヌーダだけど父親がトカゲ型だったんだとよ。母親が俺が腹に居る時この国に移住したんだ」
「つまりハーフ」
「そういう事だ、文句あっか!?」
「そう。苦労したのね」
と少女は言うが、「こういう人にはこう言っておこう」という程度の大した気持ちの籠っていない言葉だった。だから青年も、本当に心から同情されているのだろうという感覚は起きず「テメーに何が分かる!」と飄々と返せた。
「はぁ……。で、貴方も窃盗団の一味ってわけ? この袋の中身……一人の人間にこんな沢山財布必要ない無いでしょ。正直に白状したら?」
「い、色んな財布を集めんのが俺の趣味だ……」
「へぇ。こんな可愛らしい女物まで」
「財布に性別はかんけーねえ!」
「この指輪、貴方のサイズじゃないんじゃなくて?」
「うっせーな! 指なんてそん時の体調で細くも太くもなんだろう! ごちゃごちゃうっせんーんだよクソガキ!」
(逆ギレされた……)
アルベラは呆れて目を据わらせ、ミミロウが青年の後ろから無垢な質問を投げかける。
「お兄さん無実? 一般人?」
「そうだっつってんだろ! 耳ついてねーのか!」
「ごめんなさい……」
ミミロウは青年の言葉に押された。スリの現場も見たというのに、それが勘違いだったのかもしれないとしゅんと頭を下げ青年の手を離す。
(嘘でしょう)
(嘘ね)
(素直な子)
アルベラ、カスピ、エリーは青年がスリであり多分窃盗団の一人であろうと判断する。
ミミロウが肩を落とし解放した青年を、逃すまいと次はカスピが取り押さえていた。青年の手首をぎりりと掴んだ彼女は「どうしますか?」と困ったようにアルベラに問う。
「もしよければ私が彼を警備兵に突き出してきますが」
「あぁ゛!?」
「お兄さん自首する気はない? その方が多少は罪が軽くなるでしょ。出来るだけ短い刑期でさっさと釈放されて、残った時間は真っ当に暮らすって言うのもアリじゃない?」
「真っ当な仕事なんて俺らにはね―んだよ! なんも知らねーお嬢様は幸せだな!」
「はいはい……。じゃあこの国出たらいいじゃない。幸い同じ大陸にだって幾つか多人種の国があるでしょう。なんでヌーダ以外の人種に不利なこの国に居すわるのよ」
「復讐だ」
「……」
ギラギラと怒りに燃える青年の瞳をじっと見つめ、アルベラは「つまり―――」と微笑んだ。
「窃盗もスリも認めるのね」
「―――!!? ち、違う、これは元から俺のだった……」
(堂々巡りか)
「エリー」
「はい、お嬢様」
「あそこの店で―――」
とヌーダにしては妙な匂いのする美人の従者にお嬢様は何かを指示する。了解した従者は店の並ぶ方へと去っていった。
(なんだ?)
お嬢様と従者のやり取りを見ていた青年は何が何やらと困惑の表情を浮かべていた。
「私の雑な想像だけど……」
とエリーの去った方に気を取られている青年へアルベラは口を開く。
「人種差別に苦しめられてきた仕返しに国を荒らして回ってるつもりとか? それとも、混血者をいたぶれば痛い目を見るぞ、とか。人を差別する奴らからどれだけ物を盗ろうがおあいこだろう、とか。貴方の言う復讐ってそういうの?」
ぶすっと黙ったままの青年の頭の中「正解」という二文字が浮かぶ。
カスピが「はぁ、」と頭が痛そうに溜息を吐いた。
「アルベラ様、彼を連れて近くの屯所に行ってきますから少々お待ちを」
「や、やめろ! 俺には可哀そうな兄弟がいて俺の帰りを待ってるんだ!」
「―――」
「―――」
「また適当な嘘を……」とアルベラとカスピが突っ込みもせず青年を見つめる。
ミミロウだけが青年の言葉へ「可愛そうな兄弟? 可哀想……」と同情を示した。
ガルカは端から「そんな小物知ったことか」と全て他人事に観客の立ち位置だ。そしてコントンはと言えば―――実はアルベラの影の中『ウソ アクジ イイニオイ……』と先程からずっと青年に対し好意的な反応を示していた。つまりはもう、青年が何を言おうとアルベラの中では答えは決まっているのだ―――。
「金が必要なんだ。これは元々俺のもんだが、もし警備兵の奴らに回収されたら俺らの生活はどうなる……あんた等には分かんねーだろ。稼ぎたいのに稼げねぇ……傭兵をやろうもんなら混血だからって足元を見られて命を懸けるような仕事も安い報酬で受けさせられる。酷い世の中だと思わねーか?」
カスピはとんとんとアルベラの肩を叩き「アルベラ様、」とひそひそ声で耳うつ。
「アルベラ様、真面目に彼の話を聞かない方が良いですよ。こういう輩は自分達の窃盗癖を正当化したいだけです。足を洗う方法なら探せば幾らでもあるのに、盗みに依存して抜けたくないんですよ。冒険者にも混血者はいますし、彼等も辛い生い立ちを背負ってきましたが真っ当に生きようと励む者達はちゃんと生活基盤を確保し努力した分報われてます―――つまり、本人にその気が無いなら何を言っても無駄です」
(カスピさん……文句のつけようもないド正論)
「ありがとうございます。それについては承知いたしました。―――では、」
「……?」
カスピは公爵のご令嬢がどこか悪い笑みを浮かべているように見え、見間違いだろうかと目を擦った。悪い笑みに見えたのは一瞬だ。お嬢様は整った顔立ちに上品な笑みを浮かべていた。
「少し私の戯れにお付き合いいただいても? 彼と―――あといつも頑張っている人にチャンスを与えられる一石二鳥のお遊……案がありまして」
一瞬「お遊び」と言いそうになった気がしたが……、カスピは「はぁ、案ですか?」と困惑気味に返す。
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