愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち

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第一章 結婚は人生の墓場と言うが

ロア侯爵家の屋敷と執事のマートン

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 六頭立ての立派な馬車が止まったのは、宮殿にほど近い大貴族の邸宅が並ぶ一角だった。
 城や公爵家などと比べると敷地はやや小振りではあるが、高い壁と立派な門に守られて、中の庭園もよく手入れされているのがわかる。
 グレウスの目には、城の離宮にも匹敵する大邸宅に見えた。


「お帰りなさいませ、本日はまことにおめでとうございます」
 正面の扉に馬車が横付けされると、上品な老紳士が帰宅した二人を出迎えた。
 この屋敷の執事、マートンだ。
 小柄な老人は白髪を後ろに撫でつけ、糊の効いたお仕着せを一部の隙もなく身につけている。背筋がスッと伸びていて、年齢を感じさせない端正な印象だ。
 グレウスは先に馬車から降りて、中の貴人に手を差し伸べた。
 婦人に対するような作法で、礼に適っていなかったかと心配したが、皇弟は白い手袋に包まれた手をグレウスの掌に預けた。
 皇弟は法衣の裾を優雅に捌き、危なげない足取りで馬車を降りてくる。
 その姿にグレウスは感嘆した。


 皇弟は王城にこもりきりで、滅多と外には出てこないという噂だった。だが支えるために差し出した手には、羽のように軽い感触しかない。
 不安定な馬車のステップをこれほど軽々と降りてくるのなら、それなりに体を鍛えてあるはずだ。皇族は儀礼用の重い衣装を身につける機会も多いだろうから、それで体幹がしっかりしているのかもしれない。
 この様子ならば、乗馬や剣技も嗜んでいるだろうから、共通の話題もきっと見つけられるだろう。
 ディルタスは皇帝という地位にありながら、思いがけないほど気さくで親しみやすい人柄だった。あれがアスファロス皇室の気風だとしたら、カッツェや他の騎士たちのように、多少は打ち解けた関係になれるかもしれない。
 そう考えると、少し気が楽になった。


「…………?」
 手を離そうとして、グレウスは違和感を覚えた。
 無事に馬車から降りたので、もう手を離してもいいはずだ。だが繋いだ手が離れない。グレウスが手の力を緩めても、皇弟の方が握ったままだ。
 仕方がないので手を繋いだまま、案内するマートンの後ろに従って初めての屋敷の中を進む。
 互いに手を繋ぎ合って、物珍しそうにあたりを見ながら、肩を並べて歩いていく……。
 どこかで、似たようなことがあったような気がした。








 屋敷の中は落ち着いた雰囲気の調度品で揃えられていた。
 建てられてから数年以上は経過していそうだが、良い意味で使いこまれた感じがする。勿論グレウスの実家とは比べ物にならない豪華な屋敷なのだが、それでいてどこか懐かしいような感じもした。
 前を歩くマートンが、軽く振り返って目配せしながら尋ねてきた。
「馬車の馬たちは問題ございませんでしたか」


 おかしなことを訊くものだと、グレウスは思った。
 言われて思い出したのだが、馬車はひどく揺れた。
 白馬で揃えられた立派な馬たちは、よく訓練されているように見えたというのに、なぜか初めから暴走気味だった。御者が鞭を使うまでもなく怯えたように走り出して、手綱を絞るのに苦労していた様子が窺えた。
「馬の気が立っていたようで意外と揺れました。御者も難儀していたようです」
 何も考えずに正直な感想を述べてみた。
 グレウスは馬には乗り慣れているが、馬車を使うことは滅多とない。
 今日の馬車は街の辻馬車よりも揺れたような気がしたが、六頭立てとなると馬の頭数が多い分だけ、相当扱いが難しいのだろうか。
 そんなことを思っていると、前を行くマートンが『ンッ、ンッ』とわざとらしい咳払いをした。
 どうやら答え方を間違えたらしい。グレウスは慌てて隣を歩く皇弟に声を掛けた。
「……ひどく揺れましたが、殿下は馬車に酔われませんでしたか」
「大事ない」
 柔らかな声に、グレウスはほっと胸をなでおろす。
 無言で歩く様子を見て、人生経験豊かな老執事が話のきっかけを作ってくれたようだ。
 何を話していいかわからないが、それはきっと向こうも同じだろう。少しずつ歩み寄って、良い関係が築ければいい。
 おしゃべりは得意とは言えないものの、グレウスは今日の挙式で緊張したことなど、少しずつ話しかけてみることにした。


 皇弟は言葉は少ないが、グレウスが何か話せばそれに反応してくれた。
 平民と蔑まれて口も利いてもらえないのではと危惧していたので、ぎこちないながらも会話ができることに、グレウスは胸を撫で下ろした。
 突然こんな立派な屋敷を与えられたグレウスも戸惑っているが、おそらく城から離れたことのない皇弟の方が、もっと戸惑っていることだろう。途方に暮れていてもおかしくない。
 皇子として生まれながら、住み慣れた城を離れて、格下の家臣の元へ嫁いできたのだ。
 それが果たしてどのような気分なのか、グレウスには伺い知ることもできないが、少なくとも楽しく浮かれた気持ちにはなれないに違いない。


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