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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)
275、翼を取り戻す方法 6(癒しの条件、彼等との遭遇)◆
しおりを挟むカーテン越しだが癒しの聖女からは招き入れたご令嬢、アルベラ・ディオールの姿が良く見えた。
水を掛けられた彼女は表情ひとつ変えず、かと思えばゆるりとほほ笑み頭を下げる。なんとも貴族然とした対応。こ・こ・の・所・すっかり貴族相手が慣れてしまった彼女だがふとユリの顔が浮かび、彼女と対面しているときの気楽さや素直な表情の変化を思い出し目の前の彼女と比べてしまう。
(可愛げのない……)
目の前の彼女、アルベラは頭を下げたまま感情の読めない落ち着いた声で言った。
「申し訳ありません。何も思い当たらず」
ふん、と聖女は鼻を鳴らす。
「この私にすっとぼける気?」
圧のある聖女の問い。アルベラから返るのは無言だった。
「そう……。では教えて差し上げましょう。先ほど貴女、同級生のユーリィ・ジャスティーアと下であったでしょう。そして彼女に水を被せた。さっきのように」
「………… 申し訳ございません、不快な思いを」
「ええ、不快だわ。大変不快。ついでにお教えすると、私はディオール様の学園での評判も聞き及んでおりますの。平民を虐める趣味がおありのようですが噂は事実かしら?」
「滅相もございません。私……ディオール家を陥れようとする事実無根の噂ですわ」
「そう。では貴女はこれらの一切に関わりない? ユリの私物を壊したり、先ほど同様水を被せたり、彼女の陰口を言いあらぬ噂を流したり……飲み物に毒を盛ったり……」
「まあ、ひどいことをされる方がいらっしゃるのですね」
「……!」
キッと目元を厳しくした聖女は片手を払う。
カーテンは揺れないというのにその手の動きの余波がアルベラの元に強風となって襲いかかり、彼女の髪や衣類を揺らした。
かなりの強風をその身に受け、アルベラは驚いて両手を前に出し自身を庇っていた。視界にローブの袖が見えない。自分の私服の袖から覗く白い包帯が目につき、違和感を感じた時背後から布の落ちる音がした。振りむけば扉前に吹き飛ばされたローブが落ちていた。
「失礼。ちゃんとディオール様のお顔を見てお話ししておきたかった物ですから」
聖女の声にアルベラは眉を顰めるがすぐに表情を和らげ首を垂れる。
「いいえ。こちらこそ聖女様の前だというのに……失礼いたしました」
視界で揺れる紫と水色の髪。アルベラは「ローブが飛ばされただけじゃない。髪色まで戻されてる……」と自分の変化に気が付いた。
(あらあら、年頃の女の子の顔に傷……? 化粧まで暴いちゃったのは流石に悪かったかしら)
癒しの聖女はいつもの髪色となった彼女の姿を観察する。緑の瞳に二色の髪色。以前見た特徴と一致するも、その両腕の包帯と顔の怪我痕は前は無かったはずだ。そしてあの瘴気……。自分の立つ祭壇の周囲、ひっそりと待機していたシスターたちから緊張が伝わってきた。
(嘘つきにはちょっとした罰を、とか思ったのだけど……それどころじゃなわね)
癒しの聖女の瞳の奥に金の光が灯る。それが見据えるのはアルベラの纏う不穏な気だ。先ほどから嫌な気配を感じていたが、あのローブが無くなった途端にその出どころがはっきりと露になった。以前見た事のある癒しの聖女にとっては「やはり」としか言いようがないが、初見の者達……しかもここに居るのは優秀な聖職者たち。彼等が不安にに胸をざわつかせている事はよく分かる。
(皆、何もしちゃ駄目よ)
聖女は祭壇周りから部屋の中央へ視線を戻す。
(入学式の祝福の時と同じ……というより増えてるわね。どうしてあんなに溢れるまで……。それに咎人の印まで。―――もう、ユリ虐めについてちょっと説教しようと思っただけなのに、あの子どれだけ悪さしてるのよ!)
イライラと額を抑える聖女。そして彼女の様子が知りたくとも知れず、無言のカーテンを見つ言葉を待つアルベラ。この部屋にいる誰からも堂々として映るお嬢様は、人知れず出方を伺いこくりと固唾飲んだ。
「ディオール様」
部屋の奥から通りのいい声が響く。
「はい」
「貴女、よくそんなものを纏って教会へいらしましたわね。その瘴気と印(聖獣殺しの)。関係はおあり? 聖獣に手を出すなんて、悪戯や狩り遊びのつもりなら質が悪すぎではございませんこと?」
アルベラは急いで聖獣の件を否定する。
「いえ。悪戯や遊びではございません。禁忌については事故でして……偶然私達を襲った獣が聖獣だったのです。知らなかったとはいえ軽率だったと悔いております」
「事故……そう。それは災難でしたわね。聖獣は人に友好的とも限りませんし、お腹が空いていたり気が荒れていれば人を襲うこともありますもの」
(とは言っても気を荒くする事はあってもそうそう腹をすかせたりなんてないのだけど。あと一介のお貴族の御令嬢に倒されるほどやわじゃないわよ。もう……きっとあの魔族や護衛の仕業ね。ったく、周りの大人がしっかりしなくてどうするのよ!)
聖女は深いため息とともに首を横に振る。
「……ではそちらのいかにも禍々しい気はどういたしまして?」
(随分と遠慮のない……。恵みの聖女様はやっぱりかなり腰の低い方なんだな)などと思いながらアルベラは返す。
「こちらも色々と事情がありまして。望んでこうなったわけではないとだけご理解いただければ幸いです。……どうしてこうなったか、私も整理がついておらずうまく説明ができないのです」
アルベラは頭の中「ベー」っと舌を出した。それなりに懇意にしてくれている恵の聖女にも詳しく話さなかったのだ。そんな内容を今日あったばかりの人間、しかも自分をよく想っていないだろう人物に誰が話すものかと靄の一切の事情については口を閉じることにした。なお決めたのローブを吹き飛ばされた辺りからだ。
(……癒しの聖女様が私に当たる理由は分かってるんだけど……ユリとよくお茶飲んでるって八郎から聞いてたし…………けどまさかあれを見られてたなんて……)
誰もいなければ深く項垂れてため息を吐いていただろう。それをグッと堪えアルベラは「飄々」を装い真っすぐに前を見る。
「―――それで、貴女の同級生ユーリィ・ジャスティーアについていくつかお聞きしたいことがあるのだけど」
***
(勘弁してよ……癒しの聖女様から目を付けられるなんて……)
癒しの間から出たアルベラはため息を堪え、纏い直したローブのフードを掴む。
ユリの虐め、特に服毒についてをしつこく問われた。あれについては自分は実行犯ではないがその犯人は知っている。その毒の矛先もユリでなく自分であったことから無関係でないのは確かだ。聖女が嘘対策の魔術の行使に走らなくて本当に良かったと思うばかりである。
(まさか犯人が隣国の王女様で毒を盛った理由が私のお父様でその毒を手違いでユリが飲んだ何て……知られたらどんな空気になってたことか……)
「ディオール様」
「はい」
パンジーというシスターに名を呼ばれアルベラは顔を上げる。
「ご無礼を失礼いたしました。こちらへ。―――体調にお変わりはありませんか? 何かありましたら遠慮なく仰ってください」
(この人聖女様のフォロー役かな……)
大変そう、と思いながらアルベラは「何も問題ありません、ありがとうございます」と返した。
来た時同様、彼女がアルベラをガルカの待つ部屋まで案内する。その間、アルベラは最後に聖女から言い渡された言葉を思い返す。
―――『出直してきてくださる? 貴女のご用は存じております。証明書と治癒の依頼についてでしたわね。そちらお受けになる前に条件があります』
―――『一つはユーリィ・ジャスティーアへの謝罪。今回の件とこれまでの件を心の底から謝っていただきたいのです。そして今後彼女や他の子達も安易に傷つけないと本人達へ誓ってください。貴女の謝罪がちゃんとあったかどうかは私から彼女へ確認します』
―――『もう一つはその瘴気です。消す手立てがあるというのならそれを消してからいらして。翼の治癒は短くて二ヶ月、長くて半年以内なら可能です。数年経ってからの部位の再生も可能ではありますが、そうなるとこちらもそれなりの時間や労力が必要となりますのでできれば避けていただきたいですわね。他の患者の治癒に響きますもの。半年を過ぎたらやらない、出来ないというわけではありませんが、公平に報酬は頂きますのでそれが嵩んでしまう事ご了承いただければ幸いです』
―――『この二つの条件が満たせたなら、貴女の治癒の依頼は優先して執り行って差し上げましょう。……ですが、いいですわね? 瘴気については早いに越したことはありませんが、謝罪については早さは意味ありません。心のない謝罪など求めていないのです。それをよくご理解の上よろしくお願い致しますわ』
(今までの事謝ったってユリへの嫌がらせは辞められないっていうのに……)
口だけの謝罪なら幾らでも可能だ。そしてユリ意外への嫌がらせと言うのも……そもそも心当たりなど無いがそれも容易い。
(あ、ミーヴァへの嫌がらせが出来ないのはちょっと残念ね……)
等と考えている間にアルベラは部屋に通される。テーブルに足を乗せだらしない体制で待っていたガルカが眉を潜めじとりと彼女を見た。
「また随分と漏れてるな。聖女と何を話した。なんで顔も戻ってる」
ふと壁にかけてあった鏡に自分が写っているのが見え、アルベラは隠していた傷か露わになっていることに気付いた。当然黒黒とした瞳と周囲に漂う薄い靄にも。
パンジーというシスターがあまりにも平然としていたので気がつかなかった。
「剥がされたの、聖女様にね……。ほら、失礼でしょ。足を下して」
(部屋で少し休んでいけってこういう事か)
癒しの間を出てくる際に聖女に言われた一言を思い返す。
(きっとユリの事でクエストへの不安を感じたから……。うん、これくらいならすぐ消える。そんなに長いはしないで良いな)
***
『その状態にはなれてらして?』
『いえ。今回が初めてです』
『そう。私も貴女のようになってる人と言葉を交わすのは初めて。とても不吉。今すぐにでも払ってしまいたいくらい』
この聖女の言葉にアルベラは「なんて物騒な……」と思い、それは空気にも出て聖女へ伝わっていた。
『安心してください。本当に払いませんわ』と聖女は挑発的に微笑み続ける。
『この二つの条件が満たせたなら、貴女の治癒の依頼は優先して執り行って差し上げましょう。……ですが、いいですわね? 瘴気については早いに越したことはありませんが、謝罪については早さは意味ありません。心のない謝罪など求めていないのです。それをよくご理解の上よろしく願い致しますわ』
『承知いたしました……。では、また場を改めて』
令嬢はローブ拾って纏うと、扉の前室内を振り返り深くお辞儀をする。
(全く。そういう礼儀はしっかり叩き込まれてるのね)
と戸が閉まる様子を眺めながら聖女は心のなか皮肉った。
祭壇裏から繋がる小さな個室へと下がったメイは、あの部屋でのご令嬢とのやり取りを思いだし気に入らなげに呟く。
「あの子、本当にちゃんとわかってるのかしら」
(口だけの謝罪で済ませて見なさい。ただじゃおかないわよ)
***
「では私はこれで。お気をつけてお帰り下さい」
「はい、有難うございました」
(傷隠し馬車で塗り直さないとな)
こうなるなら持ってくれば良かった、とアルベラは部屋から出てパンジーに礼を言い顔を上げる。
廊下の奥に人の気配を感じて何となくでそちらを見やり―――
「……!」
予想外の人物―――ラツィラスとジーンの姿を見つけ目を見開いた。
アルベラと目が合って数拍置いて、二人の顔がジワリと驚きに染まる。
ラツィラスはアルベラの顔(頬)から袖に覗く包帯へと視線を移し、また顔へと視線を戻し表情を和らげた。
「やあ」
いつもの軽快な声。そして本心の見えない微笑み。
ジーンも驚いた顔をしたように見えたのだが既に表情はいつものものに戻っていた。
アルベラは王子さまに習い社交の笑みを浮かべる。
「ご機嫌よう。お久しぶりです、殿下、ジーン様」
「久しぶりだね、アルベラ。ねえ、少し話さない?」
アルベラはにこにこと無言で返す。意図的な物ではない。どうしようかと悩みすぐに返すことが出来なかっただけだ。
彼女の返答を待たず、ラツィラスは意地悪にも「じゃあここで話そうか。その腕と顔は?」等と話し始める。
「昨日城でラーゼンと合ったけど予定では君の帰宅は三日後だって聞いてたよ。彼、早く君に会いたいって何度もぼやいてた」
アルベラの視線が泳ぐ。汗が背に滲む。どう対応したらいいか分からない。
「僕らもお土産話を楽しみにしていたわけだけど……ふふふ。ラーゼンは今日も城にいたし、彼が君の帰りを知っていたならそんな事あり得ないよね。って事はまだ家に帰ってないのかな。つまり君はまだ長旅の最中? 今は何してるの? ここへはどんな用? 怪我の治療で来たわけではなさそうだし、娘の帰りを首を長くして待つご両親にも帰りを秘密にしている訳は? 一緒に旅に行ったっていうアンナさんや伯爵の騎士達は今どこだい?」
「で、殿下……」
アルベラはつらつらと出てくる質問に圧倒され片手で静止のポーズをとる。
「……?」と笑顔で首を傾げとりあえず待ってくれた彼へほっとしつつ、次の質問が押し寄せないうちにと言葉を選んだ。
「その……ここではなんですし今からでも急でしょう。日を改めて後日ゆっくりいかがでしょう」
「へぇ、後日か」
赤い瞳が思案するように瞬いた。口元は笑顔だがどこか圧迫感がある。
その空気に押されるアルベラでもなく、彼女は「ええ、後日で」と華やかな笑みを浮かべる。その笑みは彼女が何かを誤魔化したい時、苦し言い訳の時などに浮かべるものだと対面する二人は良く知っていた。
「俺らには今は話せないって事か?」
ラツィラスの後ろからジーンの静かな声が上がった。
「ならいい、無理は言わない。」
(……?)
(……?)
言葉とは裏腹に冷たい空気を感じラツィラスとアルベラは不思議そうに彼を見る。
「―――ご令嬢が訳アリ顔で王都をうろついていた……と、公爵と夫人に連絡入れといてやるから親子水入らずで話せ」
「わぁ、」と笑顔で感嘆するラツィラス。
「……!?」と口を開いたまま硬直するアルベラ。
―――口を割らないなら親にチクる。
文面だけ見れば幼稚な脅し文句だが、今のアルベラには効果覿面(こうかてきめん)だった。
「外でお話し致します……」
「パンジー、じゃあまた。聖女様には内密にね」
指を立てる王子様へパンジーは頭を下げる。アルベラも彼女へ「失礼します」と頭を下げ退散した。
パンジーは去っていく来客たちの背を見送りながら聖女の顔を思い浮かべた。
(お二人が教会に来た事はメイク様も感じ取っていらっしゃるでしょうが……ディオール様と出ていかれたと知れば、きっと少なからず気分を害すでしょうね)
年甲斐にもなくぷんすかと怒りを口にする彼女を想像するのは容易い。思わず呆れのため息が零れた。
パンジーはやって来た銀光のシスターへ部屋の後片付けを任すと、今頃ユリとのお茶会を始めているであろう聖女の元へと向かう。
道中、頭に浮かぶのはあのご令嬢だ。黒い瞳。聖女の魔力に反発するように沸き上がる悪しき靄。思い出しただけで鳥肌が立った。
(清めの……静養の重罪人もああだったのかしら……)
あのご令嬢も何かの拍子に何かの罪を犯してしまうのだろうか。アレは正常だったのだろうか。それとも既にどこか狂っていたのではなかろうか。
考えるもパンジーには分からない。
あの状態で正常でいられる人間がいるとは思えないのだが、聖女は彼女を解放した。そして殿下も、その護衛の彼も彼女に大した警戒もなく接していた。
(何かあってもあの魔族なら容易く止められそうだけど……、あんな魔族が傍にいて安心するなんて可笑しな話ね……。殿下にはジェイシ様以外にも付いているし私が心配する事ではない……)
ささやかな茶会が行われている部屋の前に着く。扉を押せば室内から聞き馴れた二人の笑い声が零れ出る。
「やっと来たわね、パンジー」
「こんにちは、パンジーさん」
二人の声にパンジーは緊張が解けるのを感じた。ほっと小さく息を吐き、彼女はいつものように頭を下げる。
「いらっしゃいませ、ユリさん。メイ、またそんなだらしない姿勢をして」
「はーい」とメイはついていた肘を下し、ユリは二人のやり取りにくすりと笑った。
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