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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)

156、ヒロインに水をかけよう! 5(彼女の体質)◆

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 アルベラはため息をつき、窓の外を見つめる。

 夕暮れ時に空が鮮やかなオレンジに染まっていた。積もった雪に乱反射して、二階の部屋から見た地上がやけに眩しかった。

「綺麗ね……」

「お嬢様よ、現実逃避か」

 一人優雅な空気を纏う彼女にガルカが水を差してやる。

 未だアルベラの目の前の席には八郎がいた。べたりとテーブルに頬を乗せ、ぶつぶつと思考を口に出して葛藤していた。

「もういいわ。今日は話すこと話したし。それに、八郎は分かってくれるもの」

 自分はこの役をやり遂げなければ死ぬのだ。

 それをこのお人好しが突き放して見殺しにする事は無い。と、この五年の歳月を通して確信していた。

(八郎は、賢者アスタッテ様に指示されるがままやったっていう、北の大陸での己の行いを酷く悔いてる。そして、私の手助けをすることで、せめてもの罪滅ぼしをって考えてる。…………あなたの性分じゃ、それを投げ出すなんてできないでしょう? 逃げられるはずがない……逃ガサナイ……ケケケケケ)

 アルベラの顔に、毒々しいほどに艶やかな笑みが浮かんでいた。

「ね? 八郎。……私、貴方のこと信じてる」

「……ぁ、あひぃっ」

 アルベラに見つめられ、八郎はびくりと肩を大きく跳ねあがらせ、ガクブルと震える。





「で、聞いてた通りだけど……」

 アルベラはエリーとガルカへ言葉を向けた。

「あの子、聖女候補で八郎の娘の生き写しなんですって。だから二人はこないだ言った通りにね。情報発信は全部こいつ。あなた達はこの情報を口外しないように。私からは以上」

 ユリが聖女の後継であることはエリーとガルカには無い情報の筈だ。それをなぜ知っているのかを、すべて八郎に丸投げし、アルベラは「私は詳しくは知らんから、質問されても答えられませんよ」と言外に示す。

 二人は分かりやすく驚いた顔をしていた。視線は八郎に集まっている。

「これに娘だと……」

「……ハチローちゃん、子持ちだったのね」

 二人共ユリの情報よりもそちらが引っかかったようだ。

(わかる)

 アルベラは窓の外に、帰宅する青い輝きを見つけた。「もうそんな時間か……」と、それが近づいてくるのを一時の安らぎのように眺める。





 ***





 扉のノック。

 アルベラは小さく息をついた。

(『迎えが行く』ってのが来たか)

 アルベラが突っ伏していたテーブルには、既に八郎の姿はなかった。

 つい先ほど自慢の身軽さで、窓からさっと出て、ささっと帰って行ったのだ。

 回復薬や催涙液。以前に幾つか頼んでいた薬液等を置き、「また愛娘の顔を見に来るでござる……絶対……!!」とぼそりと呟いて去って行った。

「お嬢様」

 エリーに声を掛けられ、テーブルにだらけたまま扉を見る。

 来客人と目が合った。

「……どうした?」

 ご令嬢のだらしない姿勢に、呆れた表情を浮かべる騎士様の第一声はそれだ。

 「中にどうぞ」というアルベラの言葉に、ジーンは一歩室内に入り、エリーが扉を閉じた。

 扉の前に待機したままの彼へ、アルベラはテーブルにもたれかかったまま顔を向ける。

「はぁい、ジーン。お疲れ様」

「お前、面倒くさくなってないか?」

「まあね……色々あって。疲れたの」

「変出者と特待生に勝負を挑まれて撃退したって話か?」

「くそうあの話!!」

 「早速湾曲してやがる!」とアルベラはテーブルを叩いた。

「あの噂、根か葉はあるんだな」と、ジーンは目を据わらせる。

「で、どうするんだ? 面倒くさくなってやめるなら、適当に言い訳作れよ。俺はそのまま伝えてもいいわけだが」

「あら。こちらの意も汲んでくれるのね。ありがたいわ」

 アルベラはやはり、だらりとテーブルに体を預けたまま返す。椅子から立ち上がろうという気がまるで見えない。

「式の後調子悪そうだったろ。体調不良なら無理せず休めよ」

(おお。流石『歩く良心』。by殿下)

「けど、あいつはどんな理由聞こうと明日ネチネチ煩いだろうからそれは覚悟してくれ」

 しれっと断りにくくなる言葉が続いた。

 アルベラは小さく呻く。

「……優しくしたいの? 苦しめたいの? どっち?」

 額をテーブルに当て表情をしかめるお嬢様に、ジーンはくつりと笑う。

「どっちも事実だし仕方ないだろ。で、どうするんだ? 何でも良いから早く答えてくれ」

「……?」

 ジーンはもの言いたげに視線を扉へ向け、アルベラへ戻す。

 アルベラは頭を持ち上げ、扉の外へ意識を向けた。

 廊下から小さく、幾つかの人の声がする。公爵ご令嬢の部屋に訪れた男子生徒(王子の御付きの騎士様)の図に興味が向けられているのだろう。

 腰に下げた剣の柄を、指先で小さく叩いているジーンへ目を戻す。

(あんまり長居して入学初日から変な噂を流されたくない、と?)

 「ほーう」と溢し、お嬢様の顔が悪戯気に緩んだ。

「……えーと、うーんと、どうしようかなぁ~。行けるかなぁー、いや、けどやっぱり行けないかなぁー?」

「……引きずり出すぞ」

 メラッとジーンの毛先が揺らめく。察したアルベラは「はい、今出ます」と席を立った。





 制服の上からコートを羽織り、アルベラはガルカへと視線を向ける。

「じゃあ行ってくる。留守の間お行儀よくしててね」

「はい。行ってらっしゃいませ、お嬢様」

 首を垂れたガルカは顔を上げ、ニヤリと笑った。

「貴様も男遊びは程々にな。また隣から苦情が来るぞ」

「は?」

 アルベラは何の事かと疑問符を浮かべ、すぐにコントンとラビィの件を思い出す。

(随分体裁の悪い言い方を……っていうかもはや全部嘘でしかないレベル)

 視線を感じ見上げると、感情の読み取れない赤い瞳がこちらに向けられていた。

「冤罪!!」

 アルベラは咄嗟に無実を主張する。

 ジーンは息をついた。

「何も言ってねーよ。ほら、行くぞ」

 部屋を出て行くジーンの後にアルベラが続く。

「ねえ、ちゃんと分かった? 私何もしてないんだから。あれはガルカの嫌がらせなの。変な噂流さないでよ? 分かる?」

「はいはい。……けどまだ一日目だろ。ほどほどにな」

「はあ?!」

 ソファーにどかりと腰かけ、ガルカはお嬢様の外出を見送る。エリーはそんな彼へニコリとほほ笑み、親指を立て床へ向けた。扉がぱたりと閉められる。

 静かになった室内、つい先ほど戻ってきていたスーが口を開く。

『冤罪!!』

 ガルカは息をついてスーへ赤い実を一つ放った。スーはそれを上手い事空中でキャッチし、窓の桟にぶら下がりなおって頬張る。

「ふん、留守番か」

 ガルカはソファーに仰向けになり、薄暗くなった部屋の天井を見上げた。

(何で貴様の方が……)

 思い出すように目を細めると、「面白くないな」とぼやいた。





 寮の前に四人乗りの馬車が止まっていた。

 何の紋章もない、そこそこ小綺麗な程度の馬車だ。

「流石。貴方の主サマ。外出し馴れてるわね」

「ああ。その点は助かってる」

 三人の到着に御者が扉を開く。

(おお! ギャッジさん!)

 万能執事様にまさかこんなところで出会えるとは、とアルベラは目を見張る。

「こんにちは、アルベラ様。さあ中へ」

 手を差し出され、アルベラは内心色々と感動しつつ、エスコートを受け馬車に乗り込む。

「や」

 中ではキラキラと眩しい笑顔を浮かべたラツィラスが待っていた。

(うっ)

 アルベラはたじろぎつつ席に腰かける。エリーが乗り込むのを待って扉の方を見ると、彼女はほくほくとした笑顔で御者席を示した。

「お嬢様、私は助手席に失礼いたします。ギャッジさんの御許可もいただけましたので」

「え゛っ」

(こいつ、ちゃっかりギャッジさんの隣を……、いや、問題はそこではなく) 

 ラツィラスがクスクスと笑った。

 そしてわざとらしく薔薇薔薇キラキラした空気を纏ってアルベラを見つめる。

「密室で二人っきりだね」

 と、やけにいい声を出す。

 ―――がっ、すぱん!

 アルベラは締まりかけた扉に手を掛け、問答無用で力一杯に扉を押し開いた。

 「アルベラ様?!」と、扉を閉じたギャッジが驚きの声を上げる。

「ちょっと待て!」

 彼女は身を乗り出し、扉の前から立ち去りかけていたジーンの腕を掴んだ。

 「は?!」とジーンも驚きの声を上げる。

「まて、まてまてまて……。なんであんたは乗らないの」

「いや、だって俺馬で並走して行くし」

「おかしいでしょ。何で大事な主サマの傍で護衛しないの?」

「だから外で護衛を」

 こんな密室で二人きりにされるなんてごめんだ、とアルベラは情けなく必死の声を上げた。

「うっさい! ちゃんと馬車に乗って護衛しろ!! 殿下が私に毒殺されてもいいわけ!!?」

「お、ま……、ちょっと黙れ。ここでその言葉はいろいろと不味い」

「ごめんごめん、アルベラ落ち着いて。あと毒物の持ち込みは禁止ね。ギャッジ、没収して」

 「はい」と微笑み、ギャッジが馬車に乗り込む。息をついてジーンは辺りに気を向ける。

 ラツィラスの指示でアルベラの持ち物検査が行われ、ジーンも馬車に同席して「酒の実」へ出発した。





「なんだかんだ、僕ら一緒に馬車のるのって初めてだよねー。いやぁ、新鮮だなぁ」

「だろうな。俺もこの歳になってお前と乗ることになるとは思って無かったよ」

 ラツィラスの隣で、窓の外に視線を向けたジーンがため息をついた。

 ジーンも、十二歳からは馬に乗り馬車を守る事が主だったため、ラツィラスと共に車に乗るのは久々らしい。

「あら。何ならお気を使わず、今日だって三人とも馬で出れば良かったじゃないですか。護衛についてはジーンとエリーの二枚板で安心ですよ」

「うーん、僕も初めはそう思ったんだけどね」

 ラツィラスは困ったように笑う。その隣ではジーンがもの言いたげな視線をアルベラへ向けていた。

「君、体調悪そうだったし」

 アルベラが「あぁ……」と自分に対し呆れの濃い声を漏らす。

「……お気遣いいただきありがとうございます」

 頭を下げると、正面から「いえいえ」とクスクス笑う声が聞こえた。

「でさ、体調はもういいの?」

「はい。ご心配おかけしました」

「良くなったなら良かったよ。でさ、あれ本当に寝不足?」

 いつもの笑顔を浮かべるラツィラスの顔を見つめ、アルベラは暫し考える。

 なぜそんなことを聞かれるのか分からない。自分で自覚した症状的には、軽い頭痛と体の重さ程度だったのだから、寝不足でも理由付けとして十分だと思っていた。

(血が出たのは寮棟に入った時だし)

 視線を下げたまま首を小さく傾げたアルベラへ、ラツィラスはくすりと笑い尋ねる。

「教会で何かあった?」

(は?)

 アルベラは表には出さず、内心疑問符を浮かべる。

(体調の悪さと教会は、一般的に結びつかない……はず)

「教会、ですか……?」

 知らぬふりを通し、アルベラがラツィラスへ視線を向ける。ストレートに「体調不良の原因」を言い当てられれば、嫌でも警戒してしまう。

 頬杖をつき、二人の会話を聞いているジーンは、心の中で「嘘つけ」と呟いていた。

 「嘘つけ」とは、ラツィラスの態度に対してだ。

(この話をするために馬車にしたくせに)

 体調の心配、気遣いのような雰囲気で言っているが、馬車を選んだのは探りを入れるためではないか、と。

 アルベラはというと、はっきりした答えも返さないまま、考えるような瞳をラツィラスに向けて静止する。

「どうかした?」

 柔らかく聞き返すラツィラスに、アルベラは思い出したように「あ、すみません」と返す。

「私には、昨晩の寝不足位しか心当たりがないんですよね……。ちゃんとした原因が分からず申し訳ありません」

「……そっか、」

 ラツィラスは考えるように「ふーん」と小さく溢す。企てるように楽しそうに目を細める彼の横、「寝不足が本当なら」と、ジーンが口を開いた。

 赤い眼が「にっ」と細められ、他の二人へ向けられる。

「あながち……男遊びで隣の部屋から苦情ってやつ、嘘じゃないのか」

 予想外のネタにアルベラが「ま」といったまま固まる。

「え……?」

 以外にもラツィラスも小さく驚いていた。

「あ、いや、無罪ですよ。私昨晩はスーと(本当はコントンと)戯れたくらいで、苦情だってきてないですし。……ていうか寮入りして早々男とか連れ込みませんから。そりゃあ私ほど出来た高貴なご令嬢ともなれば、そこらの男なんて連れ込みたい放題でしょうけど……」

 「お前な」とジーンが呆れる。

 その隣で、視線をジーンへ向けラツィラスが「へぇ……」と目を細めた。

 ジーンもそれに目を細めて返す。どこか喧嘩を買うような空気に似ていた。

「俺の作り話とかじゃないからな。あの魔族が言ってたんだよ」

「ふふふ……別に君の言葉を疑ったんじゃないよ」

 ラツィラスはアルベラへと視線を戻す。

「なんだ、てっきりルーが夜這いにでも行ったのかと……。安心したよ」

「は? あいつそんな軽率ですか?」

「うん……? まあ、ほどほどに」

「『ほどほどに軽率』……?」

「まあ何もなかったなら良かったよ」

 ラツィラスは冗談っぽく笑い、アルベラは「ルーさん見損なったなぁ」とぼやきながら、呆れたように窓の外へ目を向ける。

「……ジーンは優しいね」

「お前は陰湿だよな」

 小声のやり取りにクスクス笑い、「否定できないなぁ」とラツィラスは返す。

 アルベラの体調からルーの話題へと移り、馬車は無事「酒の実」へと辿り着く。

 「酒の実」の二階は予約制の個室部屋となっており、今日はそこの一室をとっているようだ。

 衝立のような軽い扉を開くと、先に来ていた二人が椅子に座ったまま片手を上げた。

「皆さん、お疲れ様です。アルベラ様、お久しぶりですね」

 久しぶりに会った城勤めの薬剤師兼薬剤研究員のワズナー・ララが物腰柔らかく向かい入れてくれる。

「エリーさーん、お疲れ様です! お前らもよく来たな。おらおら、さっさと飲み物頼め」

 カザリットは相変わらずの気軽なお出迎えだ。

 この二人の挨拶だけを見たら、誰もここに王子様がいらっしゃってるとは思わないだろう。





 ***





 「酒の実」での夕食は2時間位で終わり、行きと同じく、アルベラとエリーは馬車で寮へ送って貰う。

 自室に帰ったアルベラは、部屋に設置されているお風呂を使い、エリーに髪を乾かしてもらい、就寝の準備を整える。ベットに大の字に倒れ込むと、今日一日の疲れがどっとのし掛かってくるような気がした。

「……はぁ、明日から授業かぁ。ああいう所でご飯食べたら休日の気分になっちゃう」

「ではお嬢様、私はこれで。寝坊の方は心配しなくて大丈夫ですよ。私がしっかり起こしてあげますから」

「ええ。大丈夫だろうけどよろしく」

 「おやすみなさい」というエリーの言葉と、扉の閉じる音が続く。

 目を閉じると、まどろみの中「酒の実」での会話がよみがえる。





『そっか、ブルガリー伯爵がね。暇なら誘おうかと思ってたけど』

『イベントって言い方勘違いするだろ。騎士団の訓練だ』

『え、訓練?』

『へぇ、今週末か。そういやそんな時期だよな。俺等の方もそのうちあるかもな。……エリーさんはそういうの興味あります?』

『季節的な魔獣は素材として十分にストックしておかないといけないですしね。皆さんの頑張りに期待してます』





『―――ベルルッティが? あいつが手加減とか信用できないな』

『昨日の寮の晩餐会前、ジーンと練習試合したんだよ。僅差だったんだって。二人で本気でやり合って、練習も何もないよね』

『僅差より少し俺の方が上だった』

『はいはい』

 くすくすと笑う声。

『試合? ……ああ、だからあんな眠そうだったの?』

『ははは。そうそう。船漕いどいて護衛とか減給物だよね』





『―――ええ。この調合の仕方。……誰かが漏らしたのか、人員が流れたのか。時期を考えると心当たりもあるんですが……』

『それで駆り出されたのが俺等だよ。ったく。上の奴ら予算ぎりぎりでたてやがってよ。命懸けの遠出させるなら観光費つけるくらいのサービス精神くれっつうの』

『仕事の話でしょ? ここでして大丈夫?』

『ああ。伊達に騎士様御用達の店じゃねーぞ? 二階の個室は全部防音完備。そこらの盗聴魔術何て怖くない質だ。ま、それでも居酒屋にしては良いって程度だけどな』

『そうそう、だから話す内容もギリギリのラインでね』





『―――ははは。そいういやラツ坊、あいつら来たんだってな、大丈夫か? 仲良くしろよ~』

『おい、何で俺だ』

『王子様ん頭ぐしゃぐしゃにするわけにいかないだろうが』





 すっと細められた、透明な赤い眼が鮮明に思い浮かぶ。

『―――うん? ああ、うん……お察しの通り、僕は彼らと仲がいいわけじゃない』

 柔らかい笑顔。

『僕も彼等が苦手だけど、彼等も僕の事、結構嫌ってるしね。……けどアルベラは遠慮なく、』

 優しく、頭の中に甘美に響き渡る声。



『彼等と仲良くしてね』





 ***





 アルベラははっと目を覚ます。

 布団を掛けず、ベッドの上仰向けになったまま浅い睡眠に入っていた。

「さむ……」

 もそもそと動き、毛布の中に潜り込んだ。

 仰向けになり、片手をあげ、意味もなく開いたり閉じたりを繰り返し、それを見つめる。

『彼等と仲良くしてね』

 あれはお勧めする言い方ではなかった。

 「して欲しい」のだ。一種の指示の様に感じた。

 「仲良くする」という言葉が示す意味はそのままだろうか。自分に仲良くさせたかったとしたら、その目的は何だろうか。

 緑の眼が細められる。

(……言われなくったって)

 こちらにも都合があるのだ。

 アルベラは広げていた手のひらをきゅっと握った。力を抜き、ぼとりと布団の上に落とす。

「……ねむ」

 静かな部屋に、やがて小さな寝息が立ち始めた。





 ***





『……気が合うようでしたら、殿下のお言葉が無くてもそう致します』





 ラツィラスは「酒の実」での会話を思い出し目を細める。

(『言われなくとも』か)

 彼女の言葉、あの強張った笑み。あれは何か察していたのだろうか? それとも、元々そうするつもりだったから、こちらの都合など知らずともそう答えたのだろうか。

『教会や聖堂が苦手。神から賜った魔力が苦手。そういう体質があるって聞いた事あるんだ』

 自分のその言葉に、彼女は「そんな体質初耳ですね」と答えた。本当に心当たりなさそうに。

(自覚がないのか、知っててとぼけたのか……。わっかんないなぁ)

 どさりと、腰かけていたソファの上倒れ込む。

 「おい、」と迷惑そうな声が投げかけられた。ジーンだ。自分のベッドに腰掛け、声の通り迷惑そうにこちらを見ている。

「考え事なら自室でやれよ。俺は寝る」

「ははは。いけずー」

 「ったく。折角部屋分けたってのに、お前に自由に入られたらあんま意味ないじゃんか」と愚痴る彼へ、ラツィラスは「もう少しだけー」と笑う。

「祝福の後のアレ、ジーンも見たよね。アルベラの事どう思ったの? 白? 黒?」

 自分より硬質な赤い瞳ににらまれるも、ラツィラスは全く動じずにほほ笑む。

 少しの間を置き、ジーンは不機嫌そうな声で答える。

「……黒だ。見たんだから、それは確かだろ」

「まあ、だよね」

「けど、本人の自覚があるかどうかと、『同じ』かどうかは別だ。俺は今の時点だと『似てる』くらいで、全く『同じ』とは思ってない」

「うん。それは僕も分かってる」

「だからか?」

「ん?」

「あいつの体質に確信があった。だからけし掛けるような事を言ったのか?」

「ふふ、けしかけるなんて人聞きが悪いな」

 ラツィラスのへらっとした言葉に、ジーンの抑えられたような声音がかぶさる。

「お前さ、あいつの事『友達』だとか言ってたよな?」

「『言ってた』って……そんなの、今も変わらないよ?」

「本当か?」

「どうして?」

「……今日のお前、あいつを『駒として使えるかどうか』で判断する目だったぞ。アレを見て確信して、上手く動いてもらえればいい事あるかも、みたいな顔してた」

 ジーンは真っすぐな瞳を、主であり友人である彼へ向ける。

「……友達っていうならさ、ああいう場合、遠ざけてやるのが正解じゃないのか?」

 ラツィラスは目を瞬く。その表情からゆっくりと笑みが消えた。

 今日の自分の思考や発言を思い出し、ジーンの言葉が重苦しく胸にのし掛かる。

 ラツィラスは呆然としたような表情を浮かべ、指先で自分の顔に触れる。

「遠回しに相手の行動を誘導しようとしてたよな? 人手が欲しいなら、事情を話して協力してもらうのが筋じゃないのか? 事情も伝えず、自分の希望だけ遠回しに押し付けて……あの言い方は『使おう』としてるようにしか聞こえなかった」

 言われるまで気づかなかった。言われてはじめて自覚した。

「……え、と……そうか。……確かに、」

 後で何かあったら、助け舟を出せばそれでいいと考えていたのだ。危険には晒さない。ちゃんと気を使って、いざという時に助けられればそれでいいと。

 だが、そもそも「助ける」という状況になる事がおかしいのだ。関わらなければ何も起きないのだから。

「ジーン……僕、」

 ラツィラスはぽかんと友人の顔を見あげる。

「お前さ、普段は自分の思い通りに人に動かれるの嫌うくせに、今日は随分都合が良かったな」

 ギラリと、赤に金の粒を輝かせ、ジーンはラツィラスを睨みつける。

「……めっちゃ怒ってるうっわぁ」

 ラツィラスは、場にそぐわない間の抜けた驚きを漏らす。

 それがこの部屋に漂っていた緊迫した空気を緩めさせた。

 ジーンはため息をつく。

「そりゃイラつくっつうの。お前もあいつも、回りくどいんだよ。友達とか言いながら腹探り合ってニタニタして。面倒くさい。もっとわかりやすく素直に話せ」

「ごめんって」とラツィラスは苦笑する。

「けど、腹の探り合いは大目に見てよ。王族として色々ひけらかせないものがあるわけで。あっちもそれは公爵家として同じだろうし」

「『お家柄』の事情な。便利だよな」

「もう、棘があるな」

 くすくすと笑う友へ、ジーンは息をつきむすっと返す。

「で? どうするんだ。お前、あいつをこのまま『使う』のか?」

「ふふふ、だから『棘』。……まあ、それについては考えを改めるよ。もう少し、ちゃんと様子を見て考える。君が言った通りあの時の自分を思い返すと、確かにアルベラにスパイみたいな事させようとしてたよ。『本人にその自覚無しで動いてもらえたらいいな』ってね。けどそれは無しだ。僕がどうかしてた。ごめん」

「俺に謝られても迷惑だ」

 つんけんな言葉に、ラツィラスはまた苦笑する。

「アルベラには一言言い直しておこうと思う。本当に必要な時は、断られるのも覚悟でお願いしてみるよ」

「ああ、そうしろ。人でなし」

 ラツィラスは困ったように頭を掻くと、「さて」と、満足したように立ち上がった。

「ありがとう。やっぱ君はすごいな」

「は?」

 「なんか言ったか」と視線で問われ、ラツィラスは「何も」と肩をすくめる。

「お邪魔したね。そろそろ寝るよ。反省の続きは自分の部屋で」

「そうしろ。あと反省するなら無自覚に『寵愛』使ってた事も反省しとけ」

「え?」

 ラツィラスの笑顔が固まる。

「けしかける件くだりの時だだ漏れだったぞ。頷かせる気満々だったんだろ。あいつも引きずられないよう踏ん張ってたろ。あの妙な笑顔見て気づけよ」

(あの強ばった表情……)

 彼女はあの時、自分の空気に丸め込まれないよう必死に抵抗していたのだ、と気付き、ラツィラスは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「……そっか。それは……言い訳のしようがないね」

「ああ。反省しろ。ろくでなし」

「本当に頼もしいなぁ」

 くすくすと笑い、ラツィラスはすっきりした様子で隣の自室へと戻っていった。





 「ぱたん」と戸が閉まる。

 一人になり、静まり返った部屋。赤い瞳が小さな光を灯し天井を見上げていた。

 ―――『鉱石みたいでカッコいいと思いますよ』

 困ったように笑う少女の顔と声が、記憶の中ふと浮かび上がった。

 同時に耳障りな男の笑い声も甦る。

 ―――『殺せ殺せ。手加減するな。ああなってしまった愚は厄介だ。言葉に耳を貸してやるなよ』

 ジタバタと情けなくもがく巨体、泣きわめく声、懇願の言葉、助けを求める幾つもの目。

 その中には、腕を伸ばす自分の両親の姿があった。

 ―――『弱者共が……愉快な程にみっともない。……な? お前もそう思うだろ?』

 大きく開いた眼。彼の瞳の奥で、粘度のある黒が蠢動しゅんどうした。





 ジーンは忌々しそうに目を細め、その上に片腕を乗せる。

「同じなはずないだろ」

 それは「そうであってたまるか」と祈るような呟きだった。



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「こんな役立たずは要らん! 捨ててこい!!」  何が起きたのか分からず、茫然とする。要らない? 捨てる? きょとんとしたまま捨てられた私は、なぜか幼くなっていた。ハイキングに行って少し道に迷っただけなのに?  後に聖女召喚で間違われたと知るが、だったら責任取って育てるなり、元に戻すなりしてよ! 謝罪のひとつもないのは、納得できない!!  負けん気の強いサラは、見返すために幸せになることを誓う。途端に幸せが舞い込み続けて? いつも笑顔のサラの周りには、聖獣達が集った。  やっぱり聖女だから戻ってくれ? 絶対にお断りします(*´艸`*) 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/06/22……完結 2022/03/26……アルファポリス、HOT女性向け 11位 2022/03/19……小説家になろう、異世界転生/転移(ファンタジー)日間 26位 2022/03/18……エブリスタ、トレンド(ファンタジー)1位

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