王宮に咲くは神の花

ごいち

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第二章 ジハード王の婚姻

白桂宮

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 てっきり地下牢か塔か、それとも処刑場にでも連れて行かれると思っていたのだが、ジハードが足を向けたのは王の後宮だった。正確にはその跡地である。

 半年前の地震で一部が倒壊したため、後宮は全て取り壊され、前王の妾妃達は全員暇を与えられたという話はシェイドも聞いていた。

 かつて後宮に通じる扉があった場所には、今は神殿のそれにも似た大きな両開きの扉が据えられていた。武装した四人の衛兵がその扉を守るように立っている。
 ジハードの姿を認めると衛兵達は一斉に敬礼し、金細工で飾られた扉を両側から開いた。

 扉の内部は衛兵の詰め所があるだけの細長い廊下だった。手が届かぬほど高い場所に格子付きの窓があり、壁の両側にはいくつもの灯りがともされている。そこを進んでいくと、正面にもう一つ同じような両開きの扉が現れた。

 ジハードは迷いのない足取りで扉の前に立った。と、瀟洒な装飾に似合わぬ覗き窓が開いて訪問者を確認した後、扉は内側から開かれた。

「……お戻りなさいませ」

 扉を潜ると一斉に上がった声に、シェイドは目を瞬かせた。屋根付きの通路の両側に、青地に金刺繍のお仕着せを着た侍従達がずらりと並んでいたからだ。その先頭にいるのは、今朝ヴァルダンの屋敷で別れてきたフラウだった。

 袖口に幅広の飾り刺繍が三本入っているのは、その宮の侍従長であることを示す印だ。彼はこの宮の所属であったらしい。シェイドは周りを見回した。

 入ってきた扉から正面にある小さな宮までは、石を敷き詰めた通路が作られていた。頭上は屋根で覆われ、その両側は吹き抜けの中庭になっている。日が落ちてしまって良くは見えないが、小さいながらも形良く造られた庭のようだ。白い宮の背後は、切り立った神山の山肌に守られていた。

「今日から、ここがお前の住まいだ。白大理石と桂の木を用いたので、白桂宮と呼ぶことにしている」

 シェイドを腕に抱いたまま、ジハードは新しい宮に向かって足を進めた。





 宮の入り口にあるホールは、磨かれた大理石の柱が柔らかな影を落とす開放的な空間になっていた。扉を潜ってその奥へ進むと、中は小さいながらも高貴の人の住まいらしい格式ある佇まいを見せた。

 廊下はさして広くはないが、天井が高い。それを照らす燭台は小振りながらも一つ一つが品良いもので、灯された蝋燭の数も多かった。蜜蝋の香りが仄かに漂っている。
 石造りの壁には随所に装飾品を置く窪みが設けられ、零れ落ちそうなほどの花が生けられていたり、自然の風景を描いた絵画が飾られていたりして、通るものの目を楽しませる。
 食堂、書斎、衣装室、湯殿……使用人達が使う控え室や厨房を入れたとしても、かつての後宮の五分の一もない大きさだ。残りは全て庭となっているのだろう。

 最後に寝室と続きの間になっているという居間に入ったジハードは、二人掛けのゆったりした長椅子にシェイドを下ろし、自らもその隣に座った。

「何か必要な物があれば言ってくれ。外に出られない代わりに、できるだけここで心地よく過ごせるよう配慮するつもりだ」

 シェイドは無言のまま、初めて足を踏み入れた部屋をぐるりと見回した。

 部屋は決して大きいとは言えないが、一つ一つの調度品は手の込んだものばかりで、国王の居室にあったものにも劣らぬ品であることがわかる。床に敷かれた毛皮も上質なら、窓を覆う分厚い垂れ幕も凝った装飾がされていた。二人が腰かける桂の木でできた長椅子も、絹の座面が張られ、たっぷりの綿が中に詰められた贅沢な品だ。流れるような曲線を描く手すりには花々が精緻な浮彫りで描かれていた。

 壁では暖炉が赤々と炎を上げ、水を張った鍋に浮かべられた香草が部屋の中を爽やかな香気で満たしていた。

 いくら考えても、この宮は処刑を待つ罪人を幽閉するような場所では到底ない。これはまさしく王妃に準ずる貴人のための、小さいながらも贅を尽くした住まいだった。

「……私は……いつまで、ここにいるのですか……」

 呆然としながら、シェイドはジハードに問いかけた。

 ジハードは痛みを堪えるように、床に視線を落とした。

「いつまで、か。……長くなるとは思う」

 はっきりとした物言いをするジハードには珍しく、彼は言葉を濁した。薪の爆ぜる音だけが部屋に響いた。





 意を決してシェイドは長椅子から降りた。ジハードの足下に跪き、震えそうな声を振り絞る。

「……陛下。私はもう、何もかも覚悟致しております。どうか、今すぐにでも死をお命じくださいませ」

 ジハードにとって、シェイドを生かしておく利は何一つ無い。どうせ処刑すると決めているのに、その日までを何不自由なく過ごさせる方がよほど残酷な所業だとわからないはずもなかろうに。

 それにシェイド自身も、自分が無為な存在だと分かっているのに、こんな贅を尽くした宮に住まわされるのは受け入れ難かった。今年の冬も地方ではきっと餓死者が出るだろう。それなのに、何の役にも立たぬ自分が温かな部屋で安穏と暮らすなど、罪深いとしか思えない。

 シェイドは新しい国の礎となるために、命を捨てる覚悟を決めた。その覚悟が鈍らぬうちに死を賜り、国家と国王に最後の忠誠を示したかった。

 だが、ジハードはシェイドの願いを拒絶した。

「俺はお前に死を命じるつもりはない」

 唇を震わせ言葉を失ったシェイドに、ジハードが視線を合わせた。闇色の瞳がまっすぐにシェイドを見つめ、シェイドもまたそれを見つめ返した。野性の獣のような切れ長の目に、吸い込まれそうなほど深い黒瞳が嵌まっている。黒曜石のような漆黒に、縋りつくような自分の顔が映っているのが見えた。

「……初めて会ったときから、ずっとお前が好きだった。兄だとは知らずに愛してしまっていたんだ」

 ジハードの言葉が耳に届いた。だが、シェイドはその言葉の意味が解らなかった。
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