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二章 水底に沈む玉
52、少年は嫌われ者 1(彼らの学校生活)
しおりを挟む真っ白な空間。
そこには床も天井もない。
際限のない城の中、少年は宙に腰かけ隣に置いていた「世界」を引き寄せた。
片足だけ胡座をかくようにして、曲げた方の脚に肘をつき周囲に漂う数々の「世界」へ目をやる。
「まだまだ、先は長い、ね………」
息をつくと、丁度少年の元に「ソレ」は来た。
「え? ………ああ。大丈夫だよ。一応少しずつ終わって入るし。―――ははは。サボってると思ってたの? 他にやる事もないなら仕方ないじゃん」
「ソレ」は少年に幾つか言葉を投げかけるとその場を立ち去った。
ただの気分で少年の形をしている彼は息をつく。
「ほんと癪だよな。あーあ。誰かうっかり世界を滅亡させてくれればいいのに」
彼は隣に置いたままの「世界」を覗き込む。
「君たちも、暇な僕のため―――せめて、出来るだけ面白く頼むよ」
***
少年は行き倒れていた。
彼の故郷は今いる街より南の国境沿いの街だ。
こちらほど整備されていないかの土地で、少年は母に売られた。父はずいぶん昔に事故で死に、母が一人で彼と彼の姉を育てた。
『なんでお前だったんだろうね』
折角の男手。それが、生まれたのが何故おまえだったのか、と母は酒をあおりながら言うのだ。母は時に、少年に物を投げつけることもあった。
姉はそれらに巻き込まれるのを避ける様に、少年には近づこうとしなかった。十六になり、一人の人としての自我を発見し始めた彼女は、弟とのかかわり方に戸惑っているようだった。
庇ったらいいのか。知らぬふりをしたらいいのか。
姉の濁った眼には悪意も善意もなかった。知識も教養も身に着けてこれなかった彼女には、本能しか従う術がない。自分の命を最優先するように、「だめだ」と自分に言い聞かせるように、少年を見ては両手を隠す様に胸元で握り、部屋の隅へ視線を逃がすのだ。
姉ちゃん。
商人に売られる頃には、少年は彼女をそう呼べなくなっていた。
母を「母さん」と呼ぶなどはもってのほかだ。自分を傷付ける第一の人間であったらか。そして、母同様街の者達も自分へ危害を加える。
記憶が曖昧なくらい幼い頃、少年の姉はそれから彼を庇おうとして巻き込まれた。それ以来、姉は少年へ近づくのを躊躇うようになり、少年は彼女を「姉」と呼べなくなってしまった。
(なんでだっけ………)
全部嫌いだったから、恨んでいたから、他人がどうなろうとどうでもよかった。
だから自分のせいで誰かが傷つこうと、それは自分には願ってもないことのはずなのだ。
だから、別に自分の先に生まれたあの女だって、どうなろうといいと思ったはずなんだ。
別に助けて欲しいわけではなかった。
誰かに期待したわけでもなかった。
誰にも。誰とも―――
明るくて暖かいものを感じて少年は手を伸ばしていた。
「………ね、ちゃ………………………」
何かを掴もうと伸ばした手を、誰かが握り返す。
少年はぼんやりした意識の中、うっすらとあけた瞼の先。日の光に透けて輝くラベンダー色と水色の髪の少女を見た。
「あ、生きてる」
ぽそりと、手を握ってる少女の声がそう言った。
「いえ、だから気を失ってるだけって言ったじゃないですか」
これは、はっきりは見えないが少女の後ろにいる女の声だ。
さらに奥から男の声がしている。一体何人いるのだろう、と少年は不思議に思う。
「おい、ミクレーのクソガキ。俺らはもう行くぜ」
「じゃあな嬢ちゃん。お転婆もほどほどにな~」
「うん。ありがとうコーニオ。あとクソリュージ」
(………ミクレー?)
ミクレーとは、霧の中人を惑わす妖精だ。濃霧に便乗し、または自ら霧を起こせるという話もあるが、気紛れに旅人を底無し沼に誘い落として命を奪うという話がある。
口に水を運ばれ、喉が潤っていくのを感じる。そういえば安心して飲める水をここ最近与えられていなかった。喉の感じからして、水分は先ほどから少しずつ与えられていたようだ。
少年の視界はだんだんとクリアになっていた。
自分を覗き込む同じくらいの年齢の少女。後ろに控える金髪の女。
「………あんた、ミクレーなのか?」
ろれつの回らない舌でそう尋ねる。
よそ見していた少女が驚いたように少年へ目を向ける。
緑の目を苦笑で細め、彼女はどう説明するか困ったように答えた。
「モノの例え」
その後、傷の手当と食べ物をもらい少年の意識もかなり回復したころ、彼の『主人』が現れ彼は回収されていったのだった。
主である男に乱暴に引っ張られながら、少年は少女に握り返された右手を見つめ、開いたり閉じたりを繰り返す。
***
ニベネント・ワーウォルド王が治めるケンデュネル国。その王都、クランスティエルには施設の大小に拘らなければ、中等学園が二十八校ある。そのうち貴族たちが通うような設備の整った学校は三校。その中でも特に教育内容が充実しているのが国が設立し、この国で一番歴史のある「クランスティエル中等学園」だ。この学園は城から西側に広い円形の敷地を陣取っており、高等学園と背中合わせになっている。中高合わせて「国立学園」と呼ばれ、そのどちらかを示す際はそのまま「国立学園の中等部です」「高等部です」といった具合に紹介する。
この国の王子ラツィラス・ワーウォルドが、この国立学園の中等部に入学して約半年。彼は学園生活には早々に慣れ、今は放課後を園内に三か所ある中庭で本を読み連れを待っていた。
その姿を、校舎の中から同学年の少女たちがうっとりと見つめる。彼女たちは帰り間際のお喋りの最中だった。その間に内の一人が中庭で本を読むこの学年の、例でもあり事実上の「王子」でもあるラツィラスに目を奪われ、つられて他の二人も―――といった具合だ。
ラツィラスの柔らかい色味の金髪や透き通った赤い瞳はまさに天使のようだった。作り物のようなその造形美のせいか、本人は「ラツィラス」と呼んでくれていいと自己紹介したのだが、女子生徒の殆どが自然と「王子」と呼んでいた。実際の地位でもあるが、もはやそれは愛称のような物になっている。ラツィラスが本物の王子でなくても、きっと「王子」というあだ名がつけられたことだろう。
ふと視線を感じ、ラツィラスが彼女たちの方を見る。一瞬間を開けて、彼は親し気な笑顔を浮かべて手を振った。
少女たちは嬉し気に手を振り返し、帰ろうとしていた事を思い出したように窓際から離れ教室の扉の方へと向かっていった。
「待たせたな、王子サマ」
その様子を眺めながら歩いてた「王子の連れ」が揶揄いを込めて投げかける。
それに対し、ラツィラスは「まあ、僕王子だし」と胸を張って返す。
「それにしても遅かったね、ジーン」
ジーン・ジェイシは王子のお付きだ。王子の護衛であり騎士見習いである。
ジーンは鮮やかな赤い髪をぱさぱさと払う。
「すまなかったな。どこに置いたか忘れて、少し探す羽目になった。お前も、別に待ってる必要なかっただろうに」
「何言ってるの? 護衛なしで出歩いてもし僕が暗殺されたら大変じゃない」
ラツィラスはくすくすと笑い歩き出す。
確かに一人の出歩きは危険かもしれないが、少なくともこの学園内なら教師も目を光らせているし、所々に兵士も配置されてるので問題ないだろう。
「どーせ、俺を待ってた方が剣の練習時間削れるし、とか考えてんだろ」
「そんなことないって。ま、実際削れたからラッキーだよね。で? 今日こそ犯人分かったの?」
「何のことだ」
ラツィラスはジーンのズボンの裾に着いた僅かな土汚れに目をやり、呆れたように笑った。
「まったく、王族のお付きに嫌がらせをするなんて、神経のずぶとい人が居たもんだよね。こんなに真面目で優しいジーン君に絡むなんて」
自分の主であり友人でもある少年の言葉にジーンは息をついた。
事実、ジーンは真面目な学生だ。少々愛想が足らないために貴族のご令嬢やご子息から不良のように見られることもあるが、話しかければラツィラス以外には丁寧だし真摯な対応をしてくれる。それもあって半年かけてようやくクラスにもなじんできたと、ラツィラスの目には映っていたのだが―――どうやら入学当初から影でコソコソと嫌がらせをする輩がいるらしい。
「どこかの王子がさっきみたいに女子に愛想を振りまくから、そのしわ寄せが俺に来てるって可能性もあるんだよな」
「君にそんな苦労を掛ける王子が居るのかい? 酷い奴だね。僕で良ければ力になるよ?」
キラキラとした笑顔を返すラツィラスを、ジーンは拳で軽く小突いて就業後の剣の鍛錬へと向かう。
城の敷地内では訓練を終えた兵たちが一息ついている所だった。
「よお、ジーン。学校帰りにお疲れさん。どうだ? 友達出来たか?」
とび色の髪をした青年が汗をぬぐいながらジーンに声をかける。
「多少は」
ジーンは少し考えそのままを伝えた。
実際、学校で仲良くなったクラスメイトは数人いる。入学前は、王族ではない自分の目の色をどう思われるかと多少考えはしたが、ふたを開けてみれば意外と周囲の反応は悪くなかった。むしろそこら辺の街を出歩くのと比べたら差別やいじめというのが少なく感じたのが驚きだった。
貴族の子供の集まる学校と聞いていたので多少のマウントの取り合いも覚悟していたのだが、「一見」大らかで余裕のある振る舞いをする者たちが殆どのため、貴族らしい振る舞いというのは集まるとこうなるのかとある意味感心していた。
入学して少しした時にラツィラスにこの素直な感想を伝えた所「教育と教養は伊達じゃないってことだね」と笑っていた。
「お前、ほら、もっとこうにこやかにしてみたらどうだ? 可愛い顔してんだから王子とセットで笑顔振りまけば人間関係無敵だぞ」
カザリットはジーンの両頬をぐいっと引っ張り上げる。
ジーンはその手をぱしりと払いのけ、胡乱気な目を兵士として先輩であるはずのカザリットに向ける。
「気持ち悪いこと言うなよ。それよりカザリット、城で会うなんて久しぶりだな」
「ん? そうだな。なんだぁ? 兄貴がいなくって寂しかったか?」
ジーンは無言でカザリットの腹部を小突く。それは良く二人の間でかわされる「誰が兄だ」というやり取りだった。
カザリットはジーンと同じ血を受け継いでいるが実の兄ではない。ジーンの父方の従弟だ。お互い赤系の髪は父方の血筋から引き継いだものだ。
「お前、またしばらく寮生活か?」とジーンは尋ねる。
「そうだな。多分二か月は」
「そうなんだ! じゃあまたカザリットにいつものお願いしていい? ランダグ、口は堅いけど真面目だから。カザリットみたいに気軽にはお願いできないんだよね。毎回ちゃんとした理由を考えなくちゃいけないのが大変で」
運動用の衣服に着替え、準備を先に終えたラツィラスが二人の会話に加わる。
「おー、いいぞ。けどお前ら、今学園寮だろ?」
「うん。けど僕らは家近いし。休日は結構帰ってきてるんだよ。………まあ、割と平日でもなんとかなるんだけどね」
へへへ、と悪戯気に笑う王子に、カザリットは「よくやるもんだ」と笑った。
そこに、皴がかりつつも良く通る低い声が投げかけられる。
「ジーン、あなたも早く準備なさい。始めますよ」
「すみません!」
訓練終りの兵士がぞろぞろと帰っていく中、初老の男がその流れに逆らって訓練場へ歩いてきていた。
ジーンと王子の剣の師匠ハドルテ・ゲミスだ。日中、兵士見習いを鍛えている彼は、ジーンと王子が学校に行くようになってからは二人の練習可能時間に合わせて修業後に時間を設け、寮の夕食の時間まで訓練してくれているのだ。
「じゃ、俺は行くな。がんばれよー」
カザリットは軽く手を振って去っていく。
「ではラツィラス様。ジーンを待つ間素振りでもなさっててください」
ラツィラスは苦笑し「はい」と言って腰に下げた練習用の本物の剣を抜く。
日が暮れ、王子とジーンは馬で学校の寮へと戻る。
街中なので全速力で馬を走らすことはできないが、城から学園までは大きな通りで繋がっているので、程々の速さは出せた。そんな中、ジーンの視界の隅にちょっとした小競り合いの様子が入り込んだ。数人の大人が自分と同年代の子供を取り囲んでいる。
先を行くラツィラスはお付きの馬の足音が無いことに気づき、少しいった所で馬を止めた。
「ジーン?」
馬を後退させ、ジーンの横に並べる。
「ちょっとこいつの手綱持っててくれ」
迷いなく馬を預ける彼へ、ラツィラスは「相変わらず」と微笑んだ。
ジーンは馬を降りると、すぐ近くの路地へと入り込む。
ラツィラスが現場を眺めていると、少年が囲まれていた近くの路地からジーンが顔を覗かせ様子を伺っているのが見える。
男たちが「さっさと返せ! この盗人!」と声を上げ、少年が「俺じゃない!」と反論した。それを容赦なく殴りつけ、少年は軽々と壁に背中を打ち付けられる。周りの者達は遠回りにその様子を見ていた。
(もしかしたら誰かもう通報してるかもな。………けど、誰も通報してないってこともあるよな)
ジーンは彼らの周りを観察する。彼らの頭上、店の看板代わりの旗が風にふわりと大きく揺れた。それは壁に刺された鉄の棒に、太めのひもで結ばれ固定されている。
ジーンは右手を腰の柄に置いたまま、左手を軽く持ち上その平を旗へ向ける。
じじじっと、旗を固定している縄が小さく煙を上げる。
周囲の布を見る。狙うのは風が来ないタイミング。
「いまだ」と思った一瞬、ジーンはその縄を一気に焼き切った。
バサリ、と旗は真下に居た男二人の頭の上に落ちた。
尻餅をついていた少年も、他の男たちもぽかんとその旗を見る。そして視線を上にやり、その場の者達が「ああ、あそこから落ちて来たのか」と理解した時には、もう少年は駆けだしていた。
殴られていた少年の前、誰かがその手を掴んで走っているのが男達にも見えた。
「くそ! 待て、お前!」
男たちは追いかける。
ジーンは少年の手を掴んだまま路地へと入っていった。
「おい、お前! 馬乗れるか?」
知った道をかけながら、ジーンは後ろの少年へ尋ねる。
少年は「ああ!」と答えた。
ラツィラスが眺める先、男たちも二人を追って路地へと駆け込み、その先から荒々しい声が聞こえてきた。口汚い罵声が聞こえる事数分、姿を消した路地からジーンと少年のみがひょっこりと出てきていそいそと馬にまたがる。
男たちは路地の中二人を探しているのか「どこだ!」「でてこい!」と怒鳴り声をあげていた。
「よし、行くぞ」
少年を馬の背に乗せ走り出すジーンに、ラツィラスは「はーい」と笑顔で返事をし追いかける。
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