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第一章 結婚は人生の墓場と言うが
褒賞は『臣籍降嫁』
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謁見の間では戦争絡みの深刻な話が出るのではないかと、団長ともども怖れ戦きながらやってきたのだが――。
「ははぁ……そなたがグレウスか……!」
石造りの床に膝を突くグレウスを見て、皇帝ディルタスは喜色満面と言った様子で声をあげた。
畏まって跪くグレウスに顔を上げさせると、上座の椅子から身を乗り出すようにして、好奇心も剥き出しに眺めてくる。仕方なく、グレウスも高い位置から見下ろしてくるディルタスを見返した。
三年前に即位した現皇帝ディルタスは、今もまだ三十代半ばという若さだ。
どうやらあまり落ち着きのない人柄のようだが、アスファロス随一の魔導師であることは広く知られている。
というのも、この国では当代一の魔力を持つ皇子が、次の皇帝となる習わしだからだ。
偉大なる建国の魔導皇アスファロトは、エルフの血を引いていたと言われている。
エルフと言えば、現代では伝説の中にしか存在しない、失われた民だ。
明るい金や銀の髪に、澄み渡った青や緑の瞳。
すらりとした長い手足と長身を持ち、寿命は今の人間たちよりずっと長かったと語られている。
魔導皇に率いられたエルフたちは強大な魔法を操り、大陸を支配していた魔王とその眷属である黒い竜を打ち滅ぼした。
そして神聖なるアスファロスを築き上げたのだという伝説が残されている。
皇帝ディルタスは、その伝説のエルフの血を濃く継いだらしい。
柔らかな金の髪に青い瞳。穏やかに整った顔。
身の内に秘めた魔力は膨大で、皇位継承者の最終選抜では選定の宝玉が眩しいほどに光り輝いたと言われている。
間近で拝謁したことのなかったグレウスは、皇帝はさぞかし威厳溢れる人物だろうと想像を膨らませていたのだが、どうやら少々違ったらしい。
「それにしても、そなたは体が大きいな。力も強そうだ。騎士団では『灰色熊』と呼ばれているそうだな?」
感心したように語り掛けてくる声には親しみが感じられた。
偉大な魔導師だというのに、身分の上下をあまり気に留めない性格なのかもしれない。興味津々といった表情にも愛嬌がある。
人好きのする笑顔に、ついつい同僚と話すような言葉を返してしまいそうで、なんと返事していいのかわからなかった。
戸惑うグレウスの代わりに、同席している騎士団長のカッツェが皇帝の言葉に応えた。
「グレウスは近衛騎士団随一の体格の持ち主です。見た目通り力が強いだけでなく、剣技にも優れており、また忠誠心も非常に篤い優秀な騎士です」
「そうか。それは素晴らしい」
手放しで褒めてくれる言葉に、グレウスは緩みそうな口を真一文字に結んだ。
カッツェと直接話したことは多くはないが、意外と自分のことを見ていてくれたらしい。
上官に恵まれた幸運を噛み締めながら、グレウスは短く謝辞を述べた。
若き皇帝ディルタスは、優れた君主として広く知られている。
グレウスのような一介の騎士にも、新しい皇帝を褒め称える言葉は色々なところから耳に入る。
ディルタスは、自身が優れた魔導師であるにも関わらず、魔力を持たない民にも目を向けてくれる皇帝だ。
魔力を持たない平民たちが暮らすのに困らないよう、さまざまな経済政策が取られているし、産業を発展させようと周辺国からの技術者の招聘にも積極的だ。城下の街には国からの支援で、いくつかの新しい工房と学校が建設されようとしている。
誉れ高い近衛騎士団に平民のグレウスが配属を許されたのも、考えてみればディルタスが即位してからのことだった。
今までの皇帝は、魔力を持つ皇室や貴族の血統を守ることにばかり固執していた。
だが、ディルタスの施策からは、魔力を持つ者も持たない者も、すべての民が一丸となって国を支えていくのだという意気込みが感じられる。
即位して僅か三年だが、少なくとも街の顔馴染みでディルタスの治世に不満を漏らす者はいない。
治世の在り方とは別に、グレウスが現皇帝に好感を抱く理由はもう一つあった。
この国では偉大なる魔導皇の血を残すべく、皇帝は複数の側室を持つことが伝統だ。
だがディルタスは皇太子時代に迎えた妃以外に、一人の側室も持たない。噂によると大変な愛妻家らしく、皇帝妃はすでに五人の皇子皇女に恵まれ、教育にも熱心らしい。
グレウスの両親も仲睦まじく暮らしているので、皇帝が自身の家族を大切にしているという話は親しみが持てた。
貴族社会では伝統を守らないことに批判もあると聞くので、周囲の言葉に流されずに自分を貫くのは、きっと大変なことだろう。柔和な笑みの裏に、計り知れない努力があるに違いない。
そんな皇帝に仕えられることを、グレウスは内心誇りに思っていた。
「ときにグレウス」
グレウスの思いを知ってか知らずか、ディルタスが話題を変えた。
「そなた、結婚を考えている相手はいるのか?」
「えっ!?」
突然思いもしない方向に話を振られて、グレウスの口から上擦った声が漏れた。
「え、ええ……と」
グレウスは言葉を詰まらせた。
グレウスは今年二十六歳になる、いたって健康な若者だ。
平民の出身で、父親は城下の街で家業の鍛冶屋を営んでいる。
髪は灰色、目は薄い青。顔立ちは少々厳ついが、男臭く精悍な顔だと言えなくもない。
だが残念なことに、女にはまるっきりモテた試しがない。
灰色熊のあだ名の通り、分厚い筋肉に覆われた巨体が一番の原因だ。大抵の女はグレウスの胸のあたりに頭があり、そもそも視線が合いもしない。
その上、夏至の事件で顔に火傷を負ったせいで、凶悪度にはさらに磨きがかかっている。
こんな男と結婚してくれるような度量のある女は、国中を探してもいないかもしれない。
「……いえ、そういう話はまったく……」
正直に打ち明けると、斜め前に膝を突いていた騎士団長のカッツェが、不憫なものを見るような目で振り返った。いたたまれない雰囲気だ。
そんな微妙な空気を打ち破るように、皇帝が声を張り上げた。
「そうか、それは重畳!」
『重畳』じゃないと、思わず反論しそうになった。
健康な男が二十六にもなって、まったく女っ気がないことが喜ばしいはずもない。二つ年下の弟でさえ、去年可愛い嫁さんを迎えている。本当はグレウスも、そろそろ結婚を考えられる相手が欲しかった。
しかし娼館の女さえ、グレウスの体躯を見ると怯えて寄ってこないのだから、まともな女が寄り付くはずもない。
このまま自分だけが、一生誰とも添い遂げずに歳をとっていくのかもしれない……。
――そんな暗い想像をよぎらせるグレウスに、ディルタスはにやりと笑って言った。
「勇猛なる騎士グレウス・ロアよ。褒賞として、そなたに臣籍降嫁を許そう。我が弟を妻として娶るがいい」
「ははぁ……そなたがグレウスか……!」
石造りの床に膝を突くグレウスを見て、皇帝ディルタスは喜色満面と言った様子で声をあげた。
畏まって跪くグレウスに顔を上げさせると、上座の椅子から身を乗り出すようにして、好奇心も剥き出しに眺めてくる。仕方なく、グレウスも高い位置から見下ろしてくるディルタスを見返した。
三年前に即位した現皇帝ディルタスは、今もまだ三十代半ばという若さだ。
どうやらあまり落ち着きのない人柄のようだが、アスファロス随一の魔導師であることは広く知られている。
というのも、この国では当代一の魔力を持つ皇子が、次の皇帝となる習わしだからだ。
偉大なる建国の魔導皇アスファロトは、エルフの血を引いていたと言われている。
エルフと言えば、現代では伝説の中にしか存在しない、失われた民だ。
明るい金や銀の髪に、澄み渡った青や緑の瞳。
すらりとした長い手足と長身を持ち、寿命は今の人間たちよりずっと長かったと語られている。
魔導皇に率いられたエルフたちは強大な魔法を操り、大陸を支配していた魔王とその眷属である黒い竜を打ち滅ぼした。
そして神聖なるアスファロスを築き上げたのだという伝説が残されている。
皇帝ディルタスは、その伝説のエルフの血を濃く継いだらしい。
柔らかな金の髪に青い瞳。穏やかに整った顔。
身の内に秘めた魔力は膨大で、皇位継承者の最終選抜では選定の宝玉が眩しいほどに光り輝いたと言われている。
間近で拝謁したことのなかったグレウスは、皇帝はさぞかし威厳溢れる人物だろうと想像を膨らませていたのだが、どうやら少々違ったらしい。
「それにしても、そなたは体が大きいな。力も強そうだ。騎士団では『灰色熊』と呼ばれているそうだな?」
感心したように語り掛けてくる声には親しみが感じられた。
偉大な魔導師だというのに、身分の上下をあまり気に留めない性格なのかもしれない。興味津々といった表情にも愛嬌がある。
人好きのする笑顔に、ついつい同僚と話すような言葉を返してしまいそうで、なんと返事していいのかわからなかった。
戸惑うグレウスの代わりに、同席している騎士団長のカッツェが皇帝の言葉に応えた。
「グレウスは近衛騎士団随一の体格の持ち主です。見た目通り力が強いだけでなく、剣技にも優れており、また忠誠心も非常に篤い優秀な騎士です」
「そうか。それは素晴らしい」
手放しで褒めてくれる言葉に、グレウスは緩みそうな口を真一文字に結んだ。
カッツェと直接話したことは多くはないが、意外と自分のことを見ていてくれたらしい。
上官に恵まれた幸運を噛み締めながら、グレウスは短く謝辞を述べた。
若き皇帝ディルタスは、優れた君主として広く知られている。
グレウスのような一介の騎士にも、新しい皇帝を褒め称える言葉は色々なところから耳に入る。
ディルタスは、自身が優れた魔導師であるにも関わらず、魔力を持たない民にも目を向けてくれる皇帝だ。
魔力を持たない平民たちが暮らすのに困らないよう、さまざまな経済政策が取られているし、産業を発展させようと周辺国からの技術者の招聘にも積極的だ。城下の街には国からの支援で、いくつかの新しい工房と学校が建設されようとしている。
誉れ高い近衛騎士団に平民のグレウスが配属を許されたのも、考えてみればディルタスが即位してからのことだった。
今までの皇帝は、魔力を持つ皇室や貴族の血統を守ることにばかり固執していた。
だが、ディルタスの施策からは、魔力を持つ者も持たない者も、すべての民が一丸となって国を支えていくのだという意気込みが感じられる。
即位して僅か三年だが、少なくとも街の顔馴染みでディルタスの治世に不満を漏らす者はいない。
治世の在り方とは別に、グレウスが現皇帝に好感を抱く理由はもう一つあった。
この国では偉大なる魔導皇の血を残すべく、皇帝は複数の側室を持つことが伝統だ。
だがディルタスは皇太子時代に迎えた妃以外に、一人の側室も持たない。噂によると大変な愛妻家らしく、皇帝妃はすでに五人の皇子皇女に恵まれ、教育にも熱心らしい。
グレウスの両親も仲睦まじく暮らしているので、皇帝が自身の家族を大切にしているという話は親しみが持てた。
貴族社会では伝統を守らないことに批判もあると聞くので、周囲の言葉に流されずに自分を貫くのは、きっと大変なことだろう。柔和な笑みの裏に、計り知れない努力があるに違いない。
そんな皇帝に仕えられることを、グレウスは内心誇りに思っていた。
「ときにグレウス」
グレウスの思いを知ってか知らずか、ディルタスが話題を変えた。
「そなた、結婚を考えている相手はいるのか?」
「えっ!?」
突然思いもしない方向に話を振られて、グレウスの口から上擦った声が漏れた。
「え、ええ……と」
グレウスは言葉を詰まらせた。
グレウスは今年二十六歳になる、いたって健康な若者だ。
平民の出身で、父親は城下の街で家業の鍛冶屋を営んでいる。
髪は灰色、目は薄い青。顔立ちは少々厳ついが、男臭く精悍な顔だと言えなくもない。
だが残念なことに、女にはまるっきりモテた試しがない。
灰色熊のあだ名の通り、分厚い筋肉に覆われた巨体が一番の原因だ。大抵の女はグレウスの胸のあたりに頭があり、そもそも視線が合いもしない。
その上、夏至の事件で顔に火傷を負ったせいで、凶悪度にはさらに磨きがかかっている。
こんな男と結婚してくれるような度量のある女は、国中を探してもいないかもしれない。
「……いえ、そういう話はまったく……」
正直に打ち明けると、斜め前に膝を突いていた騎士団長のカッツェが、不憫なものを見るような目で振り返った。いたたまれない雰囲気だ。
そんな微妙な空気を打ち破るように、皇帝が声を張り上げた。
「そうか、それは重畳!」
『重畳』じゃないと、思わず反論しそうになった。
健康な男が二十六にもなって、まったく女っ気がないことが喜ばしいはずもない。二つ年下の弟でさえ、去年可愛い嫁さんを迎えている。本当はグレウスも、そろそろ結婚を考えられる相手が欲しかった。
しかし娼館の女さえ、グレウスの体躯を見ると怯えて寄ってこないのだから、まともな女が寄り付くはずもない。
このまま自分だけが、一生誰とも添い遂げずに歳をとっていくのかもしれない……。
――そんな暗い想像をよぎらせるグレウスに、ディルタスはにやりと笑って言った。
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