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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)

176、学園の日々 6(彼の寵愛)

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 アルベラからベイリランの話を聞き、ラツィラスはクスクス笑った。

「ベイリラン、ルーディンの事大好きだからなぁ」

「はぁ……。みたいですね」

 目を据わらせるアルベラに、ラツィラスは改めるように赤い瞳を向ける。

「『人の心を操って死に追いやる』。これ事実なんだよね」

 その声は随分軽かった。

 世間話をするように、彼はつらつらと続ける。

「僕が本気でお願いするだけ。それだけで人によっては死に方も言われるがままに実行するよ。……まあ、絶対ではないんだけどね」

「……」

 アルベラはどう反応したら良いのか分からず、表情を僅かに歪めた。

 最近はあまりないが、数年前までは良く感じていた感覚を思い出す。会った頃は特に強く感じていた、目を合わせただけでも「絆されてしまうのでは」という危機感。

(もしかしてアレか……?)

 頭に浮かんだのは「世の中にはそんな力があるんだなぁ」という他人事のような納得だった。

 同席したジーンに目を向ければ、彼は静かにこちらを見返すだけで何の反応も返さない。

 「驚いた?」とほほ笑む王子様に、アルベラは「はい」と小さく息をついた。

「今の私はどうなんです? 全く実感はないですが、もう操られてたりします?」

 彼は悪戯っぽく目を細める。

「どっちだと思う? やっぱ怖い?」

「面倒くさいこと言わないでください」

 アルベラは視線をテーブルに落としながら、溜め息と共にそう吐きだす。これは「どっちか」と言う問いに対しての返答だった。

 「ごめんごめん」と謝りながらクスクス笑う声が聞こえた。

 彼女は頭に浮かんだ言葉をそのまま言って良い物かほんの一瞬迷ったが、正面の赤い瞳が「言って良い」と答えを促しているように見えた。

 アルベラは半ば投げやりに、ぞんざいな瞳を彼へ向ける。

「そんな力、そりゃあ怖いですよ」

 いうからには堂々と、という彼女の態度に、「だよね。ありがとう」と彼はまたくすくす笑った。

 この「くすくす」は嬉しい時の「くすくす」だな、とアルベラは何となく聞き分けてしまった自分に目を据わらせる。

 笑いを納め、ラツィラスはゆるりと首を横に振った。

「君はさ、僕のお願いを見事に全部断りきってる」

「あら。流石私」

「全くね。初めはどんな偶然かと思ったよ」

 ふとアルベラは、彼と出会って間もない頃、短い茶会に何度か招かれた事を思い出す。

「まさか偶然かどうかを確認するために、適当な用事で私を呼び出した事があったりとか……しませんよね?」

 ニコリとほほ笑むアルベラに、ラツィラスも素敵な微笑みを浮かべ「ん?」と首を傾げた。アルベラは笑んだままイラっと方眉を寄せる。

「だからそう言うことなんだよ。『壁があったり警戒したり。むしろそれで安心して接することができた』って」

「……ああ。何かそんな話した気もしますね」

「えー……。そんな感じかぁ」

「だってあの話より、その後の事の方がよっぽどインパクト強く て」 

 と、アルベラとラツィラスは「しまった」と、ジーンの顔を見る。彼は今がいつのなんの話か把握していないようで、不意に二人から視線を向けられ居心地が悪そうに「なんだよ」と呟いた。

 アルベラとラツィラスは気取られないよう、慌てて話を戻す。

「ああ。……ええと。……と言うことは殿下のその力は、意識的に拒否できるんですね」

「まあそうだね。けどそれぞれ……」

(それぞれか……)

 誤魔化しで話に戻したが、直ぐに頭はそちらに向いた。

「『本気でお願い』っていうのは、私やジーンも簡単に言いなりですか?」

「……どうかな。ジーンはもしかしたら大丈夫かも。彼はもともとこういうのの効きが弱いんだ。多分体質か、ちょっとした『加護』だね」

「何度か気を抜いて危ないときもあったけどな」

「アルベラは、性格とか意識的な物で避けてたみたいだし、本気でってなると断れないんじゃないかな。……実はまだ、ちゃんと試したことなくてね。近々罪人とかで試す場が設けられると思うよ」

「さらっと物騒なことを……。で、それって一体なんです? 魔族の『言葉で縛る奴』と似たような力ですか? 体質、催眠術、それともそういう寵愛です?」

 ラツィラスは目を瞬き、そして細める。心の中では「正解」と呟いていた。

「答えてもいいけど、僕も君に聞きたい事があるんだ。詳しく話すのは良いけど、君がそれに答えてくれたらでもいいかな?」

(まあ、ある程度の特徴は殆ど話ちゃったんだけど)

 苦笑するラツィラスには気づかず、アルベラはじっと視線を一点に止め何を見るでも無く考える。

 聞きたい事のほとんどは先ほどの話で知ることが出来た気がした。

 ベイリランの言葉も、「関わるべきではない危険な人物かどうか」に対しては、初めの方に本人の口から「危害を加える気はない」と聞いている。

(危害は加えられない。けどそれは仲良くやってける間、だよな……。本気になれば人の心を操れる力。本当にそんなのがあるとしたら、私の役割の障害になる……はず……。知っておいた方が良いか)

「分かりました。質問次第で、答えられるものなら」

「良かった。僕が知りたいのはさ、君の体質の事なんだ。前にも馬車の中で聞いた奴覚えてる?」

(ああ、祝福の時の)

 アルベラは目元へと左手を持ち上げかけ、誤魔化すようにお茶菓子へと伸ばした。

 ラツィラスから、馬車の中で聞かれた時ほどの圧はない。だが、二人が自分の返答を待っているのは良く感じた。

「……分かりました。じゃあ、自覚してる私の体質は話します。その代わり、何でそんなに知りたがってるのかちゃんと聞かせてくださいね」

 「分かった」とラツィラスがすんなり頷く。

(クソ。嘘測定器ガルカがいないのが悔やまれる……)

 アルベラはエリーとガルカに話したのと同じ内容をこの場の二人へも話す。

 魔族の神とやらは割愛して。





「私の場合、神様からの恩恵は全く受けられません。それどころか、試しに祝福を受けてみたらあの様です……。小さい頃は『教会が肌に合わない』程度だったのにびっくりですよ。……ガルカが言うに、私からは全く神の匂いがしないそうです」

 「通りで彼と仲良くやってるわけだ」とラツィラスは笑う。

 聖堂での並び順的に斜め後ろに待機していたジーンは、祝福を受けてる最中のアルベラの様子を思い出し「あれ、やっぱり苦しんでたのか」と呟いた。

「ええ……! 気持ち悪さに耐えるので必死だった。心の中で何度神を冒涜した事か」

 アルベラは思い出し、テーブルの上で拳を握る。

「聖堂で神様を冒涜って、体質関係なく罰当たりそうだね」

 ラツィラスは笑い「なるほど」と続けた。

「聖気に弱くて瘴気に強いか。魔族みたいだね」

「瘴気って言っても本当に限られた奴ですけどね」

 あの賢者様絡みの悪い気しか体感したことがないアルベラは「全部じゃないです」と釘を打つ。

「そういえば何で二人は私の体質の事……。確信があるようでしたが何なんです? 寵愛持ちはそういうのまで分かるんですか?」

 聖堂で体調が悪くなるのは確かに珍しいかもしれない。だが、それくらいならもともと風邪をひいていたとか二日酔いだったとかであり得る話だ。祝福を受けて体が軽くなることがあっても、そういった病状等は完治するわけではない。

 不思議そうなアルベラの顔に、ラツィラスが「……あれ?」と呟く。

 ジーンが尋ねる。

「祝福受けて、気持ち悪くなって。他に何かいつもと違う感じなかったか?」

「気持ち悪くて、その後実は左目から少し出血したけど……他は別に。血もすぐ止まったし、その後なんともないですが」

「目から出血? 何も無かったなら良かった。……けどそっか。ああいうのって割と本人はいつも通りなのかな。何か精神面とか、思考の変化とかはあった?」

 落ち着いている様子だが、ラツィラスが先を促しているのがよくわかった。

「いつも通りです。本当に体調が悪くなるだけで」

「そうなんだ。確かにあの時も普通に受け答えしてたもんね」

 自分に呟いているようなラツィラスの言葉に、「はぁ」とアルベラは気の抜けた相槌を打つ。

「あの時、お前の目の奥に嫌な感じがしたんだ。黒い影みたいな、俺らにはそういうのが見えた。一瞬だったけどな」

 「目の奥?」とアルベラは今度こそ、遠慮なく自分の左目に手を添える。

 思いだしてみればあの時、目の奥に鈍い痛みはあった。

(けど、黒い影って奴のせいで痛かったとは限らないよな……)

「あの時、外から見た私ってそんなに普段と違ったの?」とアルベラはジーンへ顔を向ける。

 彼は首を振った。

「気分が悪そうってくらいで、そこまで大きくは違わなかった」

「黒い影は? いつもより目の色が黒くなってたみたいな?」

 アルベラの様子に、ラツィラスは「自分では気づいてなかったんだね」と呟いた。

「目の色はいつもと同じだ。影っていうのも殆ど感覚だと思う。影が見えたような嫌な感覚……」

 「……あ」とジーンは呟く。

「お前、だからあの水の中であんなぴんぴんしてたのか?」

「は?」

 「ああ」とラツィラスが思い出したように笑う。

「シズンムの村の時だね。ジーンが情けなく気を失っちゃった」

 ジーンがイラっとし、アルベラは「言い方ですね」と呆れる。

(『ここまで来たら』だけど……。大雑把になるなよ私。あの賢者様に触れるような事はうっかり口にしないように……)

 アルベラは手元をみつめ口を開く。

「そう……です。私にはあの水、そんなに辛くなかったんです。休んでるときガルカが言ってました。ジーンは特にあの水の毒気にやられてるって。あの水、神聖な力とかに特に強く反応してたらしくて、彼等的に言う『神臭い』ジーンは特に当たりが強かったみたいです。体質の相性ね」

 ジーンはため息をついた。

「少し不思議には思ってたんだ。なるほどな……」

 ジーンは考えるように「色んな体質があるもんだな」と零し「そうだねぁ」とラツィラスが頷く。

「で? 二人は何でこの体質がそんなに気になったんです?」

 彼女の問いに二人はどちらが話すか伺うように顔を見合わせ、ラツィラスが口を開いた。

「あの時の君と同じ目の人達を僕ら他にも知ってるんだ。その悪人率がまた高いこと」

「俺が知ってるのも処刑されてもういないしな」

 「処刑……?」とアルベラの表情が歪んだ。

「まさかこの体質のせいでとか言いませんよね?」

「安心しろ。行いの問題だ」と言いジーンは紅茶を口に運ぶ。

 一瞬だがアルベラは彼のその無表情に、僅かに怒りや失望のようなものを見た気がした。

 カップをテーブルに置きジーンが話を続けた。

「小さい時に会った奴があんな目をしてたのを見たんだ。随分前だし全く同じかは怪しいけどな。あと魔族で数体似たようなのがいた」

 「ええ……魔族か……」と呟き、アルベラはぼんやりと「アスタッテ様」との繋がりを考えた。

「人間で同じようなのを見たのはもう一人。城に来てからだ」

 「もう一人?」と促すアルベラに、ジーンはラツィラスへ視線を向け先を預けた。

「第一妃だよ」

「お妃様?」

 アルベラの目が丸くなる。

「また随分と偉い方が」

 「だね」とラツィラスは苦笑した。

「彼女は君よりはっきりとね。後は……あんまり確信がないんだけどルーディン」

 アルベラは「ルーディン様?」と呟く。

 ラツィラスは少し考えるように視線を落とす。

「そう。……こっちは曖昧かな。一度見た気がするんだ。けどそれきり」

 視線をアルベラに戻し、自分たち以外話を聞く者はいないというのに彼は声を潜める。

「……僕はさ、あの三人の中で彼が一番良く分からない。得体がしれないんだ」

 声の大きさを戻し「まあこれは、今は聞き流して」とほほ笑む。

「君みたいな体質について、前に聖女様に聞いたことがあってさ。君みたいな人達は『引きつけ合う』みたいな話し。実際、そういう人間の集まるグループみたいのがあるみたい」

「『ドグマラ』って知ってるか?」とジーンが尋ねる。

 アルベラは首を傾げた。

「聞いたことあるような……無いような……」

「兵士や騎士の間での噂の集団だ。本当にあるのかないのかよく分からない。会ったら死ぬって言われてる」

「なんか怪談みたいな人達ね……」

 「実際『みたいなもん』だ」とジーン。

「彼らがその『恩恵を受けられない人間』の集まりじゃないかって、聖女様がそんな話してたんだよ。あえて集まったのか、それとも自然と集まっちゃったのか……。皆どこか人格が破綻してたりして、気まぐれに色んな国に出入りして荒らしまわってる輩だって。快楽殺人者の集まりだって噂もあるね」

「へぇ。迷惑な人たちがいたもんですね」

 言葉の後に、アルベラは「ん?」と動きを止め、二人を見て表情無く尋ねる。

「……私もその予備軍だと?」

 ラツィラスがくすくすと笑った。

「確かに、そうかもしれないね。けど今のところ問題なさそうだよね。君もそれなりに捻くれてはいるけど人格破綻者ではない」

「捻くれてるなんて……優しいと評判の王子様が酷い事を言いますのね……」

「良い意味で言ったんだ。そんなに照れないでよ」

「目もお悪かったとは」

「不敬だなぁ」

 二人は上品に笑い合う。

「ま、君の体質の事もハッキリした事だし、第一妃とルーディンの目の事があれば君にとってもいい判断材料になるんじゃない? 彼等とどう関わりたいかとか、どう気を付けたいかとか。引き付け合うらしいし。……ああ。第一妃とルーディンの目の件は口外しないでね。篤信とくしん者の中には怖い反応をする人達もいるみたいだから。君も気を付けて」

「そう……ですね」

 アルベラは神妙な顔で頷く。頭の中で「こういう体質って案外知ってる人多いのかな」と考える。それに目の前の今日の彼。

「なんでしょう。今日の殿下には誠実さを感じます。感謝いたします」

「僕はいつも誠実でしょ。あと感謝はしないでよ。単に必要な話だったんだから。君を利用しようとしたお詫びでもあるわけだし」

 「どう使おうとしたのか」の辺りで嘘を付いている彼は苦笑し肩をすくめた。





 馬車の中のあの時ラツィラスは咄嗟に、「彼女がいれば、第一妃を手にかけられる日が近づくかもしれない」と思った。そう思ったら頭の中は第一妃への殺意で一色になっていた。

『第一妃と同じアルベラのあの目をスチュートやルーディンが見たら、あの二人は彼女を気に入るのでは。なら彼女には偵察役になってもらおう』

『もしかしたらルーディンの目についても白黒つけられるかもしれない』

『あの体質については知れない事が多い。妃と彼女が会う事で、何か新しい動きが生まれるのでは』

 どうやって彼女を動かそう。どうやって彼等と彼女を引き合わせよう。どうやって妃へと誘導しよう。どうやってあの部屋に行こう。どうやってあの女を……どうやって……どうやって……どうやって……どうやって……。

 そんな思想が次々に頭に浮かんだ。

 終には「もし彼女が彼等と関わることで第一妃を保護する側につくようなことになれば……」という所までその想像は膨らんでいた。

 彼が自分の中に感じている薄情で弱い部分は「そうなれば力に頼ればいい」と囁いた。

 「彼等を信用するな。今まで通り友人でいよう」と、心の底から願って伝えるだけ。それできっと彼女と自分達の関係は元通りになると、そう思った。





 「本当馬鹿な話だよね」とラツィラスはニコリと笑う。

 「利用しようとしたのは最低ですよね」とアルベラには当然と頷かれ、「気づけて偉いな」とジーンには適当に返され、ラツィラスは「うわぁ」と零す。





 一息つくようにお茶を飲み、お菓子を口にし、体を伸ばすと「さて、あと一つ」とラツィラスは切り出した。

「じゃあ残すは、僕の『どんなお願いでも聞き入れてもらえる位人に愛されちゃう寵愛』について話そうか」

「一言で完結しましたね」

 何とも言い難い表情を浮かべるアルベラに対し、ラツィラスは何かから解放されたかのような晴れ晴れとした表情を浮かべていた。

「心して聞いてね。これは王族と限られた一部の人間しか知らない話だから」





 ***





 窓の外は随分暗くなっていた。

 アルベラが退室し、隣室のギャッジ達はまだ呼びもどさずで、二人は余ったお菓子に手を伸ばしていた。

「『第一妃様大嫌い』って事以外は大分話したな」

「うん」

 ラツィラスは嬉しそうに目を細める。

「寵愛の事、話せてよかったな。清々しいや……やっぱこの力ちからフェアじゃないよね」

「そうだな」

(縛りも契約も無しで話して……。王族でも知らない人間がいるっていうのに……。王様にばれたら大問題だろうな)

 ジーンは目を据わらせる。

 そういう自分も、当時魔術無しでラツィラスからばらされた口だ。だがそれが王様にばれ、今では口留めの魔術を施されて他言できないようになっている。

 あの頃は人間不信になってもおかしくない、はた迷惑な寵愛にこの王子様を哀れに思う事もあった。成長と共にその制御が身に付き、それでもたまに人の厚意や優しさに疑念を抱いているような彼を気の毒だと思った。だが―――

「剣術をサボりにサボったおかげだな。予定より大分早く制御できるようになって」

「早く制御できるようなりたくて、魔力の訓練に比重を置いたんでしょ。剣術の方は大目に見てって」

「はいはい。そうだったな」

 ジーンは知っていた。友人であり主人である彼が、魔力の訓練とかまけて剣をサボり適当な護衛を連れ街を遊び歩いている事を。

「城の外の観察も『次期王様』の大事なお勤めだもんな」

「君も一緒にサボって良いんだよ?」

「はいはい」

 その後、おたがい大した話もせず少しゆっくりし、カップについだ紅茶を飲み終えたジーンが静かに席を立った。

「訓練行くのかい?」

「ああ。一応。多分夕食はぎりぎりになる」

「じゃあお腹すいたら先食べてる」

「ああ」

 退室しようと扉へ向かい、ジーンは尋ねたいことがあって振り返った。すっかり気が抜けてる友人の姿に、彼は僅かに躊躇う。

「……お前さ」

「ん?」

「第一妃の事、やっぱり変わらないんだな」

 ラツィラスは顔を上げ、「もちろんだよ」と微笑んだ。自分も質問しようと口を開きかけたが、言葉を聞く前より先にジーンが答えた。

「降りない。……じゃあな」

 パタンと扉が閉じる。

「……そっか」

 ラツィラスは背もたれに背中を預ける。「ジーンは強いなぁ」と安堵の息と共に呟く。

「それに比べて……僕……弱いなぁ……」

 周りから期待され願われ。城に来た頃には強い嫌悪感を抱いていた王の座を、今では受け入れ始めてしまっている。

 なのに育った故郷を思い出せば、復讐に燃える黒い気持ちが頭を熱くするのだ。同時に沸き上がる、王族と言う下らない柵への憎悪。

 周りに流され、感情に流され。都合がいい時に寵愛に頼ろうとする薄弱な精神。

(何が『王の器』だ)

 ラツィラスは自嘲する。

 憐れむような父の言葉が蘇った。

『皆の言葉が愛おしく感じる事がお前にもあるだろう。叶えなければ、応えなければと……どうしようもなく胸が打たれてしまう事があるだろう』

(……お父様勘弁してよ。こんなの立派な呪いだ……パワハラだよ……)





 ***





(本能的に信用、信頼する、か。……は? 強くない?)

 アルベラはガルカと共に自室に帰りながら考える。

(厳密には好き勝手に人の心は操れないみたいだけど、気づいたら当然と心を許しちゃってるんでしょ? それで自分から彼のためになろうと動いちゃうと……『あれしてほしい』『これしてほしい』って具体的なお願いを口にすればそれを叶えようとしてくれる人が殆ど、だって言ってたしな)

 彼は「人による」という言葉を念を押すように何度も口にしていた。

 寵愛にあてられるか、あてられないか。それは個人の幅広い物事に対する意志の強さや弱さより、相手の性格や思考の方向性との関係の方が大きいとも言っていた。特定の物事へ向ける強い意思や、強いこだわりや癖も関係するそうだ。

 例えば疑い深い人間、自分の精神状態や思考に敏感な人間などが、自分に「なぜ彼が愛おしいと思った?」と自問し寵愛を拒否したり。または、何があっても他人に心を開かない、信頼しない、と普段から強く思っている者が寵愛を拒否したり。

 寵愛にあてられた側の反応もそれぞれだ。

 善意の表し方は人によって異なる。その人間にとっての善行が甘やかしなのか、我が子に旅をさせるスタイルなのか、またはその他なのか。そうやって誰も彼も判断基準は異なるので、お願いしても自分の望んだ行動をとってくれるとは限らない。

 ベイリランが言っていたように、「人を死に追いやるとは」例えば寵愛にあてられた人間が献身的だったり被虐的だったり、人のために命を落とす事を美徳だという思考を持っていれば可能か・も・し・れ・な・い・そうだ。その必要があるような場面だったり、逃げ場の無いような場面で、ラツィラス本人が願わなくとも彼らが自ら死を選択してしまう事もあるという。





 今に比べると、アルベラと出会った頃は大分寵愛の力をだだ流しにしていたらしい。それでも城に着たばかりの頃に比べればマシな程度となっており、力への意識も掴めていたそうだ。

(最近あんま気になんないのは、てっきり私や周囲が彼に馴れただけだと思ってたけど。違ったのね)

 十歳の頃の状態は、程度で言えば通常であれば半分以下、何か強い欲求を持った時で半分位流れ出てしまっていたようだ。

 「この程度であれば流石に他人の生死を左右することはない」「可愛い程度だ」と王様が彼を城の外の者達と接触する機会を積極的に作り始めたのもこの頃だそうだ。

(それでも結構たち悪かったよな……。大体、王様がそんな気を使わなくたって、あの二人どういうわけかたまに隠れてお城抜け出してたみたいだし)

 アルベラは思い出して目を据わらせる。

(『完璧に制御できるようになれば、寵愛の出し入れと拒まれる率が下がる。精神干渉の魔法や催眠術みたいに、命令で意識を上塗りするわけじゃない』ね……)

 その「精神干渉の魔法や催眠術みたいな力」を使える奴が丁度後ろに居るんだよな、とアルベラ後ろの魔族へ意識を向けた。





 自室に着き、ベッドに腰かけ、アルベラは息をついた。

 部屋の中央で、ガルカがやっと解放されたと伸びをする。

「ねえ。あなた達が使う言葉の力ってどこからどこまでが可能なの? 人の心まで変えられる?」

「急になんだ」

「急に気になったの」

 「どういうことだ」と怪しみつつ、彼は「ふむ」と考えるように腕を組んだ。

「アバウト過ぎるな。どんな命令か具体的に言ってみろ」と、口端が小さく釣り上がる。

 アルベラは口を閉じ、じとりと魔族を見つめた。

「なんだ?」

「……私が例えで出した言葉口にする気?」

「察しがいいじゃないか。なるほど……」

 自分の顎を撫で、「じゃあこういうのはどうだ?」と彼は目と口をにんまりさせる。

「『思いついた例を口に出せ』」

「断る!!」

 アルベラは食い気味に拒否した。

 ガルカが言葉に乗せた効力が即座に消える。

「……つまらん。多少は踊らされろ。こちらが答えたくなるよう努力したらどうだ」

 どかりとソファに仰向けになると、彼はやれやれと息をついた。

 アルベラは呆れる。

「今度ご飯ごちそうするから答えてよ」

 爪をいじりをしながら、彼は「クラスメイトを誘うみたいに言うな阿呆」と返す。

(幾つか問題なさそうな例なら出すか……)

「じゃあ例えば、『その場で一回跳ねろ』とか?」

 「はあ?」とガルカはつまらなそうな声を上げる。

 「その場で一回ハゲろ」と気のない言葉を投げ、「嫌!!」と短く強い即答が返る。

「『跳ねろ』」

 「い」と言いかけ、アルベラは「それはまあいいか」と口を閉じる。

 数秒後体がピクリとも動かせなくなり、抗う意思を無視して体が勝手にベッドから立ち上がった。そしてその場で一度、勝手に「ぴょん」と跳ねた。

「へえ。ちょっと面白かった」

 久々に受けた感覚に小さな感動を覚える。

(分かってたけど、これは意識があるし意思もちゃんと持てるんだよな)

 アルベラはガルカの正面のソファに腰を下ろす。

「この力について細かい内容聞いたことなかったけど、例えばこれって、本人の出来ない事もさせることが出来るの? あと、凄い長期的な命令とか、本人の気持ちを操るような事とか」

 ガルカはニッと笑う。

「例えば『これから一生俺の奴隷となり果てろ』」

「嫌」

「とか、『俺を見たら身が震えるほどの尊敬の念を抱け』」

「嫌」

「とかか。……ちっ」

「あんた本当にそんなのご所望?」

 アルベラは胸の前で腕を組み呆れた目を彼へ向ける。

「魔族は言われるがままとなった人形に興味を持たん。つまらないからな。効いたとしてどっちも効果は短期だ。続いて数日だろう。精神の操作となれば数日続けばいい方だ。並みの奴が口にしたところで効果は数秒だな」

「へぇ、」

(答えるんだ)

「人と同じで、本心から人を好きにさせるとかは魔族にもできないのか……なるほど」

(私の香水のだって、ある意味錯乱状態なわけだし……多分……そうだよね。……そういえばあれってどうなんだろう。一時的とは言え本心から惚れ込んでるのかな……え? あれって何だろう。怖……)

 アルベラは考えながら小さい声で「そうだ、ニーニャ……」と呟いた。

 彼女の様子を無視し、ガルカは「信頼、信用、愛やら恋やらか」とぼやく。

 ソファの上、彼はもそりと動き、仰向けから横向きに体勢を変える。

「本心が動かせなくとも何の問題もない。魔族の大・半・はもっと簡単で確実な命令で楽しむからな。……『動くな』と『足を』」

「嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌―――嫌!!!!!」

 アルベラの大声に、目の前の魔族は目を据わらせて両耳を手で塞いでいた。

「自分で聞いたくせにやかましい……」

「そういう事は聞いてない」

「そういう話をご所望かと気を回してやったというのに」

「はいはい、それで」

 アルベラは面倒くさくなり本題に入る。

「いた間に聞いた話のご感想、聞かせて下さる?」

 ガルカは「ああ、それか」と思い出したように呟いた。

「俺が部屋から出た後の話は何だったんだ。先ずそれを話せ。それからでないと俺が聞いていた間の真偽は教えんぞ」

「あれは……」

 寵愛については、結構漏らしたら不味い内容だ。城内や公爵家でも知る者は数人だと言っていた。口留めは「一応」程度の軽い物だったが―――。

「奴と何を話したか話せ」

「嫌」

 アルベラは即答した。

「ちっ……。良いんだな、なら俺は話さんぞ」

「……ごめん。前半のについては諦める」

「ふん。あんな茶会二度と呼ぶな」

 「鼻が曲がるわ不自由だわ不愉快極まりない……」とぶつくさ文句を垂れる魔族が子供っぽく、アルベラは苦笑を漏らす。

「ガルカさん、ごめんって。拗ねないで」

『拗ねないで』

 ばさっ飛んできたスーがアルベラの言葉を反射する。アルベラはクスクス笑い、スーにまた同じ言葉を繰り返させる。

「煩いぞ青豚」

「ちょっと、スーをそういう風に呼ばないでよ」

『拗ねないで』

「この豚……」

 ―――コンコン

 扉のノックが聞こえ、二人の視線がそちらに集まる。

『ディオールー、これから食堂行くけど行く?』

 ラビィの声だ。

『ご飯ついでに………………さっきまでラツィラス様のお部屋に行ってたっていう話詳しく聞かせなさいよ』

 後半に行くにつれて彼女の言葉がわなわなと震える。扉の向こうからルーラがラビィを宥める声が聞こえた。

(話早くない?)

 「ちょっと面倒臭そうそうだなぁ」と出るのをためらっていると、アルベラの元からスーが飛び発ち、器用に扉のノブにぶら下がった。

『拗ねないで』

 『別に拗ねてないし!!!』とラビィが怒りの声を上げる。

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