12 / 138
第二章 ジハード王の婚姻
白桂宮
しおりを挟む
てっきり地下牢か塔か、それとも処刑場にでも連れて行かれると思っていたのだが、ジハードが足を向けたのは王の後宮だった。正確にはその跡地である。
半年前の地震で一部が倒壊したため、後宮は全て取り壊され、前王の妾妃達は全員暇を与えられたという話はシェイドも聞いていた。
かつて後宮に通じる扉があった場所には、今は神殿のそれにも似た大きな両開きの扉が据えられていた。武装した四人の衛兵がその扉を守るように立っている。
ジハードの姿を認めると衛兵達は一斉に敬礼し、金細工で飾られた扉を両側から開いた。
扉の内部は衛兵の詰め所があるだけの細長い廊下だった。手が届かぬほど高い場所に格子付きの窓があり、壁の両側にはいくつもの灯りがともされている。そこを進んでいくと、正面にもう一つ同じような両開きの扉が現れた。
ジハードは迷いのない足取りで扉の前に立った。と、瀟洒な装飾に似合わぬ覗き窓が開いて訪問者を確認した後、扉は内側から開かれた。
「……お戻りなさいませ」
扉を潜ると一斉に上がった声に、シェイドは目を瞬かせた。屋根付きの通路の両側に、青地に金刺繍のお仕着せを着た侍従達がずらりと並んでいたからだ。その先頭にいるのは、今朝ヴァルダンの屋敷で別れてきたフラウだった。
袖口に幅広の飾り刺繍が三本入っているのは、その宮の侍従長であることを示す印だ。彼はこの宮の所属であったらしい。シェイドは周りを見回した。
入ってきた扉から正面にある小さな宮までは、石を敷き詰めた通路が作られていた。頭上は屋根で覆われ、その両側は吹き抜けの中庭になっている。日が落ちてしまって良くは見えないが、小さいながらも形良く造られた庭のようだ。白い宮の背後は、切り立った神山の山肌に守られていた。
「今日から、ここがお前の住まいだ。白大理石と桂の木を用いたので、白桂宮と呼ぶことにしている」
シェイドを腕に抱いたまま、ジハードは新しい宮に向かって足を進めた。
宮の入り口にあるホールは、磨かれた大理石の柱が柔らかな影を落とす開放的な空間になっていた。扉を潜ってその奥へ進むと、中は小さいながらも高貴の人の住まいらしい格式ある佇まいを見せた。
廊下はさして広くはないが、天井が高い。それを照らす燭台は小振りながらも一つ一つが品良いもので、灯された蝋燭の数も多かった。蜜蝋の香りが仄かに漂っている。
石造りの壁には随所に装飾品を置く窪みが設けられ、零れ落ちそうなほどの花が生けられていたり、自然の風景を描いた絵画が飾られていたりして、通るものの目を楽しませる。
食堂、書斎、衣装室、湯殿……使用人達が使う控え室や厨房を入れたとしても、かつての後宮の五分の一もない大きさだ。残りは全て庭となっているのだろう。
最後に寝室と続きの間になっているという居間に入ったジハードは、二人掛けのゆったりした長椅子にシェイドを下ろし、自らもその隣に座った。
「何か必要な物があれば言ってくれ。外に出られない代わりに、できるだけここで心地よく過ごせるよう配慮するつもりだ」
シェイドは無言のまま、初めて足を踏み入れた部屋をぐるりと見回した。
部屋は決して大きいとは言えないが、一つ一つの調度品は手の込んだものばかりで、国王の居室にあったものにも劣らぬ品であることがわかる。床に敷かれた毛皮も上質なら、窓を覆う分厚い垂れ幕も凝った装飾がされていた。二人が腰かける桂の木でできた長椅子も、絹の座面が張られ、たっぷりの綿が中に詰められた贅沢な品だ。流れるような曲線を描く手すりには花々が精緻な浮彫りで描かれていた。
壁では暖炉が赤々と炎を上げ、水を張った鍋に浮かべられた香草が部屋の中を爽やかな香気で満たしていた。
いくら考えても、この宮は処刑を待つ罪人を幽閉するような場所では到底ない。これはまさしく王妃に準ずる貴人のための、小さいながらも贅を尽くした住まいだった。
「……私は……いつまで、ここにいるのですか……」
呆然としながら、シェイドはジハードに問いかけた。
ジハードは痛みを堪えるように、床に視線を落とした。
「いつまで、か。……長くなるとは思う」
はっきりとした物言いをするジハードには珍しく、彼は言葉を濁した。薪の爆ぜる音だけが部屋に響いた。
意を決してシェイドは長椅子から降りた。ジハードの足下に跪き、震えそうな声を振り絞る。
「……陛下。私はもう、何もかも覚悟致しております。どうか、今すぐにでも死をお命じくださいませ」
ジハードにとって、シェイドを生かしておく利は何一つ無い。どうせ処刑すると決めているのに、その日までを何不自由なく過ごさせる方がよほど残酷な所業だとわからないはずもなかろうに。
それにシェイド自身も、自分が無為な存在だと分かっているのに、こんな贅を尽くした宮に住まわされるのは受け入れ難かった。今年の冬も地方ではきっと餓死者が出るだろう。それなのに、何の役にも立たぬ自分が温かな部屋で安穏と暮らすなど、罪深いとしか思えない。
シェイドは新しい国の礎となるために、命を捨てる覚悟を決めた。その覚悟が鈍らぬうちに死を賜り、国家と国王に最後の忠誠を示したかった。
だが、ジハードはシェイドの願いを拒絶した。
「俺はお前に死を命じるつもりはない」
唇を震わせ言葉を失ったシェイドに、ジハードが視線を合わせた。闇色の瞳がまっすぐにシェイドを見つめ、シェイドもまたそれを見つめ返した。野性の獣のような切れ長の目に、吸い込まれそうなほど深い黒瞳が嵌まっている。黒曜石のような漆黒に、縋りつくような自分の顔が映っているのが見えた。
「……初めて会ったときから、ずっとお前が好きだった。兄だとは知らずに愛してしまっていたんだ」
ジハードの言葉が耳に届いた。だが、シェイドはその言葉の意味が解らなかった。
半年前の地震で一部が倒壊したため、後宮は全て取り壊され、前王の妾妃達は全員暇を与えられたという話はシェイドも聞いていた。
かつて後宮に通じる扉があった場所には、今は神殿のそれにも似た大きな両開きの扉が据えられていた。武装した四人の衛兵がその扉を守るように立っている。
ジハードの姿を認めると衛兵達は一斉に敬礼し、金細工で飾られた扉を両側から開いた。
扉の内部は衛兵の詰め所があるだけの細長い廊下だった。手が届かぬほど高い場所に格子付きの窓があり、壁の両側にはいくつもの灯りがともされている。そこを進んでいくと、正面にもう一つ同じような両開きの扉が現れた。
ジハードは迷いのない足取りで扉の前に立った。と、瀟洒な装飾に似合わぬ覗き窓が開いて訪問者を確認した後、扉は内側から開かれた。
「……お戻りなさいませ」
扉を潜ると一斉に上がった声に、シェイドは目を瞬かせた。屋根付きの通路の両側に、青地に金刺繍のお仕着せを着た侍従達がずらりと並んでいたからだ。その先頭にいるのは、今朝ヴァルダンの屋敷で別れてきたフラウだった。
袖口に幅広の飾り刺繍が三本入っているのは、その宮の侍従長であることを示す印だ。彼はこの宮の所属であったらしい。シェイドは周りを見回した。
入ってきた扉から正面にある小さな宮までは、石を敷き詰めた通路が作られていた。頭上は屋根で覆われ、その両側は吹き抜けの中庭になっている。日が落ちてしまって良くは見えないが、小さいながらも形良く造られた庭のようだ。白い宮の背後は、切り立った神山の山肌に守られていた。
「今日から、ここがお前の住まいだ。白大理石と桂の木を用いたので、白桂宮と呼ぶことにしている」
シェイドを腕に抱いたまま、ジハードは新しい宮に向かって足を進めた。
宮の入り口にあるホールは、磨かれた大理石の柱が柔らかな影を落とす開放的な空間になっていた。扉を潜ってその奥へ進むと、中は小さいながらも高貴の人の住まいらしい格式ある佇まいを見せた。
廊下はさして広くはないが、天井が高い。それを照らす燭台は小振りながらも一つ一つが品良いもので、灯された蝋燭の数も多かった。蜜蝋の香りが仄かに漂っている。
石造りの壁には随所に装飾品を置く窪みが設けられ、零れ落ちそうなほどの花が生けられていたり、自然の風景を描いた絵画が飾られていたりして、通るものの目を楽しませる。
食堂、書斎、衣装室、湯殿……使用人達が使う控え室や厨房を入れたとしても、かつての後宮の五分の一もない大きさだ。残りは全て庭となっているのだろう。
最後に寝室と続きの間になっているという居間に入ったジハードは、二人掛けのゆったりした長椅子にシェイドを下ろし、自らもその隣に座った。
「何か必要な物があれば言ってくれ。外に出られない代わりに、できるだけここで心地よく過ごせるよう配慮するつもりだ」
シェイドは無言のまま、初めて足を踏み入れた部屋をぐるりと見回した。
部屋は決して大きいとは言えないが、一つ一つの調度品は手の込んだものばかりで、国王の居室にあったものにも劣らぬ品であることがわかる。床に敷かれた毛皮も上質なら、窓を覆う分厚い垂れ幕も凝った装飾がされていた。二人が腰かける桂の木でできた長椅子も、絹の座面が張られ、たっぷりの綿が中に詰められた贅沢な品だ。流れるような曲線を描く手すりには花々が精緻な浮彫りで描かれていた。
壁では暖炉が赤々と炎を上げ、水を張った鍋に浮かべられた香草が部屋の中を爽やかな香気で満たしていた。
いくら考えても、この宮は処刑を待つ罪人を幽閉するような場所では到底ない。これはまさしく王妃に準ずる貴人のための、小さいながらも贅を尽くした住まいだった。
「……私は……いつまで、ここにいるのですか……」
呆然としながら、シェイドはジハードに問いかけた。
ジハードは痛みを堪えるように、床に視線を落とした。
「いつまで、か。……長くなるとは思う」
はっきりとした物言いをするジハードには珍しく、彼は言葉を濁した。薪の爆ぜる音だけが部屋に響いた。
意を決してシェイドは長椅子から降りた。ジハードの足下に跪き、震えそうな声を振り絞る。
「……陛下。私はもう、何もかも覚悟致しております。どうか、今すぐにでも死をお命じくださいませ」
ジハードにとって、シェイドを生かしておく利は何一つ無い。どうせ処刑すると決めているのに、その日までを何不自由なく過ごさせる方がよほど残酷な所業だとわからないはずもなかろうに。
それにシェイド自身も、自分が無為な存在だと分かっているのに、こんな贅を尽くした宮に住まわされるのは受け入れ難かった。今年の冬も地方ではきっと餓死者が出るだろう。それなのに、何の役にも立たぬ自分が温かな部屋で安穏と暮らすなど、罪深いとしか思えない。
シェイドは新しい国の礎となるために、命を捨てる覚悟を決めた。その覚悟が鈍らぬうちに死を賜り、国家と国王に最後の忠誠を示したかった。
だが、ジハードはシェイドの願いを拒絶した。
「俺はお前に死を命じるつもりはない」
唇を震わせ言葉を失ったシェイドに、ジハードが視線を合わせた。闇色の瞳がまっすぐにシェイドを見つめ、シェイドもまたそれを見つめ返した。野性の獣のような切れ長の目に、吸い込まれそうなほど深い黒瞳が嵌まっている。黒曜石のような漆黒に、縋りつくような自分の顔が映っているのが見えた。
「……初めて会ったときから、ずっとお前が好きだった。兄だとは知らずに愛してしまっていたんだ」
ジハードの言葉が耳に届いた。だが、シェイドはその言葉の意味が解らなかった。
21
お気に入りに追加
1,215
あなたにおすすめの小説
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
ちっちゃくなった俺の異世界攻略
鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた!
精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!
冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。
「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」
前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて……
演技チャラ男攻め×美人人間不信受け
※最終的にはハッピーエンドです
※何かしら地雷のある方にはお勧めしません
※ムーンライトノベルズにも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる