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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)

240、行きの旅 7(不審な女)

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『姉さん!』

 自分をそう呼び、此方へ駆けてくる幼い頃の妹の姿が見えた気がして彼女は「はっ」とした。

 まだ幼く、そしてまだ正常な自我を保てていた頃の彼女の妹―――。

 確かに自分の方へ駆けてくる子供は居たが、それは他人種の少年で、彼の目的は自分ではなく自分の斜め後ろにいる彼の姉だった。

「もう、逸れないよう気を付けてって言ったでしょ!」

「ごめんなさい……」

 後ろにそんな会話を聞きながら、彼女は標的の少女の後を追う。

 がやがやと要らない雑音は聞き流し、彼女は少女たちの会話へ耳を澄ませていた。アレは一体何なのか。どこの誰で、「あの地図」を辿らせるに足る人物なのか。彼女は考える。

(地図を辿らせるだけなら周りの奴らだけでも十分そうだし、アレはやっぱりここで処分してもいいわよね……)

『―――ユドラ』

 女の耳飾りから男の声が上がる。緑の石を彫って作った厚みのある輪が、彼女のフードの中で淡く光った。

『そっちはどう? こっちは大方回収したんだけど、やっぱダメだな。全滅してた』

「そう。明日当たり一つ、冒険者がそっちに行きそうよ。二つは他国に流れたから当分戻ってこないんじゃないかしら。無くなったも同然ね」

『冒険者か。りょーかい』

「あと、もう一つ……一応生きた人間が所有してるわ。商人でも冒険者でもなさそうだけど……。今ガウルトだから、そっちに着けたとしても四~五日は掛かるんじゃない?」

『分かった。じゃあ俺は明日の冒険者がどうなるか見てるかな。モヴィエの方はどうせ姉さんが行くだろ?』

「ええ」

『じゃあよろしくな。あいつ等来たら……あ、』

「あ?」

『あー……。何でもない。じゃあまたな』

 急いで切られた通信を、女は不思議に思いながらも前へ視線を戻す。

(モヴィエの為に、あと一つ……)





 旅行者の多い道を歩き、少女たちが付いたのは英雄の象のある広場だった。少女らはそこでいったんカフェに入り、二階のテラスにてパラソルの下飲み物を飲みながら地図を眺めている。

 女から見るに、少女の仲間である混血の女と魔族は仲が悪そうで、何かあればいがみ合っていた。

 明らかに少女の護衛であろう男二人は、始め傭兵だろうかと思っていたが挙動の端々から多分騎士であろうことが女にも分かった。だとすれば―――

(だとすればアレは貴族か。好奇心旺盛な貴族のお嬢様が、地図を手に入れてお忍びで宝探し。そんな所ね)

 少女等は直にカフェから出た。

 魔族はヌーダに付き合っているのに飽きたのか、カフェから出ると路地に入り、人目の着かない場所へ行くと翼を広げてどこかへと飛んでいった。

 水色の髪の騎士と金髪の髪の女も、其々行きたい場所があるようで少女から離れていく。

 彼等との別れ際、少女が「じゃあ銅像前でね」と言い手を振った。

(時間をきめて自由行動って事。都合がいいわね)

「お嬢さま、お願いですから絶対一人にはならないでくださいね」

「ええ。分かってるってば」

 荷物持ち係の騎士と少女の会話を一定の距離から盗み聞き、女は機を伺う。

 少女は辺りの店を見ながら、ちらちらと護衛の様子を見ているようだった。

 このまま待っていれば、もしかしたら自分に都合のいい事が起こってくれる気がする。淡い期待と狩りへの高揚感に、フードの下の女の縦長の瞳孔が僅かに広がった。





「お嬢様……?」

 荷物を抱えた騎士が辺りを静かに疑問の声を上げ見回した。彼の側にあの少女の姿はない。

 女が待ちわびていた瞬間が来たのだ。

 騎士が少女から目を逸らした瞬間を、女は見逃さなかった。

 人が多く狭い通り。少女が見回していたのは店ではなく人波だった。荷車が通ったタイミングで、少女は適当な場所を指さし騎士の視線をそちらへ誘導した。

 そしてゆっくりと進む荷車の反対側へと回り込み、人の合間を縫って小走りに路地へと潜り込んだ。その動きの何とすばしっこい事。普段からヤンチャをしている証拠だろう。

(大人に守られて生きてきたんでしょうに。それが理解できてないなんて、哀れな子)

 女はほくそ笑み少女の入った路地へと駆けた。

 少女の行き着く先など見守る必要はない。

 あの騎士が尾行や追尾が得意であれば、少女をこのまま駆けさせればすぐに見つけられ合流されてしまう。

 事を起こすなら今だ。

 四~五階建ての建物に挟まれた細い道は、女にとって心地のいい陰り具合だった。

(あっちね)

 路地に入ってすぐ十字になった道で女は迷わず少女の向かった方を見る。そちらに目をやれば、道の先には茶髪の彼女の背があった。

(まだあんなところに)

 アレは移動の魔術や魔法、又は身体能力に長けている者の速度ではない。一般的なヌーダの移動速度だ。

(本当にただのガキなのかしら)

 足音もなく、女はあっという間に少女へと距離を詰める。

 その首を掴んで捕らえようと腕を伸ばすと、少女がこちらを振り返り目を丸くした。彼女の口からは小さく「え」という声が零れた。

 触れる前に気づいたのは偶然だろうか。

 だとしてももう遅い。

 女は真っすぐに腕を伸ばした。

 ―――だが、彼女の手が少女を掴むことは無かった。

 女の視界に、少女が驚きながらも展開した水の壁が広がる。そしてその奥にいつの間に現れたのか、波立った水に歪みを伴って透ける、拳を振り上げた金髪の女。右の通りからは切っ先を向けて飛んでく氷柱と、その奥から駆けてくる水色頭の騎士。

 咄嗟に後ろに身を引こうとしたが、後ろにも気配があり上へと飛んだ。

 荷物持ちをしていた方の騎士だ。そちらからは電撃が放たれていた。

 女の立ち去った場所で、少女の水壁は騎士の放った氷柱から金髪の女を守る盾となる向きに変えられていた。金髪の女は標的を失い跳ねるように身を引いて氷柱や電撃を避けきり、壁を蹴って上へと上がる。

 騎士達は少女の元へ駆け付け身の安全を確認した。





 風の魔法で上空へと跳ね上がった女の頭からはフードが外れていた。褐色の肌や尖った耳、銀髪が日の下に晒され露わになる。

「ふん。『あれアルベラ』に似た匂いのダークエルフか」

 上には魔族が待ち受け、大きな黒い腕を既に振り下ろしていた。

(―――やられた)

 あの少女を狩るつもりでいたが、あちらもこちらを狩る気だったのだ。

 女はカフェで少女らが地図を囲んでいた時の事を思い出し、この打ち合わせをしていたのかと思い舌を打つ。

 彼女は黒い風を起し振り下ろされた魔族の腕を食い止めた。

 だが、がら空きとなっている下からはあの氷柱と電気の球が幾つも飛んできて、女の皮膚に幾つかの細かな傷を付ける。距離のお陰で攻撃力は衰えていたが、小さくとも傷は負い、魔族に集中したい彼女にとってそれらの攻撃は良い具合に邪魔になった。

(小賢しい)

 いっそ自身を壁で囲ってしまおうとした彼女の視線が、何となく下へ向いた。その先に、屋根に上がり身を屈めた金髪の女の姿が偶然捕らえられた。

(なにをして……)

「目を離すとは余裕だな」

 魔族が片手で風の壁を掴んだまま、もう片方の手を彼女へと振り上げる。

「ちっ」

 ダークエルフの女は風の魔法を急いで更に強固な者へと展開し広げた。風は彼女を中心に球となる。横から襲い掛かってきた魔族の爪を、その壁は見事に防いでみせた。

 女を囲う黒い風壁の表面は、鋭利な風が縦横無尽に行きかっている。魔族はその風の刃に皮膚を切り裂かれながらも、痛む素振りは一切見せずに両手で掴んで離さない。……どころか、彼は風を掴む腕に力を込めた。黒い腕の表面には筋肉と筋がメキメキと浮かび、風の球からは軋んだ音が上がる。

「このまま握りつぶしてくれる」

「できるかしら?」

 ダークエルフは余裕な笑みを浮かべて見せるも、その内心は別だった。

(不味いわね……早くこっちの準備をととのえて……)

 彼女は球体の外に準備していた攻撃魔法が、充分な強度となるよう展開を急ぐ―――が、彼女のその魔法は完成する前に崩れて散った。

 同時に風の球も彼女の周りからはじけ飛ぶ。

 ダークエルフの女も魔族も、自分の顔の前に腕を構えて守りの体勢となっていた。

(くそ! あの女!)とダークエルフの彼女は内心で毒づく。

 球が破裂した瞬間を彼女は見ていたのだ。下から勢いよく飛んできた何かが、風の球に突き刺さったところを。

 そしてそれは落下のさなか空を蹴り、クルリと方向転換してまた自分の元へと飛んできた。それがあの少女についていた「金髪の女」だったのだ。

「あら、ダークエルフ?」

 そう言い、金髪の女はダークエルフの頭目掛け回し蹴りをかます。

 ダークエルフの女の背後では魔族が舌を打った。

 女の耳には舌打ちと共に空気を切る音も聞こえており、魔族があの腕を振り上げたのが視界の端に見えていた。

 ダークエルフの彼女は「くそっ!」と声を荒げる。

 彼女の両手の人差し指に嵌められていた指輪が金色に光出し、その光が膨らみ女の体を飲み込んだ。

 ―――ふっ……

 ローソクの火が吹き消されるような風音と共に、ダークエルフの女の姿がその場から消えてなくなる。

「……!」

「……っ?!」

 後に残った金髪の彼女の蹴りと魔族の腕とが衝突し、二人は不快な表情を浮かべ睨み合う。



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