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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
213、 皆の誕生日 17(盟約の盃)
しおりを挟むホール奥に構えた壇上。
会場の人目が集まるそこには、公爵二家の令息と令嬢が会場に背を向け、第三王子を前に頭を垂れていた。
スチュートは二人の前、椅子から立ち上がり檀下の者達へ言葉を向ける。
その声は流石は一国の王子様と言う物で、何とも堂々と、そして朗々と会場に響いた。
アルベラは内心、「こういう所はいっちょ前に王族」と毒づく。
「予定の通り、この時間をもってパーティーは終わりとする。皆みな、この日を祝ってくれたことには一応礼を言おう。ありがとよ」
スチュートの言葉に会場からは拍手が返った。
偉そうな言葉……王族なのだから偉くて当然なのだが、その閉会の挨拶にアルベラは目を据わらせる。
「―――だが、その前に、」
スチュートは公爵家二人を見下ろす。
二人は王子様に、許しを出すで頭をあげると言われていた。
「折角の誕生日だ。今日、俺はこの二人に誕生日プレゼントをリクエストしようと思う」
アルベラは「何だ?」とプレゼントとやらに思考をめぐらせ、ウォーフは「さっさと頭あげてぇ」と胸の内で呟く。
アルベラの視界の端から、黒い革靴が上がってくるのが見えた。
スチュートの執事だ。
彼は持って来た盆を主に差し出した。そこにはグラスが三つ。
「頭をあげろ」というスチュートの言葉で、アルベラとウォーフは言われた通り頭を上げる。
彼は一つのグラスを手にしていた。
執事はアルベラとウォーフへも盆を差し出し、二人にそのグラスを取るように促す。
二人は黙ってそれに従った。
グラスの中には真っ赤な液体。一瞬始めの挨拶で取られた血でも飲まされるのかと思ったが、グラスに注がれた液体は血よりも暗い色味をしており透明感が全く無い。
(不味そう……)
チラリとアルベラはウォーフの表情を盗み見る。彼はただ余裕の笑みを浮かべていた。これが何なのか、彼は分かるだろうか。と思うも、表情からでは伺うことができなかった。
「ベルルッティ家とディオール家」
スチュートが会場に向けて声を張る。
「長い歴史と、全くもって浅い歴史の中、この両家は国のために働き、その功績を認められ国王により『伯爵』から『公爵』に陞爵しょうしゃくされた。王族として、俺はこの二人にも生まれに相応しい振舞を期待したい」
ニタリ、とスチュートの口角が上がる。
「だから、この場で二人には王族への忠誠を誓ってもらう」
(どういう意味?)
というアルベラの疑問同様、会場は静まり返った。
「あまり深い意味は無い。ただの口約束だと思ってくれてもいい。俺がこの学園にいる一年『仲良くしよう』っていうな」
会場に向けてそう言うと、スチュートは「なぁ。簡単だよな」と二人へ尋ねる。
アルベラとウォーフは黙って浅く礼をして返した。
「……心配するな。公的な契約でも何でもない。もし何かあって、お前らが俺らに逆らったとしても、城から罰が下されたりもしねーしな。閉会に当たってのパフォーマンスだよ」
スチュートは笑みを深める。
「ほら。誓え―――」
と言い、観客に見せつけるようにグラスを掲げると、全員の視線がグラス自分に集まったのを見渡し、それを口に運んだ。
グラスをくいっと傾け、中の液体を一気に飲み干す。
二人も黙ってそれに倣う。顔にはずっと貴族の笑みが浮かべられたままだ。
(意外と普通……?)
アルベラはもっとドロリとした飲み心地を想像していたが、以外にもその赤い液体はさらさらとしていた。薄い血の匂いが鼻孔を通ったが、殆どワインと同じような口当たりだった。
(……? ―――?!)
一拍置いて、ぐらりとアルベラの視界が歪んだ。
脳みそが逆さまにされたかのような感覚に襲われ、体が傾いでしまわないように全身が力む。
スチュートは会場の端まで聞こえる声量で二人に問う。
「―――ウォーフ・ベルルッティ。アルベラ・ディオール。王族に逆らうことなかれ。俺らの力となり、時に王族の望みに応え、その言葉に従うと約束してくれるか?」
平衡感覚が歪む感覚ではあるが、アルベラにもウォーフにも正常な思考はあった。
その正常な思考の上で、アルベラはドレスをつまみ、ウォーフは片手を腰の前に握り、「はい」と両者頭を下げる。
スチュートは目を細めて腹の底から楽しそうな笑みを浮かべた。
彼は空になったグラスを高々と掲げる。
「ここに盟約は結ばれた。両家、『よろしくな』」
(な……―――)
(―――っ!)
彼の「よろしくな」の一言に、アルベラとウォーフがその場に膝をついた。
嬉しそうな赤茶の瞳が魔力に灯り、赤い輝きを放つ。
「最高のプレゼントだ。ありがとなお二人さん。―――さあ、これでパーティーはお開きだ。良き日に感謝を」
会場の人々からは大きな拍手が上がった。
壇の上で盃を掲げる王子様と、彼に忠誠を誓うように深く頭を下げる二人の公爵家の姿はパーティーの最後を彩るに足る画だった。
グラスを片手に強く握り、空いた片手を床につき。アルベラの額には汗が浮かび、その表情からは笑みが消えていた。
彼女は目を見開き、床を見つめたまま静かに深い呼吸を繰り返している。
先ほどのあれは膝をついて頭を垂れたのではない。
単に頽くずおれるのを堪えただけだった。
「よろしくな」とスチュートが口にした瞬間、アルベラが感じたのは体を内側から焼かれるような熱だった。胃に流し込んだばかりの液体に火が付き、それが全身へと染み渡って血液を沸騰させるかのような苦痛。
煮だった血液が体の中で暴れ狂うかのような感覚に耐えきれず、その場に立っていられなくなったのだ。
何度か目の前がチカチカと白くなったが、それも落ち着いてきた。アルベラは今は呼吸を整える事に集中している。
その鼻と口の中では、濃く生臭い血の匂いが充満していた。
(最悪……)
今すぐ口内を水ですすぎたかったが今は我慢だ。
視界に入った王子様のつま先がトントンと床を叩く。ご機嫌に見えるそれが、気分の悪いアルベラの感情を逆なでした。
我慢我慢……、とアルベラは自分に言い聞かせる。
ホール内では、スタッフが招待客に退場を促していた。
生徒や教員たちが少しずつ帰っていくのを軽く見渡し、スチュートは二人の間に膝をつく。
「どうだった。最高の熱だったろ。……まさか二人そろって倒れずにいられるとはな」
彼は小さく低い声でそう言った。顔を見なくとも、彼が笑っている事はその声だけでアルベラにも十分分かった。
「この誓いについては俺達だけの秘密だ。誰にも言うなよ。じゃあこれからよろしくな公爵家。ま、お前らと仲良くお遊びを興じる事は無いだろうがな」
顔を伏せたままの二人に耳打ちし、彼は立ち上がりその席を後にする。
彼の後を静々と婚約者のお姫様が付いていく。未だに膝をついたままの二人へは軽い視線を向け頼みで、あっさりとその場を立ち去って行った。
アルベラは一度大きく息を吸い吐き出す。
顔をあげるとルーディンが静かにこちらを見ていた。
こちらへ足を進めようとした彼へ、スチュートが「ルーディン、行くぞ」と命令じみた声をかける。
彼は黙って兄の元へと向きを変えた。その後ろにいたガーロンは、分かりやすく心配の色を浮かべている。
随分と馬鹿正直な騎士様だな、とアルベラが思っていると、その視界を真っ黒な人影が覆った。
「お二方、お帰りになれますか?」
現れたのはスチュートの執事だ。
「ええ」とアルベラは頷く。
立ち上がろうかとした時、目の前に真っ白な手が差し出された。
第三王子様の奴隷であろうエルフだ。
彼は冷めた視線をアルベラへ向け、無言で片手を前にしていた。
アルベラは片手を持ち上げかけたが、すぐにその手を引っ込めた。
そして彼の求めているだろう、手にしたままの空のグラスを差し出す。
「ありがとうございます」
彼は言葉だけの礼を言い、ウォーフへも同じく手を差し出す。
二人のグラスを回収すると、彼はさっさとその場から立ち去った。
「お二方、ご自分でお帰りになれますか?」
執事の二度目の問いに、「ああ」とウォーフが立ち上がる。
「私も大丈夫よ」とアルベラも立ち上がった。ふらつきはしなかったが、視界が揺さぶられるような感覚に顔をしかめそうになった。
「あれが、なんだったのかは説明して頂けて?」
「王家に代々伝わる、盟約の魔術の一つでございます」
執事は答える。
「そう。それで詳しくは聞かせていただけるの?」
「私からは……、そうですね。二つほど。その効果は半年から一年で解消されます。あと先ほどお伝えしましたように『命には危険はない』という事です」
執事の言葉に「はっ」とウォーフが短く笑う。
「盟約ね。躾け薬って事だろう」
彼の言葉に、執事はただ頭を下げた。
(躾けねぇ……)
アルベラが視線をずらすと、壇の後ろにはまだ二の騎士団が待機していた。
人数が半分になっており団長の姿がない。きっとスチュートを送りに行ったのだ。
副団長と目があい、彼は深々と頭を下げる。アルベラもドレスを摘まみお辞儀をして返した。それに他の騎士達も一斉に頭を下げて返す。
多分、会場が空になるまで見届けるのが彼らの仕事なのだろう。
だから自分たちが立ち去るのをこうして待っているのだ。とアルベラは思った。
「嬢、行けるか?」とウォーフに問われ、アルベラは頷き彼と共に壇を下りる。
「辛そうだな。運んで差し上げるがどうだ?」
「そちらこそ、部屋まで引きずってあげても良くてよ?」
アルベラとウォーフは互いに強がるようなやり取りを交わす。
そんな二人の背へ、「お気をつけて」と執事の見送りの言葉が投げかけられた。
騎士達の視線を感じながら会場を後にし、アルベラは廊下を少し歩いた場所でエリーを呼んだ。
足を止めた彼女に付き合いウォーフも足を止める。
「ハンカチくれる?」
「はい」
エリーに渡された真っ白なハンカチへ、アルベラは口の中に残った液を吐き出す。
(殆ど唾液だな……汚い……けどないよりはマシ……)
ハンカチに赤色が染み込んだのを確認しアルベラはそれをたたんだ。
じっとエリーから熱い視線を感じ、アルベラはハンカチを体の後ろに隠す。
「……これはあんたには預けないでおく」
(後でガルカに渡してお母様に送らせよう)
「もぅ! お嬢様の意地悪ぅ!」
エリーが頬にてを当て嬉しそうな声をあげる。
(んー……?)
ウォーフは彼女らのそんなやり取りを見て、どこか不思議そうに首をかしげた。
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