王宮に咲くは神の花

ごいち

文字の大きさ
上 下
128 / 138
最終章 神饌

二人の王子3

しおりを挟む
「戦の男神ウェルディは、自らの力に慢心してファラスの御使いを喰らってしまった。怒れるファラスは姿を隠し、大地に呪いをかけた。御使いの花が再び咲くまで、地上は凍てつく寒さと灼熱の風に晒され、滅びへの道を歩むだろうと」

 シェイドを抱き上げたラナダーンが、白桂宮の廊下を進む。
 婚姻の夜にジハードの腕に抱かれてここに入った時と同じように。

「我らは花に跪き、命を捧げねばなりません。それがウェルディの血を持つ者たちに科された役割です」

「待ってください、ラナダーン。貴方はいったい何を知って……!」

 侍従たちが恭しく頭を下げ、部屋の扉を開ける。
 私室の中で待っていたのは、二年前にフラウから侍従長の位を引き継いだターレンスだった。

 開かれた扉を潜って、ラナダーンがシェイドを抱きかかえたまま寝室に足を踏み入れる。
 そこで待ち構えていた人物に、シェイドは小さく声を上げた。

「……セリム……」

 朝に長子を得たばかりの第一王子がそこにいた。





 ジハードに面差しがよく似た青年は、床に膝を突いて臣下の礼をとっていた。
 だがその装いは、寝間着の上にガウンを纏っただけだ。彼が何のために白桂宮の寝室にいるのかは明白だった。

「セリムとディリウスには、先に王子を得た方に王位を譲ると伝えてありました」

 背後で、寝室の扉の鍵が閉められる微かな音が聞こえた。
 窓には飾り格子が嵌められている。
 密室となったこの部屋にはウェルディの血を引く者たちが残された。

「セリムは名を改め、ジハード・ハル・ウェルディス二世として即位します。貴方に命を捧げる次代の王に、どうぞ祝福をお与え下さい」




 何を言っているのだと、シェイドは間近にあるラナダーンの顔を見つめた。

 ラナダーンはまだ四十の坂を超えたばかりだ。二人の王子もまだ若い。
 即位の話をなぜ今しなければならないのか。
 毎夜寝室でシェイドを征服するラナダーンが病を抱えているとも思えない――そう考えて、背筋を寒いものが走った。

 前王ジハードも、まだ十分に男盛りと言える年齢で突然世を去ってしまったではないか、と。

「……どうして、そんなことを……?」

 何か予兆でもあったのか。

 答えを怖れるように問うたシェイドに、ラナダーンは悲しみの滲む笑みを浮かべた。
 久しぶりに目にする、人間らしい微笑みだった。

「私の命はそう遠くないうちに尽きるでしょう。けれど後悔することは何一つありません」

「……ラナダーン……」





 シェイドは思い出していた。

 晩年のジハードも、サラトリアも、時折こんな表情で自分に微笑みかけた。
 満たされている、幸福だ、永遠に愛している――そんな言葉を何度も何度も、シェイドの記憶に刻み付けるように囁きかけたことを。





 若くして突然天に召されたと思っていた彼らも、何かの予兆を感じていたのか。
 そしてそれを悟られないように隠していたのか。

「どうして……」

 ジハードもサラトリアも、シェイドには何も告げずに逝ってしまった。
 答えを与えてくれるのは、今はもうラナダーンだけだ。
 シェイドを抱く腕は力強く、まだ若さと精力が感じられる。なのにどうして、命が尽きるなどと言うのか。

「シェイド……」

 腕にシェイドを抱いたまま、ラナダーンは額に口づけした。
 慈しみと敬意を感じさせる優しい口づけは、まるで輝く瞳でシェイドを見つめた少年の頃に立ち戻ったかのようだった。

「この国は、神の花を甦らせるためにウェルディが作った庭園です。ウェルディリアの王は黒豹の血統を繋ぎ、奪った力を貴方にお返しするのが役目。私はもうすぐその役目を終え、セリムとディリウスが後を引き継ぐのです」

 抱き上げた体を、ラナダーンは傍らに立つ若い王子の腕へと渡した。
 シェイドは手を伸ばし、離れていくラナダーンの腕を捕らえて叫んだ。

「私はただの人間です! 御使いでも神の花でもない、ただの人間でしかない!」

 その叫びは本心からのものだ。
 だが同時に、頭の奥で何かの符号がかちりと噛み合ったような感覚もあった。





 生けるウェルディとも呼ばれたジハードが、卑しい混血の自分になぜあれほど執着したのか。
 北方人を忌み嫌っていた亡き異母兄や、何不自由ない大貴族だったサラトリアまで。

 歳をとることのない自分。
 心の臓が鼓動を止めても蘇り、食事をろくに摂らなくても死ぬこともなく。
 白い肌には、胸に刻まれた紋章以外どんな傷も残らない。

 ――これで、本当にただの人間だと言えるのだろうか。

 もしかして己はラナダーンの言う通り、愛する者たちの命を吸って生き永らえる化け物なのでは――。





 悲鳴のような叫びを、ラナダーンは穏やかな表情で受け止めた。
 伸ばされた手を両手に掬いとり、白い手の甲に恭しく口づける。

「そうであっても構いません。私は貴方に恋をして、貴方を愛した。ただそれだけのことです」

「……私もです、上王陛下」

 ラナダーンの言葉に重ねて、呪わしい王家の遺産を引き継いだ王子が、熱の籠った声で宣言する。

「貴方を腕に抱く日をずっと夢見てきました。どうか私のことをジハードとお呼びください」

 寝台の上にシェイドの体を降ろした王子が、そっと唇を重ねてきた。
 今もなおシェイドの心を捕らえ続ける最愛の王。その王の名を継いだ若者が、シェイドに触れてくる。
 愛しい相手の血を引く子。息子とも孫とも思い、大切に慈しんできた相手が自分を求めていた。

 口づけは初々しく、唇は温かだった。
 その温かさに涙が滲みそうになる。




 ジハードは、突然の死を迎えるまでにシェイドに何度も口づけした。
 目覚めた時も、眠る前にも。時に荒々しく、時に奪うように。
 そして時には優しく慈しむように唇を寄せ、時には情愛の炎を口移しで与えるように唇を合わせた。
 化け物と呼ばれ、誰にも触れられなかったシェイドを、あるがままに受け止め、愛してくれた。

 それはサラトリアもラナダーンも同じだ。

 ウェルディの血を持つ者たちはシェイドに触れてくれる。
 自分が何者なのかわからなくとも、抱き留める腕がここにはある。





「……ジハード……」

 震える瞼に瞳を隠し、シェイドは新しい所有者に身を委ねた。
しおりを挟む
感想 27

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

捜査員達は木馬の上で過敏な反応を見せる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

禁断の祈祷室

土岐ゆうば(金湯叶)
BL
リュアオス神を祀る神殿の神官長であるアメデアには専用の祈祷室があった。 アメデア以外は誰も入ることが許されない部屋には、神の像と燭台そして聖典があるだけ。窓もなにもなく、出入口は木の扉一つ。扉の前には護衛が待機しており、アメデア以外は誰もいない。 それなのに祈祷が終わると、アメデアの体には情交の痕がある。アメデアの聖痕は濃く輝き、その強力な神聖力によって人々を助ける。 救済のために神は神官を抱くのか。 それとも愛したがゆえに彼を抱くのか。 神×神官の許された神秘的な夜の話。 ※小説家になろう(ムーンライトノベルズ)でも掲載しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...