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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)

234、行きの旅 1(フライとオオヤマドリとキャンプ)

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 この日、遂にアルベラの人生初の旅が始まった。

 薄く白い雲が高くに引かれた青空の元。一見燕に見間違えられる大きな蠅―――フライが、八匹気持ちよさそうに空を駆ける。

 その飛び方は独特なもので、円の下部の弧を描きながら勢いよく滑空しては減速し、滑空しては減速しを繰り返している。音にすると「スーイ、フワリ、スーイ、フワリ……」という具合だ。

 燕のシルエットを持つ巨大な蠅の背には、戦闘機の操縦席を思わせるようなカプセルが括りつけられており、座席部分等の下部は軽い金属や木材で、上部は辺りを見渡せるよう透明な素材とで構成されていた。カプセルの中には二つの席が縦に並んでいる。

 三匹は競うように先を行き、その後を追って互いに一定の距離を空け五匹のフライが飛んでいた。

 先を行く三匹を操るのはエリー、アンナ、ナールだ。後ろの五匹の背には、ビオとアルベラ、ゴヤとミミロウが其々セットで乗り、他はスナクス、ガイアン、タイガーが一人ずつ乗っている。一人乗りの者達の後部席には旅の荷物が積まれていた。

 ガルカはと言えば、自身の翼で前の三匹の上空を飛んでいる。

 今日は半日、平地で繋がる町から町へはフライでの移動なのだ。





「まさか貴族のお嬢様がフライの騎乗経験がおありとは思ってませんでした」

 御者席ではビオが慣れた手つきで手綱を握っていた。顔を前に向けたまま、彼女は後部席に座る雇い主のお嬢様へ話しかける。

 アルベラからは返事は無く、ビオは「まさか寝ているのだろうか」と思い感心した。

 ビオの視界の端、フライの羽毛が風に柔らかく揺れる。

(確かに馴れれば気持ちのいいものだけど、私は数回目で居眠りできるほどじゃなかったな……。逞しいお嬢様だとは思ったけどまさかこれほどなんて)

 つるりとした曲線を描くカプセル席は、見た目こそ飛行機のそれと似ているが操縦するのは生き物であり機械ではない。細かに並ぶボタンやハンドル類は存在せず、構造は極めてシンプルだ。あるのはフライの首や胸元へと続く皮製の平たく強固な紐の手綱が二種類。片方は通常用。片方は緊急で着陸する時用の、フライに身の危険を感じさせる特殊な加工を施した手綱だ。

 後は後ろの席やフライの後方を確認する用のミラーが一つ。

 それをふと覗き込み、ビオはアルベラの表情にぎょっとした。

(……て、え? ……え゛ぇ゛?!)

 てっきり居眠りをしているのかと思っていたお嬢様は、首が座っておらずぐたりとし、絶望の表情でどこか遠くを眺めていた。ほぼ意識が飛んでるように見える。

「アルベラ様?! え?! ちょっと、アルベラ様?! 大丈夫ですか?!!」

「……おきにせず」

 感情も生気も一切ない返答に、ビオは緊急用の手綱を握りかける。だが彼女はフライに乗った際にお嬢様本人から言われた一言を思い出し、通常用の手綱をきゅっと握り直した。

 ―――何があっても気にせず飛び続けてください。途中で止まったりなんかしたら、きっと余計に……

(こいう事だったのね……。分かったわアルベラ様。どうか耐えて……!)

 アルベラは今朝になるまで、アンナから「初日の午前中は空の騎獣に乗って移動な!」と言われていたのだ。

 そして乗せられたのがコレである。そして拒否を口にする暇もなく今に至っていた。

 きっとこの旅、これ以上に辛い事はもうないんだ。これ以降は何が起きてもきっと苦にはならないだろう。

 アルベラは絶望の淵、頭の片隅で「そうでなければやってられない」と誰へともなく祈っていた。





 ***





 ストーレムの町から乗り心地最悪な騎獣 (騎虫)を乗り継ぎ数個の村と三つの町を過ぎて、アルベラはようやくフライから解放された。

 四つ目の町でフライを預け、ここから先は馬で国境を目指す。馬は早馬、となるとアルベラも扱いはお手の物となったハイパーホースだ。

 町の真反対の関門までは、町の上空を行き来する巨大な鳥が引く空の便に乗る。この鳥と言うのが、アルベラが今までに見た事のない位に大きなもので、普段見るような一人二人乗るサイズのものの裕に三倍はあった。

 鳥の脚には鎖で箱が括りつけられており(鳥自身もその箱の上部に生えた止まり木のようになった部分を掴んでおり)その箱に乗って移動するのだ。箱と言っても外目も内装も馬車のようになっており、中には五人が向かい合って座る十人乗りだ。乗ってみると意外と心地のいいもので、「もうずっとこの鳥を使って旅をすればいいのでは」とアルベラは思う。





 アルベラは窓際に座らせてもらい、時折鳥が羽ばたいた際に現れる巨大な翼をじっと見つめていた。

(この鳥……オオヤマドリって、何食べるんだろう。肉食……だとしたら人なんて丸飲みだよな……)

「便利ですね。王都にも居たら便利でしょうに」

 アルベラが恐ろしい想像をしている正面、エリーが赤茶の翼を共に眺めながらそう言った。

「確かに便利だけど、暴れられたら大変でしょうし仕方ないわよね」

 この鳥がこの地域でしか使用されていないのは習性や環境の問題らしい。

 オオヤマドリは山岳地帯で巨大な巣を作って生活するのだ。山の上で寝て山上で食事をする。それが出来ないとストレスが溜まって凶暴化するらしい。単に高所であればいいという問題でもないため、生息地の近くであるこの周辺でしか扱うことができないのだ。

 ちなみにだが、ここら一帯のオオヤマドリは国外の山岳地帯の山に寝床があり、夜はそこで管理されている。隣国との契約で設置が許されたオオヤマドリの飼育場があるのだ。オオヤマドリ自体も、言ってしまえばその隣国からの貸出品のような扱いだ。

 そしてその隣国と言うのが第三王子様の婚約者である第三王女様の故郷であり、父ラーゼンからの使いを頼まれているガウルトである。

 頭に浮かんだ国名に、アルベラは第三王女から聞いた父と王との話を思い出し小さく息をついた。

(荷物を渡すだけ……。何事もなく終わりますように)





 オオヤマドリの移動便に乗り、町の半ばも過ぎ関門も見えてきた頃。冒険者達の話題に、アルベラは興味深く耳を傾ける。

「―――神徒しんとって話もあんだろ? あ、ほら。あそこら辺だっけ」と、スナクスが町の外を指さす。そちらには国境向こうの森と山岳地帯があった。

「神徒ねぇ……どうだか怪しいもんだな。誰もまだ狩った事ないんだろ。そこらの人間が『神様の施し』と『ただの獣』の区別付けられんのかよ。恵眼けいがん持ってる奴が見たってギリギリ分かるか分からないかの違いだ」とナール。彼は足の上にナイフを出し、刃の手入れをしていた。手入れ、兼仕込みだろうか? 布に薄いピンクの液を染み込ませ、それをナイフの刃に塗っているようだ。

「けど国境出てすぐって、小さなエルフの里があるってこないだ聞いたぞ。神獣とあいつらって大体セットだろ?」

 スナクスはそう言い、「あそこら変とか居そうじゃね?」と森のどこかを見る。多分冒険者だからわかる区切りなり区分なりがあの木の軍勢にあるのだろう、と話を聞いていたアルベラは思った。

「奴らがいんならそうって事もあるかもだが……偶然って事もあるだろ」とゴヤは訝し気だ。

「そんなに見分けたいなら狩って心臓開いてみるしかないだろ。神様がお恵みになられました神徒、聖獣様なら心臓に『慈愛の核』がある。それ見りゃ一目瞭然だし高く売れるし一石二鳥だ」とナール。

 そんな彼らにビオがくぎを打つ。

「絶対狩るのはダメだからね。神獣って呼ばれてる以上このあたりの人達には必要な存在なんだから。獣だろうが神徒だろうが絶対ダメ」

「……うっせーな……俺だってそんな手当たり次第じゃないっつうの……」

 ナールはナイフに目を向けたまま胡乱気に口をとがらせる。彼がぼぞぼそと文句を垂れる斜め前、アンナが窓に肘をついていた。彼女はくつくつと笑う。

「いいじゃんよ。神徒だろうが神獣だろうが、狩ったってバチの一つも当たらなんだし。私たちからしたらいい稼ぎ口じゃないか。なあナール」

「…………そういやこないだ心臓と爪、角が欲しいって依頼書があったな全部まとめて五百万だっけ。あ、腸が欲しいってのもあったな。ちっ……そっちの報酬も見ときゃ良かった……」

「高額にはには変わりなよ。手に入ったら片っ端から売り捌いてやろう!」

「手に入る事なんてないから。二人とも絶対に大人しくしてて」

 ビオがぴしゃりと言い、二人を睨みつけた。





「……神獣が出るのね」

 アルベラの左隣に座っていたガイアンが「らしいですね」と頷いた。彼は眉間に皺を寄せており、どうやら神獣だか神徒(聖獣)だかを軽々しく狩りそうなアンナやナールの発言に不快感を抱いているようだ。

 ガイアンの正面、タイガーは苦笑する。

「そういえば伯爵の領地でも以前礼儀をわきまえない冒険者だか狩人だかが海に住む神獣を狩ってしまったことがありましたね。その者達は捕らえられたんですが、神獣は既にばらされた状態で……伯爵様もその地の住民たちもひどくお怒りでした」

 アルベラは「そんな事があったのか」と思う。

「その神獣はどうしたの? 後任は生まれた?」

 タイガーは答える。

「ええ。神徒だったようで、運もいい事に後任も数年後に現れました。神獣の素材は武器や鎧、薬や食料なんかにして余すことなく使わせていただきましたよ」

「へぇ……。神徒って食べられるのね」

「魔獣より獣に近いですから。ちゃんと臓器や筋肉、脂肪もありますしね」

「じゃあ、神様の使いをステーキにすることもできるのね……」

(ちょっと背徳感がありそう)

 「ま、まあ、しようと思えば……」とタイガーは苦笑する。

「けど、狩った神獣がただの獣だったにしろ神徒だったにしろ、『神獣』と呼ばれるほどの存在です。彼らが消えた瞬間からその地域のバランスが変わってしまいます。何かしらの問題が起きかねませんので、そう容易く狩ろうと思う者はいませんよ」

 その言葉に、ナールとスナクスがぎくりと反応する。その様にビオがじとりと目を据わらせた。彼女は攻めるようにぼそりと「この『禁忌組』め」と言い、その「禁忌組」に含まれるアンナは、ドヤ顔で胸を張って見せた。

 そんなリーダーに、ビオは「もう、」と呆れを零す。

(私達だけで良かったわ。ここに町の人が居たら……アンナやナールの言葉聞きかれたら一悶着あってもおかしくないんだから……)





 一行はヤマドリ便を下りると関門の近くで休憩を取り、少し遅い昼食を食べ、事前に手配していた馬を受け取り町を発った。

 この先にはもう宿泊可能な町や村は無い。あるのは平原と林と丘の連なりと川。その先に国境の関所。そして関所を抜ければ深い森と山だ。なので今晩はさっそく、林に入った辺りにテントを張り野宿する予定となっている。

(結局野宿の練習はしなかったな)

 アルベラは数日前、庭で騎士達のレクチャーを受けながらテントを張る練習をしたことを思い出す。

 ちゃんと出来上がった事だしそこで寝ようかとも考えたのだが、ラーゼンに猛反対され結局テントは片付けてベッドで寝たのだ。

 敷地なのだしいいではないか、とも思ったが、自分も別に父の反対を押し切ってまで庭で寝たいわけでもなかったのでまあいいかと引き下がった。

(テントを張る練習はできたんだし、こうして旅の合間に経験できるんだし……。―――キャンプか)

 アルベラは林間学校の記憶を引っ張り出し、あれはちゃんとしたコテージだったしな。と懐かしい記憶と光景に目を細める。





 馬を走らせ日が傾き。一日目の野宿は手練れだらけでアルベラの出る幕は一切なかった。

 準備をする冒険者たちをエリーとタイガーが手伝い、その間アルベラはガイアンから軽い手ほどきを受ける事となった。

「今みたいに疲れている時だと、まず実践的なのは『倒す』より『逃げる』ですね……」

 そう言い、ガイアンは腕を組んで暫し考えると、アルベラへ「腕を貸していただいても?」と尋ねた。アルベラは言われたまま片手を差し出し、彼はその手首を掴んだ。

「では、まずはこの手を振りほどいてください。で、皆さんのいるところがゴールです。私から逃げきって、キャンプ地へ避難してください。今日は私からは攻撃はしません。アルベラ様の腕や服を掴む程度にとどめておきます。アルベラ様は手を出しても魔法を使っても構いませんので」

 ガイアンが木々の奥、焚火の明かりと煙の散る空を指さした。そう遠くはない。せいぜい三十メートル前後と言った距離だ。

「……え? あ、はい」

 てっきりここ数日行ってきた受け身や突き、蹴り等を指定の箇所に当てる組手のようなものかと思いきや。アルベラは趣向の異なる訓練方法に「確かに実践的か」と納得しつつ腕をグイっと引いてみた。勿論、その程度で相手の手が離れることは無い。

 ガイアンは穏やかに言う。

「遠慮はいりません。武器があればそれを使ってもいいですし、殴りたければ殴って結構です。つねっても構いません。まずはこの手を払ってください」

(え……)

 つねるも殴るもやりずらく感じ、アルベラは一応で腰にぶら下げているナイフを取り出す。

 チラリとガイアンを見上げれば、彼はニコリと笑む。

 ワザとらしくナイフを振り上げると、ガイアンはあっさりと掴んでいたアルベラの手首を離した。代わりにアルベラがナイフを持っている方の手首をつかむ。

 お嬢様の細い手首をつかんだ騎士様は、容赦なくその手首をギリギリと締め付けた。

(い、いたいいたいいたいいたい……)

 アルベラはナイフを落とす。下に小石でもあったのか、ナイフが一度だけ上げたキンッという音が虚しく響いた。

「まあ、こういうなります」

 ガイアンはアルベラの腕を掴んだままニコニコと言った。

「はい……」

 アルベラは目を据わらせる。手首を掴まれたままかがみ、ナイフを拾い上げようとした。それをガイアンが、ナイフを蹴ってアルベラの手の届かない場所に飛ばしてしまう。

 アルベラがもの言いたげな目を彼に向けると、彼は「後で私が回収しておきます」と返した。

「……」

「……」

 アルベラはじとりと、ガイアンは余裕の微笑みで。二人は数秒の間静かに見つめ合った。





 ***





 焚火の上にぶら下げていた鍋を地面に下ろし、ビオは作ったスープをかき混ぜる。同じくらいのサイズの石を五つ、サイコロの目のように並べた上に置いたトレーには、スープを作る前に鍋で焼いておいた肉と野菜を、バターをたっぷり塗り、同じく先に表面をカリカリに焼いておいたパンで挟んだ料理が並べられていた。「イーズサンド」と呼ばれるハンバーガー的な料理である。

(そろそろ呼んだ方が良いかしら)

 ビオは顔を上げ、アルベラ達が去って行った方を見る。

「……ああ。多分そろそろ来ますよ」

 タイガーはビオが考えていた事も、あの二人がどんな練習を行っているのかも読み切ってそう言った。

 彼の言った通り、木々の奥から何やらガサガサと慌ただしい音が聞こえ始めていた。

 自分の役割を果たし特にやる事もなく、焚火の近くにいた冒険者たちの目がそちらに集まる。

 彼らは、木々の奥から駆けてくるお嬢様の姿を捉える。

 そしてその少し後ろに騎士ガイアンの姿もあった。





 アルベラは後ろにガイアンが近づいてきている気配を感じ、彼の頭目掛け水球を放つ。そして自分の背後に風を生み、ガイアンが水を払った隙にぐんと体を押して加速する。

 ゴールを目前に、アルベラは喜びの表情を浮かべる。だが、あと少しの所でガイアンを突き放す手を止めていたアルベラは、後方で静かに素早く、彼が距離を詰めていた事に気付かなかった。

 彼の伸ばした手がお嬢様の頭を掴んだ。

 ―――ガサッ!! ズザァァァァァァ…… 

 アルベラが木々の合間から飛び出る。そしてそのまま地面に倒れ込んだ。

 その上にはガイアンが、体重をかけ過ぎないよう一応気を付けている様子で、お嬢様を地面に押さえつけて乗っていた。

(容赦なさすぎ)

 アルベラはやっとたどり着いたゴールに半ば魂が抜ける。

 捕まり、手を振りほどく辺りはいいのだが、いかんせん追いかけられている時が怖すぎた。

 鬼ごっこをしていると本気で怖くなってくる感覚にプラスし、ガイアンも必要以上に怯えさせるような空気を放ってくるのだ。アルベラは逃げながら、ずっと心の中で「ひいぃぃぃぃぃ!」と恐怖の声を上げていた。

(あれは、手を出すには入らないんですか……)

 地面にうつ伏せに寝ころんだままのアルベラに、ガイアンは穏やかな笑みを浮かべ「お疲れ様でした」と手を差し出した。

(くそ……お爺様め……)

 アルベラは彼の手を取り、心の中祖父を毒づく。

 その様子を見ていたタイガーは呆れ半分、安心半分で顔に手を当てた。

(一応、まだあの程度で済んで良かったと思うべきか……)

 エリーは直ぐにお嬢様の身なりを整えるべく、濡れたタオル等を持ってそちらへ飛んでいく。

 冒険者たちはお嬢様へ労いの言葉をかけたり苦笑したり、ケラケラと笑ったりしながら焚火の周りに集まり、ずっと木の上に座って暇を持て余していたガルカも降りてきて夕食が始まった。

 近くの川で野営時の湯浴みの仕方をビオやアンナから教わり、アルベラはその日初のテント泊である事も忘れて深い眠りに落ちていた。



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