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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)

215、 皆の誕生日 19(彼女の噂と手紙)

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 ギャッジは主の放つ重く威圧的な空気に身に覚えがあった。

 過去に何度か見た事のある、王の怒りの姿だ。

 言葉なく、静かに。心の底から何かに対し、誰かに対して激怒した時にあふれ出る強者の威迫。

 これもあの「寵愛」の延長である事をギャッジは知っていた。

「ラツィラス様、どうかされましたか?」

 ついっとラツィラスはギャッジへ視線を向ける。

 普段は穏やかそのものの赤い目には、怒りの対象をその場に平服させ許しを請わせるだけの鬼気迫る圧があった。

「……いや。気にしないで」

 「はい」とギャッジは頭を下げる。

 ラツィラスは彼から目を逸らし、机の引き出しから便せんを取り出す。

 彼は真っ白な紙を見つめて暫し考えるように頬杖をつく。

 そして書く内容がきまるとペンをとり、つらつらと文字を書き始めた。





 パーティーおわりで楽しそうな声の行きかう廊下を訓練終わりのジーンが歩く。

 男子寮の廊下ではあるが、仲のいい者達で二次会をしているようで、それに招かれた女子生徒達の姿もあった。

 正装とまでいかないながらもちょっとしたパーティーの装いの者達や、すっかり休憩と言うようにラフな格好になっている者達の中、泥臭い訓練着姿のジーンは少し異様だった。

 汚いものを見る目で彼を見る者もいれば、彼が腰に下げる剣に刻まれた騎士団の紋章に目を輝かせている者もいた。その中には訓練着の彼の姿を凛々しいと捉え、うっとりと眺める令嬢達の熱い視線も混ざっていた。

(そうか。もう終わってたんだな)

 ジーンは目に付く時計を見て、今日のパーティーが舞踏会にしては早めの閉会時間だったことを思い出す。

「よう、ジーン。お疲れさん!」

 どしりと肩に腕を乗せられ、ジーンは声の主を振り返った。

 同級で騎士見習のペールだ。

 彼はほんのりとアルコールのにおいを漂わせ、ご機嫌に表情を緩めていた。

「訓練か。お前は本当真面目だな。尊敬するわぁ」

「お前は随分飲んだんだな。大丈夫か?」

「へーきへーき。今日はもう寝るだけだし……」

 ペールは片手を振っていたが、聞こえてきた囁きに不快そうに目を据わらせて動きを止めた。

『……おい、聞いたか。ラツィラス様、パーティー呼ばれなかったのってあのニセモノがくっついてたからってやつ』

『ああ。本物王族の居る席に紛い物が混ざるなんて、本当ならかなり不敬な事だもんな……』

『…………ラツィラス殿下は招待されてたって噂だろ? あいつが招待されてなかったから気遣って辞退したって話……』

 「ったく、またアレか」とペールは零す。

 パーティーの間、ラツィラスが不参加な事でその件について話す者達は少なく無かった。

 ダンスの予約をしに行ったご令嬢等は、事前に彼が不参加であることを本人から聞いていたため、この話はパーティーの前から噂にはなっていた。

 そしてその理由として挙がり、その中で特に面白みがあり熱を得たのが「兄弟不仲説」と「赤目のお付きがいるせい」というものだ。

「なあ、なんでお前今日不参加だったんだ? 『招待状もらえなかった』とか変な事言ってる奴がいたけど、そんな事あるか? ラツィラス殿下の一番の護衛のお前だろ?」

 実際貰っていないが、ジーンはどう答えたものかと悩んだ。

 噂もジーン自身耳にしたことがあるし、どちらもほぼ正解していた。それを正直に言って自分に不都合がある分にはいいが、ラツィラスにあってはならないのだ。

 結果、「色々あって不参加だった。殿下の都合もあってな」と答えるにとどめた。

「ふーん。そうか。まあ王子様の都合については何も言えないしなぁ。……あ、そうだ。飯食ってくか? 今俺の部屋五人で飲みなおしてるんだ」

 腕を乗せられるまま、ペールの部屋の前まで来ていた二人は足を止める。

「いや。今日は外で食べてきたから。それより汗流したい」

「……ん? うっわ。何だよお前泥だらけじゃん! きったね!」

「今更かよ……」

 酔っていて気付かなかったのか、ジーンの肩に腕を乗せていたペールは驚いたように身を引いた。

 パタパタと自身の部屋着を叩く姿にジーンは呆れる。

「随分派手にやって来たんだな」

「ザリアスが来てたんだよ。俺だけじゃなく今日は皆こうだ」

「騎士長様か。相変わらずそっちも手加減ないな」

 「けど、そうか……」と漏らし、ペールはぐしゃぐしゃと頭をかいた。

「あー。くっそ。俺もなんか訓練行きたくなってきた。さっさと昇格してぇー」

 両腕を掲げやる気に燃え始めた彼は「訓練」という言葉からとある話題を思い出し、「そうそう、そういえばよ!」と楽し気な声を上げた。

「聞いたか、あの噂本当らしいぞ」

「どの噂だよ」

「ん? ああ、悪い悪い。公爵のご令嬢と冒険者の話」

 具体的な話題を挙げたというのに、ぴんときていないジーンの様子に、ペールは「ん? もしかして噂自体知らない奴か?」と尋ねた。

 ジーンは頷く。

「まじか。うーんけどそうか。確かに女性間での方が盛り上がってたしな」

 ペールは噂話に火が付き、公爵令嬢の噂に同調する女性騎士の先輩方を思い出す。

 彼女らは「冒険者との恋愛、やっぱり一度は夢見るわよね。自分より弱い人はごめんだけど」と楽し気に話していた。「赤馬」や「金色」「レイ・ランド」「惰弱のルマン」等、名のあるパーティー名を挙げてきゃっきゃと盛り上がっていた。

 「どこから話すかなぁ」とぼやき、ペールは腕を組み視線を落とす。

 その姿を見ながら、ジーンは自分がどこか嫌な気分になるのを感じ始めていた。

 ペールが悩んだのはほんの数秒だった。

 彼はちょいちょいと手招き、ジーンはそれに応じて軽く耳を寄せる。

「ディオール様と冒険者の男のあいびきの話があってな」

「……」

 想像はしていたが、やはりそういう話だったか。とジーンは僅かに目を伏せる。

 そしてペールは、二人のデート現場を見たものがおり、始めは「彼女がその冒険者の彼氏から魔法や護身の技術を学んでいるのでは」という話があったこと。その話について、最近本人にその確認した者がおり、そのやり取りを見聞きした者が「あれは結構『本気ガチ』だ」と話していたこと。等々を伝えた。





 ジーンは部屋に戻り、シャワールームで服についた汚れを払う。そのまま洗濯用の籠に着ていた衣類を全て入れ、籠を部屋へと出した。

 彼以外のいない一人部屋。蛇口をひねる音の後、シャワーの流れる音が上がり始めた。

 この寮には全部屋に一つ、シャワールームが取り付けられている。一階には大浴場もあるがジーンは自室で済ませてしまう事が多かった。

 高等部に上がってから彼が大浴場を使ったのはほんの二回ほどだ。

 ザーザーと丁度いい温度のお湯を、ジーンは頭から浴びる。

 赤の視線は足元に向けられ、流れる湯に砂が置いてきぼりにされ溜まっていく様を眺めていた。

(あいつが恋人……)

 あまり異性への興味が無さそうな彼女が。

 男女間への知識も耐性もありそうではあるのだが、あまりそれらに重きを置いていなさそうな彼女が……恋愛。

 ペールから聞いた話が本当ならの話だが……。

「……」

 ジーンは額を壁にぶつけた。

 シャワールームの中に、水の流れる音に紛れて「ごんっ」と低い音が響いた。





 ***



 ジーンが髪を乾かし終え、ソファに仰向けになりくつろぎ始めた頃―――

 彼は突然圧迫感を感じた。反射的に身を起こし、髪や瞳に光が灯り臨戦態勢になる。肌がざわりと粟立った。

(この感じ)

 彼は自分の主の部屋がある方の壁を見る。

 それは前に感じた事のある感覚だった。

 数年前の恵みの教会での庭の際だ。

(何かあったのか)





 コンコン、と部屋の戸が叩かれる。

 手紙をしたためるラツィラスの背、ギャッジが扉を開き訪れた人物を部屋へ招き入れた。

「ジーン様、お飲み物は?」

「大丈夫です」

「ジーン、丁度良かった」

 丁度手紙に封をしたラツィラスが振り返る。

「手紙を持ってってもらえるかい?」

 微笑んだその目は僅かに魔力を帯び、攻撃的な光を灯していた。

 ジーンはやはり先ほどのあれは彼だったかと確信し、彼の空気から、それが怒りに起因したものだとも確信した。

 寵愛の有無を言わせない圧を感じ、彼は頷く前に尋ねる。

「どうした?」

「スチュートが、ちょっとつまらない嫌がらせを、ね……」

「手紙は誰にだ?」

「アルベラとベルルッティに」

「ギャッジさんでなく俺がか?」

 普段、特にといった理由がなければ、ラツィラスはちょっとしたお使い等はギャッジや使用人に頼む。

 それを、彼らがいるのに自分に頼むとはどんな目的があり、どんな成果望んでいるのかをジーンは知りたかった。

「彼にはこれから城に行ってもらうんだ。だから君に頼みたい。手紙を渡して、あと、パーティーの事。軽く二人に聞いて来てもらってもいいかな? あと二人の様子も教えて欲しい。詳しくは、君が戻った後に説明しようか。とりあえず先ずは、あまり遅くならない内に。あちらにも迷惑だろうからね」

「……お前、相手の時間を気にしてやる良識はあったんだな」

「酷いなぁ」

 ラツィラスはクスクスと笑う。

 言葉を交わしている間に突発的な怒りは収まったようで、瞳の光は消え、空気もいつも通りの物へ戻っていた。

「じゃあこれ、頼んでいいかい?」

「分かった。行ってくる」





 ジーンが去り、ラツィラスは宛名も差出人も書かれていない封筒を見下ろす。

 書かれているのは報告だ。

 スチュートの誕生会での出来事について。

 そこには会の締めに行われた、公爵家と第三王子様とのちょっとした見世物についても書かれていた。

 ―――従える者の血を使用した、盟約の魔術の一種。服用者を激痛で王族に従えさせる物。

 その一文の下に「多分お前への嫌がらせ」と一言添えられている。

(本当……つまらない事を……)

「ギャッジ」

「はい」

「王族が過去に使用してきた盟約系の魔術調べておいてくれるかい? その中で血を使用して、服用者を痛みで縛る系の物を上げて。あと、その解き方も。今日一晩で、とは言わないから。……そうだな、前期休暇中が希望だけど、早ければ早いほど嬉しいかな」

「承知いたしました」

 彼が立ち去ると、入れ替わりで女性の使用人が一人部屋に立ち入り、ギャッジが控えていた場所に待機する。

 ラツィラスは彼女へ「楽にしてていいよ」と声をかけ、明日の茶会について思考する。

 もっともどうするかは、ジーンに託した手紙の返事にもよる所だ。



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