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二章 水底に沈む玉

113、彼の生活 4(彼らの見聞)

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 ホークがシズンムの村に来て一月が経った。

 施設従業員の青年、ローウィンの無視はもはや露骨なものとなっていた。また、自分ひとり、相変わらず外出の許可が貰えないでいたが、ホークとしては、それなりに無難に過ごせていたので満足だった。

 この施設はライラギとは何かが違う。そう感じ取っていた三人は、とにかく息をひそめる様に過ごしていた。





 夕食、キッチンに行くと、テーブルに三人分の盆が準備されていた。上にはスープ、サラダ、パン、焼き魚が乗っている。

 三人は「いただきます」と言ってその盆を取り、自分たちの二階の部屋へと戻って行った。

「うわぁー」

 レーンがホークの盆を見て声を上げる。

「あの人あい変わらずだよなー」

 いつの間にか盆には名前が書かれており、だれがどの盆を使うのか指定されていた。盆の質には大差ないが、問題なのはその中身だ。

 メインディッシュの焼き魚は、ホークの分だけ他の二人より小さく焦げ目が多く付いていた。

「自分たちの部屋で食べられるの、ある意味ラッキーだったな」とぼやきながら、ヴィオンとレーンが、哀れな兄妹へ、魚の身をおすそ分けする。

 これも最近では良くある光景だ。

「なあ、ホークは明日何が欲しい?」

「んー。どうするかな。自分で見ないと特に。………欲しいものねぇ」

 ホークはふと、あのブローチの事を思いだす。もうあれは、どこかに売り飛ばされてしまっただろうか。だとしたらこの村のどこかにあるのだろうか。既に買い手の居そうな都会の方へ、移動してしまっているのだろうか。

(それとも、まだここのどこかにあるのかな。………犯人ここの奴って決まってないけど)

 自分がもし外に出られて、あのブローチを出先で見つけたなら。今ならきっと、ほんの少しの迷いの末、簡単に窃盗してしまうのだろうな、と想像する。

「なあ、あのブローチが質屋にないかとか、見といてくれるか。買い物は、小遣いとして取っといてくれ」

 買い物の上限は500リングだ。この村の物価がライラギと同じ課は分からないが、せいぜい買えて、古着の一着程度だろう。レーンは欲しいものがあるらしく、毎回買い物には行くが、村を見て周り、何も買わずに返ってくる。

 ヴィオンはそれを了承し、三人は他愛のない雑談をして夕食を済ませた。





 その夜、ヴィオンは目が覚めて身を起こす。

 窓の外には大きな満月が見えた。その明かりが煌々と入り込み、隣りの窓際のレーンの寝顔を照らしている。口からよだれを垂らして眠る姿に「お前いくつだよ」と苦笑する。

 ヴィオンはあと二ヶ月で十四歳だ。レーンは今年十一になる。施設に居られるのは十八歳までで、もしそれまでに貰い手が付けば、その時点で施設からは卒業。ライラギでは、十五歳からは職業訓練があり、近くの工房や畑等で下働きをする。職業訓練があるかどうかというのは、施設によってまちまちなのだとクドが前に言っていた。だが、こういった施設、子供たちが十八歳までいた場合、その後の働き口を準備しておくのは決まりであり、もしそれがちゃんと行われていないようなら、施設への罰則もあるらしい。

(俺も来年から就業訓練のはずだったんだけど、今年ももう四ヶ月切っちゃったしな。来年までに戻れんのかな、俺たち………)

 物思いに耽り、月を眺めていたヴィオンだが、ぶるりと身震いし大事なことを思い出す。

(そうだ。トイレトイレ)

 二人を起こさないように扉を押し、廊下に出る。トイレは二階の突き当りだ。この部屋も突き当りだったが、それとは反対側にある。

 明かりを持たずに出たが、今夜は月が明るいため、廊下を歩くのに難はなかった。途中、ここ数週間で避けるのに慣れた、踏むと音を上げる床を踏み越え、階段を通り過ぎてその奥のトイレへと向かおうとした。

 ———ヒタ

 かすかに聞こえた物音に、ヴィオンは脚を止める。気のせいかと思ったが、耳を澄ましじっとしていると、今度は普通に人の足音が聞こえた。それは多分裸足で、多分大人程の体格でもない。

(下の階………誰だろ)

 下の階を歩き回るのは「預かり組」であるヴィオン達にはご法度だった。

 だが、どこかの部屋を覗こうというわけではない。少し階段を下りて、そこから周囲を見回すだけだ。

(それくらいなら………きっと怒られはするだろうけど、そもそも見つからないよな………………………よし)

 物音に気を付け、ヴィオンは身を低くして階段を降りていった。

「——————!!!」

 ヴィオンは叫びそうになった口を押える。目の前に女性の姿があった。下の階に人がいないか、あたりを見て確認をする必要もなかった。相手も偶然階段の前を通りかかったタイミングだったようだ。

 彼女も突然の出来事に困惑しているようだった。

 口を開いた状態でかたまり、目の前の見慣れぬ少年をじっと見つめていた。

「………ねぇ」

 彼女の一言目の声は随分とか細く頼りない。ヴィオンは、一瞬彼女が泣いているのかと思った。しゃがんだまま顔を見上げるも、彼女の伏せた顔は陰っていてよく見えない。

 「ねぇ」と言った切り、じっと黙っている彼女。

「あの、………………誰? ………………大丈夫? 君、ここの子?」

 相手が口を開かないのならと、ヴィオンから尋ねてみるが返事はない。いよいよ様子がおかしいと思い、「俺らの部屋に来て、話を」と彼女の手を引いて二階に上がろうとした。だが、その手は逆に引っ張られる。ヴィオンは、階段に片足を踏み込んだ体制で振り返る。

 階段の踊り場から入り込む月明かりが、正面から彼女の顔を照らした。大きな目に、痩せた体。自分より少し年上に見える彼女の顔には、頬に大きな痣と、鼻血を拭ったような跡があった。

「お願い………………」

「な、に?」

 彼女はヴィオンの手を引く。

 そして真っすぐに、一階の一番奥にある部屋の戸を開き、そこにヴィオンを入れた後、自分の体も滑り込ませた。

「うっ………!!」

 真っ暗な部屋、ヴィオンは咄嗟に鼻や口を押える。

 酷い匂いだった。最近嗅いだことのある匂い。どこでかいだか、と思い出し、窓の外を眺めている少年の姿を思い出す。

(あの部屋だ。あそこより酷い)

 ヴィオン達は、一階は全体的に歩き回るのを禁止されている。というのも、この階にはサトゥールやリリの寝室があり、貴重品の類が保管されているからと聞いた。以前、施設の子がそれらを盗難したことがあり、その予防策だと、訪れた時に説明された。だが、この一月、二階に出入りしているのは自分達だけな気がしているヴィオンは、あの言葉は嘘だろうと薄々気づいていた。それが、今この光景で確信した。

(ここを隠してたのか。なんでこんな)

 窓がないのだろうか。あんなに明るかった月明かりが、この部屋には届いていないようようだ。

 暫く目的もなく辺りを見回す。すると、少しずつ慣れてきた視界が、幾つかの凸凹なシルエットを捉えた。

(なに。………荷物? 家具? ………人形? ………………………人?)

 横たわる子供の体だ。

 ヴィオンは一、二、三、四、と目で追い、入り口真横の五人目に目を止めて息を飲む。

 部屋に入ってすぐ右手、壁に背中を当てて横になっている少女は、薄く目を開いていた。生気のない瞳に、ヴィオンはそれが死体ではないかと疑う。ヴィオンが見つめていると、少女は静かに目を閉じた。それを見て、生きていることに安堵する。

 レーンと同じくらいの年齢の彼女。痩せこけ、手首や足首の浮き出た骨が枯れ枝を思わせた。

 それらを呆然と眺める。

「………五人」

 たまに夕食を共にするあの三人の姿はない。別の部屋なのだろうか。彼らも痩せてはいたが、ここまでではなかった。障害持ちの六人、夕食の三人、自分をここに連れてきた少女と、ここの五人で、計十五人だ。来る前に聞いていた人数通りとなった。

「この子達は適当な年齢になると、『素材』として売られるの………………………わ、私も、………あと少しで………道具として売られて………………………………………」

 彼女はいったん言葉を切ると、ヴィオンへと向き直り、その手を握った。

「助けて………。お願い………皆を、外に出して」

 彼女の言葉は弱弱しかったが、それがずっと押し込めてきた願いだというのは分かった。絞り出したような震えた声は、とても悲痛に聞こえた。

(ソザイ、ドウグ………)

 知っている言葉なのに、すんなりと飲み込めない。その異様な意味の言葉を頭の中で繰り返し、ヴィオンは横たわる子供たちを眺める。

 なんでそんなことを自分に言うのか。なんでこんな所に自分は居るのか。逃げるだなんて、走って物陰に隠れて、少しずつ離れていけばいいだけではないか。そんな簡単そうな事、人に頼まずとも、直ぐにでも実行してしまえばいいのに。

「今月の三週目、私が売られる日。その日がチャンスなの。お願い………………………この子達をここから出して」

 「お願い、お願い」と、彼女はヴィオンの手を取り、祈るように額に擦り付ける。

「………………………………私の妹を、ここから出して」

 彼女の絞り出す声に、あの入り口横で横たわる少女の指がピクリと動いた。

「いもう、と………」

 ヴィオンは、急に苦しくなった自分の胸の辺りを、ギュッと握りしめた。





 ***





『—————————たすけて、—————————たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて—————————』

 食事が済んだのだろう。あの声がまた聞こえてきた。

 窓の外。壁に背を預け、ホークは耳を強く塞ぎ、蹲まる。

 窓際から聞こえるぼそぼそとした小さな声。荒い物音。不快な笑い声。

(だめだ。何もしちゃだめだ………)

 だめだ、だめだ、と自分に言い聞かせ、窓の横にゆっくりと立ち上がる。中からこちらが見えないように気を付けながら。

 上を見上げると、この家を囲む背の高い木々の合間に、高く昇った日の光が覗いていた。折角外に出たというのに、更に閉じ込められているような気分になった。

(こんな場所、いつまで………)

 ホークは少年の声を背に、庭を駆け去る。





 今日は買い物の日だった。

 ヴィオンは朝から調子が悪いのか、どこか声に張りがなかった。ちょっと眠れなかっただけだと言っていたので、ホークはそんなに心配していなかった。ホークに何かを言いかけては、レーンの目を気にして口を閉じる。ヴィオンは何度か、そんな仕草をして買い物へと出て行った。

 ホークは流石に一歩も外に出ないのは辛いからと、リリに頼み、庭の掃除を申し出てみた。リリは、ホークの申し出を断り、代わりに玄関周りの掃除を頼んだ。

『庭………庭は危ないのよ。防犯用のトラップがあるから………そうねぇ………ああ、玄関。玄関ならいいわ。門から玄関にかけて、あの辺りを掃除しておいてちょうだい。けど、あの木から庭側には入らないで。怪我をするかもしれないから』

 リリは窓の外を指さし、その場所をなぞって見せた。彼女の息が、窓ガラスに当たり跳ね返る。それにアルコールの匂いが混ざっており、ホークは無意識に眉を寄せて居た。





 言われた通り玄関前から門にかけての草を刈り、石畳を掃いた。作業は一時間くらいで終わった。玄関に箒と草の詰まった袋を立てかけ息をつく。

(思ったより早く終わっちゃったな。散歩してー)

 リリに言われていた立ち入り可能の境界線の辺りに立ち、ホークは庭を眺める。

(防犯………これか。確かに魔力を感じる。防犯系の魔術か)

 防犯にも物理的な仕掛けと、魔術の仕掛けとがある。物理の仕掛け同様、防犯系の魔術にも、無傷で捕らえる物と、傷を負わせる物とがあるが―――。

(この庭の『防犯』とやらはどっちだろうな)

 ホークは魔力の感知に優れてはいるが、その効果を解析することまでは出来ない。

(まあ、この庭の防犯についてなんて、どうだって………)

 カシャン、と食器の落ちるような音がした。同時に怒鳴り声。ローウィンの声だ。あの、窓の外を眺める少年の部屋。あそこから声がしていた。

 ホークは辺りを見回す。今この家に居るのは子供達とローウィンだけだ。リリはヴィオン等と外出中。サトゥールは、朝から出掛けていた。彼は最近やけに楽しそうに、何かの準備をしていた。きっと、今日もその準備のために出かけているのだろう。

 門の先を眺め、彼らが返ってくる気配のないことを確認する。

(………少し、見るだけだ)

 ホークは庭へ踏み出した。

 魔力がある場所なら分かった。トラップとして、しっかり隠しているのだろうが、ホークの察知能力は常人のそれより敏感だ。赤い目の恩恵で、隠されている魔力も当たり前に感じ取ることができ、避けるのはたやすかった。

(どうか、魔術じゃない方のトラップがありませんように………)

 早足であの窓へ近寄る。窓の真横に張り付くと、玄関からは聞こえなかった小さな声が聞こえてきた。窓際のあの少年が、ぶつぶつと何かを言っているようだ。

『———ほら、口開けよ。腹減ってんだろうが』

 ローウィンの声だ。

 ホークは中を覗く。ローウィンは、目に布を巻いた少年のベッド横に居るらしく、窓に背を向けているのが見えた。どうやら食事中らしい。少年たちのベッドにはテーブルが設置され、その上に盆が乗っていた。

 昼食の盆をじっと見つめていると、スープの水面に波が立つのが見えた。ベッドやテーブルが揺れたのだろうか、と思うが、そのベッドの持ち主の少年は、微動だにもせず天井を見上げている。ホークが見ている先で、またスープの中で、何かがヌルリと動いた。

(——————?!)

 ホークはとっさに頭をひっこめる。スープの中に、なんであんなものがと頭を抱え込み、先ほど見たものを記憶の中で何度も確認する。見間違いではなかったはずだ。

 ガシャン、とまた何かが落ちる音と、咳込む声が聞こえた。同時にローウィンの笑い声。

 物音から、ホークは目隠しの少年が昼食を拒み、食器をひっくり返す様を想像した。

『ほら! 全部食えよ!』

 ローウィンは食事を続けようとしているのだろう。少年が暴れているような、布がバンバンと叩かれているような音が、窓の中からくぐもって聞こえた。かと思うと、少しして静かになった。窓際の少年の独り言は相変わらずだが、それ以外の音が全く聞こえない。

 ホークは気になって中を覗く。

 ローウィンが少年の上に馬乗りになっていた。手で顎を抑え、無理やり口を開かせ、スープを流し込んでいる。口には歪んだ笑みを浮かべ、その眼は妙にぎらついている。少年は、なんとか飲み込むまいとしているのか、口の中のスープがごぼごぼと大きな泡を作っていた。スープの中に混入されたアレは、生命の危機でも感じているのか、少年の口の中やベッドの上で、めいっぱい体をくねらせている。

「ぁ、ぁ………」

 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう………。

 ホークは動きを失う。

『けて………たすけて………』

 声が聞こえた。先ほどから聞こえていた声だ。だが今、それがなんと言っていたのかようやく聞き取れた。

『たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて—————————』

 ホークは思わず蹲る。体が震えていた。窓の中の子供たちが皆が、自分を見ている気がした。

 彼らの声に、自分の声も混ざっているように聞こえた。あの家で過ごしていた頃の幼い自分。奴隷として過ごしていた、数か月前までの自分。

『たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて—————————』

 ———ここにいる間、余計な事せず大人しくしてような。

 これは約一月前、自分が言った言葉だ。ヴィオンとレーンの姿が脳裏に浮かんだ。

(巻き込まれたらダメだ。首を突っ込んじゃだめだ)

『たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて—————————』

 ホークは唇をかみしめる。

(なにも、しない………。絶対)

『ほら、次はお前だ。口開けろ』

 窓際の少年の声が止む。中からスープを吸う音と咀嚼音が聞こえてくる。

『うまいか?』

 ローウィンが笑いながら訪ねた。ホークが頭を伏せている背景で、あの少年はぼんやりとした表情で頷いた。

 「バカじゃねーの!!」と繰り返しながら笑う、ローウィンの耳障りな声が、ホークの神経を逆撫でした。





 村のバザール。

 ここ唯一の質屋兼買取屋を訪れていたヴィオンは、棚の商品をぐるりと見て回る。ちょっとした玩具から、高価な品まで、ある程度金額や品の種類によって分けられ、整理された店内は意外と見やすいものだった。

(もっと乱雑だと思ってた)

 武器や魔術具の類も置いており、この店の高額商品は殆どその類だ。魔術具の棚を見れば、一か所ぽっかりと空間が空いていた。そこに置かれた札には、店主の直筆で「退魔族」と書かれていた。

(魔族用の品だけ………ここら辺ってそんな魔族出るのか?)

 そんな中、装飾品の棚を見ていたレーンが、顔色を変える。

 ヴィオンは立ち尽くす妹の姿に、欲しい品でもあるのだろうかと、隣に並ぶ。

「いい物でもあったか?」

「お兄ちゃん………これ」

 レーンは、棚の上の髪飾りを指さした。それをみたヴィオンも、顔色を変える。

「………え、これって」

 レースと刺繍で飾り付けられた、リボン型の髪飾り。それは、レーンが去年の誕生日、ライラギの施設からプレゼントとして送られたものだった。

 ヴィオンは髪飾りを手に取り、布の重なった部分を捲る。

 ———レーン

 小さく、隠すように、そこには妹の名前が書かれていた。





 ***





「二人に、相談したい事があるんだ」

 ヴィオンが決心したように口を開いたのは、買い物の日の翌週だった。



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