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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
165、お爺様の試験 5(騎士団の訓練)
しおりを挟む翌日の朝。
いつもなら目を覚める時間帯。
防寒性の高いフードのついた冬用の外套に、狩人達が使用するような冬用のパンツ、雪山用のブーツ、断熱性に優れた革手袋を身にまとい、アルベラは空の上にいた。
今纏っている雪山用の衣服は全て、昨日夕食の後に父が急いで揃えてくれたものだ。
(色々とドタバタしたけど、丸く収まってよかった……)
朝日がまぶしいと思っていたところに、薄い雲が周囲を覆う。直ぐに抜けてまた明るくなる。真っ白な大地が目下に広がる。家々から暖炉の煙が昇っているのが見えた。
目の前にはエリーの背。アルベラは彼女エリーが操る鳥の騎獣に同乗していた。二人乗り用の鞍、後部座席に股がり、正面に設置された取っ手のようなバーをしっかりと両手でつかむ。エリーは背中に抱きつくのをオススメしたが、アルベラは勿論聞く耳を持たなかった。
ガルカが魔族であることはブルガリー伯爵やお付きの騎士達も説明を受け承知済みだ。飛べる事も知ってるが、とりあえず青年の騎士の操る騎獣の背に同乗していた。落ちても自分で飛べるため、随分と楽にした体制で座っている。片足を組み、その上に肘をついてまるで椅子に座っているのと変わらないような寛ぎようだった。
アルベラは前方の祖父の背中へ目をやった。
(持ち物は自由。武器防具薬類、何でもありで自分の身は自分で守ること、か。一晩で揃えられるだけ、持てる範囲で色々と準備させてもらったけど、いかがなものか)
祖父の背を追って空を飛ぶこと……どれくらいだろうか。一時間は経っていないはずだ。
着いたのはストーレムと王都の北、王都寄りの場所にある山の一つだった。
騎獣が着地のために何度か翼を打ち、大きな風が起きる。
アルベラは顔に掛かる髪を片手で抑えながら辺りを見た。空からも見えていたが、そこには百人前後の団体が奇麗に整列し待機していた。
祖父と共に降り立ったのは整列する騎士たちの列の前。少し間を取って離れた場所である。
(ネロイの伯父様に、ザリアス騎士長……)
訓練中だからか、ネロイの表情に一昨日の笑顔はなく、その周囲には祖父に似たぴりりとした空気が漂っている。アルベラは手を振ろうと片手を持ち上げかけるが、すぐにそれを下ろした。
(アルベラちゃん、ごめんよ……。伯父さんを嫌いにならないでおくれ……)
ネロイは心の中涙を流す。
来たばかりのアルベラの目にも、そこに居る彼らがどこの所属かは一目瞭然だった。
片方は一昨日の夕にストーレムの西門前で見た、伯爵連れの騎士と兵士たちだ。皆、胸当てや肩当にブルガリー領地の紋章が描かれている。
あの日は辺りも薄暗く、アルベラにはその顔ぶれが良く見えていなかった。彼女は改めて見まわし、自分と年が近い者たちが殆どだと気づく。年上には違いないのだろうが、なんだかフレッシュな空気を纏っていた。
(なるほど。新人の訓練って言ってたもんな)
そしてもう一つの団体。こちらはどう見ても城の騎士団である。同じく、胸当てや肩当に城の紋章が描かれている。が、それを取りまとめているザリアスを見れば紋章など無くても分かる。
「お待たせしてしまっただろうか。申し訳ない」
伯爵は騎獣から降りると、足早に彼らの元へ進み出る。
「いいや。我々も先ほど着き整列したところです。何も気になさることはありませんよ」
答えるザリアスの横には、アルベラも何度か見た事のある副団長の姿もあった。
(今日は騎士団の野外訓練があるって聞いてはいたけど、ネロイの伯父様達、この訓練に参加してたのか。お爺様……魔獣狩りって事だけで、騎士団に合流するなんて聞いてないんだけど……)
騎獣の上に乗ったままアルベラがその様子を眺めていると、先に降りたエリーが手を差し出さす。促されるまま騎獣から降りると、エリーは流れる動作でアルベラの荒れた髪を直していく。一つに結び、魔術をかけて激しい動きにも耐えられるよう固定する。
自分の身が整えられていることに気付きもせず、アルベラは呆然と今自分の連れてこられた場所を眺めていた。首元が寒くなり、無意識に外套を握りしめ首を埋める。
(ん……?)
視界の端にひらひらと揺れる何かが入り込み、そちらに目が引きつけられる。
「ま……」
アルベラは驚きと呆れとが混ざった心情で目を据わらせた。
騎士達の列の端、良く知る金髪が手を振っていた。ラツィラスだ。その隣には当然ジーン。自分同様、呆れたように目を据わらせていた。
(そうだった……私がこの野外訓練の話を知ったの、あの二人からだ……)
そして、周囲から頭一つ突き出たオレンジの長髪。ウォーフだ。目が合い、彼はニッと細く歯を見せる。
他にも見覚えのある顔が幾つかあった。アルベラは年に一度、父母と共に『公爵の務めの一環』とやらで城に行くことがある。多分、その時に訓練の見学で見た顔だろうと思いあたった。あとはジーンの誕生日の時か。
騎士団側も、全体的に若者ばかりだ。
確かこの訓練の存在を知った、カザリットとワズナーの入学祝いの席。冬の野外訓練は、新人は雪が少ない北側で行う事が多いという話も聞いた気がする。
(『これ』がまさに『それ』って事ね……)
アルベラは何とも言えない気持ちで祖父の元へ行く。
祖父はどうやら、昨日アルベラの体力テストをした後にザリアスに頼んで孫の参加の許しを得ていたらしい。
騎士達の列から外れ、少し離れた場所でアルベラはこれから行われる訓練の説明を聞く。説明と言っても、昨日別の山でも同じ訓練を行っていた彼等は、詳しい訓練内容は省いていた。
話の内容は昨日の時点で危なげに思えた者達の名を呼び、彼等の活動範囲を指定するというものだ。それぞれに担当の先輩をつけ共に行動させるらしい。
昨日の細かい内容を知らないアルベラには、ザリアスの話を聞いても彼らが山でどんな訓練をしているのかは全く分からなかった。祖父から「魔獣狩り」という言葉を聞いているので、勝手に魔獣を狩っているのだろうと思っているが定かではない。
ザリアスの説明が済んだ後、伯爵が一歩前に出る。
彼は孫をこの訓練へ混ぜる旨を話し、騎士達一人ひとりへ言い聞かせるようにゆっくりと視線を動かした。
「いいか、騎士諸君。私の孫への手助けは無用だ。寧ろ率先して競って欲しい」
(競うって何を……)
アルベラの胸に不安が募る。
「孫の邪魔をしろとは言わない。だが、他が狩る間もないくらいに魔獣どもを狩ってみろ。それでこそ人を守るに値する騎士だ。私の目に留まるものが居れば、騎士兵士関係なく公爵家の護衛として雇ってもいい。報酬は城勤めより優遇しよう」
(護衛は十分足りてますし、そんな勝手な事お父様が許さないと思いますよ……)
ブルガリーの言葉に、聞いていたザリアスも「優秀な若手を引き抜かんでください」と苦笑を漏らす。
「いいか!!!」
ブルガリー伯爵の目が鋭く輝く。
「―――私は、見てるからな」
その気迫に、若い騎士達は背筋を凍らせた。「はっ!!!」と返る敬礼は、先ほどザリアスにしたものよりも切れが良く声も大きい。ブルガリーの言葉と眼光には、彼等をそうさせてしまうほどの凄みがあった。
「お前らなぁ……」
「団長の立場がないですね」
呆れるザリアスの横で副団長がくすりと笑った。
打ち合わせを済ませた騎士や兵士たちが列を崩し山へと赴く。
「アルベラ」
ブルガリー伯爵がザリアスと共にやってくる。
「アルベラ様、ご無沙汰しております」
「ザリアス様、……お久しぶりです」
ザリアスが頭を下げ、アルベラもそれに返す。ブルガリー伯爵が騎士長へと失礼が無いか、所作に目を光らせているのを感じ、彼女のお辞儀はどこかぎこちなくなってしまう。
「改めて説明をする。騎士団の方々は毎年山に入り、コユキンボという魔獣を狩っている。その魔獣は知ってるか?」
「はい。確か数が増えると雪崩を起こすと」
丁度この間の魔獣学で教わった魔獣だった。数匹であれば、特に凶暴性もなく放っておいてもいいような魔獣であると。
「そうだ。あいつ等は雪の上を俊敏に移動する。それを追って狩るのが訓練にもってこいでな。私の領地内ではこちら程発生しないので羨ましい限りだ」
「は、はあ」
「お前にはあいつらを生け捕りにしてもらう。奴らは俊敏で臆病で弱い。女、子供の腕力でも殴って消滅させることが出来るほどにな。その分奴らは逃げるのに必死だ。倒すよりも神経がいる作業になる。訓練が終わるまでに最低でも三匹は持ってこい」
「あの、お爺様。確かコユキンボってこれくらいのサイズですよね」
アルベラは目の前に五十センチほどの空間を空けて両掌を向かい合わせる。
ブルガリーは「ああ」と頷いた。
「捕まえたとして、一匹もてば手が塞がってしまうのですが」
「そうだな。だから一匹捕まえるたびにここに戻ってくることになる」
「……え」
「なんだ? 十日前後の長旅だろう。これしきの苦難、幾つあるとも知れんぞ?」
「そう、ですか………」
(まあ、行き来が楽な近場で狩ればいいわけで)
「ああ、そういうことだ。お前等三人には、それぞれ指定の場所で狩ってもらう。昼食も挟むから、その時間には必ず戻って来なさい」
「はい。分かりました」
(ちっ。場所縛りありか)
ブルガリーの説明に、事情を聞いているザリアスは顎を撫でながら苦笑する。
「生け捕りですか……。倒すだけなら魔法任せも可能ですが、魔法を当てるにも、新人の騎士では少し手を焼く相手です。流れ弾にも十分ご注意を。騎士達にはこの範囲に貴女がいることは伝えてあるので、魔法が飛んでくることは無いと信じたいですが……。アルベラ様、ご武運を」
「はい。ありがとうございます」
(やれるだけの事はやってやるんだから)
アルベラは外套の中、準備してきた道具類に手を触れほほ笑む。
***
「あのさ……」
アルベラは不服と言わんばかりにため息をつく。
「能力的に、確かにこの中で一番のポンコツは私ですけど……あなた達、分かりやすく私の落第心配するのやめてくれる? 足引っ張らないようにちゃんと頑張るってば」
指定された場所までの道、アルベラはエリーとガルカと共に自分の場所まで山道を歩いていた。道と言っても、殆ど雪に埋もれてしまっている。今歩いているのが人の作った道なのか、獣道なのか、既に道と呼べる物を逸れているのかは謎だ。
「いえいえ、私はただお嬢様がどんな顔してるか気になっただけですよ」
先を行くエリーが頬に手を当ててはんなりと微笑む。
「俺は貴様のへっぽこぶりに期待している。あの老いぼれをどれだけ落胆させられるか楽しみだな。それで、この腕試しに落とされた後はどうするんだ? お父様に懇願するか?」
後ろから投げかけられるガルカの生意気な言葉に、アルベラは自分の腰へ手を触れる。
(これ放り投げてやろうか……)
そこには、昨晩八郎から送られてきた手りゅう弾が括りつけられていた。
(コユキンボの狩りには使えなさそうだし、ここで消費するのもいいかもしれない……。でも、コユキンボ大発生の山だし雪崩起きるかな……人巻き込まれる? 騎士様達ならうまいこと躱してくれるかも……)
アルベラは頭の中葛藤する。
アルベラは山を正面に見て左手の麓、エリーはその上の中腹、ガルカは魔族な事もあり一番身軽であろうと買われ山頂の辺りを指定されていた。
順番的にアルベラが一番早く目的の場所に着く。ガルカは真っすぐ山頂に向かってもいいはずだが、気まぐれに二人の後を付いて来ていた。
(もうすぐで私の狩場か……。コユキンボっぽいの来る途中に何匹か見たけど、近づいたらすぐ逃げてたな。あれ捕まえられるの?)
ざくざくと雪を踏み、エリーの背を追う中、後ろから「そういえば」とガルカの呟きが聞こえた。
「珍しく、あの王子様からうまそうな匂いがしたぞ……。微かだがな」
アルベラは足元で、コントンが同意するようにうなるのを感じた。
「へえ。あなた達が美味しそう……。人にとって良くないものってこと?」
「さあ。どうだろうな。何ともないなら何ともないだろうし、良くないものならどうにかなってるだろう」
「なにそれ」
「なってみないと分からんさ。それに、感じたのも微かだ。正直俺の鼻ではあの王子様から感じたかも疑わしい」
『アイツダヨ チャントニオッタ』
アルベラの足元、コントンが声を上げる。
「そう……。気になるけど、今はね……」
「お嬢様」
エリーが振り返る。
「着きましたよ」
「あ」
線が引かれているわけでも、柵で囲われているわけでもない。それでもここが自分の指定された場所だと分かったのは、祖父に言われていた目印の木があったからだ。
エリーが指さす先に、大きな木に真っ赤な布が巻き付けられているのが見えた。自分はあの木が見える範囲で狩りをすればいいのだ。
「あと、殿下の事気になるようでしたら、私達も注意を向けておきますので」
「え」とアルベラはエリーを振り返る。
「む……」とガルカが反抗的な声を漏らした。
「ね……?」
エリーはガルカへ圧をかけるように首を傾げる。
「流石エリー……! 頼もしい! かっこいい! 変態!」
アルベラは感嘆の声を漏らす。最後の一文字もしっかり聞こえているはずだがエリーは嬉しそうだ。
「おい、俺はやるとは言ってない」
「私達『も』」
エリーが目にもとまらぬ速さでガルカの顔面を鷲掴みにしていた。
「 私 達 『 も 』……分かった?」
なんとなく「リピートアフターミー」と聞こえてくる言い方だった。
ガルカは「ぐぐ……」と唸るのみで、最後まで頷こうとはしなかった。
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