愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち

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番外編

小さなハーフエルフの王 後編

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「……争いが止まないのは、そうしなければ生きていけないからだ……」
 とろりとした眠気を追い払いながら、アスファロトはぽつりぽつりと話し始める。
「だからこの大地を……皆が生きていける場所に変えなければ……」
 なぜ、獣人たちの棲み処を奪ったのか。自分が何者で、何を目指しているのか――。


 この大陸にはさまざまな種族が存在し、それぞれの土地を守って暮らしている。
 しかし自然は甘くはなく、豊かな実りが得られる場所はごく僅かだ。その僅かな土地を人々は奪い合い、奪い返されては殺し合って、互いに憎み合い――争いの中に生きている。
 そんな折。長年争い続けていた二つの長命種が、争いを終わらせて協定を結んだ。
 光を纏うエルフと、闇を奉ずるエルフ。二つの種族の間で最も優れた者同士を娶わせて、生まれてきた子を王とするというものだ。
 そうして生まれたハーフエルフが、アスファロトだった。
 莫大な魔力を持って生まれたアスファロトは、物心つく前から王として振舞うことを要求され、戦いに明け暮れた。
 だが、いくら戦いに勝利しても大地の実りには限りがあり、皆に分け与えれば不足する。誰かの腹が満たされれば、別の誰かが飢える。飢えた誰かは、また別の誰かの物を奪う。
 その連鎖がずっと繰り返されてきた。
 ――この大地を、もっと多くの民を養える場所へと変えるべきだ。
 アスファロトはそう心に決めた。


 アスファロトは膨大な魔力を生かして、峻険で生きるのに適さない山を切り崩し、地盤を掘り返して木々が育ちやすい土に変えた。
 湧き水や井戸を造り、汚れや病が溜まらぬように水の流れを整えた。
 山を崩した時に噴き出る溶岩や火砕流は、遠い島から探し出してきた火喰い竜を育てて食わせた。
 なだらかな起伏を持つ豊かな平野を、アスファロトは造っている。
 陽の光が等しく降り注ぎ、水は隅々まで行き渡る。土は肥沃で、気候は穏やか。水害や冷害、火山の噴火に悩まされることもない。過ごしやすく、生きやすく、誰かから何かを奪わなくても、十分な恵みを受け取れる大地を。
 しかしそこに住む人々が富を独り占めしては意味がない。そうならないためには、土地に根付いた人々を散り散りにしなくてはならない。
 エルフもダークエルフも、亜人も獣人も、精霊も人間も――。
 種族同士で寄り集まるから、集団で利害を争う。だったら、互いの垣根がわからなくなるまで混ざり合い、皆が家族になってしまえばいい。
 この大陸を、誰もが安心して暮らせる大きな家にする。
 争いのない新しい国を打ち建て、皆が一つの大きな家族となるのだ。




「だが……エルフたち……は、そんな考えは、馬鹿げて……いる……と……」
 途切れ途切れに話していたかと思うと、ついに言葉は寝息に変わった。
 ゴルディナは腕の中で眠りに落ちた異種族の子どもを見下ろした。どう見てもまだ親の庇護下にある幼さだが、発する言葉は力強い。
 エルフという長命の種族がいると話に聞いたことはあったが、昨日までのゴルディナには遠い世界の話だった。
 獣人にとって最も重要なことは、その日一日を生き延びることだ。
 番を娶って子をなし、獲物を狩って妻子を養う。横から食糧を奪おうとする者は、どんな姿かたちをしていようと、敵として処理しなければならない。憐れむ余地なく爪と牙にかけねば、自分の身が危うくなる。
 ゴルディナはそうやって生き延びてきた。
 生きる中で失くしたものも多い。弱い個体を見捨てたこともあれば、老いた個体を食ったこともある。
 悲鳴と嘆きが耳の奥から離れなかったことも。


 腕の中の小さなハーフエルフは、それを根本から変えようとしていた。子どもらしい夢物語のような話を、信じがたいほど強大な力でもって。
 アスファロトと名乗ったこの少年の思想は、種族単位で生き延びることを優先してきた多くの民に受け入れられないだろう。現に同胞のエルフさえも協力を拒んでいる。
 だが、生まれながらに王となることを定められたこの少年は、たとえたった一人でも、自分が思う道を進むに違いない。


「大きな家族、か……」
 縄張りだった山々は、すでに風景を一変させている。
 なだらかな丘、湿った黒い土と、穏やかに吹き渡る風。
 ここはもう、ゴルディナの知っていた山ではなくなってしまった。散り散りになった一族が戻ってきたとしても、きっとここが故郷だとはわからないに違いない。
 彼らはどこか別の豊かな土地に飛ばされ、そこで新しい恵みを受けて新しい隣人と生きている。ゴルディナの一族だけでなく、この地に住まうありとあらゆる種族がそうやって新しい仲間と生き方を与えられる。
 そしていつの日か、国という一つの家に住む家族になるのだ。
 その国を見てみたいと、ゴルディナは思った。
「……チビ助のくせに」
 あどけない顔をして眠る少年を、ゴルディナは見下ろした。
 柔らかな銀の髪、晴れた日の空色の目。震えあがりながらも見返してきた視線には、幼いながらに王者の風格があった。
 この少年は、語った夢を必ず実現させるだろう。
 すべての種族が豊かに暮らせる、争いのない国。――その新しい国が実現する瞬間を、ゴルディナは少年の側で見てみたい。
「しょうがねぇな、ちっこい王様よ」
 戦いには自信がある。魔法を怖れもしない。この小さなハーフエルフの王を守る爪と牙に、自分がなってやろうではないか。
 ゴルディナは、安らかに眠る銀色の頭を大きな掌で撫でた。
 眠りに落ちたままの少年が煩わしそうに顔を背ける。
 白み始めた洞穴の外から、大きな翼が羽ばたく音とともに主を探す竜の鳴き声が聞こえた。






「――ということで、ゴルディナは私の配下に収まったのだが……どうした、グレウス?」
 机の上に突っ伏してしまったグレウスに、昔語りを終えたオルガが心配そうに声をかけた。
 グレウスは机に顔を伏せたまま、『いえ……』と答えた。
 確かにこの国は、天然の要塞のような高い山々に囲まれている割に、内陸部には豊かな穀倉地帯の平野が広がり、天災も滅多にない暮らしやすい国だとは思っていた。しかしまさか、そんな大掛かりな土木工事が行なわれた結果だとは思いもしなかった。
 現代に住むグレウスたちにとってはありがたいが、当時の住民からしてみれば、とんでもない迷惑だっただろう。
 いきなり寝込みを襲われた挙句、見も知らぬ土地に飛ばされて、故郷は跡形もなく消されているのだから。
 魔王と呼びたくなるのも頷ける。
「気分でも悪いのか?」
「いえ、大丈夫です……」
 誹謗中傷だと思っていた伝説がおおむね真実だったので、ぐうの音も出ない。
 これではヴァルファーレンも訂正のしようがなかったはずだ。本の著者は正しいことしか書いていない。


 グレウスは気を取り直して体を起こし、見つめてくるオルガを見つめ返した。
 ――白い肌に闇色の長い髪、背筋が寒くなるほどの美貌。
 どこからどう見ても伝説の魔王そのものだが、オルガが望んでいるのは、今も昔も人々の平穏な暮らしだ。
 巨万の富も権力も必要としない。名誉が地に堕ちてもどこ吹く風。腹が満たされれば、食べるものにも贅沢を言わない。
 見た目に反していたって平和で慎ましく、慈愛に満ち満ちている――と、思いたい。
 怒らせると、これほど怖ろしい相手もいないが。


 心配そうなオルガの顔が珍しくて、グレウスは少し笑った。
「お若い頃の貴方を見てみたかったなと思っただけです。きっと愛らしい少年だったでしょうから」
 前世の記憶は欠片もないが、強大な力を持ちながらどこか危なっかしいハーフエルフの少年を、ゴルディナは大切に慈しんだのだろう。今生ではオルガの方が年上だが、時折驚くほど素直に甘えてくることがあるのは、きっとその頃の名残だ。
 グレウスの笑顔を見て、オルガも寄せていた眉を緩めた。安心したように少し微笑む。
 それから急に勝ち誇ったような目をして、オルガはグレウスを見下ろした。
「私は幼い頃のお前を知っているぞ。こんなに小さくて、元気で食いしん坊で可愛らしかった」
 どうだ、と言わんばかりに自慢するオルガの方が、よほど可愛らしい。
 グレウスは湧き上がってくる愛しさのまま、魔王な妻を抱きしめた。
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