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第三章 ミスル離宮
王妃の座
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アリアと会って話をしたかったのは本当だ。本来ならばこの宮の主はアリアであるはずだったからだ。
アリア・ナジャウはいかにもウェルディスの直系らしい人物だった。
姿形は勿論のこと、あの気性の激しさや荒々しさもジハードとよく似ている。彼女が王妃の座についていれば、強気な交渉で外交に長けた王妃として名を残しただろう。
そして、それは今からでも現実の話となりえる。
タチアナが病弱で、世継ぎの王子を望むべくもないのは宮廷での共通認識だ。勿論ジハードもいずれは必ず妾妃なり新たな王妃なりを迎えねばならない。
となれば、そのもっとも有力な候補として上がってくるのがアリアだった。
アリアは確かジハードより一つ年上の二六歳だ。
世継ぎを産み育てるということを念頭に置くならば、妃に迎えるにはすでに遅いくらいだ。一日でも早くこの宮に入ってもらわねばならない。
シェイドがこの白桂宮に来てからすでに一ヶ月ほどが過ぎた。
そろそろ関心が薄れるはずの時期でもあり、他に目を向けて貰うのにちょうど良い時期でもある。
シェイドはアリアと面談することで、ジハードに世継ぎの問題を意識させようと考えたのだ。
会話がもう少し穏当に進むようなら、あの場にジハードが同席してくれればいいとも思った。アリアは豊満な肉体を持つ美しい女性だ。ジハードの視線は自然と彼女の色香や美しさに引き付けられたに違いない。
しかし残念ながらそうはならず、シェイドは好戦的なアリアに対して『欲しいものは力で奪い取れ』と示唆する結果になり、激したアリアの行いはジハードの怒りに触れた。
「……それで、会ってみてどうだった。あの女は王妃に相応しい器だったか」
興味深げな表情で、ジハードは両手を伸ばして裸のシェイドを腕の中に引き寄せた。結い上げた髪を解き、絹糸よりも艶やかな光の束を指で梳く。
「……堂々とした美しい女性でいらっしゃいました」
アリアの持つ見事な漆黒の巻き毛と黒い瞳を思い出して、シェイドは言葉を紡いだ。
王妃に相応しい器かどうかは、シェイドには判別できない。だがどんな貴族の令嬢でも、自分ほど不釣り合いではあるまい。
髪を梳くジハードの指が首筋や背を掠めるのに戦きながら、シェイドはアリアを讃えるための言葉を探した。
先のホールでは、茶器を投げつけ刃物を手にしたアリアの短慮にジハードが激高し、彼女が倒れ伏すほど打ち据えてしまった。アリアの心証も悪くなってしまっただろう。
いったいどう語れば彼女の名誉を回復し、好ましいと思ってもらえるだろうか。
「……アリア様は豊かな外交経験と教養をお持ちです。行動力や決断力もおありで、責任ある地位に相応しいお方だとお見受け致しました」
シェイド自身もアリアの事をさほど知っているわけではない。口にすることができる言葉はそう多くなかった。
柔らかい髪を梳きながら、白い肌の上の自身が残した吸い跡を辿っていたジハードは、シェイドの言葉を聞いて失笑した。
「自国の王妃に食器を投げつける不作法者だぞ」
「それは……余程お気に障ったからでしょう。あの方は、陛下をお慕い申し上げているご様子でしたから、私のようなものがここにいることで御気分を損なわれるのは当然のことです」
慕う相手が離れている間に妃を迎え、しかもそれが北方人そのものの醜い姿をしていたとしたら、アリアのような誇り高いウェルディリアの貴族が怒るのは無理もないことだ。
シェイドはそう伝えてアリアの行動を正当化したつもりだったが、ジハードの答えは辛辣だった。
「あの女は俺にではなく、王妃の座に恋着しているだけだ」
その口振りからは、ジハードがアリアに良い感情を持っていないことは明白だった。だが、シェイドは諦めなかった。
今の宮廷において、アリアほど血筋正しく王妃に相応しい令嬢は他にいない。
今は妾妃としてしか迎えることができないが、いずれ然るべき時が来れば王妃の座が回ってくる。そうなればいまだ反発の強い旧国王派の貴族たちもジハードの前に膝を折る以外になくなる。
国の将来を考えればそれが最良の手のはずだ。
「王妃の座に恋着なさっておられるなら、なおさら相応しいではありませんか。あの方を王妃にお迎えすれば、きっと――」
「もう言うな! あの女は二度と王宮に足を踏み入れさせん。領地にて死ぬまで蟄居を命じてやる!」
シェイドの言葉を遮ったジハードの声が、不意に激しく厳しいものになった。
逆鱗に触れてしまった気配に息を飲んだシェイドの体が、有無を言わせぬ力で壁に押しつけられた。
覗き込んでくるジハードの視線がいつになく険しい。喉が干上がりそうになりながらも、シェイドは意を決して言葉を続けた。
「お世継ぎのことをお考え下さい。避けては通れぬ問題にございます」
国王の不興を買ったとしても、シェイドには失う物がない。誰も口に出せない苦言を呈することができるのは、今はシェイドだけだ。
「まだ早い」
苦々しくジハードは言ったが、少しも早くなどない。むしろ遅すぎるくらいだ。
先王のベレスは実子に恵まれぬ王だった。王太子になる以前より幾人もの妾妃を抱えたが、どの妃との間にも子を為すことがなかった。ベレスが実子を得たのは、壮年を遙かに過ぎてからだ。
北方人の妾妃であるエレーナが産んだシェイドと、三人目の正妃から生まれたジハードの、たった二人の男子だけ。
そのため、世継ぎにはベレスの同腹弟であるカストロが王太弟として長くその地位に据えられていた。アリアの王妃の座への執着も、そのあたりの事情が影響しているに違いない。
同じ事がジハードにも起こらないと何故言えるだろう。
ジハードとは同い年であるサラトリアも妻帯はしていないが、こちらはすでに一族の中から養子を取り、次期当主としての養育を始めている。
ヴァルダン家ならばそれも一つの在り方としていいだろう。だが一国の世継ぎともなればそうもいくまい。
国の将来を考えれば、血統や財力に優れ、宮廷でのしっかりした後ろ盾を持つ貴族の令嬢を世継ぎの母に迎える必要があった。
容姿や性格は本来二の次だ。ジハードがアリアを好ましく思わずとも、王族の婚姻に際してそれは大きな問題ではない。
たとえ不興を買ってでも、今のこの機にジハードには真剣に先のことを考えてもらう必要がある。
だが、口を開きかけたシェイドは、ジハードの黒い瞳に宿る昏い焔に気付いて言葉を飲み込んだ。
「世継ぎが必要なら、王妃のお前が孕めばいい」
そんなことが出来得るはずもない、そう言おうとするシェイドの口を、ジハードは長身を屈めて唇で塞いだ。
アリア・ナジャウはいかにもウェルディスの直系らしい人物だった。
姿形は勿論のこと、あの気性の激しさや荒々しさもジハードとよく似ている。彼女が王妃の座についていれば、強気な交渉で外交に長けた王妃として名を残しただろう。
そして、それは今からでも現実の話となりえる。
タチアナが病弱で、世継ぎの王子を望むべくもないのは宮廷での共通認識だ。勿論ジハードもいずれは必ず妾妃なり新たな王妃なりを迎えねばならない。
となれば、そのもっとも有力な候補として上がってくるのがアリアだった。
アリアは確かジハードより一つ年上の二六歳だ。
世継ぎを産み育てるということを念頭に置くならば、妃に迎えるにはすでに遅いくらいだ。一日でも早くこの宮に入ってもらわねばならない。
シェイドがこの白桂宮に来てからすでに一ヶ月ほどが過ぎた。
そろそろ関心が薄れるはずの時期でもあり、他に目を向けて貰うのにちょうど良い時期でもある。
シェイドはアリアと面談することで、ジハードに世継ぎの問題を意識させようと考えたのだ。
会話がもう少し穏当に進むようなら、あの場にジハードが同席してくれればいいとも思った。アリアは豊満な肉体を持つ美しい女性だ。ジハードの視線は自然と彼女の色香や美しさに引き付けられたに違いない。
しかし残念ながらそうはならず、シェイドは好戦的なアリアに対して『欲しいものは力で奪い取れ』と示唆する結果になり、激したアリアの行いはジハードの怒りに触れた。
「……それで、会ってみてどうだった。あの女は王妃に相応しい器だったか」
興味深げな表情で、ジハードは両手を伸ばして裸のシェイドを腕の中に引き寄せた。結い上げた髪を解き、絹糸よりも艶やかな光の束を指で梳く。
「……堂々とした美しい女性でいらっしゃいました」
アリアの持つ見事な漆黒の巻き毛と黒い瞳を思い出して、シェイドは言葉を紡いだ。
王妃に相応しい器かどうかは、シェイドには判別できない。だがどんな貴族の令嬢でも、自分ほど不釣り合いではあるまい。
髪を梳くジハードの指が首筋や背を掠めるのに戦きながら、シェイドはアリアを讃えるための言葉を探した。
先のホールでは、茶器を投げつけ刃物を手にしたアリアの短慮にジハードが激高し、彼女が倒れ伏すほど打ち据えてしまった。アリアの心証も悪くなってしまっただろう。
いったいどう語れば彼女の名誉を回復し、好ましいと思ってもらえるだろうか。
「……アリア様は豊かな外交経験と教養をお持ちです。行動力や決断力もおありで、責任ある地位に相応しいお方だとお見受け致しました」
シェイド自身もアリアの事をさほど知っているわけではない。口にすることができる言葉はそう多くなかった。
柔らかい髪を梳きながら、白い肌の上の自身が残した吸い跡を辿っていたジハードは、シェイドの言葉を聞いて失笑した。
「自国の王妃に食器を投げつける不作法者だぞ」
「それは……余程お気に障ったからでしょう。あの方は、陛下をお慕い申し上げているご様子でしたから、私のようなものがここにいることで御気分を損なわれるのは当然のことです」
慕う相手が離れている間に妃を迎え、しかもそれが北方人そのものの醜い姿をしていたとしたら、アリアのような誇り高いウェルディリアの貴族が怒るのは無理もないことだ。
シェイドはそう伝えてアリアの行動を正当化したつもりだったが、ジハードの答えは辛辣だった。
「あの女は俺にではなく、王妃の座に恋着しているだけだ」
その口振りからは、ジハードがアリアに良い感情を持っていないことは明白だった。だが、シェイドは諦めなかった。
今の宮廷において、アリアほど血筋正しく王妃に相応しい令嬢は他にいない。
今は妾妃としてしか迎えることができないが、いずれ然るべき時が来れば王妃の座が回ってくる。そうなればいまだ反発の強い旧国王派の貴族たちもジハードの前に膝を折る以外になくなる。
国の将来を考えればそれが最良の手のはずだ。
「王妃の座に恋着なさっておられるなら、なおさら相応しいではありませんか。あの方を王妃にお迎えすれば、きっと――」
「もう言うな! あの女は二度と王宮に足を踏み入れさせん。領地にて死ぬまで蟄居を命じてやる!」
シェイドの言葉を遮ったジハードの声が、不意に激しく厳しいものになった。
逆鱗に触れてしまった気配に息を飲んだシェイドの体が、有無を言わせぬ力で壁に押しつけられた。
覗き込んでくるジハードの視線がいつになく険しい。喉が干上がりそうになりながらも、シェイドは意を決して言葉を続けた。
「お世継ぎのことをお考え下さい。避けては通れぬ問題にございます」
国王の不興を買ったとしても、シェイドには失う物がない。誰も口に出せない苦言を呈することができるのは、今はシェイドだけだ。
「まだ早い」
苦々しくジハードは言ったが、少しも早くなどない。むしろ遅すぎるくらいだ。
先王のベレスは実子に恵まれぬ王だった。王太子になる以前より幾人もの妾妃を抱えたが、どの妃との間にも子を為すことがなかった。ベレスが実子を得たのは、壮年を遙かに過ぎてからだ。
北方人の妾妃であるエレーナが産んだシェイドと、三人目の正妃から生まれたジハードの、たった二人の男子だけ。
そのため、世継ぎにはベレスの同腹弟であるカストロが王太弟として長くその地位に据えられていた。アリアの王妃の座への執着も、そのあたりの事情が影響しているに違いない。
同じ事がジハードにも起こらないと何故言えるだろう。
ジハードとは同い年であるサラトリアも妻帯はしていないが、こちらはすでに一族の中から養子を取り、次期当主としての養育を始めている。
ヴァルダン家ならばそれも一つの在り方としていいだろう。だが一国の世継ぎともなればそうもいくまい。
国の将来を考えれば、血統や財力に優れ、宮廷でのしっかりした後ろ盾を持つ貴族の令嬢を世継ぎの母に迎える必要があった。
容姿や性格は本来二の次だ。ジハードがアリアを好ましく思わずとも、王族の婚姻に際してそれは大きな問題ではない。
たとえ不興を買ってでも、今のこの機にジハードには真剣に先のことを考えてもらう必要がある。
だが、口を開きかけたシェイドは、ジハードの黒い瞳に宿る昏い焔に気付いて言葉を飲み込んだ。
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