王宮に咲くは神の花

ごいち

文字の大きさ
上 下
91 / 138
第五章 王宮の花

エレーナの旅立ち

しおりを挟む
 ファルディア領に入り領主の館に着いたのは、王都を出た夕刻から数えて八日目の朝だった。
 到着したシェイドたちを沈鬱な表情の医師団が迎えた。

「昨年領地にお戻りになられてから徐々に食が細くなり、ここ数カ月はほとんど食事をお摂りになれなかったようです。非常に厳しい状況でございます」

 馬を使って数日早く到着していた医師団は、エレーナを回復させようと手を尽くした様子だった。
 だがついに水さえも飲めない状態になり、今はもう死を待つばかりだという。

 シェイドは面会を願い出た。





 館の二階、南向きの明るい部屋にエレーナの寝室があった。
 憔悴した様子の侍女と入れ違いに、シェイドとサラトリアは部屋の中に入った。
 大きな寝台の中には、埋もれるように一人の婦人が横たわっている。窓の外を見ていた顔がこちらを振り向き、来訪者の姿を認めて笑みを浮かべた。

「……お久しぶりですね。お元気にしていらっしゃいますか」

 シェイドも少し笑いかけ、寝台の側の椅子に腰を下ろした。サラトリアが守るようにその背後に立つ。
 エレーナは背の高い公爵にも視線を向けた。

「子爵も……ファルディアへ出立する日にお見送りに来てくださって以来ですね。お礼を申し上げる機会を逸しておりましたが、館を整えてくださってありがとうございます。おかげさまで不自由なく暮らせました」

「ご無礼を働いたことへの償いにもなりませんが、少しでもお役に立てたのでしたら幸甚に存じます」

 エレーナの受け答えはとても病人とは思えぬほどしっかりしていた。
 だが元々白い顔は青白く、頬は痩せこけ唇は渇いてひび割れている。掛物の上に出た手も骨が浮き、生きて会話できるのが不思議なほどだった。

「母上……」

 シェイドは手を伸ばして、掛物の上の小さな手を握った。
 夏だというのに指は冷たく、乾ききってまるで枯れ木のようだった。





 ここへ来るまで、エレーナの危篤の知らせはシェイドにとって王都を抜けるための口実に過ぎなかった。
 最後の手紙を受け取ってからも相応の日にちが経過している。到着する前に命が尽きていても仕方がないと、どこか冷めた気持ちで考えていた。
 だがこうやって死にゆく母親を目の当たりにすると、生きているうちに会うことが出来て良かったと心から思う。

 エレーナは儚い笑みを浮かべた。

「……貴方に母と呼んでもらう資格は、私にはありません。けれど、私たちは確かに血の繋がった親と子のようですね……」

 細い指先が少しやつれたシェイドの頬へ伸ばされた。
 白い肌と青い瞳、色のない白金髪。
 だがエレーナが言っているのは外見の事ではなかっただろう。痩せて生気の乏しい息子の姿に、彼女は自分と同じものを見出したのに違いない。

「後を追うつもりはないのです。でも、ベレス様は私の全てでしたから……あの方のいない世界でどうやって生きて行けばいいのかがわからない……。何のために毎朝眠りから目覚めるのか、その意味を見出せなくて……」

 愛しい相手を喪った世界は色褪せ、エレーナにとって何の意味も持たなくなってしまった。
 どうして朝になると目覚めるのか。寝台から起きて食事を摂り、体を動かすのは何のためか。
 無事を祈る相手はもういないというのに、どうして自分はここに生きているのか。

 言葉通り、エレーナにとってベレスは彼女の全てだったのだろう。生家が没落し、幼い北方娼婦として娼館に売られた彼女を救い出したのは、行幸中のベレスだった。
 ベレスは北方人の彼女を妾妃として迎え、後宮に居場所を与えた。
 親子ほども年の離れた彼女が一人残されても生きていけるよう、治めるべき領地も与えた。
 エレーナはベレスに愛され、ずっとベレスの為だけに生きていた。

 宮廷の華やぎも領地の民の幸福も、エレーナには何の意味も持たない。
 たった一人の血を分けた息子さえ、彼女の生きる意味にはなり得ないのだ。

「……ベレス様のお話を聞かせてくださいませんか。私は父上の事をほとんど何も知らずにきましたから」

 これが最期の会話となる母親に、シェイドは乞うた。
 シェイドにとってベレスは、側近くに仕えていた時も『国王』でしかなかった。
 心許した愛妾の前で、ベレスはどのような人間であったのか。人として、父としてのベレスをシェイドは知りたかった。

「そう……では何から話しましょうか。思い出がたくさんありすぎて……」

 微笑みを浮かべながら、エレーナは途切れ途切れに話し始めた。





 穏やかな時間が過ぎた。
 時折は昔を懐かしむように、時折は幸せを噛み締めるように、エレーナは胸に大切にしまっておいた思い出をシェイドに語った。

 やがてその声が間遠になり、部屋には静寂が下りた。
 呼吸が徐々に小さくなっていく。
 弱々しくなったそれが消えてしまうまで、シェイドとサラトリアは部屋を離れなかった。

 半日ほど昏睡した後、彼女は唯一の肉親に見守られながら、波乱に満ちた生涯に幕を下ろした。
しおりを挟む
感想 27

あなたにおすすめの小説

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談? 本気? 二人の結末は? 美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

処理中です...