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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
188、学園の日々 17(これからの予定と長旅へのわくわく)
しおりを挟む瞼の向こうに薄い明かりを感じ、アルベラは細く目を開く。レースカーテンだけを開いた窓からは薄明かりが入り込み、室内を照らし始めていた。
その少し後に目覚まし時計がコロコロと木琴に似た心地いい音を立てる。
目覚まし時計として機能しているのか分からないような柔らかい音だが、時計には魔術が施されており、音のみで起こされるけたたましそれらよりも大分目覚めがいいのだ。
主の目覚めを察して、カーテンに紛れるように窓枠にぶら下がっていたスーが「キキッ」と短い声を上げ身を揺らした。
アルベラはぼんやりとした頭でベッドの淵に腰掛け、動き出す気になるまでぼーっとし、少ししてからようやく意を決したように伸びをする。
スーに木の実をやり、いつものように窓を開けて保温の魔術を施し、彼女はのろのろと身支度を始めた
「貴様、最近やけに気が抜けてるんじゃないのか?」
「なにがぁ?」
朝からどこか不機嫌そうなガルカに、アルベラはエリーに髪を整えてもらいながら答える。頭はまだ半分眠気に浸っていた。
「聖女の娘とやらはまだ分かる。俺がここに来た時から貴様が構ってたのは見ていたからな。だがあの悪臭極まりない二匹についてはなんだ?」
「……」
アルベラはぼんやりと鏡の中の自分を眺め、「ああ、あの二人とのことを言ってるのか」とラツィラスとジーンを思い浮かべた。
「前は表向きは親しくする風を装っているようにも思えたが、最近すっかり絆されてないか? 貴様自身、金髪の方のアレには特に懐柔されないよう、もっと抵抗しようとしていたと思うのだが……。最近はその気が全く感じられん。がっかりだ」
「何ががっかり……? 私が彼等とばちばちにやり合うかもとか想像してたの?」
「ああ。奴らを潰すための戦力だとも思ってたんだがな」
(地味に正解なんだよなぁ……)
アルベラは欠伸を浮かべ、後ろでエリーがニコニコと微笑みながら青筋を立てていた。
「俺はあの神臭い輩を、いつ苦痛と血に染めてやれるのかと楽しみにしていたというのに、」
「縛りの魔術のこと忘れてない?」
「……む」
「気が抜けてるのはあんたも同じね。……それに、そういうのは今はいいの。他にやることあるんだから、彼等の事は気にしてる場合じゃないでしょ。期末考査に、その後は王子様の誕生日があって、その後は自分の誕生日、更にその後は冒険者雇っての国外への旅行。勉強とかその他に集中させてよ」
髪の毛を編んでいたエリーが、作業の手をぴたりと止める。
「お嬢様。その言い方だといつか本当に彼等とバチバチにやり合うみたいじゃない?」
アルベラはぼんやりとした間を置き、「ああぁ、確かに」と頷く。
「ないない。そんな予定今のとこぜんぜんなーい」
ひらひらと手を振るアルベラに、エリーは「そうであることを願います」と不安気に返し、主人の髪をまとめる作業に戻る。
「ふん。つまらん」
ふいっと顔を逸らすガルカだが、アルベラの声音や一瞬音量を上げた鼓動の音に僅かな「嘘」を感じ取っていた。
(完全になくなったというわけではないのか)
ガルカはディオール家に従属させられるようになってから、アルベラの中にある王子様への警戒心を感じ取っていた。彼に対するほどのではないが、彼に従う騎士に対しても少なからずはあったはずだ。
だというのに、それが最近彼女の中からすっかり消え去ってしまっているように感じていた。
ガルカはその事がどうにも気に入らない。
「ったく。使わられる側の気持ちも考えて行動して欲しい物だ」
「何の話してるんだ?」とアルベラは考えつつ、「その言葉、使う側としてそのまま返すから」とテーブルを指さす。
「毎日のようにあんた宛のラブレター渡される私の複雑な心境を察しなさい」
「ラブレターを貰った事のない子供の嫉妬か。哀れだな」
「煩いわね。ラブレター位あるわよ」
(小さい頃にキリエから沢山ね!)
「ほう。つまらない見栄を張るな。余計悲しくなる」
やれやれと息をつくガルカに、アルベラはいつの間にか眠気も吹っ飛ぶぐらいにイラついていた。
「―――はい。終わりましたよ」
タン、と両肩に手を置かれアルベラは鏡の中を覗く。
「ありがとう。ばっちり運動仕様ね。助かる」
今日は四時間目に実技教科の魔法学がある。エリーはそれに備え、髪を動きやすいように纏めてくれたのだ。
仕上げに魔術印の彫り込まれたバレッタを止めれば、結構な強度にも耐えてくれるため安心だ。
扉がノックされ、アルベラは「じゃあ行ってくる」と椅子を立ち、エリーは「行ってらっしゃいませ」とほほ笑み、主人の登校を見送った。
アルベラがラヴィとルーラと共に食堂へ向かうと、エリーは今しがたアルベラが腰掛けた椅子の背もたれに手を乗せた。
その椅子は少し前に男の遺体を乗せていたものだ。
血やその他の体液等による汚れもないため、雑巾がけ程度で済ませアルベラは変わらずにそのまま椅子を使い続けていた。
買い替える余裕が無い分けではないだろうに……。とエリーはなぜアルベラが椅子を買い替えないのか考える。
(あの子の性格的に、単に気にしていないだけな気もするけど……。私が念入りに頬ずりした枕カバーは簡単に買い替えるのに……なんか解せないわぁ)
ほぅ、と小さく息をつくと、「図太い神経をしてるものだ、とでも考えてたか?」とソファーの方から気に食わない奴隷の声が投げかけられる。
目を向ければ予想通りの嘲顔でガルカが笑っていた。
彼の声が耳に入り、更に姿が視界に入り、エリーのこめかみに青筋が薄く浮かび上がる。
「俺がここ公爵家にきて知った他の家のお嬢様というのは、虫や小動物の死骸にも震え上がって縋りついてくる者が多いのだが……。あれは全くそうなる気配がないな。…………どうしたらあれを他お嬢様共のように情けなく怯えさせられるか…………俺に縋って必死に助けを求める姿を見られた日にはちょっとした憂さ晴らしにはなりそうか………………ふむ。考えてみると少し面白そうだな」
エリーのこめかみの青筋が色濃くなる。
彼女はニコニコと椅子の背もたれを握りしめた。
「流石……糞低俗な魔族が考えそうなことね。お嬢様から微々たる信頼しか得ていない証拠じゃない? 可哀そうなあんたと違って、私はついこの間もその前も、あの子がおびえたり苦しがっている姿なら拝んでいるの。どう? これが信頼の違いよ? 身の程を確認出来て?」
エリーは「ふふん」とあごを持ち上げるが、ガルカは呆れて目元を歪ます。
「それはあの聖女の娘だとかとの仲直りのやつか?」
「……!」
「それとも先日夜中にコントンにのしかかられて悪夢に呻いていた時の事か?」
「……!!」
「それかご令嬢方との庭での茶会の際に足の指をぶつけて、人の目を気にして蹲りたいのを必死にこらえていた時の事か」
「……!!?」
エリーは椅子の背もたれをきつく握りしめ、忌々し気に眉を顰める。
「どういう事……? スカートンちゃんの時、あんたは周りにいなかったはずだけど」
「話し合いの最中はいなかったな。だがその後阿保みたいに沈んでる姿は見ている。コントンの件は偶然窓の外から見かけたに過ぎないが、茶会は俺が指名されたのだからその場で見ていて当然だろう。……俺が言いたいのはそういう事じゃないが、……まず貴様どこから見ていた。よくそんな悪質な内容で誇った顔ができたな」
「っく……!」
悔しくもエリーは何も言い返せず、手の中で椅子の背がバキリと悲鳴を上げて割れた。
男の遺体を乗せた椅子は、忌事とは全く別の理由で即日買い替えられる事となった。
そしてアルベラは自信のプライバシーが思っている以上に侵害されている事をまだ知らない。
***
「アルベラ様、どうかなさいまして?」
「いいえ……何も。ちょっと寒気がして……」
食堂に向かう中、急に顔色を悪くし、両手で自身の体を抱いて小さく身震いしたアルベラに、ルーラが尋ねた。
心配そうな言葉をかける彼女とは対照的に、ラヴィは何とも嬉しそうな声を上げてアルベラを嘲笑う。
「どうせ夜更かしでもして体調崩したんでしょう? この年にもなって体調管理ができないなんて、私と違ってディオールはまだまだ子供ね。大きくなったのは身長だけかしら? そのまま肌荒れを起こしてガサガサなお婆ちゃんみたいになるといいわ」
ラビィの生意気な言葉にアルベラは遠い目をし、ほっと息をつく。
(ああ……この分かりやすさが安心する……)
「ちょっと、なによそのふやけた顔! ニタニタして馬鹿にしてる?!」
「いえ。ルーラがあなたを可愛がる理由が分かったような気がしただけよ」
「は?! 可愛がるって何よ?! 言っとくけど私の方がずっとルーラの事面倒見てあげて来たんだからね!」
「ええ。ラビィにはずっとお世話になって。感謝してるわぁ」とルーラが微笑む。余裕のある大人の対応に、アルベラは「やっぱ扱いなれてるなぁ」と感心する。
ラヴィはそんな二人の空気に気付きもせず、自慢げに「ふふん。そうでしょう?」とドヤ顔で胸を張った。
(ああ。『表』だけの世界……落ち着く……)
アルベラは裏表のないラビィの発言に安心感を抱く。
***
(冒険者メンバーと顔合わせ、冒険道具準備……は、エリーとガルカに任せられるか。試験勉強、試験、試験結果確認周期、王子様誕生日……休みに入ったらストーレム。二日目に誕生日。後日八郎の家行っって、ファミリーにも顔を出して……ツーおじ様にはお会いできるかしら。何か手土産でも持っていきたいわね。……あ。そういえば私の誕生日……公爵家的には第三と第四王子様にも招待状出した方が良いのかな……。お母様に聞いておこう。ん? その場合、もし彼らが参加することになったら、一応第・五・の・あ・の・子・にも伝えてあげた方がいいか……?)
座学の授業でノートを取りながら、アルベラは手が空くたびに、今月と来月の予定を箇条書きにしたメモ帳のページを眺めていた。
今はジェフマ、二の月(日本でいう二月)の三週目だ。
先月は学園の入学に伴い色々あったが、今月はそれに比べると随分平和な物だった。
来月末は「前期考査」と学園内では呼ばれている期末試験の期間に入るので、そちらで忙しくなる予定だ。
学園全体も、試験に備え既に少し慌ただしくなり始めていた。
(考査にミーヴァやスカートンの誕生日か)
考査はジェフマ三の月、三週目だ。この週は全授業で考査が行われ、四週目は教科によってテストの返却、又はおさらい交じりの通常授業が行われる。
「勉強に集中させろ」と先ほどガルカに言ったものの、貴族、しかも公爵家であるアルベラは大分ゆるい気持ちでこの考査の事を考えていた。
最低でも真ん中の上。頑張って上の下か中辺りを狙えてればいいかなというくらいだ。
最悪最下位だったとしても、卒業できてしまうのだから気持ちは軽い。順位は個人にしか発表されず、点数が悪くても覗かれたり自分から言わない限りは周りに知られることは無いのだ。
気に入らない相手を貶しためや、単純に気になって、点数を探り合うという考査終わりの名物もあるらしいが……。
上位の者ほど点数を隠す脇は甘いので、大体毎年、知れわたるのは上位十位以内の者達や、期待や嫉妬の集まりやすい爵位の高い貴族たちが標的になる。
(せいぜい見られても恥ずかしくない点を、とは思うけど。いざという時は頑張って隠し通そう)
緩めの気持ちで挑めるアルベラと異なり、馬鹿にされる材料を増やさないべく、そして自分の在学をかけて平民特待生たちは特に必死だ。
彼らは年三回行われるこの考査で学年二十位以内の成績をキープしなければならないため、二の月に入った頃から考査に備えた勉強を始めているようだった。
二十位というのは全教科の総合点だ。座学が駄目でも実技で補い、その逆も然りで得手不得手があれど、結果二十位になれていばいいらしい。
だから魔法が大して使えなくても特待生となれるし、勉強が程々でも、実技で突出した才があると認められれば特待生となれる。
特待生と一言にいっても、その内実は様々なのだ。
皆がみんな同じく「がり勉」というわけではないんだなぁ、とユリと関わる彼らを見て、アルベラは「特待生」に抱くイメージを改めていた。
考査も済ませたその先には「前期休暇」が待っている。
学園は三か月ごとにひと月休暇が挟まり、計年に三回の長期休暇がある。
それぞれ、前期の休みで前期休暇、中期の休みで中期休暇、後期の休みで後期休暇と呼ばれている。
前期休暇の二週目からは初の十日以上の外出だ。途中数回野宿もあるとの事で、学園生活中は冒険とは無縁の日々だろうと思っていただけに、アルベラは少しワクワクしていた。
前世と転生についてを思い出してからというもの、悪役令嬢という役目がある限り、学園生活中はヒロインに付きっ切りだろうと思っていたのだ。国外への遠出などする暇がないくらいに、嫌がらせの日々が待ち構えているのだろうな、と。
しかし、ふたを開けてみれば意外と自分の時間を過ごす余裕があったのだから、そこは素直に儲け物と思うことにした。
それもこれも、こうして長旅へ行くことを決められたのは八郎のおかげだろう。
『アルベラ氏、多分旅行中よりも帰って来てからが忙しいでござるよ。ユリ殿がこの休みをどのルートで行くかはまだ分からんでござるが、休み明けはアルベラ氏がヒロインを貶してる最中に休み中に交流を深めたヒーローが助け舟に入ってきて、アルベラ氏「キーッ!!」のイベントがあるでござる。クエストにもそれらしい物があると言っていたでござろう? これは誰がどう見ても代行不可のクエストでござるよな。まだサンプルが少ない故断言できないでござるが、正規シナリオのイベントにもあるようなクエストは、アルベラ氏自らがやらなければ達成できない類の可能性が高いでござる』
そう言って、彼は「だから大丈夫」と言い切った。
正規シナリオで前期休暇にアルベラとユリが関わるものはない。
外出中、もし急なクエストが発生しても、スクロールに連絡を入れれば喜んで代行すると申し出てくれたのだ。
あまりに積極的すぎて逆に不安になるくらいだった。
ユリに対する八郎の可愛がりが変に過ぎなければいいのだが、とアルベラは自分のクエスト達成と並んでそちらも心配し始めていた。
(……にしても『アルベラ氏、キーッ!!』のイベントって? いざという時そんなリアクション出来るかな……)
役の項目には「ヒロインを乏してヒーローとヒロインに返り討ちに合う」としか書かれていないのだ。
(反応が『キーッ!』だけに限定されていなければいいけど……。えーと。この後は魔法学、その後はお昼挟んで魔獣学か。その後は……屋内運動場の個室借りてエリーに訓練してもらって……寝る前は無難に考査の準備かな)
アルベラはレイニークラスの教室を後にし、午前の授業で使用した教科書や筆記用具類を入れた薄い鞄のみを持ち更衣室へ向かう。
着替えは更衣室にエリーが準備しておいてくれているのだ。
「アルベラ、お疲れ様」
別の教室から出てきたスカートンが、アルベラへ声をかける。
「お疲れ様」と返し、スカートンと共にいたキリエとサリーナとも挨拶を交わし、四人は次の授業へと向かう。
廊下の窓の外に見える空を見上げ「ああ、なんて平穏、なんて平和。素敵」とアルベラは表情を緩ませる。
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